Karte.110 兄妹喧嘩とは、そして、フィーの告白
小さな洞穴の中に座り込むフィーちゃんにレンジ君、私の順で近づいていく。
「……フィー?」
レンジ君の気遣うような声に、フィーちゃんがハッと顔を上げた。
「レ、レンジさん……!ユーリさんも……痛ッ!」
今一番顔を合わせにくい相手が出てきて焦ったのだろう、フィーちゃんは狭い穴の中で頭をぶつけてしまった。
「大丈夫?!」
「……はい」
頭を押さえながら、気まずそうに俯く彼女にレンジは話しかけた。
「とりあえず、そこから出てきたらどうだ?」
「……お断りします」
レンジ君の方を一切見ることなく、フィーちゃんはさらに体を縮こませた。
(これは、レンジ君には一旦退いてもらって、私がまず話した方がいいかな)
レンジ君にそう提案しようとする前に、洞穴の入り口近くでレンジ君は片膝をついていた。
「僕は嬉しかった」
「……え?」
フィーちゃんは少し顔を上げた。
「驚きはしたが、君が僕に好意を持ってくれていたと知り、本当に嬉しかった」
レンジ君はフィーちゃんを優しく見つめる。
「君が他のドワーフを見たことがあるのかは分からないが……僕は祖国に住まう他のドワーフ達とは、かけ離れたい姿をしている。しかも、生まれつき左腕がなかった。だから、幼少の頃から家族には忌み嫌われ、同胞からも異形の者を見るかのような目を向けられていた。そんな環境に置かれていたため、恥ずかしながら異性に好意を持ってもらえた経験など全くないんだ。第3太子という、祖国ではこの上ない地位に就いていながら、だ」
自嘲気味に境遇を語るレンジ君に、
「そんなッ……レンジさんはとても素晴らしい方ですのに!」
フィーちゃんの表情は信じられないと言いたげだ。
(本当に純粋無垢ないい子だわ……)
ジークが悪い虫をつけたくない気持ちが良く分かる。
今回はやり過ぎだけど。
それはレンジ君も同感だったようで、
「ジークが君を大切にしたくなる気持ちが良く分かるな」
とどこか照れたように呟いた。
兄の名前が出ると、フィーちゃんの顔がまた曇り出した。
「お兄様は……酷いです。誰にも言わないで欲しいと、そうお伝えしておいたのに、よりによって……レンジさんの前で打ち明けてしまわれて」
「そうだな」
「あれは、よろしくなかったわね」
こればっかりはジークを擁護しようがないため、私とレンジ君も即座に頷いた。
私達の様子にフィーちゃんは少し表情を緩めた。
「それでも私は……お兄様に、『大嫌い』だなんて言うべきではなかったと……そう思っております」
「フィーちゃん……」
「あの時は、本当にショックで恥ずかしくて、咄嗟に口から出てしまったんです。ですが……今は、お兄様を傷つけてしまったと、後悔しております」
フィーちゃんは眉を下げて落ち込むが、レンジ君の反応は違うものだった。
「……羨ましいな」
「えっ?」
予想外の言葉にフィーちゃんが目を丸くした。
「僕にも兄が2人いたが、君たち兄妹の関係とは雲泥の差だったからな」
レンジ君が遠い目をした。
「兄達は僕を弟とすら認めてはくれなかった。罵倒されたり嘲笑されることはあっても親しげに声をかけられた覚えは一度もなかった。当然、今の君たちのような兄弟喧嘩もだ」
「兄弟……喧嘩?」
フィーちゃんはキョトンとした表情を浮かべた。
「今のジークとフィーちゃんの状態って、まさにそれでしょ?」
私が口を挟むと、
「・・・・・・」
大分間が空き、
「……そうだったのですねッ!」
両手を両頬に当てて、私達が出会ってから一番衝撃を受けた表情をした。
「き、気付いてなかったの?!」
今度は私が驚きの反応を見せる番にだった。
「リオディーネお姉様からは命令されることはあっても、『喧嘩』どころか『会話』というものすらしたことがなかったものですから」
(この世界の王族の兄弟関係って、殺伐とし過ぎてない……?)
ひょっとしてこの国の人間の王族もこんなドロドロなんだろうか。
「でも……そうですわね。お兄様が私を『妹』として認めて下さっていることを私も分かっているから……だから、私もあんな風に安心して怒ることができたのですね」
衝撃の余韻が残りつつも、フィーちゃんはしみじみと感極まったように呟いた。
「ならば、フィーがこの後すべきことも分かっているのだろう?」
レンジ君がフィーちゃんに声をかけると、
「……お兄様にちゃんと謝って、仲直りしたいですわ」
と、どこかさっぱりしたようにフィーちゃんは微笑んだ。
レンジ君もフッと口元を綻ばせ、フィーちゃんに手を差し伸べる。
「いつまでもそこにいたら窮屈だろう?早く出よう」
言われるがままに手を伸ばしかけるが、ハッとしたようにフィーちゃんは手を引っ込め、
「そ、そう言えば、私……あの、レンジさんッ!」
頬を赤く染め、意を決したようにレンジ君を見つめた。
「お兄様に先に言われてしまいましたが、私……レンジさんのことを、お慕いしておりますッ!」
(ええっ!ここで言うのッ?!)
さすがにこれにはレンジ君も驚いたようで、手を伸ばしたままポカンと目を丸くしている。
「も、もちろん、このように急に言われてもレンジさんもきっとお困りでしょうから、その、今すぐに返事をとは申し上げません!」
フィーちゃんは顔を真っ赤にしながら、それでも必死に自分の思いを伝えた。
「レンジさんに好いて頂けるように努力いたします。ですから……私の思いを、少しでも知って頂ければ、とても嬉しいです」
そうはっきり言い切るフィーちゃんは、誰よりも美しく、そして、誰よりも輝いていた。
「神々しすぎるよ……フィーちゃん」
こんな輝かしい姿、直視できないって……。
「……ユーリの言うとおりだな」
深く息を吐くように、レンジ君も言った。
「本当に君は、美しく、芯の強い女性だ。ここまでしっかり物怖じせず、自分の意思を伝えられるとは」
少し顔を赤らめながら、眩しいものを見るように目を細める。
「気の利いたことを言えなくて申し訳ないが……僕は君のことをもっと知りたいと思っている」
そのままフィーちゃんの手にそっと自分の手を乗せ、
「まずは友人として、僕と仲良くしてはもらえないだろうか。君の好きなものや、嫌いなもの、興味があること……僕に教えてほしい。僕も君に伝えていくから」
優しい眼差しを向けるレンジ君に、フィーちゃんはにっこり笑って、
「私の方こそ、よろしくお願いいたします!レンジさん」
レンジ君に手伝ってもらいながらフィーちゃんは洞穴から出てきた。
仲良く手を繋いだまま。
「私……お邪魔だよねえ」
できるだけ背景と化し、かろうじて2人に聞こえないように呟いたのが、私なりの気遣いだ。
「ほら、ジークさん!フィーさんが戻ってきましたよ!」
診療所の扉を開けると、セインが安堵したようにジークに声をかけた。
ジークはリビングの壁に向かって座り、立てた両膝の間に顔を押し当てている。
ジークの周囲は見るからにどんよりと陰が落ちている。
その横では、ドラコが甲斐甲斐しく羽で背中をパタパタ叩いていた。
励ましているのか、遊んでいるのかは、微妙なところだが。
「あのッ、お兄様!」
フィーちゃんがジークに呼びかけると、ジークの体がビクッと跳ね、恐る恐る頭が妹の方に向けられる。
「フィ、フィー……あの」
「ごめんなさい、お兄様!」
フィーちゃんが勢いよく頭を深く下げた。
「『大嫌い』なんて心にもないことを言ってしまって、お兄様を傷つけてしまって……本当に、ごめんなさい!」
するとジークも慌てて立ち上がり、
「いや、わりいのは俺だッ!本当に悪かった!フィーが誰にも言うなって言ったのに、すぐに約束破っちまって、本当に、俺は最低だった。フィーに嫌われても仕方ねえよ……」
と、フィーちゃんに負けないくらい頭を深く下げた。
「……確かに、お兄様を信頼したから相談したのに、勝手に言われてしまってとても恥ずかしかったですし、ショックでしたわ。ですから、今後は私が誰にも言わないでほしいと言ったとことは、絶対に言わないで下さい」
「ああ!今度こそ絶対に約束する!命に懸けても言わねえから!」
ジークが必死に頷くと、フィーちゃんは微笑みながら首を振った。
「私の秘密より、お兄様のお命の方が大切なのですから、どうか懸けたりしないでください」
「フィー……ッ!!」
感極まってジークはフィーちゃんを抱きしめ、フィーちゃんはジークの背中をポンポン叩いて慰めた。
「ありがとね、セイン。ジークの相手、大変だったでしょ?」
セインに小さく礼を言うと、
「ドラコが彼の気を紛らせてくれましたから。そちらはどうだったんですか?その……」
とセインはレンジ君の方を窺った。
フィーちゃんとレンジ君の仲が気になるのだろう。
「まずは『お友達』からっていうところよね?」
レンジ君に振ると、
「まあ……そうだな」
さっき手を繋いでいるところを見られて気恥ずかしいのか、レンジ君は耳を赤くしてそっぽを向いた。
「……オトモダチ?」
「うわっ、聞こえてたの?!」
ジークが凄い目でこちらを、もっと言えばレンジ君を睨んできた。
「……お兄様?」
(え、フィーちゃん。いつの間に、そんな怖い笑顔を浮かべられるようになったの?)
例え自分の兄であっても、自分の恋路を邪魔されるのは許せないということか。
「しょ、しょうがねえだろッ!心配なものは心配なんだよ!」
もはや開き直ったようにジークが声を張り上げた。
「フィ、フィーちゃん。恋愛相談なら私が乗るから!ジークには荷が重すぎると思う!」
特に精神面で大ダメージだろう。
「それはナイスアイディアですわ!」
フィーちゃんが嬉しそうに私に賛同しながら近づいてきた。
「……私もユーリさんとセインさんのお話も是非伺いたいですし」
「ッ?!」
耳元でコソッと囁かれ、それはそれは素敵な笑顔を向けられてしまい、
(……私の精神が削られるかもしれない)
と若干後悔したのは秘密だ。




