45. 弟の結婚相手にはふさわしくない
「この場所の草抜きを一人でと……。なるほど、やりがいがありますね」
見渡す限り、緑が広がっている。
これがしっかり手入れのされた場所だったら癒やしになったかもしれないが、荒れ果てた庭では印象は真逆になる。燦々と降り注ぐ日差しの下、膝丈まですくすくと伸びた雑草を見るに長年放置されていたと見るべきだ。元気にたくましく育ち、一番背が高い名無し草が胸を張って「ようこそ!」と言わんばかりに風でゆらゆらと揺れている。
明らかに数ヶ月サボっていたレベルではない。この荒れよう、意図的に放置されていたとしか思えない。新人への嫌がらせにはちょうどいい場所だったのだろう。
今週からラウラが別部署にヘルプとして入っているせいか、久しぶりに大がかりな嫌がらせが来てしまった。だだっ広い場所をきれいにする人員はたった一人。
除草作業に慣れていない新米女官ならば、不当な扱いに憤り、泣いていたかもしれない。しかし人生経験だけは豊富なセラフィーナからすれば、泣く暇があるなら手を動かすほうがはるかに有意義だ。
腕まくりをして、セラフィーナは回れ右をした。戦略的撤退ではなく、必要な道具を揃えるために。
草刈りの必需品といえば、鎌と熊手と剪定バサミである。草で手を切るかもしれないから軍手もあったほうがいいだろう。善は急げだ。
◇◆◇
広大な庭の除草作業は当然一日で終わるはずもなく、翌日も翌々日も、セラフィーナは草抜きを淡々とこなしていた。ここの掃除を命じたプリムローズたちは初日の夕方に顔を出したが、無表情で草を黙々と刈っている姿を見るなり、逃げ出してしまった。
死神とかなんとか悲鳴が聞こえたから、もしかしたら逆光で草刈り鎌が光って見えたのかもしれない。いずれにしろ、失礼な話だが。
(草刈り鎌は、草刈りには大活躍の道具なのに……)
一日中、外で作業するために被っていた麦わら帽子を脱ぎ、木陰で小休止することにした。革袋に入れた水で喉を潤し、両手をついて風を全身に浴びる。
「お前はなんて格好をしているんだ?」
突然影が差したと思ったら、そこには仏頂面の第二公子がいた。セラフィーナは慌てて姿勢を正し、両手を揃えた。
「……これはニコラス様。ご機嫌麗しく」
「麗しいものか。僕は今、非常に困惑している。記憶が正しければ、お前の職業は下級女官だったと思うのだが?」
「さようでございます」
「下級女官のお仕着せはどうした。なぜ、そのような薄汚い格好をしている。そもそも、ここで一体何をしている」
詰問を受け、セラフィーナはおっとりと頬に手を当てた。
こういう場合は変に慌てるほうが余計怪しまれる。つまり、堂々としておくに限る。現に自分は悪いことは何もしていないのだから。
「女官服では作業効率が悪く、服がすぐにダメになってしまうので着替えました。今は休んでいるところですが、草刈りをしているところでして。ここ三日間の成果はあちらの山に。なにぶん長時間外にいるため、汗で見苦しいと思いますが、どうぞご容赦いただけますと幸いです」
「なに? ここを、たった一人でか?」
「はい。そういう指示ですので」
「使用予定もない場所を掃除させる意味がどこにある? お前、まさか陰湿ないじめに遭っているのではあるまいな」
セラフィーナはその問いには答えず、彼が持っていた巻物に目を向けた。
「それはそうと、ニコラス様。何かご用があったのでは?」
「……ああ、そうだった」
当初の目的を思い出したのか、ニコラスは巻物の留め具を外し、しゅるりと開く。縦長に伸びた巻物には、美しい筆跡でいくつものフルネームが綴られていた。
「さあ、どれでも好きなのを選べ。遠慮はいらない」
「……あの、ニコラス様。突然選べとおっしゃいましても、そもそもこれは何なのですか?」
「独身の下級貴族および商家の息子のリストだ」
「さようで……わたくしは、このリストをどうしたらよいのでしょうか」
意図がわからずに首を傾げると、ニコラスはぐっと眉を寄せた。
「察しが悪いな。本当に侯爵令嬢だったのか? お前の結婚相手をここから選べばいいと言っているんだ」
「…………はい?」
「光栄に思うがいい。このリストに載っているのは僕自ら選んだ者たちだ」
「ええと……なぜニコラス様が結婚相手を見繕ってくださるのでしょうか? わたくしはただの下級女官なのですが……」
「弟の結婚相手にふさわしくないからだ」
キッパリと言い切られて、すべてが腑に落ちた。
(なるほど。つまり、レクアル様が心配ゆえの行動だと……そういうことですか)
ニコラスからすれば、いきなり帝国から連れてきた訳ありの女など警戒してしかるべき相手だ。いくらレクアル本人が大丈夫だと言っても、すんなり信用できるはずもない。
「お前が結婚すれば、さすがにレクアルも諦めがつくだろう。そのリストは身辺調査も済ませた者たちだ。たとえ実家から勘当されたとはいえ、お前は貴族令嬢の教育を受けている。そのあたりも踏まえ、婚約破棄された元令嬢でも問題なく引き受けてくれる者を厳選した。理解できたなら、さっさと選べ」
「……ニコラス様。大変申し訳ありませんが、わたくしはどなたとも結婚するつもりはございません。もちろん、レクアル様ともです」
「何だと?」
訝しむ声に、セラフィーナは毅然とした態度で答えた。
「婚約破棄をされた時点で、わたくしは傷物になりました。領地追放された今はただの平民です。すべては自分が招いた結果です。今の境遇に不服はありません。自ら働いて稼いだお金で食べるご飯は満足感が違いますし、下級女官の生活も案外捨てたものではないのです。……少なくとも、堅苦しい貴族生活よりも生きていると実感できます」
「…………」
「それに、結婚への憧れはとうに消えました。旦那様に尽くすよりも外で仕事をしている方が楽ですから。独身のままなら裏切られる心配もありませんし」
「はっ、信用できないな。女は平気で嘯く。笑顔の下で何を考えているか、わかったものではない」
ニコラスは嫌な思い出が頭をよぎったのか、不愉快そうに口を緘した。
セラフィーナがいくら誠実に訴えても、彼が納得するとは思えない。一朝一夕では無理だろう。とはいえ、ここで否定しなければ肯定したことになってしまう。それだけは避けねば。
「レクアル様に恩人以上の情を向けることはありませんので、どうぞご心配なく。わたくしが求めているのは結婚相手ではなく、働きがいのある職場です。やっと下級女官の仕事が身についてきたところで離職となったら、これまでの努力が無駄になってしまいます。今すぐに理解してもらえるとは思いませんが、ニコラス様が心配されるようなことはしないと誓います」
「…………。人間は笑顔で嘘をつく生き物だ」
「言葉が信じられないのであれば、態度で信じていただくしかありませんね」
セラフィーナがそう言うと、ニコラスは厳しい顔のまま背を向けて去っていった。ひとまずは様子見するといったところだろうか。
(……それにしても、ニコラス様の女性不信はだいぶ根深い問題みたいね。過去に何があったかはわからないけど、今も婚約者がいないことと関係あるのかしら)