そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.1 < chapter.4 >
「……これは……」
呆然と立ち尽くし、辺りを見回す。
誰もいない。
それどころか、会議室の中ですらない。
すでに深夜に近い時刻であったはずなのに、途方もなく広い草原には真昼の陽光が降り注ぎ、抜けるような青空には、巨大な鳥のようなものが飛んでいる。
しかしそれは、鳥のように見えても何かが違う。二枚の翼も大まかなシルエットも限りなく鳥に近いのに、尾の形状がおかしいのだ。
ひょろりと長い尾に、緩く開いた尾羽がついている。どう見ても、現生の鳥類とは異なる特徴である。古生物学の教科書に載っている、始祖鳥の再現図に近い形状をしているのだが――。
「……タケミカヅチ? いるか?」
内なる神に問いかけてみれば、こちらも困惑した様子で答える。
(居るには居るが……すまない、俺は顕現できそうにない。あの鳥はおそらく、俺よりはるかに格上の神だ。この世界に強制転移させられた瞬間から、すべての力にブロックがかけられている)
「だからお前の『眼』が使えないのか」
(ああ。眼も耳も、それ以外の感覚器官も、人間並みの性能に落とされている。あの鳥の正体を確かめることができない)
「そうか……ところで、俺はサティとガラス瓶をどこにやったと思う?」
(分からん。しっかり持っていたはずなのにな?)
「落としたわけでもなさそうだし……なにがどうしてこうなった……?」
鳥のようなものは上空をグルグルと旋回するばかりで、一向に話しかけてこない。神同士であれば、言語の壁に阻まれることなく念話が通じるはずなのだが――。
「おーい! そこのカミサマー! どうして俺たちはここに移動させられたのだー? 説明してもらえないと、事情がさっぱり分からないのだがー?」
ベイカーが呼びかけてみても、それは答えない。
しばらく呼びかけを続けていたが、あまりにも反応がないため、二人はこの世界を勝手に探索することにした。
「仕方がない、まずは目につくものから調べよう。あー……足元の草、イネ科の何か! 以上!」
(ふむ……現生のイネ科植物ではなく、かなり古い時代の植物だ。恐竜がいた時代の植物ではないかな、これは……)
「虫はいないよな?」
(ああ。この世界には、地面と草と神しか存在しないようだ)
「つまり、早急に脱出法を見つけねば餓死確定ということだな。止むを得ん。いざとなったらあの鳥を食おう」
(そうだな)
ここで止めないあたりがタケミカヅチらしいところなのだが、軽いノリで同意した後で、ふと、それこそがあの神の目的ではないかと考えた。
眼も耳も攻撃能力もブロックされてしまったが、それはあくまでも、タケミカヅチ本人が使える能力に限られる。神ではなく、『器』が持つ特殊能力は一切の制限を受けていない。
(ふむ……まさかとは思うが……サイト、魔剣を使ってみろ)
「どの剣だ?」
(白だ)
「白? だが、あれは闇堕ちではないぞ?」
(いいから)
「……?」
ベイカーは首を傾げながらも、特殊能力『魔剣』を発動させた。
これはタケミカヅチの器にのみ発現する特殊能力だ。闇に堕ちた神を魔剣に『食わせ』て、神の存在そのものを剣に封じる。己の肉体を鞘がわりに使うことで、いつでも好きな時に神を呼び出し、自在に使役できる能力なのだが――。
「うわっ!?」
透明な光を放つ、純白の魔剣。それを手にした瞬間、上空を旋回していた鳥が急滑降してきた。
反射的に避けるベイカー。だが、鳥はくるりと方向転換し、再びベイカーに迫る。
相手の意図がさっぱり分からず、またも避けてしまう。が、鳥はしつこく、何度もベイカーに迫る。
嘴を突き立てるでも、鋭い爪で斬りつけるでもない。ただ、刃に向かって飛んでくる。
一言の説明もなくとも、さすがに理解するしかない。
この神が望んでいるのは、『神』としての生を終わらせることである。
「なにを……お前、神だろう!? 何をしている!? これではまるで……!」
自殺のようではないか。
その言葉を口にしてもよいものか、ベイカーには分からなかった。けれども、タケミカヅチは言う。
(サイト、斬ってやってくれ。白虎と同じだ。あの神はもう、自分が正気を保っていられないことを悟っている)
「しかし、まだ闇の気配はどこにも……」
(いいから!)
「……っ!」
十三回目の突撃。
ベイカーは魔剣を上段に構え、草を掠めるほど低空を飛ぶ鳥の額を、真正面から突いた。
何の抵抗もなく、するりと突き刺さる切っ先。
純白の魔剣は神の力、記憶、存在のすべてを吸い上げ、なにもかもを食らい尽くしてゆく。
こういうとき、いつもなら、相手は何かを言い遺すものなのだが――。
「……何の説明もなしか!」
鳥は無言のまま吸収され、跡形も無く消え失せてしまった。徹頭徹尾、何も語る気が無かったようだ。
(本当に変わった神だったが……まあいい。体内に取り込んでみろ。何か分かるかもしれん)
「ああ……」
空色に輝く魔剣を、ベイカーは己の胸に突き立てる。が――。
「……うん?」
大きく首を傾げるベイカー。
とりあえず、あの鳥の素性は判明した。見た目の通り、恐竜から鳥類への進化の過渡期に生まれた『始祖鳥』の神である。
だが、あの鳥が守護していた対象は、あまりにも不可解な物質だった。
(どうした?)
「いや……あれは、石灰岩を守護していたようだ」
(石灰岩?)
「なんで石灰岩なんて……」
(そうか、分かったぞ!)
「なにがだ?」
(ガラスの主原料はシリカとソーダ灰と石灰だ。そのうち石灰は、生物由来の石灰岩を利用することが多い。石灰岩の元になる生物は?)
「ええと……小学校か中学校で習ったな……貝類、だったか?」
(三十点。正確に言えば『貝類も含まれる』だ。貝以外に、珊瑚や有孔虫、動物の骨が含まれることもある)
「動物の……あっ!」
(そういうことだ。暴かれたのは、サティ・ベイカーの墓だけではなかったようだな)
「……なるほど。あれは、守護対象が絶滅した後も、亡骸を守り続けていたのか……」
その亡骸が腐敗して、骨だけになって、長い年月を経て石灰岩の一部になっても、それでもあの神は守護を続けていた。地球とこの世界とでは始祖鳥が存在した時代が異なるが、少なくとも、一億四千万年以上が経過している。その間たった一人で、闇に堕ちることも無く『神』であり続けたのだ。あの神にとっては、いまさら語ることなど、本当に何もなかったのだろう。
(……いやはや、実にとんでもない神だ。俺だったら、とうに発狂しているぞ)
「だろうな。話し相手がいなかったら、俺も三日で闇堕ちする」
(お互い、ボッチは嫌いだからなぁ)
「完全に同意する。だが、まあ、あのガラス瓶がおかしなことになっていた理由は分かったな」
(ああ。あいつはサティを『あの状態』に保つことで、『神殺し』の能力者を待ち続けていたのだろう。サティは俺の素性を知っているからな。記憶を読まれたに違いない)
「ん? サティ・ベイカーも、お前の『器』だったのか?」
(いいや。俺が『器』にしていたのは、サティの弟の、サリエル・ベイカーのほうだ)
「革命戦争時代の『器』は、十二剣士の魔剣士ミレイと言っていなかったか?」
(ああ。どちらも俺の『器』だ。バージョン違いで二人創って、状況に応じて使い分ける予定だったのだが……ま、そのうちゆっくり話してやるさ。とりあえず、今は……)
「さっさとここを出ないとな」
(この世界が崩壊しないところを見ると、すべての権限はお前に移譲されたようだが? あの神の能力は使えそうか?)
「一応は。概要と使用法は把握した」
(では、帰ろうか)
「そうしよう」
ベイカーは手に入れたばかりの力、空色の魔剣を呼び出し、亜空間から脱出した。
現実空間に戻ったベイカーを待ち受けていたのは、会議室を埋め尽くす羽毛の山だった。五十人が同時に着席できる広々とした会議室が、大人の腰の高さまで羽毛で満たされている。光を反射して鮮やかな空色に光る構造色の羽根は、間違いなく、あの始祖鳥のものである。
室内の時計を見れば、経過した時間はたったの三十秒。現実世界と神の世界とで、時の流れが異なることはよくある。ベイカーは何の疑問も持たず、自分が消えていた三十秒間について尋ねようとしたのだが――。
「隊長! 俺、今、三十秒くらい消えてませんでした!?」
「は?」
「変な世界に飛ばされてたんですよ! 絶海の孤島かと思ったら、海に浮かんだ巨大アンモナイトの殻の上でっ! どこにも行けずに、半日くらい漂流してたんです!」
「ロドニー先輩もッスか!? 俺、いきなり珊瑚の海にドボンだったんスよ!? 体感三十分くらい、服着たままエンドレス立ち泳ぎで、マジで死ぬかと……隊長見てくださいよコレ! ほら、全身ずぶ濡れ!」
「アタシ、ツクヨミと一緒に、三葉虫みたいなヘンテコ甲殻類だらけの海岸に飛ばされてたんだけど……みんなも別の世界行ってたの……?」
「俺は、魚のようでいて何かが少し違う、妙な生き物の『神』と戦っていたんだが……?」
こんがり日焼けしているロドニー。
ずぶ濡れのゴヤ。
頭も服も砂まみれのグレナシン。
全身に魚の返り血を浴び、ひどく生臭いキール。
そして部屋の隅では、ジルチのリーダー、アーク・アル=マハが泥まみれになって立ち尽くしている。
「あの、アル=マハ隊長? そちらは何が……?」
「ワケの分からん世界で、出現と同時に濁流に飲まれた。川から海に流されたようなのだが……状況を把握する前に、唐突にここに戻された。なんなんだ、いったい……」
「なるほど……この場にいる『神の器』と特殊能力者は、全員、同時に別の世界へ飛ばされていたわけですか……」
ピーコックを見ると、彼は疲れ果てた顔をして壁にもたれていた。
「あ~、もう! 勘弁してくれ~っ! いきなり消えたり出てきたり、何なんだよ、お前らはぁ~っ!」
ピーコックの右手にはサティの入ったガラス瓶、左腕にはこの場でただ一人の非戦闘員、ポール・イースターが抱きかかえられている。超常現象の発生と同時に飛び出し、調査対象物と非戦闘員を守っていたらしい。
「すまんな。俺たちも、好きで消えているワケではないのだが……」
「はいはい分かってるよ! で? ベイカーはどんな世界に飛んでいたんだ?」
「この羽根の持ち主に会っていた。ガラス瓶の謎は解けたぞ」
「本当か? どんなカラクリだ?」
「すべての原因は、ガラス瓶の原料に使われた石灰岩だった。その石灰岩は、この羽根の持ち主、『始祖鳥の神』が守護していた物だ。石灰岩には始祖鳥の他に、魚や貝、甲殻類、有孔虫などの生き物の死骸が含まれていた。おそらく他の隊員が遭遇した古生物も、石灰岩に含まれた、それぞれの種の『神』だろう」
「へえ? じゃあそのカミサマたち、古生物が絶滅した後、ず~っと石灰岩を守り続けてたの?」
「そのようだ。採石業者にその気はなかったと思うが、古生物の神の目線で見れば、石灰岩の採掘は墓荒らしと大差ない行為なのかもしれないな」
「それで、神に呪われた?」
「いいや。呪ってはいなかった」
「呪いでないなら、どうしてサティをこんな姿に?」
「ああ、それはな……」
ベイカーは亜空間内での出来事と、サティの弟がタケミカヅチの『器』であった事を説明した。神に感情があることも、絶望の果てに堕ちることも、そうなる前に死を望むことも、『神』と直接触れ合えない人間には理解しがたいことなのだろう。ピーコックは「ん~?」と首を捻って、抱きかかえたままのポールに尋ねる。
「分かる? カミサマも鬱病発症すんだってさ」
「聞けば聞くほど、無駄の多いシステムですよね。『神』って」
「だよねぇ?」
ポールをサイコパス呼ばわりしていたが、ピーコックのほうも、情報部内ではサイコパス一歩手前と名高い人物である。感情を持つことで守護対象に寄り添う現行の『神』システムは、このタイプの人間には理解が難しい。
なにはともあれ、ガラス瓶に掛かっていた厄介な特殊効果は消失した。ピーコックの手の中のガラス瓶は、もう、何の怪奇現象も起こさない。
この瞬間、誰もがそう思っていたのだが――。
「……え? 何これ……?」
「……生き返った……?」
ガラス瓶の中の胎児は、しっかりと血の通った、『生きた胎児』に変わっていた。
ポールとピーコックは瓶に顔を寄せ、二人で中を覗き込む。
「うっわ~、なんだ? しかもこれ、元の胎児よりも育ってる……?」
「ちょっといいですか?」
「ん?」
ポールはピーコックから瓶を受け取り、中の胎児を取り出した。
するとその瞬間、室内に溢れていた羽毛が光り始め――。
「うわぁっ!? なんだなんだ!?」
「眩しい……っ!」
目を開けていられない光の大洪水。それが収束すると、ポールの手の中には、可愛らしい赤ん坊が抱かれていた。
「……は?」
「……え?」
小さな胎児の姿ではないし、生まれたばかりの、弱々しい赤ん坊でもない。小さいながらもしっかりとした手足を見る限り、もう自力で這い回ることができる、生後半年くらいの赤ん坊のようだ。
これから角が生えてくるであろう、頭部のふくらみ。
山羊とハムスターの耳を足して割ったような獣人系の耳。
背骨からひとつながりに伸びる、長くて細い、チンチラのような尾。
肩甲骨のあたりを見れば、これから翼が生えてくる箇所だけ皮膚の色が違う。
間違いなく、雷獣族の赤ん坊である。
室内の羽根は消失。ビニール袋に移されていたその他の胎児は、跡形もなく消えている。
この状況から推察される事態は、ただ一つ。
「……この奇跡は、あの神なりの、礼のつもりか……?」
ベイカーはポールに歩み寄り、赤ん坊を受け取る。
赤ん坊はベイカーの顔を見て、キャッキャと笑っている。誰がどう見ても、健康そのものの反応である。
サティの記憶があるかどうか、額に触れて読もうとして、やめた。これがサティ・ベイカーだろうと、別の人間であろうと、保護が必要な赤ん坊であることには違いない。記憶の有無は、本人が喋れるようになってから確認すれば良いことだ。
セルリアンを見ると、彼は動じる様子も無く、この案件に関わる大量の書類に目を通していた。
「……書類の上では、サティ・ベイカーのクローニング計画が中止されて以降、十二体の胎児は『廃棄物品』として扱われている。予期せぬ呪術的トラブルにより、溶解処理も焼却処理もできぬまま保管されることになった……という事だが、どうするベイカー。その赤ん坊、君が育てるかね? それとも、魔法学研究所に返すか?」
「分かり切ったことを訊かないでください。あんなところに返したら、次は何の実験に使われることになるか……」
「ならば、こちらで適当に素性をでっち上げよう。ピーコック、どこで誰が拾ったことにする?」
「俺が囲ってるオンナの一人が、下町のゴミ捨て場に落ちてるのを拾ってきちゃった、みたいな話でどうです?」
「可哀そうだと思って拾ってしまったが、どうしたらいいか分からず、知り合いの騎士団員に相談した、といったところか?」
「ありがちでしょう?」
「ありがちだな。生後半年程度なのも都合がいい。それだけ時間が経っていたら、産み捨てた女の特定は難しい」
「では、その方向で」
「頼んだぞ」
「了解です」
「ベイカー、その赤ん坊はこの先一週間程度、情報部で預かる。が、その先はどこかの孤児院に入れられることになる。ベイカー家で引き取るならば、早めに手を打つといい」
「ありがとうございます。明日中に話を通しておきます」
「ところで、君のところの隊員が持っているのは何だ?」
「え?」
セルリアンの視線を追って振り向くと、返り血まみれのキールは、片手に赤いモップのような、フサフサとした何かをぶら下げていた。ずっと持っていたようだが、これまでは大量の羽毛で隠れていたらしい。
「あー……キール、それは?」
「魚の鰓だ」
「エラ?」
「デカイ魚が襲い掛かってきたから、すれ違いざまに鰓蓋に手を突っ込んで、引っこ抜いてやったんだ」
「ということは、それは、神の内臓……?」
「ああ。あと三十秒あの世界にいられたら、確実に留めまで刺せた。最後までやれなくて残念だ」
「お、おお……パワー・イズ・ジャスティス……」
素手で神と戦い、内臓を引っこ抜いて持ち帰る。
そんな無茶苦茶なことをしてのけた男に対し、この場の誰も、なんと声を掛けるべきか分からなかった。