1.生き残った小さな魔女と猫
それは、村々の教会の鐘が鳴り響いて始まった。
新月の夜。郷の男達は手に手に松明や草刈り鎌、大斧やピッチフォークを掲げ、外れの森や、池のほとりに家を構える魔女達を狩りたてた。
河原や村の広場に引き据えられた魔女達は、殴られ蹴られ唾を吐かれ、歳の若い魔女は凌辱の限りを尽くされた後、坊主が大声でがなり立てる祈りを聞かされながら、生きたまま盛大に熾された薪の中に投げ込まれ焼き殺された。
魔女らと同じように狩りたてられたのは、猫たちだ。
魔女の使い魔と目された猫も同様、家畜小屋や穀物庫、酒蔵から追い出され、追いかけ回され捕まえられ、袋に詰め込まれ川や池に投げ込まれ、生き埋めにされ、魔女と一緒に生きながら焼かれた。
そんな騒ぎの後、黒い子猫が一匹、打ち捨てられた穀物庫の物陰に潜んでいた。
彼が生き残ったのは、母猫が機転を利かせ、狂気に猛る男どもの前に躍り出て囮を買って出たからだが。結局は村の男どもに捉えられ、教会の石壁に何度も何度も叩きつけられ殺されてしまった。
まだ乳を飲まねば飢える年頃、おまけに篠突く雨に濡れぬくもりは見る見るうちに奪われていく。
暫く放っておけば死ぬばかりだ。
朦朧とする意識の中で、彼の前に黒い影が立ちはだかった。
ぼやける視界が捉えたのは、九つ位の赤い髪の女の子。
裾の破れた汚れの目立つワンピースに、折れてしまいそうな細い手足。
その手は、どこからか拾って来たのか雨除けにするために木の板を捧げ持ち、肩からは体に似合わぬ大きな皮袋を下げている。
逃げる気力もなく、ただ彼女を見つめていると、青い瞳が彼をとらえ、右手を板から放してその体を抱き上げた。
「あんたも生き残ったんだ。おいで」
布越しでも浮いたあばら骨がゴツゴツ当たるが、母を失って以来初めて感じる生き物のぬくもりに身を委ねる。
女の子はやがて、強烈に獣臭が漂う牛舎にたどり着いた。
そして一頭の乳牛に近づくと、鼻息荒く蹄で地面を掻いて威嚇するのも構わずその額に手を当て。
「ちょっとあんたのお乳を分けて、この子にも」
と、彼を片手で捧げ持ち乳牛に見せる。
すると、乳牛は大人しくなり彼女がその腹の下に潜り込んでも驚きもせず、おもむろに乳房にむしゃぶりつき乳を搾り飲み始めても、ちょっとくすぐったげに身じろぎしただけでじっとしている。
次に、片手で乳を搾り、残った手で受け、貯まった乳を彼に差し出す。
「さ、飲みな」
言われるまでもなく夢中で舐めとり飲み込んでゆく、小さな手のひらの上の乳は見る見るなくなるが、女の子はまた絞り出して子猫に与える。
そうして女の子は自分も子猫も満足いくまで乳を飲むと乳牛に。
「ありがとね、おかげで助かったよ。さ、お前も礼を言いな」
そう言うと彼をを乳牛の前に差し出す。
どうしたらよいか解らずとりあえず「ニャー」と鳴くと、乳牛は頭を振ってこたえてくれた「かまやしないよ」
女の子は彼と肩から下げた皮袋を抱きかかえ、藁の中に潜り込んだ。
生暖かい牛乳で腹を満たした彼は体温を取り戻し、同様に暖かくなった女の子に抱かれつつ、久々に眠気を感じる。
彼の頭を人差し指で撫でつつ、女の子は言う。
「ねぇ、あんた、私の使い魔に成るかい?」
じっと彼は彼女の顔を見上げる。
朱の気を帯び始めた唇は優しく微笑み、こけた頬もほんの少し赤身を差してきている。
「お母さんが魔女でさ、私もちょっと魔術が使えるし、お母さんがくれた魔導書もあるから、それで何とか食べていけると思う」
と、袋から革で装丁された古めかしく分厚い本を取り出して言う。
なるほど、だから牛と話が出来るし、自分にもこの子の言う事が解るのか、なぜか納得できた。けど、魔女は殺される・・・・・・。
「こんな田舎じゃお母さんみたいに殺されるけど、街じゃ大勢人が居るから紛れ込んでしばらくは魔女でも暮らせる。だから一緒に街へ行こう。あんた使い魔になってわたしを手伝ってよ」
暫く考えて「ニャー」と鳴くと、女の子はニッコリ笑って「じゃ、交渉成立」と皮袋から小さなナイフを取り出し、ちょっと眉間に皺をよせ自分の左の小指を突く。
ぷっくり出来た真っ赤な血の球を彼に差し出し「さぁ、お舐め」
彼は舌を差し出し塩辛く温かいそれを啜る。
小さな震えが体を駆け抜けたあと、女の子を見上げ。
「ねぇ、君の事、何て呼べばいい?」
「私の名前はイルゼ。あんたは?なんて呼ばれたい?」
「特には・・・・・・無い」
「じゃぁ、雨の日に会ったからレーゲン」
「天気に成っても雨?」
「気に入らないなら、自分で考えなよ」
「人間の言葉あんまり知らないから、それでいいや」