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96. 地下書庫に参りましょう

 文官棟の北端、普段は人の気配すらない別棟の奥に、その階段はあった。

 セラフィーナとラウラは文官の制服に身を包み、互いに目配せをしてから、地下へと続く階段に足を踏み入れた。

 狭くて急な石段が、薄闇の奥へと続いている。女性文官の制服は、下級女官のものとは異なり、動きやすいように裾にスリットが入っている。階段を下りるたび、深緑の布が静かに揺れた。


(ちょっと足元がすーすーするのが慣れないけど、ここは我慢よ……!)


 できるだけ足音が反響しないように細心の注意を払うが、それでも小さな靴音が壁に反響して響いてしまう。セラフィーナは息を潜めて階下を目指した。


(……見張りは、いないわね)


 作戦通りだ。しかし、油断は禁物である。

 この地下書庫は、財務官室から離れた最北端にあることもあって、普段は限られた文官しか出入りしない。使用頻度が少ないことに目をつけたジョルジュは、この地下書庫を私物化していたという話だが、職権濫用も甚だしい。


(大胆不敵というか……普通はこんなところに開戦派の名簿が隠されているとは思わないでしょうね。イネルさんの裏切りがなければ、わたくしたちはここへはたどり着けなかった)


 ニコラスから預かった鍵束を手に取り、セラフィーナはそっと鍵を差し込む。カチャリという音とともに鉄の扉が開く。二手に分かれて壁際の燭台に火を灯していった。

 灯りはついたが、もともとの光量が少なかったせいか、足元は薄暗いままだ。古びた壁に打ち付けられた灯りは煤けており、頼りない光が長い影を引く。空気はひんやりとしていて、紙と石の湿気が混ざった独特の匂いが鼻をくすぐった。

 内部に入り込むほどに空気は重く、言い知れぬ緊張感が背筋を撫でていく。


(いつもなら落ち着く静けさだけど、今は不気味にしか感じないわね。気持ちが昂ぶっているからでしょうけど、暗闇の中で誰かに見張られているような気配までするし……。いえ、今は時間がないわ。相手に勘づかれる前に、必ず名簿を見つけ出さなきゃ)


 地下書庫の中は思いのほか広く、壁一面に古びた棚が並んでいた。

 棚には手書きの札が貼られており、「税制関係」「騎士団予算案」「契約商店一覧」など、年代も分野もばらばらな文書が無造作に詰め込まれている。


(おかしいわね。私物化しているという話だったけれど、別の収納棚か、隠し扉のようなものがあるのかしら)


 セラフィーナは棚の間を縫うように歩き、ひとつひとつの札を目で追っていく。ラウラも黙々と書類の束を手に取り、目を通しては素早く戻していた。

 その作業を繰り返していると、ふと壁際の奥に隠れるようにして、真新しい木箱が置かれているのが目に留まった。埃はほとんどなく、比較的新しい鍵穴がついている。


「……これ、怪しいわね」


 すぐ後ろにいたラウラのつぶやきに、セラフィーナも頷く。

 だが持っている鍵はどれも鍵穴に入らなかった。鍵穴が小さすぎるのだ。もしかしたら、この鍵だけは別に管理されていたのかもしれない。もしくはジョルジュが肌身離さず、身に付けているという線もある。

 どうすべきかと視線をさまよわせていたセラフィーナの肩に、ラウラがため息混じりにぽんと手を置いた。


(ラウラ先輩……?)


 場所を譲ると、ラウラは小さく古語を唱えて鍵穴に手を添えた。その瞬間、カチリと音を立ててあっけなく錠が外れた。

 反射的にラウラを見つめると、「しぃー」と唇に人差し指を当てている。内緒にしろという意味だ。セラフィーナはこくこくと頷いた。

 ラウラが中を検めると、漆黒の布に包まれた冊子が出てきた。布をめくると、黒革の表紙が出てくる。二人で覗き込むようにして、ページを慎重に繰る。

 びっしりと几帳面な筆致で記された名前と肩書きが、目に飛び込んできた。しかも、その多くには赤字で「A-3」「B-2」などの符号が添えられている。


(間違いない。これが開戦派の構成員の名簿……!)


 思わず息を呑み、ラウラと目を合わせる。無言で頷き合った後、セラフィーナは名簿に視線を戻し、ふと首を傾げた。


「名前と肩書きはわかりますが……この符号、一体何を示しているのでしょう?」

「……たぶんだけど。開戦派内部で使われているランクじゃないかしら。数字が小さいほど中枢に近くて、アルファベットが後ろほど末端、運送係や連絡係みたいな役割が振られていたとか」

「な、なるほど。役割で分類されているのですね。……まるで物語に出てくる裏組織みたいです」

「たとえば、Aは本部構成員、Bは実行部隊、Cは末端協力者。本名は使わず、こういうコードで呼び合っていたのかもしれないわね」


 ラウラの推理に納得し、セラフィーナは名簿を手早く布に包み直し、両手で大切に抱えた。


「目的は達しました。脱出しましょう」

「ええ。それがいいわね」


 そのまま灯りを消し、足音を最小限に抑えながら出口を目指す。

 だが鉄の扉の向こうに二つの影を見つけて、足が止まった。出入り口は、薄暗がりの奥から現れた男たちによって塞がれていた。

 柄の悪い男がセラフィーナが抱えていたものを目ざとく見つけ、声を荒らげる。


「……それをもってどこに行く気だ? あぁ?」

「地下書庫の不法侵入者は殺せとのお達しだ」


 全身黒ずくめの服は騎士団のものではない。ジョルジュの私兵だろう。

 問答無用で刃を抜く様子を見て、会話の余地はないと悟る。

 彼らが構えた刃の持ち方は見慣れない型だったが、死を恐れない瞳は本物だ。ほとばしった殺意の目を向けられ、身がすくむ。


「セラフィーナは下がって!」


 ラウラがとっさに一歩大きく踏み出すと、スリット入りの制服の裾が翻る。彼女は太ももに仕込んでいた短剣を、流れるような動きで引き抜く。

 細身の銀刃が月光のように、きらりと光った。

 儀礼用の飾りではない。何度も鍛えた実践の重みを持つ武器だ。

 傭兵の一人が勢いよく斬りかかる。ラウラは半歩引いて重心を落とし、短剣の刃で、相手の剣の腹を滑らせるように受け流す。次の一撃さえ、最小限の動きで鮮やかにいなした。

 刃と刃が擦れ合い、鋭い金属音が狭い空間に反響する。


(ラウラ先輩、女性騎士みたい……。剣の扱いにもまったく迷いがないなんて。これが長年マルシカ王国を守ってきた『大魔女』の威厳なのだわ)


 魔法を使うだけが戦い方ではない。まるでそう教えるように、ラウラは舞のような軽やかな動きで相手を翻弄する。不意打ちの攻撃を何度も仕掛け、相手の動揺を誘う。到底、一日二日で習得できるようなレベルではない。熟練の技だ。

 間近に迫った刃を軽々といなすラウラの勇姿に目が釘付けになってしまっていたが、このままではいけない。セラフィーナは書類を抱えたまま、物陰へと身を滑らせた。

 だが通路は狭く、後退できる距離も限られていた。


「ちっ、時間稼ぎかよ……っ。俺様はこのピンク頭をやる。お前は奥の女を殺せ」

「わかった。しくじるなよ」

「誰に物を言っている! 手柄は俺様のものだ!」


 柄の悪い男を一瞥し、もう一人の私兵がラウラの横をすり抜けて、セラフィーナ目がけて突進してくる。数歩後退すると、背中が冷たい石壁にぶつかる。


(だめだわ、逃げられない……!)

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※表紙イラストは雨月ユキ先生に描いていただきました。その他イラストは活動報告をご覧ください。

▶【登場人物紹介のページ】はこちら
▶【作品紹介動画】はYouTubeで公開中

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