五話 僕の前
そんな風に、なし崩しで日課になってしまった生活を、結局もう、ふた月以上続けている……。
「それじゃねぇ、呼唱くんまた明日!」
「うん……また」
下駄箱までの道すがら、心晴さんとの距離をとりあぐねる現状に若干悩まないでもなかった。
正直な話……もっと早く疎遠になってくると思ってたんだよね……。
あの痴漢サラリーマンとは相変わらず同じバスに乗り合わせていたけれど、長くちょっかいを出されなければ、記憶の風化とともに、少しずつ、距離が開く。そういうものだろうと考えていた。
なのになんか、彼女はむしろ距離を詰めてきてる気すらする。
初めは挨拶と名前呼びだけだったのに、最近は寝癖まで直され出した……。
話し上戸な彼女は、自分のことをベラベラ喋り、僕のことも根掘り葉掘り聞いてきて、だから聞かれるまま、バイトをしていることも、一人暮らしをしていることも、話してしまった。
いや、引くと思ったから話したわけで、理解を得ようとしたんじゃないのに、僕の思惑を綺麗に素通りして、かわされてしまうんだよね。彼女のスルー力とコミュ力を舐めてたよほんと……。
僕の両親が、僕を育児放棄していることや、僕に非行歴があること。バイトの内容までは、流石に口にしていなかったけれど……。
経験上、隠そうとしたところでどうせバレるって分かっていたし、ある程度本当のことは言っておく方が安全だと思って、そうした。
どうせ学校は全て把握していることだしね。
今の学校は、僕の環境を知った上で、お金さえきちんと収め、成績を維持するならば問題ないと言ってくれた。正直本当、異例の対応だと思うし、よく編入を許可してくれたものだと思う。
進学校に行きながら、あまりに異質な生活環境。それは充分理解していたけれど、それでも、学校に行けるということが、一度は諦めたことだったから、余計大切に感じる……。
さて。この生活維持のためにも、今日の売り上げは……と。
リュックのスマホに手を伸ばしたのだけど。
「……あれ?」
無い……。
内ポケットに入れているはずなのに。
リュックの奥に落としてるのだろうかと探ってみたけれど、それらしいものにはぶつからない。
「持ってきたよな?」
「鞄から出してたじゃん」
腹からの声。ちょっ……っと、慌てたけど、すれ違う生徒らはこちらの様子なんて気にしていないよう。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、そうだった。思い出した。
二コマ目に鳴っちゃったから……。
慌てて取り出し、マナーモードに切り替えして机に放り込んで、そのままなんだ……。
取りに帰ろっか。
ここで気付いて良かった。バスに乗ったあとだったら明日まで放置するしかない。乗る予定だったバスには間に合わなくなるけど、まぁ一本だけなら……。
二コマ目に鳴ったのも、もしかしたらお買い上げの報告かもしれないしな。
そんなことを考えつつ、教室まで歩き。
「こはぽんさぁ、ほんと気をつけなよ? ああいうのが一番怖いんだよ」
教室の前で足を止めたのは、そんな会話が聞こえてきたからだった。
「えー、呼唱くんいいひとだよ。優しいし」
「それ絶対こはぽん狙いなんだって!」
「あははぁ、ないない、ないよぉ」
「バスとかどんな話ししてんの? てか、あいつ喋るの?」
……やなとこに帰ってきてしまった……。
入るに入れず、手を引っ込める。
いや、心晴さんと同じクラブの友人らに警戒されているのは重々承知していた。
僕らの帰る方向は、同じバスに乗り合わせる人が少ない。なのに最寄りの停留所が同じ場所だから、毎朝心晴さんと一緒になる。
乗る便をずらせたら良いのだけど、芽衣さんと一緒に登校しなきゃいけない都合上、ずらすわけにもいかないし。
「喋らないねぇ。でも、私の話うんうんって聞いてくれるよ!」
「うんわ、やだ、キモ」
「喋んないでバス乗ってる間ずっとこはぽんの横に座ってうんうん言ってるってこと?
やばいって。絶対それやばいってば」
「やばくないよぉ」
困ったような笑顔の心晴さんが想像できるような、少し困惑した声音……。
それに対しまた友人から、まぁ聞きなって!と、心晴さんを押しとどめる言葉。
「あのね、こはぽんよく聞いて?
こはぽんには難しいかもしれないけど、世の中ね、男は下心あるやつばっかなの。
特にあいつは気をつけた方が良い。何やるか分かんないよ。
だってあいつ、前の学校犯罪犯して辞めさせられたらしいんだ」
「えぇっ⁉︎」
「何それ初耳〜」
「マジ?」
ガタッと、椅子の鳴る音。その音に、ビクリと肩が跳ねる。
何を言われるのかは、分かっていた。
「万引きしてたんだってあいつ」
…………。
踵を返した。もうその先がどうなるかは、分かっているから。
どうせ……そのうち知られるんだろうとは、思っていたし。
惰性で足を進めて、下駄箱に戻る。
靴を引っ張り出して、上履きを放り込んで、履き替えた。
実際のところがどうかなんて、誰も、どうでも良いんだって、僕は知ってる。
僕の非行歴は、万引き一回。
だけどそれもきっと盛られて、常習犯とか、そんな風に言われているのだろう。
そうしたら心晴さんもきっと……。
明日からは、独りかな。
そうだろう。でも、逆にホッとしたかもしれない。
もういい加減、潮時だと思ってたんだ。
芽衣さんのことがあるから、一緒にはいかなきゃいけないかもしれないけれど……それ以外は。
明日からのことを考え、暗澹たる気持ちになった。今日までも浮いてたけど、さらに浮くことになるなと、そう考えたら……。
もしどうしようもなくなったら……もう、高校卒業は諦めるか……もしくは通信制かな。
それが良い気がする。将来のことなんて、考える必要無い。どうせ僕は、この人の社会では生きていけっこないんだし。
「……コタ? スマホは?」
「明日で良いよ……なきゃ困るわけじゃ、ないもん……」
売り上げは、部屋に帰ってパソコンでだって見れる。
朝のアラームが無くなって困るかなって思ったけど、よく考えたら、彼と出会ってからはずっと、彼が起こしてくれて、アラームなんて使ってなかった。
……僕は、人の社会は無理なんだろうな。僕はきっと……不適合者なんだろう。
僕じゃない。
そう言ったところで、無意味だった。
そしてもう僕の経歴に、その万引き一回は加えられたあとだ。
だから僕が今さらやってないと言ったところで……。
だけど君、実際これが鞄に入っていたろう。
そう言われ、言葉を失ったように……。
だけど君、非行歴が記されているじゃないか。
そう言われ、何も、言い返せなくなるだけなんだ。
部屋に帰り着いたら、パソコンを見ることもせず、敷きっぱなしの布団に倒れ込んだ。
そして何もかも忘れるために眠った。もう僕は眠れる。彼がいてくれるから大丈夫。
学校になんて行かなくても、人の社会になんて拘らなくても、生きていける。
…………生きて、いかなきゃ、いけないんだろうか……?
僕なんて本当は、いらないんじゃないだろうか。
だって僕の家族は……。
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