第四話 夢も危険も抱きしめて
「で、ウチに来たってワケね」
「こうなったらジル姐さんが頼りだ、頼むわ」
顔の前で合掌するジンウァンと、その横で店内をきょろきょろと見まわすハイリン。
ハイリンたちがやってきたのはリト・エイデスでも4本の指に入る商人連合の一つ・ウォーレンハイン商会だ。
色とりどりの織物や煌びやかな装飾品の貿易を担っている商会で、お金を出したり預けたりーつまり銀行のような役割も持っている。
「はいコレ。換金したのは32プラチナ貨、863サシャ金貨、ペルー銀貨95枚、ルクス銅貨88枚。端数だけでもあれば当分やってけるでしょ」
「プラチナ貨…?!」
特級貨幣にジンウァンが悲鳴のような声を上げる。
思わず自分の財布の中身を頭の中で計算するジンウァンだが、ゼロが、通貨が全然足りない。
よほどの豪遊をしなければ、冒険者なんぞやめて10年ほど楽に生活ができる額だ。
しかもプラチナ貨はサシャ金貨に上をいく、めったにお目にかかれない通過で、
一般階級や冒険者が目にする事はまずない。
「あ、危ねぇ…」
かいてもいない冷や汗をぬぐいながらジンウァンは低く呻いた。
ハイリンは絶世の美女だが如何せんアホのように世間知らずである。
あんな大金を公衆の面前でポンと差し出すなど、正気の沙汰ではない。
危なっかしくて放っておけない。
「危ないわねぇ…気を付けなよ?道行く人たちがこのコみたいな善人ばかりとは限らないんだから」
ときょろりとハイリンを軽く睨んだのは、ウォーレンハイン商会の次期当主、つまり副会長だ。
「ジル姐さん」とジンウァンに呼ばれているが、体格はジンウァンとそう変わらない。
若干劣るものの見事な筋肉だ、とハイリンはまじまじと観察する。
大きなアーモンド型の琥珀色の目、うるっと濡れたツヤツヤな深紅の唇、よく透る優しい低音ヴォイス。
ほわほわした筒状のようになった奇妙珍妙な髪型について尋ねると「ドレッドヘアよ!!!」と怒られてしまった。
ついでに「なぜジル姐さんは男なのに女言葉を使うのでありんすか?」と尋ねると「心は女の子よん」と語尾にBIGなハートマークをつけて上機嫌に語ってくれた。
ジンウァンにも負けず劣らない大胸筋を揺らし、ジル姐さんことジルドレ・ウォーレンハインはふんっと鼻息を荒くする。
しなやかなシャツの下に隠せない逞しい胸板、だが宝飾は控えめで、茶目っ気があるが紳士的な佇まいが商会の重役らしい風格を漂わせている。
「アンタ…ハイリンだっけ?こんな大金持ち歩くのは危ないわよ?どこから持ってきたのよこんな大量の砂金」
「精霊の森の長老がくれんした」
「えぇぇぇーーー……?」
すぼんでいくジルドレの語尾に不穏さが隠し切れない。
「ちょっとちょっと…!精霊の森ってそんなにわんさか砂金が取れるの…?
事と次第によっちゃ国王や連邦議長が黙っていないわよ?」
ぼそぼそとジンウァンに耳打ちするジルドレ。
ジンウァンもうーんと首を捻る。
「俺っちもお袋に連れられて精霊の森に何回か行った事はあるんだが…確かに砂金は取れるよ。つっても人間界で採れるのとそう大差ねぇ。よほど貯め込んでないとこんな額にはならねぇよ…。それをこんなに持たせるなんて…」
「相当な親ばかか大アホね、その長老とやらは…」
はぁっと短く息を吐き、ジルドレは一枚の紙をピッと取り出した。
「必要経費以外はウチで預かるワ。いくらジンウァンが護衛についてたって
こんな大金持ち歩いてたら命がいくつあっても足りないわよ…」
「護衛?」
きょとんとするジンウァンに「あら違うの?」とジルドレ。
「護衛でありんすか…そうでありんすなぁ、いてくれたら頼もしいでありんすなぁ」
のほほんとハイリンが呟く。
「ズゥフの詩魔法は発動に時間がかかるっていうじゃない。そこへ女一人旅はオススメできないわよねぇ」
じぃとハイリンとジルドレに見つめられ「そうだなぁ」と天井を見上げたジンウァンの後ろでバタァン!!と勢いよく商会の扉が開かれる。
「やだ、乱暴ね」
ひとりごちるジルドレにお構いなしにズカズカと入り込んできたのは白いフードを被った小柄な人物だった。
真っ白なポンチョのフードをばさっと外し、陽にきらめくオレンジのポニーテールを揺らす。
若草色の瞳が好奇心に輝き、腰に巻いたトリスティア神の信仰を表す三色の色紐ベルトが神聖さを感じさせるものの、全身から溢れる元気さが周囲の空気を一変させる。
彼女が動くたび、リュックにぶら下がる鈴やお守りが小さく鳴り、行く先々で騒がしさを運んでいた。
「もぉ~ジンさん~!!やっと見つけたァ~!!」
少女は開口一番、ジンウァンに後ろからまるでタックルをかますかのように抱きつき離れない。
「おお、キャスカ。ちょうどよかった」
少女が小柄とはいえ抱きついた時にかなりの衝撃音が聞こえた気がする。
あれだけのタックルを食らって微動だにしないのはさすが拳闘士といったところか。
「?ちょうどよかったって?」
キャスカと呼ばれた少女が言いながらハイリンにジト目を飛ばす。
「キャスカ。こちらハイリン姐さん。精霊の森から出てきたばかりのズゥフなんだ。
でハイリン姐さん、こっちはキャスカ。キャスカ・レイドオール。俺っちと一緒に旅してる譜術士だ」
「譜術士…ほほう…」
譜術士ー。
人間界に普及している特殊な術士で、詩魔法の代わりになる「譜術」を操る。
譜術とは「ウスクス」と呼ばれる、精霊の森や精霊素の多い地域で採取された植物の繊維で作られた珍しい紙に、これまた精霊素の強い植物から取れた樹液で描かれた「譜紋」によて発動する魔法だ。
祖師オルテクス・ベルチェスカにより開発されたもので、「穢れなき声帯」を持たない者でも詩魔法を発動できるという画期的な発明である。
火・地・水・風のいずれかの精霊と契約し、ウスクスに描かれた呪文を読むと発動するが、こちらも精霊と契約するには特性や素質が必要になってくる為、扱える術者も限られてくる。
それがこのキャスカだという。
年の頃は十代後半か。
ハイリンには分からなかったが、一般的に見て「美少女」である。
オレンジの髪によく映える若草色の瞳が愛くるしい。
健康的に日焼けした顔とすらりと伸びた手足がキャスカの性格を物語っているようにも見える。
当のキャスカはハイリンの事ををジト目で嘗め回すように見つめている。
「でな、キャスカ。今ジル姐さんに提案されてな。森を出できたばかりのハイリン姐さんの護衛につくのはどうかって話をしていたんだよ。
俺っちたちクエスト終わってこの街でゆっくりしてたけどさ、そろそろ次の稼ぎ先見つけにゃならんだろう?それを俺っちとキャスカ、二手に分かれて情報を探してたんだからさ」
「ふーーーーーーーーーーーーーーん…」
「…お、おいキャスカ…?」
突き刺さるような視線をハイリンに投げかけるキャスカに、ジンウァンはワケがわからず疑問符を浮かべる。
「美人な人ね!ジンさんが好きそう!」
人が変わったかのように笑顔を向けてくるキャスカだが、額に血管が浮いているのは気のせいだろうか。
そんなキャスカを知らずか「だよなぁ、ハイリン姉さん美人だよなぁ」とだらしない顔になるジンウァン。
一瞬でキャスカの表情が変わり、ジンウァンの左脛に強烈なローキックを叩き込む。
「痛っ?!な、なんだ?どした、キャスカ??」
脛への強烈な一撃はさすがに堪えたらしく、ガラリと態度が変わったキャスカにジンウァンは動揺する。
「はぁ…アンタ、いい加減女の子の気持ち、分かってあげなさいよね…」
「えっ?」
サシュアザ海溝よりも深いため息を吐くジルドレに、きょとんとなるジンウァン。
そうこうしている間に、ずんずんとハイリンに近づき正面からガンを飛ばすキャスカだが、ハイリンは意に介さない。
「ハイリンさんっていうんだ?」
「ハイリンでいいでありんすよ」
どこまでもにこやかなハイリンに、キャスカのテンションが上がる。
「初めまして。あたし、キャスカ・レイドオール。ジンさんとずーーーーーーーっと一緒に旅してるの」
「おお、なるほど。仲良しさんでありんすな」
「そうよ!苦楽を共にしてモンスターをバッタバッタと倒して冒険クエストもいくつもこなしてきたんだから!」
「それは素晴らしい」
「だから!!!!!!」
笑顔で拍手するハイリンに、一喝するキャスカ。
「アンタがあたしとジンさんの間に入り込む隙なんてこれっっっっっっっっっっっっぽっちもないんだから。いい?」
キャスカの言葉の意味が分からず、一瞬目が点になるハイリン。
(隙がない)といわれ、改めてキャスカとジンウァンを見比べるハイリン。
確かにこの二人、只者ではない。
ジンウァンの身体、よく見るといくつもの傷跡があり、潜り抜けてきた戦場の数を物語っている。
そしてこのキャスカも、すばしっこい身のこなし。そして先ほどのジンウァンへの蹴りは並みの女子のものではない。
「そうであるな…」
俯き、ぽそりと呟いたハイリンに、勝利を確信してキャスカがふふんと鼻で笑う。
「素晴らしい…!!」
「は、はぁ?!」
ガシッと両手をハイリンに掴まれ、今度はキャスカが目を白黒させる。
「是非ぜひ2人に護衛をお願いしたい!色々2人の武勇伝やこの世界の話を聞かせてもらいたいのでありんす!」
何故か食いつきのいいハイリンに「そ、そう…?」としか言えないキャスカ。
待って?
あたしジンさんとデレデレイチャイチャしてたこいつに、乙女のミラクルプリティでガッツな気合いを飛ばしたんだけど。論点ズレてない?
そこへジンウァンが思い出したかのようにポンと手を打つ。
「そういえばハイリン姉さんの旅の目的って何なんだ?」
「あい。わっちは【原初の詩】を探しているのでありんす」
「原初の詩?」
ハイリンの言葉にジルドレ・ジンウァン・キャスカが目を丸くする。
「やだぁ、あんた!“原初の詩”なんて、伝承かおとぎ話じゃないのぉ?
この世の理を紡ぐだの、全ての言葉の源だのって──そんなもん、誰も本物を見たことないのに?」
最初に噴き出したのはジルドレで、きゃらきゃらと笑いながらハイリンを茶化す。
「そうよ!そもそも“原初の詩”って本当にあるの?あたし、聖堂の基礎講義でもその話聞いたけど、“誰も触れちゃいけない世界の秘密だ”って言われてるし、世間の暗黙の了解じゃない」
「…ふむ、やはり「そう」なのかえ」
ここにくるまで皆似たような反応だった。
そんなにも「原初の詩」とは人々にとって価値のないものだろうか?
「俺っちは夢があっていいと思うぜ」
ハイリンの思考を遮ったのはジンウァンの陽気な声だった。
「アンタさぁ…ハイリンが超絶怒涛に美人だからってそこまで肩入れするゥ?」
「いやいや、そうじゃなくってさ」
眉間に皺を寄せ唇を不服そうにすぼめるジルドレに、ジンウァンはNOと手を振る。
「"原初の詩"ってさ…俺っちたちーこのクラ・フ・ファーゼに生きるすべての生命がまだ言葉を得たばかりの頃、火の周りで囁いた呪文や、星空を見上げて紡いだ歌みたいなモンなんじゃねぇかな。意味も定まらず、言葉の秩序もまだゆらいでいて、言葉自体が魔法のようだった時代の詩。そこには、いま俺っちたちが知るどんな詩よりも、もっと生々しく、もっと未知へのときめきに満ちた夢みたいなモンがあると思うんだよな」
饒舌なジンウァンにジルドレとキャスカが一瞬ぽかんとなる。
それに気づかず、ジンウァンは続ける。
「もしその詩が今に蘇るなら、きっとそれは意味のかけらしか持たない、断片的で魔法みたいな詩になるんじゃねぇかな。だけどそこには、言葉がまだ純粋に世界と一体だった頃の震えが宿っている。理屈を超えた…心臓が高鳴るような夢が、きっとそこに息づいている…」
「だからさ」とにっかり笑うジンウァン。
「"原初の詩"には、俺っちたちが想像できないようなでっかい夢があると思うんだ。
そして俺っちたちに、世界がどれほど未知で、どれほど大きな夢を孕んでいるかを、
もう一度思い出させてくれるんじゃねぇかな」
一同を振り返り、「うん?」と驚くジンウァン。
それもそのはず、ジルドレは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているし、キャスカは何やら俯いてふるふると震えている。
「ど、どうした?キャスカ。俺っち何か…」
「ジンさんんんんんんんんん!!!!」
「うおっ?!??」
突然胴体に抱きつかれ、ジンウァンは仰天する。
「すごいよ!!すごいよジンさん!!!!そんな事考えていたなんて!!!!!」
「…まぁそう言われれば夢はあるわよねぇ…」
とジルドレも胸元から愛用のキセルを取り出し火をつけ、スパァと一服吸う。
(ついでに何か一儲けの匂いがするわね…)とこっそり胸中でほくそ笑む。
「あたしも、今のジンさんの話を聞いててね!四姉妹神さまたちがどんな声で謳ったのか。どんな旋律で、どんな言葉を紡いだのかとか!
世界を創り出すほどの詩の力って、一体どれほどのものなのかって…想像するだけでちょっとドキドキしてきちゃった!…って、ちょっとハイリン?!」
キャスカの声にジンウァンとジルドレもハイリンを振り返りぎょっとなる。
それもそのはず。
ハイリンの頬をつぅ、と透明な雫が零れ落ちたのだ。
「は、ハイリン姐さん…」
「え?」
ジンウァンに声を掛けられ、初めて自分の頬が濡れている事にハイリンは気づく。
「あれ…わっちは、どうしたのでありんしょう…?」
たはは、と小さく笑い涙を白い指で拭きとるが、その頬がみるみる紅潮していく。
「…嬉しい、でありんす…そう言ってもらえて…わっちは…本当に…本当に…嬉しいのでありんす…」。
これまで出会ってきた誰もが、原初の詩にさして興味を持たなかった。
中には禁忌とすら感じている者もいた。
「原初の詩を探したい」というハイリンの意見に、こんな風に賛同してくれる者などいなかった。
ただでさえ「珍しいズゥフという存在」であり、さらに奇異の目を向けられていた。
故郷の精霊の森を一人で飛び出し心細かったのだと、ハイリンはようやく気付いたのだった。
「…ありがとう、ジンウァン。そしてキャスカ」
絹のように艶やかな黒髪、陶磁のようなすべらかな白肌、濡れたラビスラズリの瞳、さくらんぼのように愛らしい唇。
春の花ひらがほころぶようなまろやかなハイリンの微笑みに、その場にギュン!!!!!と聞いた事もないような衝撃音が走った。
異性のジンウァンだけでない、同性のキャスカまでもときめかせ、心を打つ美しい笑顔だった。
ボッと、まるで火が付いたマッチ棒のようにジンウァンとキャスカの頬が朱に染まる。
「い、いやぁ…俺っちはただ、夢があっていいなぁって…」
「ふ、フン…あたしはジンさんの考えがいいなぁーってだけで…別にアンタなんか…」
などとそれぞれ申しており。
しどろもどろな二人とは対照的に、ジルドレは静かに紫煙を吐く。
「アンタたち、結構いいパーティーになるんじゃない?ジンウァンが前衛で殴ってキャスカが譜術で前衛と支援。ハイリンはおおかた後方支援が得意とかなかじゃなぁい?」
「そうでありんすね…わっちは回復魔法や能力向上系の魔法が得意でありんす」
「ほぉらね」
パチンと両手を叩き、ジルドレがにっこりと微笑む。
「今日はアタシの紹介でいい宿をつけてあげる。行きつけの酒場も口を効いてあげるわ。三人で親睦深めて、その"原初の詩"とやら、見つける旅でもしてごらんなさいよ。…世界はアンタたちが思っている以上に狭くて漠いわよ。夢も困難もまとめて抱きしめてらっしゃい」