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第一話「旅の始まりは」

長老という人は、いつもフードを目深にかぶり、その表情は伺いしれない。

だが春風を思わせるような柔らかく暖かな声で、いつも私に語りかける。


「憶えておいで、海琳(ハイリン)。我らのかつての神御森(シェンユーセン)は失われてしまった。

お前はシェンユーセンで生まれた最後の宝児(バオニー)だ。

我らは森とともに生き、森とともに謳う。そうすることで世界の一部となり、循環を見守っているのだよ…

いいかい、ハイリン。どんなことがあっても謳うことを止めてはならないよ。」


そして最後は決まってこう締めくくるのだ。


「詩を奏でなさい。それはいつか己自身になるから。

詩を謳いなさい。それはいつか森になるから。

詩を愛しなさい。それはいつか運命になるから。」


私はこの長老の言葉を聞くのが大好きだった。


だからこそ、森を出て、世界を見てみたいと思ったのだ。









世界は音に満ちてる。



小鳥の囀る声、木々の揺れる葉擦りの音、南から吹く暖かな風の音。

泉から水がコポコポと湧く音も好き。焚火がパチパチと爆ぜる音も心地いい。

「どうしても行くのかね?」

女の割には背が高く、膝まであるような漆黒の髪を揺らし、

まっさらな白色の衣を纏ったハイリンは後ろからかけられた声にゆっくりと振り向く。

茶色いローブを目深くかぶり、パッと見では男性なのか女性なのか分からない。

発せられた声も高いような、低いような。独特の浮遊感を持つ声で、不思議とふわふわとする。

ただ身長がかなり高い。

彼ら珠呼(ズゥフ)と呼ばれる亜種族は長身であることが特徴の一つに挙げられるが、

この人物はかなり高い部類に入る。

「わっちが一度決めたら引かないのは、長老がよぅ知っとりゃんしょ?」

「長老」と呼ばれた長ローブの人物は、にっこりと最強の笑みを浮かべる育て子をローブの下から

眩しそうに見つめる。

「やれやれ、そうだったね…こんな事になるなら、お前に『原初の詩の伝承』など話すのではなかったよ」


『原初の詩の伝承』。

それはこの世界「クラ・フ・ファーゼ」の絶対無二の創世神話である。

四人の姉妹神が一つの詩によってこの世界を創造したという壮大な神話だ。


長女は大地と秋を司るシトラナヴィーゼ神。

天地創造の際、一番最初に生まれ全ての生命の基盤となった。


次女は風と春を司るフィルフレイラ神。

天地創造の際、大地が割れ、そこから噴き出した熱風が大気となり、世界を包んだ。


三女は水と冬を司るサーシュレイニア神。

天地創造の際、風とともに噴き出した水蒸気が雨雲になり、雨が降り大海を成した。


四女は炎と夏を司るトリスティア神。

天地創造の際、割れた大地から最後に噴き出したマグマ。脈動する想いは生命に息吹を与える。


現在も女神たちは神力を与え、世界を守護する存在としてクラ・フ・ファーゼ各地で信仰されている。

ハイリンたちズゥフたちや一部の獣人たちなどを除いて、ほぼほぼ日常生活に浸透した信仰となっている。

ただ、肝心の「原初の詩」がどのような詩であったか、どのような想いの詰められたものであったのか、 クラ・フ・ファーゼで数ある言語の中で、どのような言語で謳われたのかなどはまったくと言っていいほど伝承や文献が残されていない。

探求者や学者たちの間では、その強大な力を持つ詩ゆえに、四女神たちがあえて詩を封印したのではないかと提唱する者もいるが、真偽は定かではない。

ハイリンはその『原初の詩』に惹かれ、ズゥフたちが守護する精霊の森を出て世界中を旅したいと長老に打ち明けたのだ。

ズゥフの平均年齢は500~1000歳と長寿で、結婚や出産に関して疎い部分がある。

長寿が故に子宝を望む必要がなく、また精霊の森は外界と時間の流れが違い、

やや緩やかに進んでいる為、みな長閑で割合安逸としている者が多い。

争いを好まず、森の恵みだけで生活し、森の外から出ることは滅多にない。

育て子の告白に、長老は頑として譲らなかった。

何年もの間二人の会話はといえば外の世界へ旅に出る、いいやお前に無理だの話ばかり。

森に住む他のズゥフたちも「いよいよ今日も始まったか」と楽しそうに二人を見守るのだったが。


今日になり、ハイリンは長老に何も言わずに森の外の結界までやってきていた。


自分で作った、世界に一つしかない楽器・麗華(リシャン)と、この日の為に蓄えておいた森のドライフルーツや保存食や精霊の泉の清らかな水を荷物袋に抱えて、こっそり出ていこうとしていたのだ。

そこに長老に見つかってしまったというわけだ。

「本当に、行ってしまうのかい」

「あい。わっちはわっちの目で見たものしか信じんせん。

色んなものを見て、聴いて、自分の足で歩いて世界をしりたいのでありんす」

まっすぐに澄んだハイリンの目で見つめられ、長老は「やれやれ」と嘆息し、

懐からずっしりとした小袋を取り出し差し出した。

「長老、これは…」

「砂金だ。大方旅の資金など用意していないのだろう?

これがあれば大抵のことは片付く。持っていきなさい」

「では長老…」

「うん。行っておいで、ハイリン。愛しい我がバオニーよ。

そしていつでもいい、辛くなったら帰っておいで。そしてまた旅に出ればいいのだから」

言いながら長老は両腕を広げ、ハイリンを抱きしめた。

抱きしめられる一瞬、ハイリンは久しぶりに長老の顔を見たような気がした。

長老とは呼ばれているものの、実際のその顔は20代後半の青年のそれにしか見えない。

声も若々しく、下手をすると゛外見年齢30歳、ズゥフとして90年生きているハイリンより若いのではないかと思わせる。

だがこの青年が森の誰よりも長く生き、誰よりも森を愛し、そして自分を愛し育ててくれたことを、

ハイリンはよく知っている。

ハイリンの両親はハイリンが生まれた直後、元々住んでいた神御森(シェンユーセン)と呼ばれる、

神々に最も近いと言われていた森に住んでいたのだが、80年ほど前の大戦に巻き込まれて燃えてしまったのだ。

多くの同胞が亡くなり、またハイリンの両親も帰らぬ人となった。

ズゥフは長寿ではあるが不死ではない。

そして何より、シェンユーセンを失った事で世界のバランスが崩れてしまった。

クラ・フ・ファーゼは四姉妹神の住まう天上界・スイーディリア、ハイリンたちの住む人間界・エンディア、

そして魔族の支配する魔界・ヴェリグに分かれているが、シェンユーセンはヴェリグとエンディアを隔てる

『壁』の一部でもあったのだ。

そのシェンユーセンを失い、魔物が跋扈する時代が続いている。

四姉妹神が緊急処置として新たに設置したハイリンたちの住む『精霊の森』は、

エンデイアとヴェリグの間に位置しながら、半分が精霊界・リスティアと繋がっていて、

エンデイアとは若干時間の流れが違う。

たまに外の世から人間や獣人が迷い込んでくることがあるが、

だいたいは自分が寝ぼけていたとしか認識していないらしい。

ハイリンがしゃべっている風変りな言葉も、外からやってきた女性に教わったものだった。

「おありがとうございんす、長老。わっちは、わっちなりの『原初の詩』を見つけてみたいと思いんす」

「そうだね…それがお前の夢だったね。行っておいで、我がバオニー。ただ何度も言うけれど」

「『外の世界は危険だから気を付けるんだよ』、でありんしょう?耳にタコができんした」

クスクスと笑いながら、ハイリンは最後にもう一度養父を抱きしめる。

「行ってきんす、長老。愉快痛快な旅の土産話を持って帰って来んす。

いつになるやら分かりんせんけど」

「行っておいで、ハイリン。お前の饒舌な旅話を楽しみにしている。

いつになるか分からないけれど」

そして友愛の印に鼻と鼻をコツンと合わせ、いつもの言葉を呪文のように唱える。


「詩を奏でなさい。それはいつか己自身になるから。

詩を謳いなさい。それはいつか森になるから。

詩を愛しなさい。それはいつか運命になるから。」


そして今度こそもう何も言わない。

ハイリンは森の仲間に譲ってもらった灰色の外套を翻し、大きく手を振って長老の元を後にする。

長老も、少し寂し気に微笑みながらいとし子の旅立ちを見守るのだった。

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