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57. 何かあってからでは遅いんですよ

「仕様書と突き合わせる最終チェックは本来、教育係の私が担当するはずだったのだけど……。頭痛がひどくなってきて、とても外に出られそうにないの。セラフィーナなら仕事は正確だから安心して任せられるし、納品書の写しがあれば、あとは確認するだけで済むから。急で申し訳ないのだけど、私の代理として行ってもらえるかしら?」


 セラフィーナは、ラウラから納品書の写しと、確認用に抜粋された過去の納品記録を受け取った。

 今回の仕事はこうだ。大公家御用達の《月桂香房げっけいこうぼう》に収められた品が、仕様書通りかを確認するだけの最終チェックである。下級女官には用途は明かされていないものの、厳重な管理が求められる品であり、文官と女官の二重チェックが義務づけられている。文官の確認はすでに済んでおり、セラフィーナが女官として確認を終えれば、業務は完了となる。


「お任せください。納品の確認は今日中に済ませるようにという通達がありましたよね? わたくしがしっかり確認して参りますので、ラウラ先輩は少し横になってお休みください。今にも倒れそうな顔色で心配です」

「……そうさせてもらうわ。本当に悪いわね……」

「お気になさらないでください。ラウラ先輩の仕事の進め方は把握していますから。安心してゆっくり休まれてくださいね」


 血の気を失ったようなラウラを休ませ、セラフィーナは宮殿を後にした。

 代理を派遣する旨の手紙と納品書の写しを手に《月桂香房》を訪れ、容器の形状や容量、傷の有無、香りの強さまで、仕様書と一つずつ照らし合わせて確認していく。不備があれば差し戻しになるため、確認作業は慎重に進めた。気になる点については担当者にも確認を取り、記録を控えて無事に作業を終える。

 社交用の笑みをはりつけて店を出たとき、胸の奥にじんわりと達成感が広がった。任された仕事をきちんとやり遂げた──その手応えが、確かな自信へと繫がった気がする。


(ラウラ先輩の代理、無事に果たせてよかった……)


 ほっと息をついたそのとき、視界の端で白のマントがふわりと揺れた。

 目を凝らすと、通りの向こうに純白の騎士服が見えた。

 騎士団は通常、青地の制服を着用している。白を纏うことが許されているのは、階級の高い者か、近衛隊だけだ。しかも、近衛隊が公都内の警邏に駆り出されることなど滅多にない。となれば、あの姿が誰かはおのずと限られる。


(あれはエディ様、よね?)


 今日も翡翠の髪は後ろで束ねられ、長い後れ毛が胸元にかかっている。騎士服は首元まできっちりと留められ、汗一つ見せぬまま、涼しげな表情を保っていた。一体、どれほど鍛えたらこの暑さの中でも平然としていられるのか。思わず、そんな疑問が浮かんだ。

 銀細工の工房の前で、職人らしき男と話していたエディが、一礼して店を後にする。去り際、こちらの視線に気づいたのか、ぱっと振り返った。

 次の瞬間、彼の目がセラフィーナの姿を捉え、視線がぴたりと重なった。


「こんにちは、セラフィーナ。今日も暑いですね」

「ええ、本当に。暑さが肌を刺すようですね。それにしてもエディ様、お一人ですか? レクアル様はご一緒ではないのですか?」


 庇の下に場所を移して会話を続けると、エディは小さく苦笑して肩をすくませた。


「実は殿下が夏風邪を召してしまいまして。睡眠不足なのに政務を夜遅くまでやっていたせいでしょう。久しぶりに高熱が出て、数日は安静が必要ですね」

「まぁ……それは心配ですね。まだ熱は下がっていませんの?」

「主治医が処方した解熱剤が効いてだいぶ熱は下がったのですが、今までの疲労が溜まっていたようで回復にはしばらく時間がかかりそうです。私としてはこれを機に自分の体をしっかり労ってほしいと思っています」

「レクアル様は体調不良を隠すのが上手そうですし、無理をして体を壊してしまってはいけませんものね。でも熱があらかた下がったのなら、もう治ったからとでも言って部屋から抜け出しそうな気もしますが……」


 そこまで口にして、しまったと思った。いくら親しくさせてもらっているとはいえ、第三公子に向けるには、いささか不敬が過ぎる。

 もう遅いと知りつつ、反射的に両手で口を覆うと、エディがくすりと笑う。それは咎めるでもからかうでもない、ただ穏やかで優しい笑みだった。

 エディは悪巧みを共有するように、悪戯っぽく目を細めた。


「セラフィーナもだいぶレクアル殿下の行動パターンがわかってきたようですね。お察しの通りです。今は監視役としてアルトが部屋に待機していますよ。私はレクアル殿下の名代として、急遽代役を頼まれまして。まあ、その仕事はもう終わったところですが」

「銀細工の工房に、発注のご指示でしょうか?」

「いえ。先日、急ぎで式典用のブローチを宮殿まで納品してもらったのですよ。今日伺ったのはそのお礼ですね。短い納期だったのにもかかわらず、素晴らしい仕事をしていただきました。銀翼の片翼を模したブローチなのですが、羽根の一枚一枚に透かし彫りが施されていて……光が当たると影まで繊細に浮かび上がるんですよ。中央のルビーが目を引きますが、周囲のホワイトトパーズがあることで一層その美しさが引き立って」

「その説明を聞いただけで、うっとりしてしまいます。華やかな存在感のレクアル様にぴったりですね」


 思ったままに伝えると、エディが少し恥ずかしげに視線をそらした。


「それで、銀細工職人たちに個人的なお礼を届けにきたというわけです。報酬はすでに割増料金で支払っていますが、レクアル殿下のご好意で、干し無花果の蜜漬けと上質なワインを」

「さすがですね。相手は貴族ではありませんもの。職人さんたちはさぞお喜びになったのではありませんか?」

「……はい。この上なく上機嫌で受け取っていただけました。高価な砂糖を使った貴族向けの氷菓も一応候補にはあったのですが、殿下のほうがよく相手のことをわかっていたようですね」

「あの方は本当によく人を見ていらっしゃいますよね。エディ様もお疲れ様でした」


 エディを労っていると、右側から聞き覚えのある声が聞こえて全身に緊張が走った。悪い予感が当たらなければいいと思いながら目を凝らす。

 だが歩いてくる男の集団の中で、ひときわ目立つ緑のターバンを見つけてしまい、セラフィーナは思わずエディの後ろに隠れた。不審な行動に、エディが心配そうに声量を落として「どうかされましたか?」とそっと尋ねた。


「す、すみません。ちょっとした事情がございまして……顔を見られると困るのです。少しの間、身を隠させてくださいませ」


 小声で懇願すると、エディに腕を引かれて路地裏に連れ込まれる。目を白黒させている間に、バサリと音がして目の前が暗くなった。

 驚いて目を瞬く。突然広がった影の正体は彼のマントだった。

 エディがセラフィーナの目線より上の壁に手をつき、空色のマントがすっぽりセラフィーナの体を覆い隠している。


「……男の特徴は?」


 思っていたより至近距離から囁かれて心臓が暴れ出す。

 心音が激しくなっているのを知られるわけにはいかない。いつも通りの声色を意識し、両手を重ねてぎゅっと握りしめながら答える。


「緑のターバンを巻いた赤髪の男です。ひょろりと背が高くて、細目の……」

「ああ、雑貨屋のヒューゴですね。女好きで有名で、よく問題を起こしているので知っています。……ちょっと待ってください。セラフィーナがここまで警戒するということは、あの男に何かされましたか?」

「ええと、その……。彼の相談を聞いて以降、執拗にデートに誘われたり、受け取れないと言った贈り物を押しつけられたり、気がつくと後をつけられたり……ぐらいです」

「完全なつきまといじゃないですか。どうして今まで黙っていたのですか? とっさに身を隠すほど恐怖を覚えていらっしゃるというのに」

「…………迷惑には思っていますが、まだ騎士団が動くほどの実害も起きていませんので。お仕事で忙しいエディ様に余計な手間をかけさせるわけにはいきませんし、レクアル様に言ったら心配させてしまいますから」


 思いつく限りの理由を述べている間にも、エディの眉間に刻み込まれる皺が深くなっていく。彼は表情を消し、押し黙ったままだ。叱られる気配を察して唇を引き結ぶ。

 やがて、ひどく長いため息が聞こえてきた。

 上目遣いでそっと様子を窺う。金色の瞳はひたとセラフィーナの視線を捉え、その表情には呆れと焦りが混ざっていた。


「レクアル殿下に心配をかけたくない気持ちはわかります。ですが、あなたは人に頼ることを覚えたほうがいいです。何かあってからでは遅いんですよ。逃げられない状況に追い込まれたら、どうするつもりだったんです? もっと自分の体を大事にしてください。傷は目に見えるものだけとは限りません。あなたが傷つけば殿下が悲しまれます」

「…………」

「いいですか、次からは絶対に相談してください。約束ですよ」

「……はい」


 怖いくらい真剣な顔で言われ、頷き返すだけで精一杯だった。

 エディは考え込むように顎に指先を添えたきり、動かなくなった。何度も人生をループしてきた経験上、こういうときは何も口を挟まないのに限る。石像になったつもりで口を噤んでいると、しばらくしてエディが思考の海から戻ってきた。


「このまま放置していても問題は解決しません。セラフィーナの身は私が守ります。ついてきてください」

「……はい」


 決意を固めた金色の瞳に見下ろされる。もはや断るという選択肢はなかった。

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※表紙イラストは雨月ユキ先生に描いていただきました。その他イラストは活動報告をご覧ください。

▶【登場人物紹介のページ】はこちら
▶【作品紹介動画】はYouTubeで公開中

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