66. なかなか女の勘は侮れませんのよ?
世間話の一環だろう。
ひょっとして、事件のショックから気を紛らわそうとしてくれたのかもしれない。
セラフィーナは真剣に記憶の糸をたどる。だが思い出せそうで、思い出せない。誰かが、そこにいてくれた気がするのに──。
「ううん……誰、だったかしら……? ああでも、身近にいる大切な方だったような気がします。クラッセンコルト公国に来て、大切な方はたくさん増えましたから。誰が夢に出てきても、その日はいい日になるでしょうね」
「…………」
エディがなんとも言えない表情になり、セラフィーナは小首を傾げた。
何か気に障ることを言っただろうか。心配になっていると、レクアルが軽く咳払いをしてセラフィーナに視線を戻す。
「ともかく、思ったより元気そうな顔で安心した。意識もはっきりしているようだし、これなら事情聴取も明日にはできるだろう。……そんな心配そうな顔をするな。ちょっとした確認だけで済む」
「レクアル様……。あの、彼女たちはどうなるのでしょうか?」
殺害未遂は重罪だ。
火災はおそらく偶発的な事故だろうが、それで無罪放免にはなるまい。
「今回の件で一番問題だったことは、使われていない旧厨房に下級女官が閉じ込められていたことだ。火災に関しては不慮の事故だったとはいえ、一人の命が犠牲になるところだった。虫除けの焚き火自体は珍しくもないが、強風に煽られて屋根に飛び火したのが出火の原因だ。結果、屋根裏の古い梁や木材が燃え始め、お前は煙を吸い込んで倒れたと聞いている」
「…………」
「今後、火種の取り扱いには細心の注意を払うよう、各部署に通達済みだ。……お前の監禁に関わった女官数名はひとまず実家で謹慎処分を命じている。ただし、女官長は監督過失責任罪として二ヶ月間の減俸とした」
淡々と説明するレクアルは、為政者の目をしていた。
これはもうすでに決まったこと。被害者の自分がいくら異議を唱えても、何も変わらない。そう頭でわかっていても、セラフィーナは抗議した。
「……そんな。女官長に非はございません! 下級女官が先輩女官に多少の嫌がらせをされることはよくある話ですし、あの場に女官長はいらっしゃいませんでした」
「人が多い職場では大なり小なりトラブルはつきものだ。しかし、今回は一歩間違えれば最悪の事態になっていた。女官長が見ていた、見ていないは関係ないのだ。そもそも、何のために役職を与えていると思っている? こういったトラブルが起きないよう常に目を配り、もし起きたなら責任を取る──それが管理者の職責だ」
その言葉に、はっと息を呑んだ。
女官長に悪意がなかったとしても、何も知らなかったからといって、責任が免除されるわけではない。先ほどの抗議は、自分の感情に寄りすぎていたかもしれない。
レクアルの判断は厳しくも理にかなっている。だからこそ、胸がきゅっと痛んだ。
「まあ、お前の教育係からも今までの事情を聞いた。これまでと同様、セラフィーナは大事にはしたくないだろうとな。問題の女官は宮殿からの追放も考えたが、そうするとお前の性格上、自分が悪くなくても気に病むと言われて謹慎処分に落ち着いた。数日目覚めないお前のことも心配していた。……よい教育係に当たったな」
冷淡に沙汰を言い渡す第三公子の仮面は剥がれ、しみじみとつぶやくレクアルに、セラフィーナは大きく頷いた。
「はい! ラウラ先輩は自慢の先輩ですから。レクアル様、このたびは寛大なご配慮、誠にありがとうございます」
本当ならもっと重い罪にすることもできたはずだ。
謹慎処分で済んだのは、ラウラの口利きのおかげだろう。本当に自分は恵まれている。
そのありがたさを噛みしめていると、ふとレクアルが切れ長の鳶色の瞳を細めた。
「……なあ。まだ俺の第二妃になる気はないか? お前が望むなら正妃だって──」
「レクアル様が正妃ではなく、第二妃とお考えくださるのは帝国の醜聞から守ってくださるためでしょう? 正妃になれば積極的に社交の場に立たなければならない。ですが第二妃ならば、宮殿で悠悠自適に過ごすこともできる……と」
「わかっているなら話が早い。領地追放された令嬢にとって最高の環境だと思うが?」
「そうですね。とても魅力的な話だとは思います。ですが、わたくしが頷くことは一生ないかと。だって、レクアル様と夫婦になる想像がまったくつきませんもの。なかなか女の勘は侮れませんのよ?」
わざと悪役令嬢のように不敵に微笑むと、レクアルがパチパチと瞬いた。
「ふっ……。やはり、お前を落とすのは容易ではないな」
「わたくしは下級女官の仕事に満足していますから。ご心配をおかけしたことは申し訳なく思います。ただ、わたくしのことを考えてくださるのなら、これからも見守っていてくださると嬉しいです」
「仕方ないな、見守ってやろう。それがお前の望みなら。……では閣議があるので、これで失礼する。しっかり休めよ」
「レクアル様。わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」
「……どうかご自愛くださいね」
「はい。エディ様もありがとうございました」
ベッドの上から彼らを見送り、セラフィーナは窓辺に目を向けた。窓の外にはペンキで塗ったような青空と大きな入道雲が見える。夏らしい空だ。
(エディ様は一体、どのような夢をご覧になったのかしら。……わたくしは内容を覚えていないけれど、もし同じ夢だったとしたら、どれほど幸せだったでしょう。でもさすがに、現実はそう都合よくはいかないわよね)
夢は見る人によって、それぞれ異なるもの。
だが、もし夢の中で彼に出会えていたのなら、それだけで心が満たされたはず。だってそれは、かけがえのない奇跡だったのだから。
現実では言えないことも、夢なら本音のまま伝えられる。夢だからこそ、ありのままの言葉をぶつけてもいい。
だって、夢で出会った人は、夢の中の住人。現実の彼とは違うのだから。