68. ラウラ、新たな発見に頭を抱える
「ノートリア副侍医から聞いていたのと全然違うの。傷口は綺麗に塞がっていて、ほとんど赤みもない。ほぼ治りかけといってもいいわ。包帯もいらないくらい」
「…………え?」
「あなたって昔からこうだったの? その、傷が治りやすい体質というか……」
ラウラが口を濁し、セラフィーナを困った顔で見つめる。
「ええと、ですね。実は昔から病気や怪我をしても、他の人より回復が早くて。たぶん、そのせいではないでしょうか」
「回復が……? 具体的には、どの程度なのかしら?」
「普通なら大怪我する事故でも、二・三日で傷がすべて塞がります。普通の事件や事故で死ぬことはまずありませんね。無傷のときも多いですし、運がいいだけだったと思いますが」
ラウラが片手を前に突き出して、セラフィーナの説明を遮った。
もう片方の手で、自分の眉間を押さえながら、ぐっと目を閉じる。その仕草には、明らかに戸惑いと頭痛まじりの困惑が滲んでいた。
「ちょっと待ってちょうだい。今、頭の中を整理するから」
「…………」
「確認するけれど、それって生まれつき?」
「いえ、違います。小さい頃は怪我をしても、周囲の子どもと同じくらいの速度で治っていましたから。主治医も驚いていませんでしたし」
「その治癒力は生まれつきではない、と。……だったら、何かきっかけがあったばすね。大病を患ったとか、九死に一生の体験をしたとか、そういうのはある?」
「…………あっ……!」
「その顔は心当たりがあるみたいね?」
ラウラの目がわずかに細まり、口元が悪戯っぽくゆるむ。
金茶の瞳は、風のない夕暮れの湖面のように、穏やかにセラフィーナを見つめていた。だがその奥には、真実を見極めようとする静かな光が宿っていた。
「……はい。十歳の誕生日に高熱で生死をさまよったことがあります。そのときは十日ぐらい熱が下がらなくて。主治医が体力的にもう限界だから、今夜熱が引かなければ助からないと言われたそうです」
「でも、あなた今、ピンピンしているわよね? 熱が下がらないって話だったけど、流行病か何か? 元気になったってことは薬が効いたの?」
セラフィーナは視線を床に落とし、薄れていた記憶の糸をたぐり寄せる。
脳裏に浮かぶのは、ぼやけた視界に映る家族と主治医の姿。身の内から湧き上がるような熱に浮かされて、現実と夢の境さえ曖昧だったあの日々。
自分の呼吸すら熱く、水を口にしても喉は渇くばかり。声にならない言葉は誰にも届かず、額に当てられた冷たい布の感触だけが記憶に残っていた。
「…………いえ。それが、原因不明なんです。帝都にある聖堂で十歳のお披露目に連れ出されたことは覚えていますが、帰宅したときには高熱で動けなくなっていて。主治医によると、流行病でも普通の風邪でもなく、ましてや毒物による熱でもないと。対症療法しかないということで、熱冷ましをずっと続けられたそうですが、なかなか回復せず……」
「だけど、治ったのよね? なにか、きっかけがあったのではないの?」
「……夢の中で鈴の音を聞いた気がします。その夢から覚めたら、熱は自然と下がっていました。翌日は食事も普通にできるようになって、主治医からは『奇跡だ』と驚かれました。それ以来、大病を患ったことはありませんし、怪我をしてもすぐに回復するので、そういう体質なのだろうと思っていて。……ラウラ先輩、すごく険しい顔をされてどうなさいましたか?」
ラウラは天井を数秒仰いでいたが、ふっと息をついて視線をセラフィーナに戻す。
それから、耳元の髪の毛を耳にかけ直し、人差し指をゆっくり口に当てた。
「セラフィーナ、今から内緒話をするわ。これは私とあなただけの、二人だけの秘密よ。影響がわからないから他言は厳禁」
「……かしこまりました」
「高熱を出す直前、聖堂でお祈りをしたのよね? どんな祈りなの? 私は祈る習慣がないから、ちょっとわからないんだけど」
「帝国貴族の令嬢や令息は、生まれてきた感謝とこれからの守護を神々に祈り、十歳の節目に創世神に感謝を捧げる儀式があります。わたくしもその慣例に従って、父と母に連れられて真剣に祈りました」
事実をありのままに、淡々と告げる。
帝国貴族の古い慣習だ。特に疑問を持つことなく、儀式に臨んだ。けれど、何かを得たような特別な感じは一切なく、司教から祝福の言葉をもらうだけで終わった。子供心に、ただの通過儀礼のひとつなのだと理解したことは覚えている。
一方、ラウラは難しい顔をして顎に指を添えていた。
「なるほどね……。おそらく、その日に何かを授かってしまった可能性が高いわ」
「授かる? 何をでしょう?」
「これは私が大魔女と呼ばれる前世で得た、古い知識なのだけど。神々は特別な子どもに目印を授けることがあるそうよ。今は誰も知らないはるか昔の話で、信憑性に少し欠けるのだけど。昔の文献では、その目印をこう呼んでいたの──『絶対加護』と」
聞き慣れない単語に、セラフィーナは静かに瞬いた。
「加護……? そんな、まさか……わたくしは魔法も使えない、ただの小娘ですよ。普通の人とそう変わらないのは、わたくしがよく知っています」
「見た目はそうね。怪我や事故がなければ、あなたが思っている通りよ。でも、この包帯の下にある綺麗な体が証拠よ。この短期間で跡形もなく綺麗になるなんて、あり得ない。まるで怪我など、そもそもなかったかのようだもの」
「…………」
「私が古い文献で読んだ限りでは、本来はおまじない程度の効力よ。けれど、セラフィーナの場合は違う。小さい怪我を癒やす力ではなく、死ぬはずだった人を守る力にまでなっているんじゃないかしら。本人も知らない間に、徐々に傷を癒やしているのも普通ではないわ。まるで、周囲にそんな力があるって知られたくないみたい」
「……つまり、わたくしは普通の人間ではない、と?」
表情を消してつぶやくように言うと、すぐさまラウラが否定した。
「そうではないわ。あなた自身の力というより、あり得ないほどの加護を授かった──そう考えるのが妥当ね。魔法を使った痕跡もないし、本人にも自覚がない。そんな中、ここまで強力な加護が働いているなんて正直、信じられないもの。もしかしたら、それほどまでに神に特別視された存在、という可能性も否定できないし」
ラウラの仮説は筋が通っている。
常人では起きない規模の加護が働いているのが確かなら、彼女の「神に特別視された存在」という話もあながち間違いとも言い切れない。
けれど、そんな大それた存在が自分だなんて、にわかには信じがたい。だがしかし、実際に自分の体に起きていることが、何よりその言葉を裏付けているのも事実だ。
(……ん? ちょっと待って。大聖堂でのシスターの台詞──『だって、あなたはすでに祝福を受けている方ですから』って……もしかして、この加護と何か関係があるのかしら。それに、あのとき確か『神様も目をつぶってくれる』とも言っていたわね……)
これは偶然、なのだろうか。
けれど、あのシスターに質問しても曖昧にはぐらかされそうな気がする。ラウラの推理が正しければ、この情報は秘匿すべきもののはずだ。
頬に手を当てていたラウラは悩ましい、といった様子で言葉を続ける。
「確定ではないけれど、神の寵愛とでも言えばいいのかしら。私が知る限り、ここまで神に愛された子なんて、きっとあなただけでしょうね」
「……寵愛? ラウラ先輩、本当にわたくしは神に愛された子なのでしょうか?」
「加護は間違いなくあるわ。それも、とびきり強力なものが。私には目で見えないから推測の話になるけど、そうね……。聖職者なら加護をなにか感じることがあるんじゃないかしら。あなた、高熱を出してから聖堂に足を運んだことはある?」
問われて、遠く昔の記憶を呼び起こす。
このループが始まる前、婚約破棄の場面までに聖堂へ赴く機会はあっただろうか。主な行事などを順に思い返すが、特に行く用事もなかったように思う。
「い、いいえ。帝国では、あれからは一度も……。次に行くとしたら、皇太子妃になる結婚式だったはずですから」
「…………そう。まあ、聖職者でも、よほど強い聖魔法に適性がある者ぐらいしか見分けはつかないでしょうから、そこまで心配しなくても大丈夫よ。でも、あなたの安全のために忠告をしておくわ。加護持ちであることは誰にも知られてはいけないわ。その力は貴重なの。もし疑いをかけられそうになっても誤魔化しなさい。その力を畏怖し、魔女呼ばわりする人が出てくるかもしれない。だから、誰にも知られてはいけない。わかるわね?」
「承知しました。誰に、何を聞かれても、真実は伏せます」
「それがいいわ。……普通に生きたいのなら、ね」
ラウラの意味深な言葉に、セラフィーナは真顔で頷いた。
(わたくしに加護があるなんて……思いもよらなかったわ。でも、それならどうして魔女裁判で毎回死ぬのかしら……? それとも魔女裁判には加護が効かない、ということ?)
ひょっとしたら、魔女裁判だけは例外なのかもしれない。
そうだとすれば辻褄は合う。
現にループ人生の中で、どんな危機的状況でも、セラフィーナはずっと生き延びてきた。魔女裁判で火刑にかけられること以外は。
もし、この力が公に知られてしまえば、自分は戦争の道具にされるかもしれない。そんな未来だけは嫌だ。生きるのなら、まっとうに生きて普通の人間として死にたい。
けれど、すでに何度も人生をループしている自分が『普通』の人生を取り戻すことなんてできるのだろうか。いや、自分が諦めてしまえばそこでおしまいだ。
ラウラは耳にかけていた髪をするりと戻してから、セラフィーナの包帯を巻き直して、笑顔で言い切った。
「はい、ひとまず処置は完了よ。すごいわね、あなたの自然治癒力」
「ラウラ先輩、ありがとうございます。とても助かりました。……あっ」
「ん? 今度はなぁに?」
「これって怪しまれませんか? 医術に詳しい方には、さすがに不審がられますよね」
「……ああ。ノートリア副侍医なら、なんとかなるかも。ちょっと待って、呼んでくるから」
「え!? ラウラ先輩!?」