93. 作戦会議(2)
「それは?」
「招待状だ。昨夜のうちに送っておいた。文面はイネルの素案をもとにしてある。内容は──『内部者の裏切りがあり、シルキアの武器商人が捕まった。奴が情報をすべて吐く前に、即刻対応を練らなければならない。明後日の午後三時。鏡の間にて緊急招集をかける。都合がつかない者は裏切り者と見なし、粛正対象とする。逃亡者は後日、天の裁きを受けるだろう。我々の命は一蓮托生だ。公国の未来のために立ち上がった同志よ、身の潔白のために鏡の間で再度血の誓いを行うものとする。なお、この手紙は読んだら即刻燃やすこと。この件に関しては秘匿扱いとし、同派閥の者であっても口外を禁ずる』……といった感じだ」
不安を煽り、自分の身の潔白を証明したい者をおびき寄せるには格好の餌だ。疑心暗鬼に陥らせ、内部分裂も狙っているのかもしれない。
「ははあ、なるほど。実に好戦的な文章だ。招待状が届かなかった者は、きっと焦っているでしょうね。自分が裏切り者として粛正対象になっているのでないか、と。仲間内でも封筒が来た者、来ない者が分かれるとは粋な仕掛けだ。……それも作戦のひとつなのでしょう?」
レクアルが鳶色の瞳を細める。
楽しくてしょうがないといった様子で見つめられ、ニコラスはため息混じりに今度は青い封筒を手に取った。
「ここに記されているのは、イネルが記憶していた開戦派のリストだ。資金の横流しがあった各部署との繋がりから割り出してくれた。……ただまあ、それでも空欄は多い。そこで鏡の間の隠し部屋から、誰が集まっているのかを確認し、リストの穴埋め作業を行う」
「鏡の間に来ない者は粛正対象。それを避けるには、指定された時刻に鏡の間へ赴く必要がある。我々は、リスト外の開戦派を自分の目で密かに確認するわけですね。……さすがです。この計画は、ニコラス兄上の発案ですか?」
「残念ながら僕ではない。イネルと僕の部下の功績だ。連中を一網打尽にし、まとめて捕まえる罠を張る案は僕には考えつかなかった。数人をおびき出すのが精々だったろうな」
ニコラスがふっと口元を歪め、どこか自嘲気味に笑った。
(わずか二日間で、イネルさんはここまでの準備を……。本当に優秀なんだわ。これなら、ニコラス様の腹心になる日も近いのではないかしら)
イネルはここにはいないが、今ここにいる皆と気持ちは同じはずだ。
開戦派の全員を捕まえること。公国を火の海にする前に、決着をつけること。
「ところで、シルキアの武器商人の身柄は本当に拘束されているのですか?」
セラフィーナが静かに質問すると、皆の視線が一斉に集まる。
その問いに答えたのは仏頂面のニコラスだった。
「ああ、それは事実だ。今は騎士団の地下の独房に入れてある。正式な尋問はまだ行われていないが、奴は下っ端の武器商人だな。おそらく、シルキア大国の機密情報は持っていないだろう。大罪人の仲間として歓迎してやると脅しておいたから、今頃は暗い牢で懺悔でもしているのではないか? これで命乞いをしてくれれば、その口もだいぶ軽くなるだろう」
「……容赦ないですね」
「当然だ。大公家に弓引く者に慈悲など不要だからな。武器商人など、戦争で金儲けをする連中だ。もとより相容れるわけがない。持っている情報はすべて吐き出させるつもりだ」
「武器の密輸は法で厳罰されていますものね。……ところで、肝心のリストは実在するのでしょうか? 今はある前提で動いていますが、もしなかったら、みすみす彼らの懐に入って身を危険にさらすだけになるのでは」
不安を口にしたセラフィーナに、ニコラスは腕を組んで顎をしゃくった。
「先ほどの招待状の文面を思い出してみろ」
「文面……」
「血の誓いのところだ」
「…………。ああ、そういうことですか」
「どういうことだ?」
首を傾げたのはレクアルだ。ニコラスに目配せすると、了承代わりに頷かれたのでセラフィーナはかみ砕いて説明する。
「血の誓いをする際、口頭の約束だけで終わるはずがありません。証拠として、血判を紙に残す必要があります。もちろん、署名入りで。少し前時代的な方法だとは思いますが、一蓮托生の仲間だという意識が結束を固めると聞いたことがあります。……したがって、開戦派に加わった者たちは、その誓いの文書を厳重に保管しているはずです」
「ふむ。となると、名簿リストはジョルジュが管理しているはずだな。もし誓いを破った者がいれば、粛正リストとしても使える。しかし……地下書庫、か。あんな人目のないところに、それほど大事なものを保管するだろうか? 俺なら鍵つきの文箱に入れ、手元に保管しておかなければ気が気でないが」
レクアルのもっともな指摘に反論したのはニコラスだった。
「だからこそだ。普通の人間なら、大事なものは手元に置く。その心理を逆手にとって、遠い場所に保管したのだろう。誰もそこにあるとは思わせないように。地下書庫はほとんど利用者がいないとはいえ、宮殿内の施設。ジョルジュからすれば、騎士も巡回しているのも好都合。お金を払わなくても、夜間の侵入はぐっと難しくなるからな」
「……それは……我々の警備をいいように利用されたということですか。許せませんね」
「まったくだ」
ニコラスは頭が痛いというように額を押さえる。
大公家の人間にとっては、許しがたい行為なのだろう。もちろん、宮殿内で働くセラフィーナも同じ気持ちだ。宮殿の警備を隠れ蓑に使うなど、言語道断だ。
両肘を机の上に置き、両手を組んだニコラスは重々しい口調で言った。
「裏帳簿をもとに、改竄された記録の調べは順調に進んでいる。関与していた貴族や文官の名前がいくつかわかったからな、こちらもだいぶ動きやすくなった。過去の不祥事記録とも照合した結果、関係者の余罪も明らかになった」
「ニコラス兄上、なんだか生き生きとしていますね。証拠集めも着々と成果を上げているようで何よりです」
「まあな。連中が隠れ蓑にしていた商会もマーク済みだ。連中の暗号解読はイネルのおかげで順調だ。あいつは探偵の素質もあるのかもしれない」
真面目に言うニコラスに、セラフィーナはくすりと笑った。
「お気持ちはわかりますが、それは本人には言わない方がいいと思いますよ。彼はニコラス様に早く認められたくて頑張っているのでしょうから。彼ほど文官に向いた逸材は、そうそういませんよ」
「……わかってる」
素直な感想だったのかもしれないが、ニコラスは決まり悪そうに顔をしかめた。
露骨な態度に慣れているセラフィーナは、あえて明るく言う。
「そういえば前回、ヘレーネさんに代筆を頼まれていましたよね? あれはもう使われたのですか?」
ニコラスが今度は赤い封筒を手に取る。
「……いや、まだだ。これはジョルジュの揺さぶりとして使う」
「ニコラス兄上。その封筒の中身は何なのですか?」
「収賄の証拠品から抜粋した手紙の一部だ。大事な証拠を感情に任せて破られては困るため、複製させたものだが。最後にジョルジュのサインも真似てあるので、動揺を誘うにはちょうどいい」
「さすが、用意周到な兄上ですね。本物そっくりの品を用意し、相手の動揺を誘うとは」
「僕をおだてても何も出ないぞ」
「純粋に尊敬しているだけですよ。俺はこういう細かい駆け引きは苦手ですから。真っ向勝負なら負ける気はしませんが」
兄弟間ではよくある会話なのか、ニコラスが嘆息した。一方、レクアルは口元をゆるめて余裕の表情を崩さない。
周囲の視線が自分に注がれていることに気づいたのか、ニコラスが咳払いをして表情を引き締める。そこには兄ではなく、犯罪者を取り締まる第二公子の顔があった。
「一斉摘発は同時に行わなければ意味がない。担当を決めて、各自それぞれ行動してもらう。僕は陽動だ。財務室へ行き、首謀者のジョルジュに揺さぶりをかけて足止めをする」
「ニコラス兄上自ら……ですか?」
「なんだ、レクアル。僕では力不足だとでも?」
「そうではなく、一番危ないのではないかという話です。部下に任せればよいのでは」
無理もない。セラフィーナにだって、レクアルの不安はよくわかる。
いくら責任感が強くても、敵と正面から対峙するのは危険すぎる。はっきり言って無謀である。だが反対されることなど織り込み済みだったのだろう。ニコラスはふっと笑った。
「いいか、レクアル。僕が行くからこそ、意味があるんだ。他の部下では軽くあしらわれるのが関の山だ。しかし、ただの財務官が第二公子を蔑ろにするわけにはいかない。時間稼ぎにちょうどいい。それに、この作戦の責任者は僕だ」
「……わかりました。兄上がそこまでお考えなのであれば、俺が口を挟むことではないですね。ですが、兄上が陽動を担うのなら、せめてエディを護衛につけさせてください」
「どういうつもりだ? 僕に、お前の近衛騎士を連れて歩けと?」
ニコラスの青紫の瞳に剣呑な光が帯びる。