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十話 妖

 無理だ。そう思った。

 仔猫に体を貸したたったの三時間で僕がしたことは、不法侵入と強盗。

 妖は人の社会の規則ごとには頓着しない。うん、確かにその通りだった。それが今さら分かってしまったのは、僕の判断ミス。僕が悪い。僕が馬鹿だったんだ……。


「げぇ、え……ぅ、ゔぁ……」


 消化しきれず胃に残っていた食べ物もろとも、仔猫を吐いた。

 びしゃっと吐瀉物がアスファルトに落ちて飛び散って、僕の靴先を汚したけれど、そんなことには構ってられなかった。眼鏡に落ちる水滴が、視界をぼかしていく……。あぁ、もう濡れ衣でもなんでもない。この体が誰かに使われていたなんて、人間社会では通用しないって、僕は嫌というほど知ってるんだ。


 僕はもう、犯罪者だ。


 嫌だと言っても、駄目だと言っても、仔猫は聞いてくれなかった。僕の体で、僕の身体能力なんて凌駕した動きで、奪い、脅し、痛めつけて帰ってきた。


「う、うううぅぅぅ……」


 路地の壁に肩を預けたら、もう立ってられず、そのままずりずりつたい落ちて、丸まって……声を殺して泣いた。

 なんて最低の人生だ。

 自分の体ひとつ、自分のものにならない。

 今まで運が良かったなんて思ったことなかったけれど、それでもまだマシだったと、この後に及んで理解した。そしてそのことに絶望しか感じなかった。

 そのマシだった場所から、ついさっき僕は転がり落ちたんだ。さらに深い場所に。

 もうこんなの嫌だ、こんなの……どうして僕は僕の意思じゃないことで責められ、裁かれなきゃならないんだ……。


「裁かれるもんか。

 ヘマさえしなけりゃ、これは表沙汰にならない。

 合法じゃないのはあっちも一緒だからね」


 意識せず呟いていたのだろう。仔猫がそう言った。

 吐瀉物と一緒に吐き出されたにも関わらず、胃液一滴すら浴びていない様子の仔猫が、僕の眼前にちょこんと座る。


「なぁ、考えておくれ。

 これは大切なことなんだ。ボクらにとってもそうだけど、君らにとっても。 

 それは重々、理解してもらえたと思う」


 ピンと背筋を伸ばした黒仔猫は、ゔぁっと、溶けるように輪郭を失い、蛆虫が蠢いているような歪な姿へと変じた。

 猫の輪郭はしていたけれど、それもぐちゃぐちゃと動き、定まる様子を見せない。大きさも中型犬くらいになり、青灰色の宝石みたいだった瞳も、もはや鬼火にしか見えなくなった……。


 成る程……これが本来の姿なのか。僕はこんなものを、飲み込んだ……っ。


 そう思うと、また吐き気が込み上げてきて、その場に吐いた。

 前屈みになり損ねて、服まで汚してしまったけれど、そんなことよりも絶望が勝った。

 一度だけ体を貸す? それで当然済むはずなかった。猫は、盗みを終えて逃げる最中、僕に告げたんだ。

「当面体を借り受けたい」って……。

 そんなの、死刑宣告と同じじゃないか。

 断ったら死が待ってる。ただ手順に則るだけで、逃げ道なんて無い。


 また涙が滲んできたけれど、震える手で眼鏡を外し、腕で乱暴に拭った。

 泣いたって無意味なんだ。僕の人生の終焉は、もう定まった。

 だけどそんな様子を見ていた猫は……。


「……まぁ、今すぐどうこうは考えられないよね。

 良いよ。とりあえず移動しよう。君を寝床に案内するよ。

 まずは報酬を、先に渡さないとね」


 どうにも精神状態が危ういと思ったのか、猫は途中で話を打ち切ってそう言い、また小さな姿に変じて僕の肩へ飛び乗ってきた。

 恐怖と拒絶意識のあまり後退りしようとして、壁に体と後頭部をぶつけたけれど、構ってられない。僕のそんな反応に仔猫は「仕事の正当な報酬なんだから、受け取っても怖いことにはならないよ」と、またあの可愛い声で言った。声色はサイズで変わるらしい。

 もうヤケクソだと、猫の指示するままに足を進めた。


 小雨の中を傘も刺さず歩き、駅に寄って、コインロッカーから預けていた荷物を引っ張り出し、闇夜の中をまた、とぼとぼと歩く。

 そうして導かれ、連れてこられたのは、ごく普通のマンションだった……。


「ここの二階の部屋だよ」

「……猫がマンション?」


 どうやって借りてるの……。

 まさかまた不法侵入……⁉︎ と、考えたのだけど。


「器の一人が借りている部屋だよ。その本人は出張中でいないから、使って問題無いんだ。

 この近辺を調べるときは、皆借りてる」 

「……他の、器?」

「当然君だけじゃないよ。

 ただ……なり手はどんどん減ってる状況だからね。

 ボクらもこんな風に、無理やり適応者を探さなきゃならなくなった」


 オートロックのマンションだったけれど、猫の言う部屋番号と暗証番号を入力すると、あっさり扉が開いた……。

 不特定多数の人間がこんな風に出入りしてて、このマンションのセキュリティは大丈夫なのかな? と、僕が悩んでも仕方ないことを考えているうちに、部屋の前まで来ていた。だけど家鍵を持ってるわけじゃないし、住人がいなければ入れないのじゃないか。と、そう思ったのだけど……ここもまた、暗証番号式の玄関扉になっている。

 不特定多数が使うことを前提にしてあるんだ……。言われた通りの番号を入力すると、やはりあっさり、扉は開いた。


「ここに来たのはね、見せたいものが色々置いてあるからでもあるんだ」


 そう言った猫は、僕の肩から部屋の中に飛び込み、それと同時にまた蠢く姿へと変貌した。

 ゆらゆらと滲みうねりながら、入っておいでよと先に進む。揺れる尻尾が解け、一瞬だけ三つに分かれたかのように見えたけど、すぐにまた一本に……。


 言われるままに足を踏み入れ、玄関で靴を脱いだ。そうして中にあがり電気をつけたら、部屋の中は誰かの生活が確実にあることを伺わせる雰囲気があった……。

 確かにここは、人の生活空間だ。テレビ、パソコン、キッチンにはケトルやレンジ。

 恐る恐る足を進めて、ソファの足元に鞄を置くと、猫が。


「さっき盗ってきたもの、そこの空瓶に入れておいてよ」


 そう言われて、慌ててポケットに手を突っ込んだ。

 取り出したのは、虹彩の黄色い目玉。僕には大きなトパーズのついたブローチが重なって見える。

 視線を巡らせると、窓際に布が敷かれ、瓶が伏せて並べられていた。……洗ったのを乾かしているみたいな……?

 とりあえずそれをひとつ拝借して、その目玉を入れ、同じく並べられていた蓋をした。

 それで猫は満足したようで。


「ここを使う人は、あるものを適当に使って良い。

 食事もしていいし、シャワーもできる。洗濯機もあるよ。

 君は汚れちゃったし、まず洗濯をして、風呂に入ったらどうかな」


 そう促されて少し戸惑ったものの、言われた通り使わせてもらうことにした。

 洗濯洗剤だけじゃなく、柔軟剤なんかもきちんとカゴに入れて用意されていて、しかも複数種類あるから首を傾げていたのだけど、猫が「好みがうるさいのがいるんだよねぇ」とのこと。

 なるほど……。

 香りなんて必要無いかなと思ったけれど、吐瀉物で汚した衣類だったし、一応除菌効果があると銘打ってあるものを使わせてもらうことにした。


 洗濯機を回している間に風呂場を使わせてもらい、ここにも数種類のシャンプーやコンディショナーが並べられてて、ボディーソープを探すのに一苦労。ボトルが十数本置いてあるって、ここの持ち主はどう思ってるんだろ……。

 スッキリすると、少し気持ちが落ち着いた。シャツとボクサーパンツを身につけたけど、少し寒かったのでスウェットの上下を取りに、部屋に戻った。

 死ぬのを覚悟してシャワーするって変な気分……。なんかもう、思考が現実逃避しているだけかもしれないな……と、そう思いつつ鞄を漁っていると、キッチン前のカウンター上に座していた猫が。


「ご飯あるよ。

 カレーとか牛丼とか、丼ものばっかりだけど」


 ……猫が丼ものとか言う……。


 促されるままキッチンに入り、レトルト入れだという引き出しを開けると、そこにびっしり箱やパウチが並べられていた。端の三分の一はパックご飯が積み上げられている……。

 カレー・中華・すき焼き・親子……あ、お取り寄せっぽい高そうなのもある……ていうか、ご飯すら小盛りから大盛りまで種類豊富……。お粥まであった。


 なんかここの人、苦労してそう……。


 試しに開いた別の引き出しはカップ麺がギッチリ。


「冷蔵庫にも入ってるよ」


 冷蔵庫の中は、ペットボトルの飲み物がぎゅうぎゅうに入ってた……。野菜室はアルコール類。冷凍庫にはおかず系の冷凍食品。一ヶ月くらい篭って生活できそうな備蓄だ。

 とりあえず無難に、複数個置いてあったカレーを選んでいただいた。とんでもない経験をして、食欲なんて湧かないつもりでいたけれど、食べだしてみると空腹で、吐いたし当然か……と、思い直す。

 食器もわざわざ紙皿が用意されていたけれど、ちゃんと洗い物ができる人は置いてある食器を使って良いんだって聞いて、洗わない人がいるんだな……と、どうでも良いことをまた考えて。

 僕の食事がひと段落するまで待ってた猫は、またおもむろに口を開いた。


「そこにパソコンあるでしょ。あれ、つけてくれる?」


 パソコンをつけろと要求する猫……。


 ここまで来て、だいぶ落ち着いてきていた僕は、言われた通りにパソコンを付けた。

 どうせ抵抗も何もできないのだもの。

 言われるままパスワード等を入れて立ち上げて、ページを開く。するとそこにあったのは……。

『やんちゃな息子の宝物コレクション』

 という名のサイトに並ぶ、瓶に入れて並べられた、目玉・指・耳・爪・皮膚・鱗・牙・何かわからない肉片のようなものまで。

 咄嗟に口を押さえたのは、猟奇的な品揃えに食べたばかりのものをまた吐きそうになったから。

 だけどそんなものに重なるように見えるのは、ガラス玉や木の棒、貝殻、小石などの、ありふれた何か。


 これ……もしかして全部……?


 さっき僕が盗んだものと同じ……。


「妖の部位は人の社会にあるべきじゃない。

 だけどボクらは人の社会に直接干渉してはいけないんだ。

 だから、君たち人の器に、体を借り受けて回収するしかない。

 ここに載せてるのは、まだ持ち主の引き取りがない部位だよ。

 君に回収してもらったものも、ここに載せる。

 じゃあ次、ログインってあるでしょ? そこで僕の言う通り、アドレスとパスワードを打ってくれる?」


 ネットを使いこなす猫……。


 現実離れ度合いが甚だしくなってきて、なんかもう無心で言う通りにした。

 そしてホームに戻ってみると。


「……値段?」


 瓶の下ひとつひとつに、ちょっと目が飛び出てしまいそうな値段が付けられていた。

ご覧いただきありがとうございます。

明日は、十一話、誘惑です。

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