55. たどり着いたのは静けさの聖域
休日の昼下がり、セラフィーナは公都をあてもなく歩いていた。
軽く昼食を済ませたあとも、午後の日差しは容赦なく石畳を照らし続け、足元から立ち上る熱気がスカートの裾にまとわりつく。
細かい水しぶきを上げる噴水広場を通り過ぎ、路地裏までくまなく探した。だが日陰で気持ちよさそうに昼寝をしている猫がいるばかりで、肝心の占いのテントは見つからない。
建物の隙間をすり抜けた風が、わずかに暑さを和らげた。
(現時点で、占い師が魔女であるとは断定できないわ。でも驚異の的中率っていうのが気になるのよね。ひょっとして、シルキア大国から逃げてきた魔女だったりしないかしら? ああでも、営業許可証を持っているという話だったわね。正規の手続きを済ませている時点で、魔女とは関係ない気がしてきたわ……)
いくら考えても、どれも推論の域を出ない。
シルキア大国の魔女狩りのせいで、魔女は自分の正体を明かすことはない。正体がバレたら即、捕まるのだから当然だ。ラウラだって、セラフィーナの魔力量が異常でなかったら魔女であることは教えてくれなかっただろう。
セラフィーナは、またひとつ角を曲がる。気づけば、先ほど通ったはずの大通りに戻ってきていた。街の喧騒に混じって、甘く濃い香りが風に乗り、通りを吹き抜けていく。
(……花の香りは癒やされるわね。それに、どの香りも喧嘩していない)
花の都カスピヴァーラは、夏の盛りでも明るい花であふれている。
右の石造りの建物の窓辺には、紫とピンクの千日紅や、小さな白い花が集まったカスミソウが並び、軽やかな風に揺れていた。花屋の店先では、涼やかな水色のデルフィニウム、黄色やオレンジのマリーゴールドが顔を並べ、暑さに強い花々が所狭しと陳列されている。
(ここしばらく探しているけれど、これ以上の捜索はシルキアの憲兵に目をつけられる可能性もあるし。続けるかどうかは、慎重に判断しないと)
毎回なぜ魔女だと通報されるのかわからない以上、派手な行動は慎まなければならない。もし今、魔女だと疑われてしまったら、セラフィーナの身柄はシルキア大国に護送される。そうなれば、クラッセンコルト公国には二度と戻ってこられない。
レクアルたちとも、二度と会うことは叶わない。
彼らの母国はクラッセンコルト公国だ。シルキアの罪人になったセラフィーナと関わることは内政干渉になってしまう。言わずもがな、賢い彼らがそんな危険を冒すわけがない。
どんなに仲良くなったつもりでも、所詮は赤の他人だ。
セラフィーナが第二妃候補という立場であることを知っている者はごくわずか。正式な婚約者でもないのに、レクアルが動くことはまずない。彼の性格なら安易に見捨てる真似はしないだろうが、他国に介入するような行為は周囲の者たちが命がけで止めるだろう。
ラウラやアルトだって、魔女の疑いがかけられた自分をわざわざ助けることはしないはずだ。気の毒ぐらいには思ってもらえるだろうが、戦争の引き金になるような失策を犯すとは思えない。彼らは戦争の恐ろしさを知っている。
仕事上で困っていたら、きっと二人とも助けてくれる。でも魔女と認定されたセラフィーナを救うのは彼らであっても無理だ。特に魔女であることを隠しているラウラの場合、セラフィーナのそばにいれば最悪、仲間として連行されかねない。
それにラウラを魔女狩りに遭わせるような愚策、アルトがみすみす見逃すはずがない。
(二人に迷惑はかけられないわ。何かあれば、自分の力で切り抜けなければ!)
殺されるのは何度経験しても慣れるものではない。
特に火あぶりで処刑されるなんて最期はもう二度と経験したくない。魔女として殺されるのではなく、今度こそ天寿を全うしたい。
そのために今できることは。セラフィーナは顎の下に指先を当てて考え込む。
(占い師が怪しいことには変わらないけれど、もしかしたら魔女ではない、のかも……?)
接触が無理なら他の手を考えるよりほかない。
時間は有限だ。深い海の底に沈んだ宝が掘り当てるのが難しいように、闇雲に時間を消費させるのは建設的ではない。ここが潮時なのかもしれない。
「お祈りの方ですか?」
若い女の声に、はっとして顔を上げた。
考え事に夢中だったせいで、周囲の景色がまったく目に入っていなかった。
視線を巡らせた先で、空へ突き抜けるような尖塔が目に飛び込んでくる。そのとき、ようやく自分が大聖堂の前に立っていたことに気づいた。
「……あ、ええと」
どう答えようかと視線を巡らす。その戸惑いを察したのか、若いシスターは眉尻を下げた。
濃紺のケープを二重に羽織った姿は、質素ながらもどこか品がある。上側のケープには深いフードがついており、肩にかかるベールも同じ布地で仕立てられている。薄手の生地はほのかに透け、軽やかに揺れている。
揺れるケープの袖口や裾には、金糸で繊細な刺繍が施されていた。特に胸元には、双子の天使と光の輪──双子の創世神を象った意匠が縫い込まれている。天使たちは向かい合い、片翼を広げた姿で手を取り合っている。
聖地の大聖堂に仕える聖職者にふさわしい刺繍だと、セラフィーナは感心した。
「申し訳ありません。今は儀式中なので、一般の方は立ち入りが禁止されているんです。また次の機会にぜひお越しください。大聖堂の中はとても美しいですから。あ、庭園は開放されていますので自由に散策できますよ」
シスターは柔らかな笑みを浮かべた。
ベールの下からこぼれ落ちたマロンブラウンの髪が、陽光を受けてほのかに輝く。胸元まで届く髪はゆるやかな癖があり、つり目がちな灰色の瞳は澄んだ光をたたえている。真面目そうな印象だ。口元はきゅっと引き結ばれているが、声は柔らかく、言葉に棘はない。静かな優しさが滲んでいた。
セラフィーナは思わず大聖堂の扉へ視線を向けた。
荘厳な扉は閉ざされ、その奥の空気は感じ取ることすらできない。中が見られないのは残念だが、こればかりは仕方ない。
「庭園があるのですか?」
「はい。少し脇道に入りますが、奥の門から入っていただけます。少しわかりづらいのですけれど……今の季節はどの花も綺麗に咲いていますよ」
その言葉に背中を押されるように、セラフィーナは扉とは逆のほうへと視線を向けた。
「……では、少しだけお庭を見せてもらってもいいでしょうか?」
「ご案内します」
シスターに先導されて、大聖堂の正面を離れ、側面の脇道へと足を向けた。
幅の狭い石畳の道を歩く。両脇を背の高い木々に囲まれ、まるで緑のトンネルのように続いている。その先には装飾の施された小さな鉄扉があり、シスターが静かにそれを開く。
ひんやりとした木陰を抜けた先で、視界がぱっと開ける。
そこに広がっていたのは、花の色彩と光が織りなす、楽園のような庭園だった。
一瞬、息をするのも忘れてしまうほど、美しかった。
ここから少しずつ風向きが変わっていきます。大聖堂での出来事が、セラフィーナにとっても、読んでくださる皆様にとっても癒やしになりますように。
「ループ魔女」はハッピーエンドの物語です。物語を追ってくださる皆様に、最後には必ず優しい結末をお届けします。物語の節目を越えるたびに、それぞれの絆が深まっていきます。これからも、どうかセラフィーナを温かく見守っていただけたら嬉しいです。