Karte.116 レンジの決断、そして、エルフも
黒死病が闇属性魔法によって生み出された病魔であることは、誰にも言っていない。
というより、『誰にも言えない』と言う方が正しい。
この世界では、闇属性魔法は禁句であり、それについて語ることは御法度であり、それこそ極刑に処せられるほどの大罪だ。
もし私がそれについて言及してしまったら、
『そもそもどうして闇属性魔法が関与していることが分かるのか?』
と言うことを詰問されることから始まり、
『ひょっとしたら、コイツは禁じられている闇属性魔法を使えるのではないか?!』
と突っ込まれて、本当に処刑されてしまうからだ。
1000年以上前に闇属性魔法によって世界が崩壊しかけたのだから、無理もない話なんだろう。
だがそれは同時に、闇属性魔法を理解して、正しく恐れることを風化させてしまったことも意味している。
そのせいで、黒死病による治療が解明されないまま時間だけが経過し、遂には、発症したら最後『精霊に見放された異端者』なんていう烙印を押されて、国外追放されたり処刑されたりする羽目になってしまったのだ。
黒死病と闇属性魔法の関係性については、病態の研究を進めていけば私が言わなくても自ずと明らかになっていく可能性が高いし、少なくとも、こうしてキラキラした水面を眺めながらレンジ君に言うべきことではないだろう。
「ここまでの話で、レンジ君は何か言いたいことある?」
私の話をずっと黙って聞いてくれていた聡明なドワーフに話を振る。
「……僕には君の意見を否定することはできない」
はあ、と重い溜息を吐きながらレンジ君は答えた。
「正論だ、ユーリ。君が聖ティファナ修霊院に行けば、多くの黒死病患者が救われると同時に、病態や治療の解明にも大きく貢献できるだろう。もし仮に君の方針に反発する者がいたとしても、君しか黒死病の治療ができない現状では、君を害することはあまりにもリスクが高い。よって、君が処刑される心配は少ないだろう」
私の意見を簡潔にまとめた上で、
「……すまないな」
突然、頭を下げられてしまった。
「な、なんで?レンジ君が謝らなきゃいけないことはないでしょ?」
焦って頭を上げてもらうと、
「結局君に決めてもらわなければ動くができないんだ、僕達には」
眉を下げたままレンジ君は答えた。
「治療に必要な器材についても、君の指示がなければ僕は作ることはできない。そして、この村での生活を離れ聖ティファナ修霊院に赴くことも。結果的に重大な決断は君に全て任せていることになる。それもこれも、王族であるにも関わらず、黒死病で苦しむ同胞を切り捨てることしかしなかった僕の怠慢だ。本当に……申し訳ない」
悔しそうにグッと握られた拳に私の手が自然と伸びていた。
「……レンジ君は本当に凄いよ。私の立場を何よりも思いやってくれて、今までの自分を反省して黒死病から目を背けずに向き合おうとしているんだから。簡単にできることじゃないって」
「ユーリ……」
「正直私も、聖ティファナ修霊院に行けばどうなるか、不安がないと言えば嘘になるけど。でも、今まで見たいに運よく私の元に辿り着けた黒死病患者だけを治療するっていうのは、やっぱり不公平だと思う。王族だろうが平民だろうが黒死病を治したいのはみんな同じだろうし、誰であっても平等に治療の機会があった方がいい。そのためには、聖ティファナ修霊院で治療をした方が絶対にいいと思うのよ」
「誰であっても平等に……か」
レンジ君は、フッと口元を緩めた。
「君は本当に面白い考え方をするな。その気になれば黒死病患者の弱みに付け込んで、治療費として有り金全てせしめることもできるだろうに」
「いや、そんな極悪非道なことしないから!」
「ああ、そうだ。だから僕は、君の力になりたいと、素直にそう思えたんだ」
そう言うレンジ君の表情はいつもと同じ理知的で、とても落ち着いたものだ。
「この国に来るときに伝えた僕の意志は今も変わらない。僕は黒死病について知りたいと今でも思っている。そして、君の治療の手助けをすることも、治療の妨害から君を守ることも、だ」
レンジ君は立ち上がると、
「僕も君とともに聖ティファナ修霊院に行こう」
「えッ、いいの?!」
「なんだ、不満か?」
なぜか茶化すように私を見下ろした。
「いえ、そんなことは決してないんですけど!でも、レンジ君こそいいの?この村の生活、かなり気に入ってたんじゃない?」
レンジ君はゆっくり池を見渡し、空を見上げた。
「ああ。この村での生活はひどく心地良いものだ。60年近く生活していた祖国が霞んでしまうほど、充実した日々を過ごすことができている。だが、気づいてはいたんだ。僕がこの村に来るきっかけとなった病魔は、治療を終えてもなお、僕に根深く残り、離れてはくれないことに」
右の鎖骨の辺りを擦りながら、レンジ君は目を落とした。
「同じ過ちを繰り返さないためにも、僕も動き出した方が良いと思った。僕と同じ境遇で、素晴らしい才能を持ったエルフの2人とも出会うことができたしな」
「それって、フィーちゃんとジークのこと?でも、あの2人まで巻き込んでしまうのは、ちょっと……」
「そんなことありませんわ、ユーリさん!」
「ッ?!」
後ろを振り向くと、今話題に出ていたエルフ兄妹が立っていた。
ジークの手には、ぐっすり眠りこんだドラコが納まっている。
「どこから聞いていたの?!」
「ユーリさんが聖ティファナ修霊院に行く理由を仰った所からですわ」
「けっこう前からいたのね!」
全然気が付かなかったんだけど!
《ジークの風属性魔法により、あの2人の気配は風によって完全に紛れこませることができておりました》
(あのさ、アイさん。知っていたのなら教えてよ!)
《お話の邪魔をしてはいけないだろうと思いまして》
気配りなのか、嫌がらせなのか。本当に微妙な所を突いてくるAIだ。
「私とお兄様の黒死病を治療して頂いた時、ユーリさんには多大なご迷惑をおかけしてしまいました。特にリオディーネお姉様との確執にユーリさんを巻き込んでしまったことは、今も申し訳なく思っております。ですから、ユーリさんの生活がこれ以上乱されないようにすることが最優先だと思っておりました」
あのヤバい姉のことで、そこまで責任を感じてくれていたのか。
「ですが、ユーリさんが私達のこれからのことも私達以上に考えて下さったのだと知り、私もユーリさんのお力になりたいと強く思いました。ですからどうか、私も一緒に聖ティファナ修霊院にご同行させて頂きたいのです」
「フィーちゃん……」
「俺も行くぜ。学はねえから治療の役には立てねえと思うけどよ、旅の護衛くらいなら訳ねえし」
ジークはレンジ君の方を向き、
「コイツが言ったように、お前の治療を邪魔するようなヤツをぶっ倒すことくらいはできるからよ」
頼もしくも、ジークらしい答えを返してくれた。
(本当に、私は……)
「……ありがとう」
これ以上は胸がいっぱいで、頭を下げるのが精一杯だ。
「どうか、頭を上げてください。ユーリさんが私達にして下さったことに比べれば、まだまだ力不足なのですから」
フィーちゃんの手が私の肩に優しく添えられた。
「フィーちゃん……」
「これからもよろしくお願い致しますね」
ニコッと微笑むフィーちゃん。
そして、ジーク、レンジ君の目が優しく私を見つめた。
「……こちらこそ!」
そんな私も、必死に笑顔でみんなに答えるのだった。




