51. ぜひお聞かせください
愕然としたように佇むエディの姿が、なぜか泣くのを我慢している子どもの姿に重なり、セラフィーナは動揺した。そんなはずはない、と脳内で否定する。
それでも、こちらを見つめる金色の瞳はひどく寂しげだった。
何も言えずにいると、エディがゆっくりと口を開いた。
「もしかして、アルトのような男がお好みなんですか?」
「ち、違います! アルトは気心が知れているというか、第一、アルトには好きな人がいますし!」
必死に否定していたら、エディが逡巡したのち、納得したように同意した。
「……ああ、確かラウラという女官でしたか」
「そ、そうです。二人の間に割って入るつもりはまったくないです。それにわたくし、好みの男性は……」
「はい」
「っ……いえ、すみません。話が脱線しましたね。どうぞお気になさらず」
うっかり失言するところだった。危ない、危ない。
貴族令嬢だった頃の癖で、口に手を当てて「おほほ」と誤魔化してみるが、エディの視線は強まるばかりだった。本能的に追い詰められていると感じ、背筋が寒くなる。
その勘は当たっていたようで、エディがふわりと笑った。すべての罪を許す天使のように。何の穢れを知らないような瞳で、たじろぐセラフィーナをひたと見据える。
「好みのタイプの話でしょう? ぜひお聞かせください」
「へあっ? な、なぜ……お知りになりたいと?」
「それはもちろん────殿下が妃と望む女性ですからね、あなたは」
「…………」
「教えたく、ありません」
「え?」
意味がわからないといった顔で聞き返され、セラフィーナはキッと睨みつけた。
これではどちらが子どもっぽいのか、わからない。それでも、これだけは譲れなかった。この人だけには、絶対に知られるわけにはいかない。
知らず、声が硬くなる。スカートの裾をつかんだ手にも、いつの間にか力がこもっていた。
「エディ様には、教えたくないと申しました」
「それは……私に聞かれると不都合があるということでしょうか?」
「そ、そんな顔をしてもだめです」
「? どんな顔ですか?」
「……っ……『待て』をされたまま放置された子犬みたいな顔です!」
「では、こういう顔に弱いのでしょうか?」
「しし知りません……っ!」
ずいっと顔を近づけられ、セラフィーナは慄いて思わず後ずさった。
緊張感が高まる中、どこか暢気な声が話に割って入る。
「ねえ、あのさー……。君たち、僕の存在を途中から完全に忘れていたようだけど。外野の一人として、一言だけ言わせてもらってもいいかな?」
「なんですか、アルト」
「うわ、エディがいつにも増して冷たい! でも言っちゃうもんねー。君たち、一体どういうご関係!? これって修羅場の気配!? 絶対そうだよね!?」
「「違います」」
セラフィーナとエディの声が見事に揃った。
一方、二人から凄まれたアルトは「えぇー?」と不満げに唇を尖らせる。
何だろう、この落差。腑に落ちない苛立ちを笑顔の下に隠しながら、セラフィーナはアルトに向き直った。
「アルト様」
呼び方が最初の頃に戻ったのに気づいたのか、アルトがぴしりと背筋を伸ばす。
「……お、おう。どうした?」
「わたくしがアルト様を呼び捨てで呼ぶと、あらぬ誤解を受けるようです。せめて『アルトさん』という呼び方でお許しいただけないでしょうか」
言葉では丁寧に懇願しているが、セラフィーナの目はまるで笑っていなかった。エディは話の行方を見届けるように沈黙を守っている。
アルトは頭をガシガシと掻いて「あーはいはい、そういうことね」と、どこか投げやりに言った。
「どうぞどうぞ。様付けじゃなければ、もうなんだっていいや。さん付けでいいよ」
「……ありがとうございます」
「いや、こちらこそ配慮が足りなかった。まさか、こんな弊害があるとはね。君には迷惑をかけてしまったようで、申し訳ない」
「い、いえ……! わたくしも考えが足りませんでした。いくらご本人から望まれたとはいえ、女官が憧れる近衛騎士様を呼び捨てにするなど、分不相応でした」
「まあ、ラウラは呼び捨てだけどね」
「ラウラ先輩はそれが当たり前なのでよいのです」
間髪を容れずにそう答えると、アルトは反論するでもなく、大げさに両腕を広げてみせた。セラフィーナの警戒を解くように、穏やかに笑いかける。
「いやあ、セラフィーナは本当にいい子だよね。ちゃんと僕とラウラの関係も理解してくれてるし。……あ、さん付けになっても、気軽に話しかけてくれると嬉しいな」
「善処します」
「……善処かあ。まあ、今は仕方ないか」
アルトが妥協を見せたところで、「さて」と口にして話の矛先を変えた。その視線は鋭く、まっすぐエディに向けられている。
「これでわかったと思うけど、セラフィーナが僕のことを呼び捨てにしていたのは、僕がそうお願いしたから。僕たちはエディが勘ぐるような仲じゃない。君の発言のせいで、すぐに様付けに戻ったのがいい証拠だよ。……状況が理解できたなら、エディはセラフィーナに謝るべきだ。騎士ともあろう者が、こんなに女の子を怖がらせて」
「…………本当に、二人の間には何もないのですか?」
「くどいって。セラフィーナの凍てつくような笑顔、見たでしょ? 好きな相手にあんな態度を取る? 普通はしないよね。ってなわけで、全部エディの誤解だよ。ほら、謝った謝った。禍根は残すべきじゃないよ」
エディが困ったように眉尻を下げ、セラフィーナに視線を向けた。
その目は、数分前の問い詰めるような鋭さをすっかり失い、どことなく気落ちした様子だ。
「……セラフィーナ。私の早合点で、あなたを責めるような物言いをし、ご不快な思いをさせてしまいました。先ほどの態度や言葉、すべて配慮に欠けていたと反省しております。大変申し訳ありませんでした」
「謝罪を受け入れます。わたくしのほうこそ、冷静とは言えない態度でしたもの。お互い様ということで、どうぞお顔をお上げくださいませ」
セラフィーナが優しく促すと、一瞬ぴくりと彼の肩が震えた。あえてそれを見なかったことにしている間に、エディはゆるゆると顔を上げた。
「寛大なお心に感謝いたします」
「じゃあ仲直りも無事にできたし、しんみり空気はそこまで! エディ、さっきから気になっていたんだけど、君は僕と違って今日は非番じゃないよね? 殿下は一緒じゃないようだけど、護衛任務はどうしたの?」
明るい口調で問うアルトに、エディは「はっ」と短く応じた。
「レクアル殿下は公都商人組合連盟の代表方と会議中です。現在、警備は施設側の警備隊が担当しております。私はその間、殿下の指示で外で待機するように申しつかっております」
「……なるほど、庶商連との会談ね。確かに予定にあったな。毎年この時期、納税の仕組みや営業許可証について協議があるんだっけ」
二人が短く業務上のやり取りを済ませたあと、エディが軽く一礼し、商人組合の会議が行われている建物のほうへ戻っていった。
「それじゃあ、僕らも戻ろうか。それ、ラウラたちに渡すんでしょ?」
アルトの気さくな口調に頷いて、セラフィーナは並んで歩き出す。
昼下がりの日差しは容赦なく照りつけ、石畳の上では陽炎がゆらゆらと踊る。アルトは夏の暑さから逃れるように、できるだけ建物の影を縫うように歩を進める。
(アルトさんと選んだプレゼント、喜んでもらえるといいな……)
淡い期待を胸に抱いたそのとき、どくんと胸がざらついた。
どこからか、視線を感じる。まるで、自分を見張るような、強い視線──。
だがセラフィーナが振り返っても、目が合う人物は誰一人いない。公都の街並みは変わらず賑やかで、不審な影はどこにも見当たらない。
(……気のせい? いえ、でも……確かに感じた。じっとり視線が刺さってくる感覚を)
確信に近いものを覚えながらも、セラフィーナは何もなかったように前を向いた。歩調を崩さないように細心の注意を払い、自然な足取りを心がける。
胸の奥に小さな棘のような不安だけを残して、セラフィーナは再び宮殿へと歩き出した。
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