99. 確認したいことがあるのです
期待と不安がない交ぜになりながら、自分の靴先に視線を落とす。
今、自分ができることは終わった。あとは、この名簿をニコラスに託し、吉報を信じて待つだけだ。
そのとき、そっと注がれる眼差しに気づく。顔を上げると、エディが優しく微笑んでいた。まるで、もう大丈夫ですよと伝えるように。
「ニコラス殿下に感謝しなくてはなりませんね」
「……え?」
「実は、ニコラス殿下があらかじめ命じてくださっていたのです。『あの女官の身が危ないと感じたら、迷わずに行け。僕の身の安全は保証されているから心配しなくていい』と。財務官室の秘書官が焦ったように退室していくのを見て、こうして地下書庫に駆けつけることができましたから」
「まあ、そうだったのですね……」
思わず口元に手を当てる。安心と同時に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(ニコラス様はやっぱり優しい方だわ。とても、わかりにくい優しさだけど……)
本来なら下級女官の命など、捨て置けばいい。高貴な身の上なら、なおさらだ。けれど、ニコラスもレクアルも決して簡単に見捨てようとはしない。すべての命を平等に見てくれる。大事にしてくれる。そんな彼らだからこそ、命を預けられるのだ。
胸いっぱいに満たされる感情をそっと抱きしめながら、セラフィーナは小さく頭を下げた。
「エディ様。助けてくださって、ありがとうございました。今回だけではありません。いつも、あなたは危機から救ってくださいます。それがどれたけ心強いか……」
「私は騎士として当然のことをしたまでですよ」
「それでも、エディ様が来てくれて……わたくしは嬉しかったです」
自分で言った後に、急に気恥ずかしい思いに駆られた。
頬に熱が集まる。意識しだしたら、心臓がバクバクしてきた。
(へ、変なことは言っていないわよね!? そう、感謝! 感謝の気持ちを伝えただけだもの。何もおかしいことなんてないわ)
心の中で言い訳を繰り返していると、ふっとエディが笑う気配がした。
ゆっくりと彼に視線を戻す。その頬が少しだけ赤みを帯びているのに気づいて、セラフィーナは言葉を失う。
「はい。あなたをお救いできて、本当によかったです」
彼はそう言って、花がほころぶように優しい笑みを向けた。
そうだ。彼はこういう人だったと思い直す。
目の前に困っている人がいたり、遠くで危ない思いをしている人がいたりしたら、当たり前のように助けくれる。正義感が強い人なのだ。
彼は自分の行動を、騎士として当然の行いだと思っている。セラフィーナが過剰な反応をしては、逆に不審がられる。エディが助けてくれたのは職務の一環。相手が誰であっても、きっと迷わず救出したのだろうから。ここは自然に微笑むのが自然だ。
そう思って笑みを返す。視線の端で、ラウラたちが話し合いしている様子が見えた。もしかしたら、先ほど使っていた魔法について話し合っているのかもしれない。
(ラウラ先輩とアルトさんは、まだ真剣に話し合っているわね。……今がチャンスだわ)
セラフィーナは振り返り、後ろで待機していたエディの袖口をそっと引いた。
そのまま彼は自然な動作で腰を屈めてくれたので、少し背伸びして、耳元で囁いた。
「……エディ様。ひとつ確認したいことがあるのですが」
「何でしょう?」
「静養室でお話しした、夢の出来事についてです」
セラフィーナがさらに声を潜めて告げると、エディが一瞬息を呑んだ。
やはり、と疑惑は確信に変わる。
「……その反応、やはりあれは夢ではなかったのですね? わたくし、何を喋ったかまでは思い出せないのです。何を話したか、教えていただけませんか」
「…………」
「あの、エディ様?」
「……どこまで思い出されたのですか?」
「へっ?」
質問を質問で返され、面食らう。だが金色の瞳はどこまでも真剣だった。
「前にも申し上げましたが……ふわふわとした感覚で、細かいところは覚えていません。でも、誰かと手を繋いだのをさっき思い出しました。そのときの感触がエディ様と同じだった気がして……」
セラフィーナの答えを聞いたエディは少し目を伏せて、次の瞬間には朗らかな笑みを浮かべた。
「そうですね、同じ夢を見ていたのは事実です。ですが、そこで話した内容については────秘密です」
「えっ」
「あなたの評判が落ちる類いの話ではありませんので、その点はご心配なく。あの会話はレクアル殿下にも話していません。本当に些細な会話ですから」
「そ、そんな。些細な会話ならなおさら、教えてくださっても……っ」
「夢の中の話なんて、すぐに忘れるから問題ありませんよ」
「何をおっしゃるんです!? 現にエディ様は覚えていらっしゃるではありませんか! 不公平ですわ」
「……夢は、夢だからいいのです。セラフィーナも早く忘れたほうがいいですよ」
エディは内緒事をするように、そっとセラフィーナの口元に自分の人差し指を押し当てた。ぐっと言葉を飲み込むのを見て、エディが静かに笑う。
だが、まるでもう触れてほしくないような困った笑みを見てしまい、セラフィーナはそれ以上何も言うことができなくなった。
一体、夢の中の自分は、何を口走ってしまったのだろう。