77. 魔力の痕跡と切り札
その夜、ラウラがセラフィーナの自室を訪れた。
当然ながら、狭い自室に来客用の椅子なんてない。かといって、先輩女官を立たせたまま話をするわけにもいかない。苦肉の策で、二人で並んでベッドに腰かけることになった。
「……ヘレーネから帳簿作成の件を聞いたときは耳を疑ったわ。お昼に仕事を抜けて何をやっていたかと思っていたら、ニコラス様に協力をしていたのね」
「ご報告が遅くなって申し訳ありません。ニコラス様と出会ったのは偶然で、協力関係になったのは成りゆきなのですが」
「ああ、別にそれはいいのよ。あの時点では、まだ証拠があるかさえ、不確かだったのでしょう? だいたいの事情はさっきヘレーネから聞いたし、アルトと情報を共有したいんですって?」
「はい。敵の規模が予想以上に大きいため、信頼できる味方は多ければ多いほど助かります。なので、アルトさんとラウラ先輩にも協力をお願いしようと思っています」
「いい判断ね」
そうつぶやいたラウラの口元が、ふっとゆるむ。まるで後輩の成長に満足したような、穏やかな眼差しが注がれる。
なんだか家族に褒められているようで、少しだけ決まりが悪くなる。
服の裾をぎゅっと握っていると、ラウラがわずかに身を乗り出し、真剣な面持ちでセラフィーナに向き直った。
「実は、私からもあなたにお願いがあって来たの」
「お願い……ですか?」
「ええ。ローラント伯父様は、何者かに倉庫裏まで追い詰められ、そのまま消息を絶ったそうよ。アルトの聞き込みで目撃者も出てきたから、そこは間違いないと思うの」
「…………」
「ここからは公にしていない情報で、アルトと私しか知らないんだけど。伯父様が姿を消した倉庫裏に、微量だけど魔力痕跡が残っていたの。その痕跡が少し特殊でね。私は初めて見たのだけど、アルトがこれはシルキア大国が扱っていた古い術式だと言ったの」
思いもしない国名が出てきて、セラフィーナは言葉を失った。
声の震えを自覚しながらも、どうにかラウラに問いかけた。自分の耳を疑いたい気持ちを必死に抑えながら。
「…………誘拐犯はシルキアの関係者、ということですか?」
「それはまだわからないわ。でも、これは普通の誘拐ではないわ。魔法を使える誰かの関与があったのは確かだもの。敵に魔法使いがいるなら、こちらもそれ相応の準備をしなくてはいけない。そこで、あなたの封印術式の解析をしたいの」
「どういうことでしょう? 繋がりがよくわからないのですけれど……」
困惑を滲ませると、ラウラが噛んで含めるように説明してくれる。
「さっきシルキア大国の古い術式が使われていると言ったわよね? あなたの封印術式の一部にも似たようなものがあるのよ。だから、あなたの魔力封じの術式を解析すれば、どういう術式なのかがわかるかもしれない」
「…………」
「ねえ、セラフィーナ。あなたは自分の未来を予知していたけれど、それは避けられないことなのよね? そして、少なくとも三年以内はシルキアとマルシカの戦争は起きない。でもこれって可能性が少ないだけで、確定ではないのよね?」
「…………そう、です」
ラウラの予想は正しい。
今まで見てきた未来は、結末以外は変わる可能性があるのだ。
「現状、あなたの魔力を感知できる人はいない。魔女として裁かれる可能性はかなり低いはずよ。それなのに、あなたは魔女として告発される。だからこそ、セラフィーナは魔法を教わりたいと私に願った」
「はい。ですが、わたくしが魔法を使うことは不可能でした」
「そこなのよ」
何が問題なのかがわからず、きょとんとする。
ラウラは安心させるようにセラフィーナの両手を優しく握り、言葉を続ける。
「切り札は必要だと思うの。私がそばにいれば助けてあげられるかもしれない。でも、そうじゃなかったら? 魔女狩りが活発な今、魔女の嫌疑をかけられた時点でおしまいよ。あなたが一人で切り抜けなくてはいけない事態に備えて、自分で身を守れるようにしておいたほうがいいと思うの」
「……何か方法があるのですか?」
「それは、これから一緒に考えていきましょう。まずは、あなたの魔力制限の術式の解析よ。何かあったときのために、その封印を解除して魔力を使えるようになれば、窮地を脱出できる可能性もあるわ」
「なるほど。そういうことでしたら、ぜひお願いしたいです」
セラフィーナが答えると、ラウラは満足そうに唇の端を吊り上げた。
「理解が早くて助かるわ。明日の午後は、二人とも休みをもらってあるの。アルトの隠れ家に行くわよ」