7.小さな魔女、街の人々と立ち上がる。
その日の夜、市長は市庁舎に役場の各部署の長や、街の有力者つまりギルドの長達や大司教を集めた。そのほかにイルゼの頼みで傭兵隊長や大姉御、なぜか乞食の親玉にレーゲンまで呼び寄せている。
最初に口を開いたのは市長。
「今日、宿屋通りで見つかった病人を、このイルゼ嬢と一緒に診てきました。結果、様々な病気を治して来た彼女と、一応医術の心得がある私の意見が一致しました。我が街に、黒死病がやって来たのです」
誰もが小さな悲鳴を上げた。いくつも修羅場を潜り抜けて来た傭兵隊長も、肝の座った大姉御も顔色を変える。大司教に至っては震えながら経典をブツブツと唱え始める始末。
「そこで、皆さんと対策を協議したい」
市長がそう言うと、大司教は。
「対策などすでに決まっている!そこの邪なる存在を火あぶりにすればよいのだ!」
とイルゼを指さし、そのあとその指先をギルドの長達に向けて。
「お前たちが、この魔女を生かしたから神がお怒りに成られたのだぞ!神のご威光を思い知ったか!!この不信心者どもが!!!」
「残念ですが黒死病は私も神様も関係ありません、私達の体に入り込み、滋養を奪い毒素をばら撒く小さな生き物が黒死病の正体です。その生き物は、行商人か巡礼者かの体に入って持ち込まれたか、あるいはその生き物を宿したノミかネズミを荷物か商品と一緒に運んできたか、いずれかの方法でこの街にやって来たんです」
大司教の罵声よりも小さなイルゼの声だったが、なぜか皆の耳に届いたのは彼女の言葉の方。
また大声を張り上げよようとした大司教を抑えるように補佐司教が。
「岩山の上の修道院は助かったのに、そのふもとの街が黒死病で滅んだという報告を聞いたことがあるのですが、成るほど、井戸水もあり食べ物も蓄えと自給自足で賄い、人の往来もない修道院なら黒死病の魔の手も届かぬか・・・・・・。まぁ、これも神の恩寵ですな」
「補佐司教様の言う通りです。まずはこの街の門を閉じ、人の行き来を減らしましょう。これ以上黒死病が入ってこない様にするんです」
イルゼの提案に対し、街の市場を取り仕切る顔役は。
「そりゃ、困る。品物が入ってこないから商売は上がったりだぁ!」
「それは我々織物職人も、街の外からの買い付けが無くなるし、他の街への売り込みも出来ない。けどな、命あっての商売。ここは何とかしのごう」
と、毛織物職人のギルト長。
さらにイルゼは言葉を続ける。
「外からの人の出入りだけではありません、街の中も同じ、人出を少なくして、お互いに病をうつすことを防がなきゃなりません。つまり、絶対に必要じゃない限り、家から出ない様にしてもらわないと」
「食料品や生活に必要な物はすべて市が買い取り、市民に配給します。これで買い占めも防げ外出を控えさせることができます。配給の作業は役人させますが、人手が足りない教会の皆さんにお願いしたい」
「神に使えし者を下僕の様に扱うか!ふざけるな!」
と怒鳴り散らす大司教をしり目に補佐司教は。
「承知いたしました市長、あと、教会の兵士も街の巡回と合わせて配給のお手伝いをさせましょう」
補佐司教への例を述べたあと、市長はイルゼに。
「人から人へうつすことはこれで防げるかもしれないが、他の運び屋、ノミやネズミはどうする?」
「ノミはこれです」
そう言いつつ、肩掛けの皮袋からふいごを取り出し、押して見せる。
すると中から白い粉がまき散らされ、皆が盛大に咳き込んだ。
傭兵隊長が派手な咳払いの後、イルゼに
「く、くさい!何なんだこれは!!」
「魔女特製のノミ取り粉です。人間には無害ですがノミには猛毒で街の外にたくさん生えてる草で作れます。粉ひき職人の皆さんは、これをたくさん作ってください」
「どうせ小麦が入ってこなくなるから暇になる。水車をガンガン回して山ほどノミ取り粉を作ってやるぜ」
粉ひき職人のギルド長は小鼻を膨らませふんぞり返る。
「それからレーゲン、あんたは町中の野良猫を集めて頂戴、猫の軍隊を作ってネズミを一匹残らずやっつけるんだ」
「猫ほど軍隊に向かない生き物は無いけどね、まぁ、いいや、野良猫達の病気もイルゼは治してくれたからね、みんな感謝してるから言う事聞いてくれるとおもうよ」
「ありがと、きょうからアンタは猫の将軍だ」
「これでこれから黒死病をうつされる人は減るだろうが、問題はそれでもなる人、あるいはもうなってしまった人をどうするかだが・・・・・・」
市長がイルゼを見る。彼女は大きく息を吸い込んだ後、皆に向かって。
「発病した人は、何とか死なない様に手当てするしかありません。熱を下げる薬やのどの通りを良くする薬、腫れものを抑え、体中に回った毒を抜く薬、それに体が病に打ち勝つ力を持てるよう、弱った体でも食べられるミルクや糖蜜、重湯を与え、水も飲ませなきゃなりません。でも、患者に触るのは命がけです。自分も黒死病をもらうかもしれませんから」
そう言ったあと、彼女はあの油布で出来たコートや布のマスクをテーブルに広げた。
「これを身に着ければ、病をもらう事はある程度ふせげます。頭巾、コート、手袋は使い終われば熱湯で洗って油を塗りなおせば使えます。マスクとメガネも熱湯で洗えば病気の元は死にます。あと、手足や洗えない道具は、強いお酒を掛ければ大丈夫ですし、石鹸で洗うのも効き目があります。綿織物職人や仕立て屋の皆さん、それにガラス細工職人の皆さんに酒屋の皆さん、石鹸職人の方々もどうか助けてください」
「お安い御用だ、明日から、いや今晩からでも降り機を総動員して布地を作るぞ」
「お針子も急いでかき集めなきゃね」
「こりゃぁ夜っぴいてガラスを吹かなきゃならねぇなぁ、腕の見せどころだぜ」
「一度、この世の中で一番強い酒を造りたいと思って居たところだったんだよ。今夜から蒸留窯に着きっきりだな」
「まさか徹夜で石鹸を作る事に成るとは思わなかったが、面白い、やってやろうじゃ無いか」
イルゼの願いを、それぞれの職人のギルド長はどこか嬉しそうに聞き届ける。
「問題は、何方が患者の手当てを引き受けて頂けるか、ですが・・・・・・」
「そりゃ、わしら医者に決まっとるじゃないですか?」
市長の問いに、真っ先に声を上げたのは老医師。
「わしら医者は、今日の今日まで黒死病には負け続けて来た。じゃが、この小さな魔女のお陰で勝てるかもしれん」
「手当てするなら人手が要るだろろうから手伝おうって、ここに来る前にみんなで話し合って決めたのさ。人様の面倒を見るなら、あたしら娼婦はお手の物だよ。それに魔女さんに病気をもらわない様に人に接する方法も仕込まれてるからね。絶対に役に立つよ」
「先生、御姐さん、本当にありがとう。怖い仕事だけどお願いします」
そう礼を言ったイルゼは、今度は眉をキュッと引き寄せ、苦しそうに言う。
「でも、これだけみんなが一生懸命に戦ってくれても、亡くなる人は必ず出ます。亡骸も恐ろしい病の巣です。埋めてしまうしかありません。墓穴を掘り、亡骸を集めそれを埋める人が必要です」
「それは我らが引き受けよう」
立ち上がる傭兵隊長。だがそれをまた打ち消すように。
「待ちなよ隊長さん。あんたらには街の門や街中を守るって仕事があるだろうがよ、汚れ仕事は俺たち乞食に任せな」
と、乞食の親玉も立ち上がる。
「隊長、発病した者は強制的に隔離せねばなりません。間違いなく抵抗する者が出るはずです。そんな者たちを抑える事ができるのは、教会の兵とあなた達傭兵隊だけです。他にも隔離された者や死んだ者の家に入る泥棒、勝手に出歩く不埒者、闇で食べ物や暮らしに必要な物を売りさばき、暴利をむさぼろうとする輩が出るでしょう。それの取り締まりもお願いしたい」
市長がそう言うと、隊長は「・・・・・・承知した」と一言だけ答え席に着く。
「私は、今から患者さんの手当てをしながら、黒死病を治す薬を作ります」
市長を始め、この部屋に者たちは一斉にイルゼを見つめた。
「薬を、薬を作れるのか?」と市長。
「母さんが残した魔導書には、黒死病の事も書かれています。でも新しい病なので薬の詳しいつくり方までは載って無いですが、その手掛かりは書かれていました。おそらく、何種類も居る、土の中で落ち葉を食べて育つ小さな目に見えない生き物うちのどれかがが、黒死病の元を殺す薬を作ってくれるかもしれないと。それを探し出して、薬をたくさん作れば黒死病は治せます。時間は掛かるかもしれないけど、必ず、必ず見つけ出します」
言葉の最後は半分自分に言い聞かせている様だった。
「君の小さな肩に、重大な責任を押し付けて本当に済まない」
市長がそうイルゼに言った後、皆を見渡し。
「今こうしている間にも、黒死病は街に広がっているはずです。一刻を争います、皆さんよろしくお願いします!」
それを受けた街の人々は黙って頷きやるべきことをやるため部屋を後にする。
イルゼも半ば駈足でレーゲンと共にドアをくぐる。
廊下に出ると、大司教が行く手を塞ぐように立っている。
その横をすり抜けようとした時。
「無知蒙昧な徒を美味く誑かしたようだが、いい気になるな邪なる魔女よ。お前には必ず神の裁きが下る」
立ち止まり、大司教を見上げて。
「私が神様にとって都合の悪いことをしているのなら、裁こうが何をしようが結構です。ただ、黒死病をやっつけた後にしてください。街のみんなとの約束を守りたいんで」
と言い残し駆け去っていった。