34. 宮殿は噂の宝庫です
お昼時となれば、使用人専用の大食堂も多くの人で賑わう。勤務中は利便性と時間短縮のため、昼間は大食堂を使う者が大半だ。セラフィーナが女子寮の食堂を使うのは、非番を除いて朝食と夕食時に限られている。
木製の長い机が四列並び、座る場所も暗黙の了解で決まっている。西から騎士、文官、女官、下働きの順だ。女官の場所でも北側は上級女官、南側は下級女官に分けられている。
ラウラはできたての昼食を載せたトレイを持って、空席が目立つ場所に座る。その左横にセラフィーナも無言で着席した。
硬いパンを一口サイズに千切り、かぼちゃスープの中に浸して口に運ぶ。とろとろに煮込んだかぼちゃと少し軟らかくなったパンが絡み合う。よく噛んでから、ごくんと飲み込む。
ふと、ラウラの向こう側から興奮した声が聞こえた。そちらを見やると、下級女官たちが話に花を咲かせていた。聞くつもりがなくても、大きな声で交わされる噂話は否応なしに耳に入ってくる。
「ねえねえ、聞いた? 来月、シルキア大国から宮廷歌劇団の歌姫が来るんでしょ? チケットは取れるかしら」
「予約は貴族が優先だって聞いたわ。うちらのチケットなんて残っていないんじゃない?」
「そんな夢もないこと言わないでよ……。私、彼女のファンなのに……」
「しょうがないわね。知り合いにチケットを融通してもらえるか、聞いてみるわ」
「ほ、本当? ぜひお願いしたいわっ」
「はいはい」
よくある世間話だ。軽く聞き流してパンを食べ終えると、聞き捨てならない単語が聞こえてきた。
「シルキア大国っていえば、また魔女が一人、断罪されたって聞いたわ」
途端、スープをすくおうとしていた手がわずかに震える。
魔法使いは善、魔女は悪。そう決めつけているシルキア大国は見せしめのように魔女を次々断罪している。それは未来のセラフィーナも例外ではない。
ラウラが心配そうに見ていたが、平静ではいられないセラフィーナはその視線に気づかなかった。
彼女らの会話の続きが気になって、スプーンを握りしめる手に力がこもる。
「あーそれ知ってる! 平民に紛れて酒場で働いていたっていう没落貴族の令嬢でしょ?」
「え、私が聞いたのは、娼館の看板娘だったって。なんでも、さる高貴な貴族の愛人だったとか」
「でも魔女なんて、魔法でいくらでも年齢を操作できるんでしょ? 見た目と実年齢が違うケースも珍しくないんじゃない?」
「魔女はいいわよね。私は最近、肌年齢の衰えを感じるわ……」
セラフィーナの不安もお構いなしに、話題はころころと変わっていく。
「そういえば、大公妃殿下の監修のもとで新しい化粧品が開発中って聞いたわよ。肌に負担をかけない自然派を謳った商品なんですって」
「へえ〜発売はいつ頃かなあ。秋かしら、冬かしら!」
「まだわからないけど、発売したらすぐにわかるわよ。宮殿の噂はすぐ広まるし」
「それもそうよね」
楽しそうな声が耳をすり抜けていく。それ以降の会話は周りの雑音に紛れ、世界で一人だけ取り残されたような虚無感が体を支配する。
(シルキア……大国…………)
思い出すのは、これまで何度も味わってきた未来での結末だ。何をしていても、どこにいても、必ず連行されていくのはシルキア大国だった。
逃げられないように足には重りのついた鎖をつけられ、柱に縄で体をくくりつけられる。広場を取り囲む群衆たちの野次を一身に浴び、ひどいときは物を投げられたこともあった。多くの目に見つめられる中、兵士の合図で背後に火がつけられる。
チリチリと髪が焦げ、炎の中で自分が炙られていく感覚を思い出し――、残像を消し去るようにセラフィーナはゆるく首を振った。
(大丈夫、わたくしはまだ生きている。今度こそ、生き延びてみせるもの……!)
かぼちゃのスープを飲み干し、林檎とサツマイモの甘煮をフォークで突き刺す。シナモンの香りに包まれた林檎は少し酸っぱかった。
◇◆◇
ユールスール帝国の使節団は明後日、帰国するらしい。
貴族たちはこぞって連日のように宴を開催し、皇太子たちを招いているという。今夜はクラヴィッツ公太子主催の舞踏会が開かれる予定で、宮殿で働く者たちは皆、最後の準備で忙しくしていた。
セラフィーナはたまたま通りがかった女官長から騎士団の言付けを頼まれ、人目につかないよう、中庭の木陰に紛れて先を急いでいた。
この時間は誰もいない。そう踏んでいたのに、少し進んだあたりで男の声が聞こえて足を止める。
「――少しくらいいいじゃないか。減るものでもないし」
「いえ、困ります……私はそんなつもりで手を貸したわけではないので」
戸惑う女の声には聞き覚えがあった。セラフィーナはそろりそろりと足を進め、大木の後ろに回り、声がした先を盗み見る。
そして、意外な人物の組み合わせに目を丸くした。女のほうは鮮やかな赤髪を三つ編みにした女官で、男は背を向けているが、ユールスール帝国の文官だった。察するに、使節団の外交官か書記官だろう。
「こっちはお礼がしたいと言っているんだ。君はうんと頷くだけでいい」
「で……ですから……」
「まったく、君も強情だね。女官風情にどうして僕が断られないといけない?」
「そ、それは……」
強引な誘い文句から一転、責める口調に変わった男を見て、女が口を閉ざす。下手に騒いで外交問題になるのを恐れているのだろう。
セラフィーナは息を吸い込んで、木陰から日の当たる場所まで出た。
「――お話の途中、失礼いたします」
「なんだね、君は。僕は今……」
「ジーニアさん、ラウラ先輩が探していましたよ」
「え……」
目で早く行けと促すと、意図が伝わったのか、ジーニアがくるりと踵を返してその場から去る。ぱたぱたと走る足音が遠ざかってから、呆然としていた男が、睨むようにセラフィーナを見やる。
「……君も下級女官のようだが、いきなり話に割って入るとは感心しないね」