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48. 悩める青年

 今日は公都の東の外れにある石橋まで足を延ばしたが、目的のテントや占い師は見当たらなかった。運の要素が関係しているのか、目撃情報があった日もセラフィーナが行く前に店じまいをしていることが何度かあった。

 こうも空振りが続くと、さすがに落ち込みたくもなる。

 シルキアの憲兵の気配にも敏感らしいし、ひょっとしてセラフィーナも魔女に警戒されているのだろうか。いや、まだ魔女と確定したわけではない。会ったこともないのだから。頭から決めつけてしまうと視野が狭まり、大事なことを見落としかねない。


(それにしても困ったわね。一度も接触できないんじゃ、占ってもらうこともできないわ。占い師と直接会うのが無理なら、ニコラス様に質問したほうが早いかしら……? いやでも、行列に並んでいた姿を目撃したことが知られたら、ものすごく機嫌を損ねそう。うん、絶対毒づかれるに決まっている。しばらく口も利いてもらえないかも。ああ、やっぱり手詰まりだわ)


 第一、あのニコラスが素直に教えてくれる確率は極めて低い。

 今日のところは切り上げて、散策しながら帰ったほうがいいかもしれない。

 橋の上から川面に浮かぶ葉がくるくると流れていく様子をしばらく眺め、くるりと体の向きを変える。そこでふと、手前の倉庫の脇に膝を抱え込んだ影を見つけ、息を呑む。


(え、なに……? 幽霊、とかじゃないわよね?)


 じっと目を凝らすが、ちゃんと足は地面についている。普通の男だ。

 今朝から気温が高かったことを考えると、熱中症の可能性が高い。もしかして意識がないのだろうか。心配になり、セラフィーナは緑のターバンを巻いた男におずおずと近寄った。


「あの、大丈夫ですか?」

「……うん……?」


 ずっとうつむいていたから年上を想定していたが、思ったよりも若い。二十歳前後だろうか。声に覇気はないが、顔立ちは若々しい。

 服は多少くたびれてはいるが、きちんと洗濯されているようだし、路上で生活している様子でもない。


「体調が悪いようなら、誰か呼んできますけれど」

「あ……いや、体は大丈夫。ちょっと落ち込んでいるだけだから」


 そうは言っても顔色が悪い。全体的に青白いし、先に水分補給が必要かもしれない。建物の影にいるとはいえ、外の暑さは病人には酷だろう。

 そのまま放っておくのも憚られて、セラフィーナは中腰のまま微笑んだ。


「少しだけ、ここでお待ちいただけますか? すぐ戻ってきますので」


 坂道の手前に並んだ露店の中に、飲み物を扱った店があったはずだ。小走りで行くと、目が合った恰幅のいい店員の女性が声をかけてきた。


「なんだい、嬢ちゃん。そんなに走るとバテるよ。今日は日差しがきついからね。よければ喉を潤していきなよ」

「あ、はい。果実水はありますか」

「林檎水があるよ。暑い日には冷えたほうがいいだろう? 今朝汲んだばかりの井戸水で冷やしてあるからね。氷入りは銀貨がいるよ。どっちにする?」

「普通の冷たいほうを二つ、お願いします」

「木盃なら銅貨二枚、陶器の杯なら銅貨四枚だね。返却時に割っていないか見せてね」


 露店での飲み食いは紙で包めるもの以外は使用後、容器を返却しなければならない。涼しさを求めるなら陶器の杯だろう。

 セラフィーナは銅貨を四枚支払い、林檎水が注がれた陶器の杯を受け取った。


「向こうに連れが休んでいるので、飲み終わったら返しに来ますね」

「あいよ。しっかり水分を摂るんだよ!」


 力強い声に頷き、セラフィーナは石橋の手前の倉庫に戻った。


「林檎水です。まずは飲んでください」

「……あ、ありがとう」

「いえ」


 男はよほど喉が渇いていたのだろう。杯を傾けたかと思うと、一気に飲み干してしまった。それから口の端からこぼれた雫を手の甲で強引に拭う。飲み終わってボーッとしているが、命の危険はなさそうだ。

 このぶんなら応援を呼ぶ必要はない。しばらくゆっくりすれば回復するだろう。

 ほっと息を吐いて、セラフィーナも林檎水を少しずつ飲む。平民が日常使いするような安物の陶器だが、味は申し分ない。砂糖と塩で味が調えられ、口の中に優しい甘みが広がる。林檎を煮出して作っているのだろう。香りも爽やかだ。子どもが好きそうな味だった。


「返してきますね。もう少しここで涼んでください」


 飲み終わった陶器の杯をお店に返却し、セラフィーナはまだ空を呆けて見上げている男の前に屈んだ。


「少しは動けそうですか? あちらのベンチのほうが風の通りがいいので、歩けそうなら移動しませんか?」

「あ、ああ……」


 川伝いにずらりとプラタナスの木が並んでいる。等間隔にある木製のベンチは木陰になっており、休むのにちょうどいい場所だ。カエデの葉に似た大きな葉が茂り、容赦ない夏の陽光を遮ってくれている。

 セラフィーナは男をベンチに誘導した。最初はふらついていたが、思いのほか足取りはしっかりしている。セラフィーナも一人分のスペースを空けて腰を下ろした。


「今日はどうしてあんなところに座り込んでいたのですか? 何か悩まれているのですか? あ、言いにくいことでしたら無理に話す必要はありません」

「……オレ……」


 言いにくそうに男が言いよどむ。

 先ほどは細かく容姿を見る余裕がなかったが、男は緑のターバンを額に巻き、後ろで交差された布の端を片方の肩に長めに垂らしている。布の先にはくすんだ金糸と小粒ビーズを編み込んだ房飾りがついており、小洒落た感じだ。

 布が巻かれていない頭の上は逆立った赤髪が目立つ。そして何より、自己主張が強いのは片耳で揺れる大きな羽根飾りだ。ターコイズブルーの羽根は、ところどころ色褪せていて形はどこか不格好だ。光沢もないし、自分で修繕しながら使っているのかもしれない。

 

(本人はおしゃれのつもりかもしれないけれど、実家の懐事情が知れるわね……)


 生成り色の麻の半袖シャツは胸元が少しはだけ気味だし、袖口にほつれがある。茶色のワイドパンツは腰紐で締めて動きやすそうだが、膝に軽い擦れがあり、服に皺があっても無頓着そうだ。革紐が編むサンダルは、片方の紐が少し切れかかっているのが気になる。


(細かいことは気にしない。まずはこの人の話に耳を傾けましょう)


 この世の終わりのような悲壮感はただ事じゃなかった。一人きりにして、衝動的に川に飛び込むような事態だけは避けねばならない。

 気を取り直して、セラフィーナは自分の胸に手を当てた。


「わたくしでよければ、話を聞きますよ。知り合いなら話しづらいことでも、赤の他人なら話しやすいでしょう? 悩みは口に出すことで気持ちが整理できたり、不安が軽くなったり、吹っ切れたりできますから」


 できるだけ明るく言う。気分が少しは浮上したのか、男がゆっくりと重い口を開いた。


「じゃあ……聞いてもらおうかな。オレ、今日好きな子に告白したんだけど『絶対無理』って断られたんだ。断られるかもとは少し思っていたけど、そこまで拒絶されるとは思っていなくて。さすがにショックが大きかったというか、立ち直れなくて……。はは、情けないよね。いくつになっても、報われないのってやっぱしんどいよ」

「……それはつらかったですね」


 セラフィーナが理解を込めて頷くと、緑の細目がカッと見開いた。勢いよく両手をベンチにつき、前のめりで心の鬱憤を晴らすべく早口でまくし立てる。


「わかってくれる!? そうなんだよ、心にぽっかり穴があいたみたいに悲しくて。オレが生きている意味なんてあるのかな、って思うほどで。……まあ、出来損ないのオレがいてもいなくても、誰もなんとも思わないだろうけど」

「そんなことはありませんよ。ご家族やご友人はあなたが姿を消せば心配するでしょうし、悲しむでしょう。大丈夫です。きっと、あなたの魅力に気づく女性はこれから現れます。前を向いて、今できることを精一杯やりましょう。そして、頑張っているあなたを見てもらいましょう」

「…………」


 真意を探るように緑の瞳が静かに見つめてくる。

 そこで、ようやくセラフィーナは我に返った。いくら他人なら相談しやすいとはいえ、相手が求めているかもわからない助言をするのは、出過ぎた真似だったと反省する。


「あ、すみません。調子に乗って。見ず知らずの他人にいきなり言われても説得力がありませんよね」

「ううん。ありがとう! 元気が出てきた。オレはヒューゴっていうんだ。あっちの雑貨屋の次男。君の名前も教えてくれる?」

「名前ですか? セラフィーナです」


 先ほどまでの陰鬱な気配は雲散霧消し、緊張感のない無邪気な笑顔を向けられる。どうやら自分の気持ちに整理がついたらしい。意外と立ち直りが早い。

 ヒューゴは楽しそうにへらりと笑いながら言う。


「じゃあ、セラフィーナちゃんね。君のおかげで生きる気力が出てきたよ。今度、お礼させて」

「え!? いいえ、お礼なんてとんでもないです。ただお話を聞いただけですし……」

「何言ってんの。人生どん底のオレを励ましてくれたでしょ。もう命を救ってくれたようなもんだから、何かさせて! 宝石やドレスは……無理だけど、ランチとかなら奢れるから!」

「いえっ、あの。そのお気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」

「今は手持ちがないから、また今度ね!」


 そう言い残して、ヒューゴは駆け足でその場を去っていった。


(……ずいぶんと人懐っこい人ね。元気が戻って何よりだけど、なんだか少し、距離が近かったような……)


 思ったよりも、ヒューゴは押しが強いようだ。

 そして厄介なことに、都合の悪いことは平気で聞き流す性格かもしれない。ある意味、強敵だ。

 次に会ったときは、当たり障りのない会話だけして、早めに切り上げよう。

 公都は広い。また何度も会うことなんて、そうそうない。そう信じたい。

 けれど、セラフィーナのささやかな願いは、呆気なく裏切られることになる。

第六章は、過去最長のボリュームとなっています(二章分相当の文字量)。

緊張感のある展開が続く構成ではありますが、合間にほっと一息つける場面も挟んでおります。小さな息抜きとして、そうしたシーンも楽しんでいただけたら嬉しいです。最後はハラハラ&ドキドキ展開を予定していますのでお楽しみに。


「ループ魔女」の雰囲気を伝えるための紹介動画を、YouTubeにて公開中です。表紙イラストや挿し絵を使用し、BGMも加えて仕上げました。お時間がありましたら、ご覧いただけたら嬉しいです。

※リンクは表紙イラストの下にあります。

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※表紙イラストは雨月ユキ先生に描いていただきました。その他イラストは活動報告をご覧ください。

▶【登場人物紹介のページ】はこちら
▶【作品紹介動画】はYouTubeで公開中

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