85. アルトの仮説
お茶を飲み干したタイミングで、ラウラとアルトは下準備をすると言って、隠れ家の一角で下準備に取りかかった。
(封印術式の解析に立ち会ってもらう以上、何も知らないままではエディ様を混乱させてしまうわ。全部は伝えられないけれど、でも最低限はちゃんと説明しておきたい……)
セラフィーナは隣にいるエディに振り向いた。覚悟を決めて、声をかける。
「エディ様。これから行う術式の解析について、少しだけ説明をさせてください」
「……無理して全部を話す必要はありませんよ。言いにくいこともあるでしょう。あなたが口を噤んでほしいと望めば、レクアル殿下にも報告はいたしません」
「いえ。エディ様には知っておいてほしいと思っています。もしかしたら、わたくしのせいでエディ様が巻き込まれる可能性もありますから。護衛をしてもらっている以上、何も伝えないままというのは不誠実だと思うのです」
「セラフィーナがそう望むのでしたら、お話を伺いましょう」
エディは真剣な眼差しで頷いた。
話が長くならないよう、事情をかいつまんで伝える。
「わたくしは魔法が一切使えません。ですが、わたくしには隠された魔力があり、その力は何者かによって封印されています。その詳細を突き止めるため、ラウラ先輩たちが協力してくれることになりました。まだ現時点では憶測の域を出ませんが、ローラント様失踪時の魔力痕跡の一部が、わたくしの封印術式と関連があるかもしれないそうです。……解析の結果次第では、どうして魔法が使えないのか、根本的な理由がわかるかもしれません」
普通は、こんなことをいきなり言われても戸惑うだけだろう。
説明したいと思ったのは自己満足にすぎない。
しかし、エディは納得した顔つきで、セラフィーナの視線をまっすぐに見つめ直す。
「なるほど……。つまり、その封印術式はあなたの身に直接関わるものなのですね。そしてコントゥラ事務次官の失踪の手がかりに繋がる可能性もあると。アルトが張り切っている理由がよくわかりました」
「はい。あまり大事にしたくないので、レクアル様にもしばらくは内密にしていただきたいと思っています。わたくし自身も、よくわかっていませんし」
「承知しました。今から見聞きしたことは、しばらく私の胸の内に留めておきます。ですが、必要だと判断したときはレクアル殿下にも報告させていただきます」
「ありがとうございます。その判断はお任せしますわ」
話が一段落したところで、ラウラたちが戻ってきた。
前回と同じく、封印術式を目視できるようにラウラが魔法を展開する。セラフィーナは座ったまま待機だ。ラウラとアルトが解析のため術式の残りの部分を手分けして加筆修正していく。
エディはあらかじめラウラから簡単に説明を受けていたからか、特に驚いた様子はない。
(……ニコラス様に協力している件は、まだエディ様に話せていないのよね)
彼はセラフィーナが事件に巻き込まれないように護衛を買って出たぐらいなのだから、早めに伝えておくべきだろう。だがあの調査は公的な任務ではなく、あくまでニコラスの個人的な極秘の依頼だ。
下手にエディに話せば、即座にレクアルの耳に入ってしまう。
ニコラス本人の許可が出るまでは、軽率に話すわけにもいかない。ニコラスの性格上、レクアルに余計な不安を与えたくないと考えている可能性が高いからだ。
(頃合いを見て、エディ様にも話していいか、聞いてみましょう)
一時間ほど経った頃、それまで紙に怒濤の勢いで書いていた羽根ペンを置いて、ラウラが顔を上げた。その顔はやりきったように満足している。
「書き写しはこれで終わったわ。セラフィーナ、長時間お疲れ様」
「まだ解析にはしばらく時間がかかるけどね。ひとまず断片的だけど、今わかっていることを先に伝えておこうか。君も気になっているだろうし」
アルトの言葉に、セラフィーナは姿勢を正した。
「……お願いします」
「この封印術式は複数層にわたって設計されている。表層部は本来の魔力量を隠すための偽装、中心部に魔力暴走を防ぐための安全制御、深層部に本来の魔力封じの制御術式があると推定される。これを施したのは、相当昔の知識を持った人物だね。数百年前のシルキアでも使われていた術式の一部があったけれど、遺産といってもいいレベルの古代術式だよ」
「古代術式……」
セラフィーナが唖然としていると、アルトは手元の書類の一枚を指で弾いた。
彼が持っているのは魔法言語の解析を書き留めたものだ。古語が読めないセラフィーナには、何が書いてあるのか想像もできない。
「事務次官の転送魔法に一部使われていた件は、ただの偶然だろうと思う。おおかた、古代の魔法具でも修理して使ったんじゃないかな。まぁ修理できるのも十分すごいんだけど。どの時代にもいるんだよねー、壊れた道具を天才的発想で修復しちゃう研究者って」
魔法剣士として過ごした前世のことを言っているのだろう。
ちらりとエディの様子を盗み見るが、彼は求められていない意見を述べることはなく、静かに耳を傾けている。その表情には、不審の色も怒りも浮かんでいない。ただ、何かを理解しようとするように、深く集中して聞いているように見える。
護衛の鏡だと思う一方で、心の中ではどう思っているのだろうと小さな不安が胸に広がる。同時に、自分の得体の知れなさが浮き彫りになっていくようで、途端に怖くなった。エディとの心の距離も、今日のことで離れてしまった可能性は否めない。
(……人は、自分にない力を持つ人間を畏怖する傾向が強い。魔女狩りがそのいい例だもの。エディ様が迫害する側に回るとは到底思えないけれど、それでも今まで通りに接してくれる保証はないし……)
古代術式を操れる人間が、現代も生きているわけがない。
しかしながら、セラフィーナの体に蔓のように巻き付いているのは、現代魔法で淘汰されて消えたはずの魔法言語。魔法に精通した二人が首を傾げるほどの封印術式だ。それを紡げるのは一体誰なのか。
普通に考えて、神の御業とでも言われない限り、説明ができない。
(わたくしは本当に、普通の人間なのよね……? ループの謎は残っているけれど、特別なことができるわけではないし。魔法を使うことだってできない)
膝の上で両手をぎゅっと握る。
仮に神が本当にいて、自分が特別だというのなら、死に戻りをするたびに絶望を味わわせる必要はない。もし、こんな残酷な死に戻りを繰り返す正当な理由があるとしても、なんらかの説明があってもいいはずだ。
セラフィーナはアメジストの瞳を開き、説明を続けるアルトを見る。
「まだ仮説だけど、この封印術式は君の魔力を縛るためというより、君を守るために施された可能性が高いってのが僕の意見かな」
「守るため、ですか?」
「うーん。まだ解読できていない部分が多くて、はっきりとは言えないんだけどね。本来の魔力量が桁違いだということを踏まえると、その魔力が自由に使えるようになると、肉体へのダメージは相当なものになる。魔力量の書き換えと、魔力封印の術式は、おそらく同じタイミングでされている。君の命を救うために」
「……救う……」
思い浮かんだのは、十歳の高熱が続いた日のことだ。
あのまま熱が下がらなかったら、間違いなく死んでいたに違いない。
(アルトさんの仮説が正しいとすると、封印術式はわたくしを縛るためのものではなく、守るため……。あのとき授かったのが『絶対加護』だとすれば。熱が下がった日、魔力の書き換えと封印によって、わたくしは生き永らえたということ……?)
だが、それを簡単にやってのける人物に心当たりはない。
ユールスール帝国には魔法を使う人間はいない。聖堂はお布施をすれば、簡単な治療はしてくれるが、それだけだ。神の奇跡は起こせない。
遺産レベルの術式を扱える人物など、そもそもこの世に存在しているのだろうか。
セラフィーナが眉を寄せて考えていると、ふとラウラと目が合った。金茶の瞳にこちらを案じる色を見つけて、彼女も同じことを考えているのだろうと当たりをつける。
どんよりとした空気を断ち切るように、ラウラがすっと立ち上がる。
「とりあえず、この件は引き続き解析を進めていくわ。進展があったら、また報告するわね。だから、そんなに心配そうな顔をしないで。あなたの立場が悪くなることはないから安心なさい。何かあっても、私があなたを守るから。ね?」
「ラウラ先輩……」
「私たちは後片付けをしてから帰るから、セラフィーナは先に戻っていてくれる?」
「わ、わかりました。頼ってばかりで申し訳ありませんが、後を頼みます」
「了解、了解。エディもお疲れ様〜。彼女をしっかり送っていってね」
アルトが「はあもう、疲れたよー」と机に突っ伏しながら、同僚を横目で見やる。
「無論です。では、セラフィーナ。遅くなる前に帰りましょう」
ゆっくりと椅子を引き、エディが立ち上がる。そして自然な流れで、セラフィーナに手を差し伸べた。おずおずと彼の手に自分のそれを重ねる。
(ループ時代で平民時代が長かったからか、淑女の扱いをされると、無性に気恥ずかしいのだけど。……うう、わかってるわ。わたくしが自意識過剰だってことは。エディ様にとって今のわたくしはただの護衛対象。紳士的な振る舞いは当然であって、他意はない。そう、他意はないのよ)
自分自身に言い聞かせ、エディに手を引かれて立ち上がる。
ラウラとアルトに早く帰るように約束を取り付け、夕暮れの中を歩いて戻った。行きと同じく、エディは横並びになることはなく、数歩後ろをついてきた。






