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三話 心晴さん その一

 そんな僕が、心晴さんと関わるようになったきっかけは……。


「痴漢!」

 夏休みとは名ばかりの選択授業登校日。この学校に編入して二週間という頃合い。

 うつらうつらしていたバスの中で、聞き覚えのある声の上擦った叫びで、僕は夢から引き戻されたのだけど、その目覚めと手からスマホが滑り落ちるのは同時。


 うわっ……っと。


 必死で掴んで、人の足がひしめくバスの床に落とすことは免れた。危ない。買ったばかりなのに、踏まれて壊れたりしたら泣く。

 するとすぐ目の前に、他校の制服を着た女性がいた。手すりにしがみついている。

 瞳いっぱいに涙を湛え、視線が絡むと怯えたようにふいと逸らされて、ぶしつけだったかと慌てたのだけど……。

 その女性を背中に庇って、僕の目の前に立っていたのは、見慣れてきていた赤毛のツインテール。


「私、ちゃんと見ました!」


 いつもにこにこ笑顔で、人当たりも柔らかい心晴さんが、誰かを怒鳴りつけるなんて想像外の出来事で、状況がいまいち理解できず、ぽかんとしてしまった。


 痴漢……。心晴さんの前に立つサラリーマンが?


 こちらもなんとなく見覚えがあるのは、通勤バスで、日々同車しているのかもしれない。

 そして痴漢呼ばわりされたサラリーマンはというと……。


「は?」


 まるで心当たりありませんとばかりに驚いた顔をしていた。

 それなりに混雑していたバスの中、ざわめきが鎮まり、皆の視線が集中している。


「痴漢してました。今日だけじゃないでしょ。ここのところずっと彼女の様子が変だったもの!」

 譲らない心晴さんに、サラリーマンは少しの焦りと、苛立ちを募らせているように見えた。

 けれど慌てる様子は無く、むしろ困惑した風に頭を掻く。

「はぁ? 全く身に覚えがないんですが……」

「ははっ、しらばっくれてるよ」


 腹から聞こえた声に飛び上がりそうになった。

 けれど、その声は小さくて、僕にしか届いていないよう。一応(かれ)は配慮してくれていたのだろう。

 ホッとしたのだけど、その内容……。


「……痴漢してたってこと?」


 学ランの腹をさすってこっそり聞くと、「そうだよ」という返事。

 もぞりと、腹から背中に向かい、何かがつたい上がるゾワゾワした感覚がして、首から耳の後ろへと移動してきた。そしてすぐ耳元で(かれ)の声がする。


「今さらだよ。乗り合わせるたびにやってるもん。二人の呼吸が酷く乱れるからよく分かるよ」


 よっぽど興奮するんだろうねぇと、他人事のように笑う猫。


「女の子も震えて泣くくらいなら、嫌って言えばいいのに」


 それが言えれば……言えれば、言うよ。

 言えないのだ。それは痛いほど分かる。

 日常ごとを荒立てたくない。知られること自体が恥ずかしい。怖い。認めたくない。一瞬言葉を飲み込んだら、もう吐き出せない……、そうやってどんどん喉に詰まっていく感覚。


 言って、信じてもらえなかったら。

 勘違いだったら。

 余計酷いことになったら……。

 自分が我慢すれば、これ以上は無い。この時間だけ耐えれば。


 身に覚えのある考え方だ。

 そうやって、僕もこの前まで、現実を騙し騙し、やってきたんだもの。

 特に女の子が、年上の男性を相手にするのは恐怖以外の何者でもないだろう。

 力では勝てない。社会的地位でも勝てない……。


「してないと言っているのにしつこいな……」


 一段低くなった声が、少し大きくなった。

 僕が猫とやりとりしている間にも、押し問答は続いていた。

 サラリーマンの方はそれに辟易してきたようで、良識ありそうな雰囲気だったのに、すこし柄の悪い感じを滲ませてきていた。

 そうしてぐいと身を乗り出し。


「君、名前は? その制服皇子学苑の学生だな、学生書を出しなさい!

 証拠もないのにしつこいんだよ。

 なんなら、学校や親を名誉毀損で訴えても良いんだぞ⁉︎」


 心晴さんは追い詰められていた。

 怖い顔で、のしかかるように詰め寄られ、威圧的な低い声で、指を突きつけられて、証拠を出せと無理難題をふっかけるサラリーマン。

 学校名や親を引き合いに出したのは、意図的に脅しつけてるんだ……。


 なんか、随分と手慣れてる。


 それに、決定的な証拠でもなければ、痴漢は立証が難しいって聞いた気がする。心晴さんが見ていたとしても、それが決定的な証拠として扱われるかどうかは微妙かな……。彼女の場合、見た目が派手だから、その面からもあまり良い印象を警察に与えないかもしれない。

 目の前で震えて涙をこぼす女性を見るに、痴漢が嘘であるとは思えなかったし、何より猫がそう言うのだ。


「証拠を出せ」

「見ました!」


 そう叫び返す心晴さんの声も、震えていた……。


「私が、この目で!」


 くっと握られた拳も、同じく小刻みに……。

 チラリと見た横顔。怯えたペリドットの綺麗な瞳が、涙を滲ませて……。


「だから証拠を出せっつってんだろ‼︎」

 

 はーちゃん!

 

 ふいに、二人の横に、人影が立った。

 小さな男の子。まるで後退(あとずさ)りしそうになった心晴さんを支えようとするみたいに、両手のひらを伸ばす。

 僕の足に重なって立つ、季節外れの防寒具を纏った姿は、今の今までここには無かった。


 御霊(みたま)だ……。


 心の中でそう呟いたら、くるりと振り返る男の子。頭の左前側がボコリと陥没した姿。闇に染まった虚な瞳と目が合った……。

 目が合った……ということを、御霊も気づいたようで、閉じていた口が、ぱかりと開いて闇が……。

 やばい。と、思った時には遅く、ぐりんと向きを変えた男の子が、僕に入ろうと身を乗り出し、空洞みたいな真っ黒い瞳が眼前に……っ⁉︎


「ボクがいるってのに良い度胸だ」


 途端に猫がブワリと膨らみ、男の子に食らいつこうとばっくり口を開くから……っ。


「だっ、ダメ!」


 咄嗟にそう叫んでいた。

 心晴さんに寄り添おうとしていた御霊が、悪いものだとは思えなくて。

 この御霊は、きっと二人を助けようと思って、それで僕の体を欲した。

 でも、死んだ者は人と同じになんて振る舞えない。もう生きてた頃の良識なんてものは残ってなくて、ただ欲望や願望だけを、手段も選ばず求めることが多い。こうして人の体を奪おうとするくらいに、彼の生前自我は在るようでいて無い。

 でも、それでも優しさを感じた。なのに猫に食われるのでは、あまりに不憫だ。

 咄嗟に手に握ったままだった携帯を持ち上げて。


「証拠なら、僕が動画撮ってました!」


 そう言った。

アップ忘れてました……。申し訳ない!

明日は、四話 心晴さん その二 を更新いたします。

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