Karte.106 フィーの相談、そして、再び波乱
***
「……はぁ」
ここは、酒場兼宿屋の『憩いの木馬亭』。
夜は一日の疲れを酒で癒すために開かれる酒場の一画で、エルフの兄妹、ジークとフィーはお茶を飲んでいた。
2人がこの村に来てから1カ月が過ぎたが、住居は完成どころか建て始められてもいなかった。
というのも、つい最近まで続いていた連日の雨、極めつけは暴風雨に伴う土砂災害や川の増水などの影響で、もとから建てられていた家々にも大なり小なり被害が出てしまい、更には橋もいくつか壊れてしまったため、修理や復旧などが先行されてしまい、2人の家の建築まで全く手が回っていない状態だったのだ。
もちろん、2人は村の事情を承知しており、宿屋での生活を特に不満に思うことなく続けていた。
それどころか、ジークは持ち前の体力と運動神経、そして水属性魔法を駆使して、大工のダンカン達と一緒に家や橋の修繕を積極的に手伝い、フィーは得意の氷魔法で村の女衆と一緒に冷たい飲み物や氷菓子を提供するなど、2人の協力は村人達にとっても非常に有難いものだった。
そしてようやく復旧作業もひと段落し、そろそろ2人も自分達の住居について考え始めようとしていた頃だった。
「どうした、フィー?」
物思いにふけったように遠い目をする妹にジークは声をかけた。
「まさか、また具合が悪くなったのかッ?!」
焦ったように声を上げたジークに、
「え!ち、違いますの!ごめんなさい、ため息なんて吐いてしまって!」
ハッと我に返ったフィーは慌てて手を振った。
「じゃあ、どうしたんだよ。最近なんか変だぞ?」
ジークが心配そうに妹の顔を窺った。
「いえ、その……」
顔をほんのり染めながら、フィーは手元のコップに目を落とした。
「……誰にも、言わないで頂きたいのですが」
ソッと声を落として前置きすると、
「その……レンジさんってとても素敵な方だと思いまして」
「……は?」
ピシッと、ジークが一瞬で固まった。
さながら、フィーの氷魔法が直撃したかのようだ。
「あの方に微笑まれると……その、胸がいっぱいになってしまうと、いいますか」
「……」
「こんな気持ち、これまで生きていた人生でも初めてでして、私もどうすればいいものか分からなくて……!」
「……」
赤くなった頬を隠すように両手を顔に当ててどこか興奮したように語るフィーとは対照的に、ジークの顔色は一気に悪くなっていく。
「その、お兄様……もし何かいいお考えをお持ちでしたら、ぜひご教授頂きたいのですが!」
―――ガタッ
「お兄様……?」
不意にジークは立ち上がったと思うや否や、
「お、お兄様ッ?!」
フィーの呼びかけを無視し、ジークは宿屋を急いで出て行った。
***
レンジ君の素晴らしい技術力と発想力のお陰で、ジークの読み書き専用のメガネが無事完成した。
見た目は前世のアクション映画でパイロットがつけるようなゴーグル型だ。
この形は私のアイディアだ。
『他の文字も一緒に視界に入ってしまうと分かりにくくなるのでは?』と思い、1つの文字だけをより見えやすくするために幅が厚めのフレームを付けることを提案したのだ。
それと、使わないときは首から下げられるようにした方がジークには使い勝手が良いと思ったのだ。
レンズは虫眼鏡と同じ凸レンズで、浄化の封魔石を加工して作られたもの。
しかも、どんな大きさの文字でも大きく見えるように、屈折率を自動で調整できるようにもしてある。
これは、レンジ君お得意の錬成の封魔石をレンズの両脇に埋め込むことで、ジークの魔力でレンズを調整できる優れものだ。
どんな大きさの文字でも拡大できるし、上下反転することもできる。
ただ、魔効率は50%と大分高めなのだが、
『ジークの魔力なら問題ないだろう』
とレンジ君は特に心配もしていなかった。
そして、実際にこの眼鏡をジークにつけて、私、セイン、レンジ君、フィーちゃんがそれぞれ3cmくらいの大きさで書いた文字を読んでもらうと、
『スゲエ!』
と一言歓声を上げた後は、自分で屈折率を調整しながら恐ろしい集中力で一つ一つ文字を見比べていった。
そして、
『……信じられねえ……本当に、文字を読んでるなんて……ッ!』
肩を震わせながら少し湿っぽい声になったのは、見ないふり聞かないふりでソッとしておいた。
フィーちゃんはもらい泣きしていた。
ちなみに、見え方について確認してみると、
『こんだけ大きく見えると、点とか線が微妙に違ってても同じ文字だって分かるし、線もそんなにグニャグニャしてねえ!』
と嬉しそうに答えた。
『文字を拡大して見えるようにすれば線の歪みはそこまで強くなくなるのでは?』と目論んでいたけど、見事功を奏したようだ。
それからジークは、常に眼鏡を首から下げて、自分から文字を読む練習をするようになった。
昼間は村の復旧作業で忙しく働いてくれているが、隙間時間で文章を読む練習をしているようだ。
最近では子供向けの絵本なら読めるようになってきたらしい。
(もともと文字を習っていたわけだしね。この調子であれば、文字を書ける日も近いかもしれないわ)
と、嬉しく思うのであった。
「レンジ君、封魔石に魔法込め終わったよ」
「ああ、ありがとう」
村の復旧作業もひと段落ついたので、今日は午前中から封魔石作りに集中だ。
セインも休みながら治癒の封魔石を作っている。
「ドラコ、大分飛ぶのが上手になってきましたね」
セインは天井すれすれを飛ぶドラコを見上げた。
最初の時に比べて危なっかしさはなくなり、上昇や下降、方向転換も滑らかな動きになってきた。
落下することも少なくなってきたので、この調子なら空に再チャレンジできるかもしれない。
最も、前回の無断飛行を教訓に、私の部屋の窓は錠前のカギがレンジ君によって突貫でつけられたが。
「できた封魔石を一度家に置いてくるから、念のためドラコが飛び出さないようにしてくれ」
「分かった」
魔法を込め終わった封魔石をレンジ君がカバンに入れ終わった、その時だった。
バタンッーーー!
勢いよく診療所のドアが開けられた音がした。
「急患ッ?!」
急いでリビングのドアを開けると、
「おいッ、レンジいるか?!」
「ジーク?!どうしたの!」
大慌てで来たらしく、荒い息を吐いたジークだった。
「なんだ、どうしたんだ?」
自分の名前が出たため、レンジ君も近づいてきた。
「おい、レンジ!」
物凄い顔をしながら、ジークがレンジの両肩をガシッと掴んだ。
「なっ!いきなりなんなんだ?!」
訳が分からないレンジ君が目を見開きながらジークを見つめた。
ジークは一度深呼吸して、何とか気を落ち着かせてから、
「レンジ……お前には本当に世話になったと思っている。リオディーネのことも、このメガネを作ってくれたことも、お前には本当に感謝している」
「な、なんだいきなり改まって。まあ、君がそう思ってくれるのであれば、僕も君の力になれて
「だけどなぁッ!」
レンジ君の言葉を遮って、ジークは声を荒げた。
「例え、どれだけ世話になった恩人だとしても、だ……!」
ワナワナ肩を震わせ、衝撃の一言を繰り出した。
「俺の妹を誑かすような真似はぜってえ許せねえんだよッ!!」
「・・・・・・え?」
「・・・・・・(あちゃあ……)」
「・・・・・・はぁッ?!」




