81. 護衛の距離
二日後の朝、朝食を済ませて通用門へ向かう。おでかけするには早い時間帯だが、できるだけ人目を避けるためには致し方ない。
待ち合わせ場所に着くと、建物の影に隠れる形でエディが待っていた。今日は純白の騎士服ではなく、私服だ。街歩きを想定したものだろう。
深い森を思わせる濃緑のシャツに、黒のショートベスト。胸元にはさりげなく縦の刺繍が入っていて、質素ながらも仕立てのよさが伝わってくる。動きやすさを優先したらしい濃茶のズボンは騎士服より軽い素材で、革靴も装飾のない実用的なデザインだ。
平民にも自然と溶け込む服装は違和感なく、むしろ親しみやすさを感じる。
(……今日は髪を束ねて帽子にまとめているのね。変装の一種かしら? きっと目立たないように髪を隠しているのでしょうけど、それがかえって魅力的に見えるというか。逆に目を引いてしまうのでは、と勘ぐってしまうわね)
いつもは背中で揺れる翡翠の髪は、ほとんど前髪しか見えない。
髪型が違うだけなのに、だいぶ印象が変わったせいか、はっきり言って目のやり場に困ってしまう。見慣れない彼の私服姿に、さっきから心拍数が否応なしに高まっている。
内心のドキドキを深呼吸で誤魔化し、セラフィーナは微笑んだ。
「エディ様。おはようございます。お待たせしてしまいましたか?」
「いえ、少しだけ早く着いてしまっただけです。では、参りましょうか」
「……はい」
セラフィーナは高鳴る鼓動に気づかないふりをしながら、いそいそと通用門を抜けて、宮殿の外に出る。
朝の澄んだ空気が気持ちいい。石畳の上を通り抜ける風もいくぶん涼しく感じる。
エディはつかず離れずの距離で、数歩後ろをついてくる。護衛仕事を遂行する彼の律儀さは常と変わらない。けれど、横を並んで歩くものだと思っていたセラフィーナは、いつもより高い位置で編み込んだアッシュベージュの髪を意味もなく撫でつけた。
(ああもう、わたくしったら何をはしゃいでいたのかしら。普通、護衛は横を歩かないでしょ。よく考えればわかるはずだったのに。……気合いを入れて服を選んでいた昨夜の自分に教えてあげたい。これはデートなんかじゃない。ただの護衛なのよって)
セラフィーナは自分の服装を見下ろし、気づかれないように小さく息をつく。
透け感のある薄手のリネンブラウスは肘丈まであり、袖口と襟に小さな薔薇の刺繍が入っている。日差し対策に、ラベンダー色の夏用のショールを胸元にかけているが、見た目の印象を優先して選んだものだ。
白地のフレアスカートは裾に淡い藤色のグラデーションがあり、歩くたびに水が波打つように、ゆらゆらと揺れる。ストラップつきの淡茶色のローヒールの靴音が石畳を鳴らす。
(……この服、浮いていないわよね? 場違いじゃないわよね? やっぱり地味な色にすればよかったかしら)
急に不安になってきた。昨夜の自信が急速にしぼんでいく。
会話のない沈黙が、余計に不安を膨らませた。けれど、エディは何も言わずに一歩だけ歩調を落とし、さりげなく歩幅を合わせてくれている。
彼の気遣いに心が温かくなる。ゆるみそうになる頬に力を入れた。
ふと、前から恰幅のいい商人風の男が歩いてくるのが見えた。
そのことに気づいたときには、後ろにいたはずのエディが横に並んでいた。だが、特に会話らしい会話はない。不思議に思いつつも、商人風の男と通り過ぎる。
そのまま少し歩き続けると、エディは再びセラフィーナの数歩後ろの位置に戻っていく。
(あ、もしかして……。護衛対象に危害が加えられないように、横を歩いて牽制してくれた、とか?)
そうであれば、先ほどの行動の理由にも納得がいく。
さすがレクアルが信頼を置いている近衛騎士だ。プロ意識が高い。
仕事熱心なエディに敬意を抱きつつ、年季の入った灰色の建物の一室で立ち止まる。カーテンが閉め切られているのは前来たときと同じだ。
木製の扉の前で、セラフィーナはラウラに言われた合図を思い出す。
(えっと、ノックは六回……だったわよね?)
連続でノックを六回すると、足音が近づく気配がした。
だが扉が開く直前、エディが無言で前へ出て、自然な動作でセラフィーナの前に立つ。まるで侵入者が出てきても、すぐに対応できるように。
彼と位置が入れ替わったのは護衛対象を守るためだと、遅れて気づく。守られていると感じるたび、鼓動の音が忙しくなる。
「やあ、セラフィーナ。早かったね……って、エディ?」
「アルト、おはようございます」
「あれ。セラフィーナは?」
「ここです、ここ!」
慌ててエディの背中からひょっこり顔を出して、小声で叫ぶ。ついでに手も高く掲げて存在を主張すると、アルトが安心したように笑みを向けてくれた。
「なんだ、そんなとこにいたの。姿が見えないから驚いちゃった。さ、上がって上がって」
「お邪魔します」
エディが先を譲ってくれたので、セラフィーナがまず室内に入る。続いてエディも入り、アルトが玄関の鍵を閉めた。
丸テーブルに広げた紙を難しい顔で見ていたラウラが、今気づいたようにセラフィーナに顔を向ける。
「あぁ、セラフィーナ。おはよう」
「……ラウラ先輩。まさか徹夜で作業していたのですか?」
徹夜明けのように、ラウラの目元には隈があった。
テーブルの上には走り書きのような文字で書かれた紙が、何枚も重なっている。まだ床は無事なようだが、まるで研究者の一室のような雰囲気を強く感じる。
セラフィーナの目が鋭くなったのがわかったのだろう。ラウラがはっとした様子で、すぐに弁明する。
「え? あ、いや、少し仮眠も摂ったわよ。そうよね、アルト」
「も、もちろん。ラウラは小一時間ぐらい、ソファで休んでいたよ。ぶっ通しで解析に明け暮れていたわけじゃないから! さっき、朝ご飯も食べたし! 不健康なことなんてしてないよ」
「…………」
「ちょっとアルト、言わなくてもいいことまで言わないの。私の先輩としてのイメージが悪くなっちゃうじゃない」
「いやでも、セラフィーナは君の健康を心配して……」
距離を取ってこそこそと話す会話の内容も、しっかりと耳に届いている。
セラフィーナは深く息を吸い、一歩足を踏み出した。慈愛に満ちた笑みを浮かべて、慎重に言葉を選ぶ。
「……お二人とも、少しよろしいでしょうか? 隠れ家でしか作業ができないことは理解できます。ローラント様の行方の手がかりを一刻も早く見つけたい。そのお気持ちも痛いほどわかります。でも見てください、ラウラ先輩の疲れ切ったお顔! ほとんど寝ていないことは明らかじゃないですか」
キッとアルトを見据えると、彼の肩がわずかに上がった。
ロックオンされた小動物のような怯えた反応をされたが、構わない。セラフィーナは両手を握りしめて詰め寄った。
「アルトさんを信頼してラウラ先輩を預けたのに……。アルトさんには失望しました!」
「えぇええ!?」
「ちょっ、ちょっと待って。セラフィーナ。悪いのは私なの!」