Karte.111 術後経過、そして、フィーの望み
診療所の2階。
今、私の部屋には私とフィーちゃんの2人きりしかいない。
しかも、フィーちゃんは上半身裸だ。
誓って言うけど、イヤらしい意味は全くない。
黒死病の術後経過の定期的なフォローである。
「はい、診察は終わり。明らかな再発はなさそうね」
「ありがとうございます、ユーリさん」
フィーちゃんがホッとしたように、私に微笑んだ。
これまでレンジ君に行っていた、アイによるスキャンと、原発部位の視診、周囲のリンパ節の触診。
それに加えて、今回からは、治癒の封魔石によるチェックも始めることにした。
黒死病は治癒魔法をかけるとむしろ症状が悪化する特長がある。
それを利用して、もし再発なり新たに発症したりしていれば、治癒の封魔石を使って治癒魔法をかけることで、体に何か変化が現れるかもしれない、ということを目論んだものだ。
ただ、下手をすると患者にとっては耐え難い苦痛を与えることになるかもしれないため、スキャンや身体診察をして明らかな異常所見がないことを確認してから行うのが大前提だ。
本職であるセインに頼もうかとも思ったけど、定期フォローに治癒魔法の余力を使うのはもったいないだろうと思い、封魔石を使うことにしたのだ。
(無理のない範囲だとしても、毎日コンスタントに治癒の封魔石も作っているから、無理強いはできないからね)
今のところ、3人とも再発も新しい病変もなく、経過は問題ない。
「そう言えば、ずっと聞こうと思っていたことなんだけど」
身支度を整えるフィーちゃんに声をかけた。
「2人が向かおうとしていたのって……聖ティファナ修霊院だったの?」
聖ティファナ修霊院ーーー居場所を追われた黒死病患者が行き着く、黒死病専門の療養機関だ。
黒死病専門といっても、現状では黒死病の治療法は存在しないということになっている。
だから、施設で行われているのは対症療法、いわゆる緩和ケアだけだ。
黒死病患者はそこで、できる限り苦痛を取り除かれた状態で最期を過ごし、そのまま死を迎える。
まさに、この世界の終末期医療である。
修霊院はこの国の王都近郊にあるらしく、約200年前に建設されたらしい。
黒死病を発症した王妃の苦痛を何とか和らげようと、当時の王がロザリー・ガルミエルという人間の薬師に王妃の治療を担当させた。
彼の尽力の結果、王妃は黒死病による苦痛を感じることなく、穏やかな最期を迎えることができたそうな。
王は彼の功績を称え、また、『王妃のように黒死病に苦しむ患者の少しでも力になりたい』という薬師の熱望に心を打たれ、修霊院を立ち上げたらしい。
当時の国王陛下は相当な人格者だったんだろう。
それ以降、院長を勤める者はロザリー・ガルミエルの名を継ぎ、修霊院では迫害された黒死病患者を1人残らず受け入れているのだという。
ここまでは専属知恵袋であるアイからの受け入りだ。
「はい、仰る通りですわ」
服を着替えたフィーちゃんは私に頷いた。
「私達もそこに向かおうとしていました。黒死病を治すことはできなくとも、黒死病の苦痛から解放されると、そう聞いておりましたから」
そして今度は、フィーちゃんが躊躇うように聞いてきた。
「あの……ユーリさんは、聖ティファナ修霊院に行こうと思われているのですか?」
それは目下のところ一番頭を悩ませている質問だ。
「えっ……と、その……」
答えあぐねている私を見て、
「ご、ごめんなさい!変なことを伺ってしまって!」
むしろフィーちゃんに謝らせてしまった。
「私、ユーリさんには本当に感謝していますの。私が今こうして、この村で心穏やかにお兄様と暮らすことができるのは、ユーリさんが黒死病を治して下さったお陰だと思っていますから」
静かにフィーちゃんは話し始めた。
「何より、ユーリさんは私達を決して見捨てようとはせず、ずっと寄り添って下さった。それが本当に嬉しかったのです。お兄様のこともそう。黒死病を治して下さっただけでなく、お兄様が文字を読めるように一生懸命考えて下さいました」
「それは、私の力というよりも、レンジ君のお陰でしょう!実際にメガネを作ってくれたは彼な訳だし。それに、セインの力がなければ、黒死病を取り除いた後の創部を閉じることもできないんだし」
できないわけではないけど、回復に相当時間がかかるだろうし、術後合併症が起こる確率が一気に高くなるだろう。
何せ、医療がほとんど発達していないから、厳密な術後管理がこの世界でできるとは到底思えない。
(セインやレンジ君の力がなければ、私は治療を成功させられない)
そのことは私自身も肝に銘じていることだ。
「それはもちろん、レンジさんやセインさんにも心から感謝しておりますわ。それでもね、ユーリさん」
フィーちゃんは桜色の瞳を優しく細めた。
「いつだって、一番最初に手を差し伸べて下さるのは、ユーリさん、あなたなのです。あなたの手が、他者を助けたいという強い思いが、私達を幸せに導いて下さったのですわ」
「幸せ……」
「ええ。ユーリさんが黒死病が治った私達の幸せを望んで下さるように、私もユーリさんには幸せになっていただきたいと思っております」
フィーちゃんは床に目を落とした。
「私はユーリさんの治療法はとても素晴らしいと思っております。微力ながら、そのお手伝いもしたいとも思っております。ですが、世間の方々が同じように考えて下さるかは……正直自信がありません。薬と治癒魔法で患者を傷つけることなく治療することが主流のこの世界で、ユーリさんのように、敢えて体を切り開く行為が受け入れられることは、相当難しいのではないかと思われます」
これは、以前レンジ君が言っていたことを遠回しに配慮して言ってくれているのだ。
“猟奇的殺人犯として最悪処刑される”
この世界での唯一の外科手術的な行為は、『治しようのない腕や脚を切断する』ことだが、それだって、治癒の封魔石の判断、すなわち臨時の治癒魔法で治せるかが判断基準になっているのだ。
しかも、手足はいわゆる『見えている』体の部分である。
臓器という、『隠されている』体の部分をあえて露わにするなど、この世界では認められない価値基準だ。
だいたい、手術の概念が常識の前世でだって、臓器を公的にさらけ出すことなんてありえないのだから、その概念すらないこの世界は云うまでもない。
「ですからね、ユーリさん」
「フィーちゃん?!」
突然右手をギュッと握られ、驚いたようにフィーちゃんの顔を見て、更に目を見張った。
いつものような天真爛漫な表情とは違い、彼女の顔はいたく真剣なものだったからだ。
「先程の私の質問はどうか忘れて下さいな。ユーリさんには辛い思いも大変な思いもして頂きたくないのです。私はユーリさんこそ、ご自分の幸せを第一に考えるべきだと、そう思っておりますから」
「フィーちゃん……」
すぐにニッコリと花が咲いたような笑顔に戻り、
「そうそう!今日は、お兄様とレンジさんが釣りに行くと仰っていましたわ。お兄様は水を操って魚を採るのがお上手なんです。きっとたくさん釣ってきて下さいますから、楽しみにしていて下さいね!」
「それはもう釣りではないんじゃ……」
その声が届く前に、フィーちゃんは先に階段を降りていった。
残された私は、しばし部屋の中で佇むことになった。
『ユーリさんこそ、ご自分の幸せを第一に考えるべきだと、そう思っておりますから』
フィーちゃんの言葉が頭の中でリフレインする。
「私の幸せ、か……」
自然と口元が綻んでいく。
「私は本当に恵まれているわ……」




