9.街の人たちも戦う
街では、相変わらず、毎日急場づくりの病院はいっぱいで、墓穴も新しいものが掘られる日々が続いていた。
けど、市長の打つ手が早かったのと、イルゼの治療法が効き始めたのとで、黒死病で死ぬ人の数は徐々に減り始め、罹る人も少なくなってきた。
そんな中、街で変な噂が流れた。
『魔女の病院に行くと生きて帰れない』
『魔女の病院に行くと、黒死病で無い者も黒死病にされて殺される』
『市長もギルドの長連中も、みんな魔女に誑かされて魔女の手下に成っている』
等々、おかげで黒死病に罹っても病院には行こうとしない人が現れ、兵隊が強引に連れて行こうとすると、隠し持っていたナイフで切りつける者まで出る始末。
そんな人からまた感染する人も出て来た。
「こういうデマが飛び交う事は予想してたが、どうにかならない物か?」
頭を抱える市長に答えたのは、たまたま薬の開発の進捗状況を報告に来たイルゼ。
「また、歌劇の役者さんに一肌脱いでもらいましょう」
次の日、何人もの歌劇役者が馬が引く荷馬車に乗って辻々現れた。隣にはあの油布の衣装を身に着けたお坊さんや娼婦。
役者たちは自慢ののどを震わせ、朗々と歌う。
「市民たちよ御覧じあれ、我の隣に居りますのは、魔女の病院で働く者たち。一月近くあすこに居るのに、病を一切得ておりませぬぞ」
続いてお坊さんや娼婦らが、付け焼刃で習った節回しでつかえづかえ歌う。
「私たちは、元気です。患者さんも病気は重くならない人もたくさん出てます。清潔な病院で、熱を下げたり腫れものを抑える薬を飲んでるからです。食べ物もちゃんと食べています。だから死なない。街の皆さん、病院を怖がらないでください」
家々の窓からその様子を見ていた街の人々は、口々に。
「機織屋通りの教会の坊さんじゃない?病院に働きに行ったって聞いたけど、元気そうでよかったわ」
「ありゃ、おいらお気に入りのソフィーじゃねぇか、相変わらずベッピンで安心したぜ、魔女の病院に行くと死ぬってのは、ぜってぇ下らねぇ噂だな」
この日から噂は成りを潜め、病院に行くのを拒む人も減った。
噂が収まったら今度は詐欺師が街にはびこり始めた。
病人が出た家は、窓から白いシーツを出して兵隊を呼ぶ決まりなのだが、兵隊よりも早くそれを見つけ、家の人に。
「小さい魔女がひそかに金持ちあいてに造って売り付けている特効薬が手に入った。これを日に三度飲めばケロリと治る。少々お高いが分けて進ぜよう」
で、騙されてなけなしのお金を払って『特効薬』なるものを買う。当然、効くわけがない。
「くそぉ、腹が立つな!こんな大変な時に人を騙してお金儲けしようなんて、おまけに私をダシにするなんて!」
二百枚目の空振りに終わったガラス皿を鍋に投げ込みながら、プリプリ怒るイルゼ。
新しいガラス皿を届けに来た傭兵隊長がニヤリと笑いながら答えた。
「それなら我らに任せよ。いい考えがある」
今日も又、白いシーツを窓からぶら下げる家が出た。素早く詐欺師がドアを叩く。
住人が現れると いつもの口上。
しかし、住人の懐から取り出されたのは、金貨ではなく短剣。それに後ろから現れたのは剣や縄を持った屈強な傭兵。
住人に化けた傭兵隊長は不気味に笑い。
「どうだ?人を騙してる自分が騙される気分は?」
「命だけはお助けを!」
そう泣き出した詐欺師に隊長は。
「貴様の様な悪人の命でも今は貴重な時だ。殺しはしないから安心しろ。代わりに病院でこき使ってやる」
天幕の研究所でイルゼは三百枚目のガラス皿を鍋に投げ込んでいた。
これも外れ、流石につかれて、天幕から這い出て油布の衣装のまま地べたに寝っ転がる。
北の森、東の牧草地、西の大麦畑に南の草原。街の公園までほじくり返して調べたけど、どこにも黒死病を殺せる小さな生き物は居なかった。
本当に、そんなもの居るのだろうか?魔導書にも間違いはなるんじゃないか?
そう、不安な気持ちに成り、思わず「クソ!クソ!!クソ!!!」と大声で叫んでいた。
「女の子がなんとはしたない言葉を、嘆かわしいな」
老医師が、様子を見にやって来たのだ。
慌てて飛び起き。
「すみません、中々薬が見つからなくて、悔しくて」
「さっきのは冗談じゃ。成果が出ないと腹立たしくてイライラする気持ちは解る『クソ』の一言も言いたくなるわのぅ、あ、そうそう」
と老医師は懐から小さな壺を取り出した。
「詐欺師がの、お前さんが作った秘密の特効薬とかいう触れ込みで売りさばいておった偽薬じゃが、傭兵隊長が念のために調べてみてくれんかと持ち込んできよったんじゃ、体を壊すようなもんが入ってたらたいへんじゃとな」
受け取って栓を開けてみる。手で仰いで臭いをかぐが草の匂いしかしない。
中身を手袋をした手の上に出してみると、草の根をすりつぶしたものが出て来た。
「多分、雑草の根を干してすり潰した物でしょうね、飲んだらお腹壊すかも・・・・・・」
と言いつつ、その偽薬をまじまじと眺めたあと、元の壺に戻した。
その日の夜、どうにもあの偽薬が気になって、処理をしたあとゼリーを敷き詰めた皿に入れてみた。
翌朝、草の根についていた小さな目に見えない生き物がしっかり増えて、ゼリーの上に薄桃色の小さい粒がいくつも出来上がっている。
そこに、黒死病の元を垂らし、炭火を使った保温箱に入れた。
また翌朝。保温箱からガラス皿を取り出し、様子を見ると・・・・・・。
「わー!ぎゃー!」
天幕の中から聞こえた悲鳴、レーゲンが慌てて中に飛び込もうとして、寸前で思いとどまり。
「イルゼ!どうしたの?!なにかあったの?!」
「み、み、見つけた!薬の元を見つけたの!!」
そう叫ぶイルゼの手には、ガラス皿。黒死病の元を入れた他の皿とおなじで、真っ白になっていたけど、あの薄桃色い粒の周りだけ白くなっていない。
そこだけ黒死病の元に成る小さな生き物が死に絶えていたのだ。