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54. 優しさの代償

 会議室の茶器を片付け、洗い場へと向かう途中のこと。銀盆を手に回廊を歩いていたセラフィーナは、ふと木陰に佇む人影に目を留めた。


(ローラント様……?)


 声をかけようと一歩踏み出しかけた、そのときだった。

 風に乗って、小さな話し声が耳に届く。まるで誰にも聞かれたくない秘密を相談するような、低く沈んだ声だった。

 とっさに足を止め、気づかれないように静かに距離を取る。

 そっと目を凝らすと、木の陰にもう一人の姿が見えた。先ほどは枝葉にちょうど隠れていたが、今ははっきりと見える。さらりと伸びた藤色の髪。レクアルより五センチほど高い背丈。


(……間違いない、ニコラス様だわ。でも、なぜ二人がこんな場所でお話を?)


 人気のない中庭の片隅の、しかも死角になるような位置で。

 まるで人目を避けるように言葉を交わすその姿は、どこか緊張感を孕んでいた。セラフィーナにも、その張り詰めた空気が伝わってくる。


(もしかして……大事な相談かしら?)


 プライベートか、それとも業務に関する打ち合わせか。内容まではわからないが、少なくとも下級女官が立ち聞きしてよい類いの話ではない。それだけははっきりしていた。

 見なかったふりをするのが大人のマナーである。

 セラフィーナは顔を背け、息を潜めて数歩後ずさる。音を立てないよう、そっとその場を離れた。

 風にかき消されたはずの囁きが、なぜか心の奥にわだかまりのように残っていた。


   ◇◆◇


(うーん。今日も収穫はなし、か。そういえば、今月も先月の市にも出店していなかったわよね。もしかして今、占い師は公都にいない……?)


 もともと神出鬼没だったことを踏まえると、お店が出ていないことは不思議ではないのかもしれない。そうでなければ会えない呪いでもかかっているのだろうか。

 悩むセラフィーナに陽気な声が近づいてきた。


「やっほー」


 急に大きな男の手が肩にのしかかり、セラフィーナは身を硬くした。おずおずと振り返ると、まず目に飛び込んできたのは、耳元で揺れるターコイズブルーの羽根飾りだった。

 つんと尖った赤髪に緑のターバン。ゆるんだ口元に、どこまでも間の抜けた顔──忘れたくても忘れられないその顔に目を見開く。


「……ヒューゴさん。どうかされましたか?」

「うん。これ、渡そうと思って。はい、どうぞ!」


 ヒューゴが背中から差し出したのは、一輪の向日葵だった。贈り物のようにきれいに包装され、持ち手には赤いリボンが結ばれている。


「え……? これを、わたくしに?」

「夏と言えば向日葵だし、見ているだけで元気が出るでしょ。セラフィーナちゃんにぴったりだなと思って。だからプレゼント!」

「…………あの、こちらは受け取れません。お気持ちだけで充分です」


 微笑んでやんわりと断ったが、ヒューゴはただの遠慮だと思ったのか、ひときわ明るく言った。


「遠慮なんてしないでよ。オレと君の仲じゃないか。これがオレの気持ちだから」


 どんな仲だ。困惑している間に半ば押しつけるようにして渡されたそれは、花の顔が手のひらよりも一回り大きく、茎もずっしりと太くて重い。片手では安定せず、思わず両手で抱え込む形になった。花の茎を握る指先に、知らず知らずのうちに力がこもる。

 セラフィーナが花を受け取ったのを見て、ヒューゴは満足げに「じゃあね!」と手を振り、そのまま駆けて行ってしまった。


「ま……待って……!」


 慌てて呼びかけるが、彼の姿は遠くの雑踏に紛れてしまっていた。

 残されたのは指先に残る、ざらついた茎の感触だけ。本来なら太陽のように見えるはずの花は、今や無言の圧力そのものだった。密集した大きな花びらが、声もなくセラフィーナを見つめている。

 向日葵の花言葉──『あなただけを見つめる』。その言葉が脳裏をかすめた瞬間、喉の奥がひゅっと鳴った。ただの花。誰でも知っている夏を象徴する花。もしかしたら、彼は花言葉など知らずに選んだのかもしれない。

 けれど、なぜかこの花を見ていると、嫌な予感ばかりが頭に浮かぶ。どこかで誰かに見られているような気配が背筋を這い、セラフィーナの足をその場に縫い付けていた。


(か、考えすぎよ。悪い方向にばかり考えたら、この花がかわいそうじゃない)


 花に罪はない──そう思い込もうとしながらも、心はじわじわと押しつぶされていくようだった。

 セラフィーナは懸命に足を動かす。だが、歩みはいつもより鈍い。手の中に居座る向日葵の花びらが、ゆらゆらと揺れた。その重みがそのまま、心の重みとなってのしかかる。

 心を無にして女子寮の扉をくぐったそのとき、ちょうど階段を下りてきたラウラが驚いた様子で駆け寄ってきた。


「セラフィーナ、一体どうしたの。顔が真っ青よ」


 どう答えるべきか悩みながら、手の中の向日葵を見下ろした。

 まるで太陽を見失ったかのように、花びらはわずかにうなだれている。明るさを失った花は、セラフィーナの手の中で沈黙していた。


「ラウラ先輩。何も聞かずに、こちらをもらっていただけませんか……?」

「それはいいけど、あなたは早く休んだほうがいいわ。あとで軽く食べられるものを持っていくから、部屋で休んでいなさい」

「……ありがとうございます」


 ラウラに向日葵を預け、セラフィーナは階段をのろのろと上っていく。自室に戻り、ベッドにぼすんと埋もれた。今はもう何も考えたくなかった。

今回はとても苦しい展開で終わってしまいましたが、物語は必ず救いに向かいますので、安心して見守っていただけますと幸いです。

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※表紙イラストは雨月ユキ先生に描いていただきました。その他イラストは活動報告をご覧ください。

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▶【作品紹介動画】はYouTubeで公開中

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