42. 大魔女の昔話
「ちょっと昔話をしましょうか。アルトから聞いているかもしれないけど、前世の私はマルシカ王国の生まれなの。母国を守るために魔女として戦ってきたわ。当時、あいつはシルキア大国の魔法騎士だった。国の命令とはいえ、何度もマルシカ王国に攻めてきたの。だから毎回きついお灸を据えて蹴散らしてやったわ」
「……そういえば、ラウラ先輩は世紀末の大魔女だったと伺いました」
恍惚とした表情で語っていたアルトの様子を思い浮かべながら言うと、ラウラは苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
「そんな風に呼ぶ人がいたのは事実よ。できれば思い出したくなかったけれど……。あ、ちなみに自分から名乗ったことは一度もないから。そこのところ誤解しないでね!」
「は、はい」
必死の形相で念押しされ、セラフィーナはこくこくと頷く。
ラウラは咳払いを一つしてから話を戻した。
「前世のアルトは厄介で、何度追い払っても飽きずに私に立ち向かってきたわ。部下の指揮は見事だったし、魔法騎士としての腕もずば抜けていた。でも不屈の精神って言っても限度があるでしょう。常人なら心がポッキリ折れるところなのに、あの男だけは変わらず立っているの! 普通に引いたわよ。こいつ本当に人間なのかしらって」
「……人間だったのですよね?」
「もちろん。ただ魔法攻撃が得意な、普通の騎士よ。前世の私みたいに見た目がずっと変わらない、なんてこともなかったし」
「え? 見た目が、変わらない……?」
衝撃の事実に目を丸くしていると、ラウラが目を瞬く。
驚いたような表情で見つめ合い、しばらく沈黙がおりた。やがてラウラはゆっくり小首を傾げた。
「あら、言っていなかったかしら。私の前世は大魔女イリスよ」
「……ちょっ、ちょっと待ってください。ラウラ先輩が大魔女の生まれ変わりってことは、マルシカ王国の結界を張ったのは……」
「前世の私ね。死に際に残っていた魔力を全部解き放って、守護結界を構築したの。私が死んだ後に、他国にうっかり滅ばされないように」
セラフィーナは今度こそ言葉を失った。
一体、誰が予想できただろう。歴史的な偉業を成し遂げた人物が、職場の先輩だなんて。いや、正確には前世の偉業ではあるが。けれど前世の記憶を引き継いでいる時点で、ほぼ同一人物と言っても差し支えないのではないだろうか。
(……そうだわ。ラウラ先輩は『大魔女』の魔力量を正確に知っていた。そんな情報、本人でもなければ知り得ないはず)
アルトの隠れ家で魔法を見せてもらったときのことを思い出す。二人の実力は圧倒的だった。だが、二人とも数百年前の魔法戦争で幾度も戦ってきた記憶があるなら納得だ。無詠唱で高度な魔法を息を吸うように使ってみせるのだから。
意識が遠くなりそうになる事実をどうにか飲み込み、セラフィーナは震える唇を開いた。
「あ、あの。魔法を使える人にとっては、年齢操作は普通にできることなのですか……?」
「まさか。私が時の魔法に干渉できたのは一度だけ。あれはまあ、若気の至りというか。だいぶ無茶したし、運の要素も大きかったから再現は不可能ね。当然、童話みたいに好きなものに化けるなんて真似もできないわ。魔女だって、できないことは案外多いのよ」
「…………」
「マルシカ王国の結界について話を戻すわね。作った私だから言えることだけど、理論上は魔力供給が断たれなければ消えることはないわ。でも時が経てば、ほころびは必ず出てくる。永遠なんてものは存在しない。結界が今も残っているということは、単純にたくさんの人が努力してきた成果でしょう」
静かな声で紡がれる言葉は、すとんと胸に落ちた。
魔法は万能ではない。大魔女が作り上げた奇跡の魔法の恩恵だって、いつまでも続くものではない。今も変わらずあるのは、きっと残された者たちが必死に結界を維持しているからだ。敵国からの脅威を退ける絶対的な方法なのだから。
前世の記憶を持つラウラは、祖国の現状をどう思っているのか。愁いを帯びた横顔は寂しげだったが、心の奥まではわからない。もし大魔女の生まれ変わりだと公表すれば、諸手を挙げて歓迎されるだろうに。だがそれをしないということは、大魔女と今の自分の生き方は別だと割り切っているのかもしれない。
いずれにしても、セラフィーナが言えることなんてない。
(わたくしが下級女官という生き方を選んだように、ラウラ先輩も何か目的があるのかもしれないし……)
記憶があっても、同じ魂を持っていても、生まれ変われば別の人間だ。姿形も環境もまったく異なる。人生は一度きりだ。悔いのないように、したいことをすればいい。
そう思っていると、不意にラウラに左手を取られた。
ひんやりとした両手に包まれ、セラフィーナはそのままじっと息を詰める。
(ラウラ先輩のことだもの。きっと、これも何か意味があるはずよね)
抵抗せずにいると、ラウラがかすかに眉を寄せた。
ひょっとして魔力の測定をしているのだろうか。セラフィーナの魔力量は書き換えられ、今も封じられたままだ。以前、調べてみると言われてから進捗は聞いていない。
けれどラウラが驚いていたように、魔力が二重になっているのはかなりイレギュラーなはずだ。その後に何も言われていないことからも、まだ解決策は見いだされてないのだろう。
「うーん。やっぱり、魔力封じの術とも違うのよね。まるで違う言語が絡みついているような……つくづく興味深いわ」
「違う言語……ですか?」
「ええ。文法は古語に近いようだけど、私の知っている言語と少しずつ異なるわ。知らない単語もいくつか混じっているし。封印術式を可視化できるようになったのはいいけど、すぐには解けそうにないわね」
そう言いながら、ラウラは握っていた手をそっと解放した。木製のベンチから立ち上がり、うーんとその場で伸びをする。
「休憩はこのくらいにして、そろそろ戻りましょうか。ヘレーネも私たちを探している頃合いかもしれないし」