50. 理解者は果たしてどちらか
「じゃあ、今度は隣の店だね。ラウラへの贈り物、いいものが見つかるといいね」
「お隣は……《梔子の香工房》ですか。こちらは白い梔子の花を模った看板を使われているんですね」
隣の《鳩の便箋堂》が落ち着いた木の趣を漂わせているのに対し、《梔子の香工房》は白壁に薄金の蔦模様が描かれた可愛らしい外観だ。
化粧品や美容雑貨を主に扱っているようなので、顧客層は女性に絞っているのだろう。屋根は薄い桃色で、周囲の建物と調和するよう控えめな色合いに整えられている。
「僕、この店には初めて入るなあ」
「……ひょっとして、緊張しています?」
「いやいや、まさか。仕事柄いろんな店には行くけど、緊張はしていないよ。でもちょっと場違い感はあるよね。プライベートで一人ならまず来ない」
アルトの懸念は正しかった。商品を見ているのはどれも女性客ばかりだった。
店内は柔らかな光に包まれた、華やかな内装になっている。天井から下がるガラス細工のランプシェードが、白壁と棚をふんわりと照らし、優しい温もりを落としていた。淡いクリーム色の壁には繊細な蔓草模様が描かれ、部屋のあちこちに季節の切り花や観葉植物が飾られている。色彩にあふれながらも、不思議と心が静まるような空間だった。
「セラフィーナ。ハンドクリームは向こうみたいだよ」
アルトが指差す方向へ行くと、棚には練り香やハンドクリーム、香油が並んでいた。
香り付きのものは、それぞれ蓋に対応した花が丁寧に描かれていて、眺めているだけでも楽しい。贈り物にするなら、やはり見た目にもこだわりたい。
「ラウラ先輩はどの香りがお好みでしょう……? 普段、香水はつけていらっしゃらないようですし」
「サンプルはこれ? ちょっと嗅いでみていい?」
「あ、はい。どうぞ」
香りを試す小瓶に鼻を近づけ、アルトは次々と複数の香りを丁寧に嗅ぎ分けていく。
(店内は甘く爽やかに香りに包まれているのに、どうして香りが混ざらずに識別できるのでしょうね……。わたくしなら、そろそろ混乱しそうだわ)
セラフィーナが不思議に思いながら結果を待っていると、アルトは小瓶を元の位置に戻し、つぶやくように言った。
「やっぱり間違いない。……ラウラには、これか、こっちが合うと思う」
「オレンジとベルガモットですか?」
「うん。柑橘系なら誰でも受け入れやすいし。仕事で使うなら、周囲の人が嫌がる香りは避けたほうがいいでしょ。この二つなら、ラウラがまとっていても自然だよ」
「アルトは……本当にラウラ先輩のことをよく見ていらっしゃるんですね。わたくしは、そこまでの配慮まで考えつきませんでした」
「あー、ごめん。気に障ったなら謝るよ。でもさ、僕は好きな人のことをちゃんと考えたいんだ。……ずっと大切にしたいと思ってるし。だから、セラフィーナが贈るものでも、彼女に本当に似合うものを選びたい。君からは軽く見えているかもしれないけど、僕、本気でラウラのことが好きなんだ。……ラウラは、あれで結構恥ずかしがり屋だから、なかなか恋人に昇格させてくれないけどね」
そう言いながらアルトはふっと視線をそらし、照れ隠しのように耳の後ろへ手をやった。
セラフィーナはとっさに言葉が出てこなかった。
いつもの軽口ではない。彼の驚くほどまっすぐな想いに触れ、胸の奥が静かに揺さぶられる。こんな風に迷いなく「好き」と言える心が、とても尊く思えた。同時に、うらやましいとさえ感じてしまった。
「……あの。わたくしはアルトを応援します」
「へ?」
「だって……お二人は、お似合いですから。この先の未来も、ずっと一緒にいるべきだと思います。わたくしにできることがあるなら、協力は惜しみません。だから、元気を出してください」
ほんの少しだけ、声が揺れた気がした。それでも、アルトは静かに微笑んだ。
「…………セラフィーナ。ありがとう」
セラフィーナも微笑み返し、贈り物を選ぶ作業に戻った。先ほどアルトが候補に挙げてくれたら二つの香りを交互に嗅ぎ、じっくりと吟味する。
(ラウラ先輩なら……やっぱりベルガモットかしら。控えめだけど、上品な香りが残るし。あの凜とした背中には、いつも励まされてきた。甘すぎず、軽すぎず──そんな香りなら、あの穏やかな性格にもきっと合う)
ベルガモットの花があしらわれた箱を手に取ると、アルトが声をかける。
「その顔は決まったみたいだね?」
「はい。アルトのおかげです。……あ、でも、ハンドクリームだけだと少し物足りないですね。もう一品、何か小物があれば……」
「まだ何か贈るの? 女子って、そうやって贈り物合戦をしちゃう運命でもあるのかな」
「こういうのは気持ちの問題なんです!」
「わ、悪かったって。別に批判したつもりじゃないから。そうだな……他に普段使いできるものか。ラウラはいつもお団子頭にしてるし、花簪とかなら似合いそうじゃない?」
ぽんとラウラに合うものを思いつく様子を目の当たりにして、セラフィーナは目を見開いた。何がとは言わないが、負けた気がした。
(花簪はきっと似合う。絶対に似合う。それは間違いない)
認めたくないが、アルトのほうがセンスがいい。そう思っているそばから、アルトが壁側の棚の端にあった一つの簪を手に取った。
細い銀の軸に、鈴なりの藤の花が連なっている。桃色から薄紫への優しいグラデーションは、ピンクゴールドの髪にもきっとよく映えるだろう。
「……ちょっと待ってください」
「ん? どうした?」
「その簪はラウラ先輩に似合うと思います。とても。……でも仕事中に簪が揺れるのをよしとする性格でしょうか? わたくしが知るラウラ先輩なら、仕事に不要なものは持ち込まないと思います」
「た、確かに……。ラウラなら、『とっておきの日に使う』とか言って、大事にしまい込んで……そのままってこともあり得る」
セラフィーナとアルトは真剣な顔で頷き合い、同じタイミングで肩を落とした。
(うう、使われないとわかっていても贈るべき? いいえ、やっぱりここは候補を考え直したほうがいいわ。せっかく贈るなら、毎日使っていただきたいし。とはいえ、アルトを上回る素敵な贈り物なんて、すぐには思いつかないし…………ん?)
空中をさまよわせていた視線を戻すと、簪の隣に陳列された商品に目が留まった。
「ありました! 他の候補! 櫛なら毎日使うものですし、これならいけます!」
花の透かし彫りが施された櫛を手に取り、アルトに見せつけるように掲げる。半円形の柘植櫛だ。髪が長く、手入れに時間がかかるラウラにぴったりの実用品だ。
「…………」
「アルト? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ。異性である僕より、同性であり後輩である君のほうがラウラのことを理解しているのは、当然のことだ。……うん、そうだとも。僕は今、ほんのちょっぴり切ない気分に浸っているだけだよ。こんな哀れな男のことは放っておいて、君は会計を済ませてくるといい」
アルトは冗談めかしてため息をつき、口元に薄く笑みを浮かべた。けれど、その目元にはかすかに影が差していた。
下手な慰めは逆効果かもしれない。そう判断したセラフィーナは「わかりました」とだけ言い残し、店員のもとへ向かった。無事に二つの贈り物を包んでもらい、店の片隅で一人黄昏れていたアルトのもとに戻る。
「……帰りましょう」
「うん……」
店を後にして二人並んで歩く。先ほどまで穏やかだった空気がわずかに重い。原因は自分だ。負けず嫌いの悪い癖を発揮した結果、アルトをここまで落ち込ませてしまった。
「今日は、アルトのおかげで素敵な贈り物を選べました。やはりセンスのよさは敵いませんね。その……わたくしは、ラウラ先輩の近くにいる時間が長かっただけですから」
「…………」
「アルトが選んだ品は、どれも素晴らしかったです。だから、そんなに落ち込まないでください。きっとラウラ先輩も、アルトの想いを知ったら嬉しいでしょうし」
「…………。うん、ありがとう」
アルトと小さく微笑み合っていると、不意に後ろから聞き覚えのある声がした。
ゆっくり振り返ると、そこにはエディがいた。か細い声が言葉を紡ぐ。
「……どうして……」
「え?」
「アルトは呼び捨てなのに、私のことは様付けなんですか?」