15. 女の嫉妬はどの国でも同じようです
女性は噂好きだ。それは宮殿内でも同じことで、女官たちの伝達スピードは驚くほど速かった。
レクアルとエディと別れて数時間と経たないうちに、セラフィーナは上級女官と下級女官の三人組によって壁際に追いやられていた。
「ちょっと、あなた。立場を弁えなさいよ」
右腰から垂らした帯の色は紅色。上級女官だ。縦巻きの金髪を後ろに払う姿は板についていて、まるでどこかの高飛車な令嬢のようだ。
「プリムローズ様のおっしゃるとおりよ。自分の立場がわかっていないんじゃなくて?」
そばかすのついた、赤髪の三つ編みの少女が腰に手を当てて憤慨している。上級女官を真似たような口ぶりだが、発音に少し癖があった。帯の色は灰色だし、平民の出かもしれない。
「まあまあ、ジーニアも落ち着いて。寄ってたかって一方的になじるのは悪役がすることですよ」
穏やかに諭すのは赤みがかった茶髪の上級女官だ。貴族らしい、きれいな発音だ。苦笑いをしているが、心の内まではわからない。一番敵に回したくないタイプだ。
「で、でも、バイオレット様。この女はレクアル殿下に色目を使っていたという話です。レクアル殿下にふさわしいのは、子爵令嬢のバイオレット様ですのに……!」
「そうよ、ジーニアの言うことが本当なら由々しき事態だわ。新米の下級女官が殿下と親しく話すなんて不敬よ。恥を知りなさい」
ジーニアとプリムローズが好き勝手に吠えている。
その剣幕に押されて怯えるのが普通の反応だろうが、セラフィーナには侯爵令嬢として鍛えてきた鋼の精神がある。大柄な異性に囲まれた状況ならともかく、数人の同性に詰られたぐらいで泣くような可愛らしい性格はしていない。やることなすこと、すべてが悪役らしい行動として受け取られてきた過去を振り返れば、このくらいは可愛いものである。
「……わたくしは謝る必要性を感じません」
「なんですって!?」
一番に反応したのはプリムローズだ。自分より下の存在が刃向かうとは思わなかったのだろう。隣でジーニアが目を丸くしている。
バイオレットは自分が優位だと思い知らせるように、花がほころんだような美しい笑みを浮かべた。そのうえで、セラフィーナに質問する。
「先ほどの言葉はどういう意味かしら」
「言葉の通りです。レクアル様とお話ししたのは事実ですが、責められるいわれはありません。お妃様を選ぶのはレクアル様です。外野がいくら盛り上がろうと、肝心の本人に選ばれないのでは話にならないでしょう」
バイオレットの眉がわずかに動いた。しかし、笑顔が崩れることはない。その忍耐力はさすがだと思う。
「この……っ! 言わせておけば……よくもぬけぬけと!」
ジーニアが怒りに身を任せてバッと手を振り上げる。
頬を叩かれると思って身をすくませる。けれど、いくら待っても痛みは襲ってこない。反射的につぶっていた目を開けると、そこにはジーニアの腕をつかんだアルトの姿があった。
「暴力はよくないよ」
今日は町息子の服ではなく、近衛騎士の服装だった。純白の騎士服に金のボタン、白い軍靴。詰め襟は禁欲的で、白いマントの裏側はエディと同じ空色だ。
(装いが違うだけで、雰囲気が全然違うわ……)
厳格な騎士の装いのせいか、魅力と迫力が三割増しだ。
アルトの登場で、威勢のよかったプリムローズたちは分が悪いと悟ったのか、身を寄せ合ってアイコンタクトを取っている。それから代表としてバイオレットが前に出た。
「アルト様。お止めいただき、ありがとうございます」
「新米女官を導くのが、上級女官の仕事だと思っていたが……これは何事だ?」
「ちょっとした意見の行き違いがございまして。以後、気をつけますので、この場はどうぞご容赦を」
目元を伏せて言う様子は、反省しているように見えなくもない。
それはアルトも同じだったようで鷹揚に頷く。
「ならば、もう持ち場に戻るがいい。いつまでも油を売っているわけにはいかないだろう?」
「はい。――失礼いたします」
一礼し、三人はそそくさと立ち去る。彼女たちの後ろ姿が見えなくなった頃、アルトがセラフィーナに向き直った。
「……で? 何を言われていたんだ?」
「よくある女の嫉妬でございます。わたくしがレクアル様とお話ししたというだけで、数人に囲まれて非難されました。新米女官をいびって憂さ晴らしをするやり方は虚しいだけです。嫉妬の気持ちまでは否定しませんが、感情に任せて他人を傷つける行為は美しくありません」
「……理不尽な八つ当たりか。僕には理解できないな。相手に自分を見てほしいなら、外見や内面を磨けばいいのに」
「同感です」
二人で頷き合っていると、中庭の木で羽を休めていた小鳥がバタバタッと空へ駈けていく。その様子を見つめた後、セラフィーナはアルトに向き直った。
「あの、実はちょっと確認したいことがあるのですが……」
「うん? 僕で答えられる質問なら答えるよ」
「ありがとうございます。アルト様は、ラウラ先輩とどういう関係なのでしょう? まだ恋人ではないのですよね?」
「うぐっ。痛いところを突いてくるね。ラウラとは……古い付き合いなんだ。やっと友達になれたけど、なかなか恋人にはしてくれなくてね。よければ、君からも言ってくれない? こんなに一途な男、そうそういないよ」
困り果てたように肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「ですが、長年連れ添った夫婦のように、お二人は信頼し合っているように見えました」
「……あー。それはね」
アルトが内緒話をするように身をかがめ、人差し指を唇に当てる。
悪戯を思いついた子どものように瞳がきらりと輝いた気がした。
「僕の片思いは前世からなんだ」
「……はい?」
「ふふ。皆には秘密だよ」
冗談だろうか。いや、冗談に違いない。
だけど、くるりと方向転換して背を向ける姿はどこか楽しげだった。
◇◆◇
昨日の騒ぎはアルトのおかげで収まったが、下級女官からの評判は地に落ちた。洗い場に行くと、なぜか自分の分だけシーツの量がやたらと多い。セラフィーナは、山盛りにされた籠を黙って受け取った。
いつもの倍の量のシーツを干し終えた後、掃除場所に行くと、誰もいなかった。埃は溜まったままで掃除が終わった様子でもない。あからさまな嫌がらせにため息をつく。
数人で割り当てられているはずの場所を一人きりで掃除する。当然ながら、時間はいつもの数倍かかる。文官たちが廊下を行き来している隅でせっせと仕事に勤しんだ。けれども、終わりはなかなか見えない。
(これは……どう頑張っても、終わらないかもしれないわね……)
気が遠くなっていると、コトンと音がした。
「嫌われちゃったようね。手伝うわ」
「ラウラ先輩……」
「大丈夫、二人でやればすぐ終わるから」
掃除用具を持ったラウラに駆け寄りたいのを堪え、セラフィーナはぎこちなく笑った。
救世主は女神のように微笑み返した。