95. 作戦会議(4)
話が一段落したところで、ニコラスがうんざりした声を出した。
「話を続けてもいいか?」
「は、はい。どうぞ!」
セラフィーナが反射的に言葉を返すと、ヘレーネがくすりと笑うのが見えた。
少々恥ずかしく思っている間に、ニコラスが中断されていた説明を続ける。
「さて。僕が指揮する作戦部隊は、三班に分けて行動を命じている。一班は鏡の間への誘導とリストの穴埋め作業、二班は地下書庫の私兵を引きつけて騎士団との連携、三班は商会など外部関係者の監視だ。鏡の間に全員を収容後、騎士数名が扉を封鎖する予定だ。外部監視班にも合図が届き次第、即時突入できる体制を整えてある」
「なるほど、妥当な配置ですね。……それで、ニコラス兄上。俺は何をすればいいのでしょうか。俺の見せ場もあるのでしょう?」
乗り気で質問するレクアルの後ろには、エディとアルトが静かに控えていた。
護衛の職務を全うしている二人を一瞥し、ニコラスが頷く。
「レクアルに頼みたいのは後方支援だ。僕がジョルジュに揺さぶりをかけている間に、例の名簿を探させる。お前は騎士団を指揮し、合図を出したら一斉摘発の指揮を執ってほしい」
「了解しました。……大公家に謀反を企む不届きな輩を裁くには、大公家の人間が出てくるのが筋ですからね。騎士団の采配はお任せください」
どんと胸を叩くレクアルに、ニコラスが少しだけ表情をゆるめた。
それから両手の指を顎の下で組み、部屋中に集まった人間を順番に見つめる。まるで全員の覚悟を推し量るように。
ニコラスは長い沈黙の後、静かに話を切り出した。
「ディック皇太子とマリアンヌ第五王女の婚約で、帝国とシルキアは名実ともに手を結ぶことになった。二人の結婚までは数年の猶予があるが、友好条約の次は、技術提携だ。遠くない将来、技術や資源、人材のやり取りが始まる。魔法の技術提供も含まれるかもしれない。……この二国間の結びつきが強くなれば、中立の我が国にも何かしらの影響は避けられない」
「そうですね。魔法技術の輸出は、目に見えないからこそ脅威になります」
「各国は緊張しながら両国を見守っている。だというのに、そんなときに聖地が領地拡大を目的に戦を仕掛けてみろ。聖地を火の海にするなんて言語道断。周辺諸国が一気に攻めてくるぞ。奴らはやられる前に攻めることを選ぶはずだ。一度も戦争の経験がない公国の武力なんて、たかが知れている。聖地を守れなかった大公家は滅ぼされ、どこかの国の属国になる未来しか見えない」
外交に携わる人間なら、すぐに予想できる未来だろう。
実際の戦いとなれば、盤上の駒を動かすだけのゲームとは違う。多くの武器が製造され、物価は高くなり、多くの血が流れる。国のトップをすげ替えるだけで終わればまだいいほうだ。しかし、クラッセンコルト公国は聖地だ。
聖地を欲しがる人間は多いはずだ。積み重ねてきた歴史は早々覆らない。手を出す価値はある。そうなれば、どの国が聖地を牛耳るか、今度は玉座の椅子取りゲームが行われるだろう。争いが長引けば一番に疲弊するのは民だ。国力が疲弊し、国は簡単に荒れる。
(わたくしは、すでに公国の人間。他人事では済まされない。この国が戦渦に巻き込まれる事態だけは、何としても避けなければ。……帝国とシルキアが結ぶのは、ただの友好条約じゃない。裏では、さまざまな利権や思惑が複雑に絡み合っている。火種は今、確実に消しておかないと)
表向きは友好の証として、技術提携が始まるのだろう。
だがシルキアは軍事国家だ。かの国が狙うのは十中八九、マルシカ王国だろう。兵を増やし、力業であの国を支配しようと考えていても不思議ではない。
セラフィーナが不安を募らせる中、レクアルが顎に手を当てながら、つぶやくように言った。
「……開戦派は目先の利益しか見えていないのでしょうね」
「ああ。土地を荒らされる民さえ、政治の道具にしか思っていないんだろう。民の命を軽んじるなど、為政者として不適格だ。創世神の怒りを買ったら、どんな罰が下されるかも想像できないとは……まったく嘆かわしい。とにかく、今のうちに膿を出し切る。それが大公家に生まれた僕たちの務めだ」
「ちなみに、クラヴィッツ兄上はなんと……?」
レクアルの探るような目に、公太子も無関係では済まされない人間なのだと気づく。
大公家の謀反となれば、大公をはじめ、大公妃、第二妃、公太子のクラヴィッツとその正妃も立派な関係者だ。
固唾を呑んで見守っていると、ニコラスは平坦な声で答えた。
「僕たちに任せる、だそうだ。兄上は大公代理の仕事で忙しくされている。こっちに手を割く余裕はない。僕は兄上の信頼に応えたい。一緒にやってくれるか、レクアル」
「無論です。必ずニコラス兄上の役に立ってみせましょう」
「期待しているぞ」
兄と弟は視線を交わし、頷き合う。
(この時期に、汚職にまみれた開戦派のあぶり出しを急ぐ理由……。国際情勢が緊迫する前に、国内の不穏分子を早急に制しておく必要があったのね。だからこそ、政治的圧力が加わる前に行動されている。ニコラス様はずっと先の未来を見越していらっしゃるのだわ)
レクアルが慕う理由もわかる。国の行く末を見つめ、民も含めて守ろうとする姿勢は、まさに為政者の鑑だ。
(……このお二人がいる限り、クラッセンコルト公国はきっと大丈夫。希望の光を決して失わないその背中を、信じて支えていくだけ)
セラフィーナはそっと胸に手を当て、明るい未来を思い描いた。
◇◆◇
まもなく作戦決行のときだ。
騎士団の応接間で最後の打ち合わせを終え、あとは行動に移すだけだ。
ニコラスとエディは別行動のため、ここにはいない。彼らがジョルジュの注意を引いているうちに、セラフィーナたちは地下書庫に忍び込む算段になっている。不測の事態に備えて、アルトも見えない場所で待機してくれているらしい。
「あなたにだけ、危ない橋は渡らせないからね」
「……はい。ラウラ先輩。頼りにしています」
リスト回収の任務は一番危険が高い。
(今のわたくしは文官見習い。堂々としていれば、きっと怪しまれることはない。信じて任されたのですもの。必ずやり遂げてみせるわ。ラウラ先輩の足を引っ張らないように、気を引き締めて臨まなくては)
今回、セラフィーナとラウラは文官に扮し、地下書庫に潜入する。
実は、イネルから「潜入するなら、文官の格好のほうが怪しまれずに済みます」とニコラスの文官を通してアドバイスを受けたのだ。文官経由で、女性文官の制服を二着用意してもらい、今日は高い位置で髪を一つにくくった。
(絶対にリストを回収してみせるわ……!)
セラフィーナが気を引き締めていると、レクアルが何かを抱えて呼び止めた。
「そうだ、セラフィーナ。お前に渡すものがある」
「……鳩ですか?」
「緊急伝令用の鳩だ。限られた伝令官しか扱えないが、そいつは人懐っこいやつでな。特別な調教もしてあるから、今回の作戦でも問題なく使えるはずだ。任務が完了したら、文をこの足首にくくりつけて外に送り出せばいい」
そう言いながら差し出された小箱の中で、一羽の鳩がくるりと身をよじった。灰色の羽に淡いまだらが散っており、瞳は穏やかな光を宿していた。
「……まあ。聞いたことはありましたが、実物を見るのは初めてです。賢い鳩さんなのですね」
「こいつの名前はグレイッシュ。翼に灰色のまだらがあるのが特徴だ。俺のところに戻るように調教してある。もし迷子になっても、笛を吹けばすぐに戻ってくる。安心して使ってくれ」
セラフィーナはおそるおそる手を伸ばす。
だが鳩は怯える様子もなく、首を傾げてセラフィーナをじっと見たかと思うと、小さく「クゥルルッ」と柔らかく鳴いた。おっとりとした性格なのか、少しも身を引く素振りを見せない。
(鳩さんは「クルックー」って甲高く鳴くのだとばかり思っていたけど、この子は優しい鳴き声ね。こういうのも個性があるのかしら?)
緊張で少しこわばっていたセラフィーナの頬が、わずかにゆるむ。
「普段は、騎士団が厳重に管理している。騎士団に専用の世話係がいるからな。いざというときに使えるよう、日頃から特訓されているというわけだ」
「なるほど。責任を持ってお預かりいたします」
セラフィーナはハンカチを広げ、鳩を優しく包み込む。それから自分の胸元にそっと押し込んだ。グレイッシュは暴れることなく、そのまま身動きもせずにおとなしくしている。
(本当に賢い子。……これなら、立派に伝令役を務めてくれそうだわ)