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悪魔のお城へようこそ


 バタバタと羽ばたく音がした。

カラスの鳴き声がこだまする。ねぐらに帰りそこねたのだろうか、闇夜のカラスだ。姿は見えない。だがどこかにはいるはずだった。すくなくとも、幽霊よりはその存在を証明しやすい。

遠野七海はため息をついた。

七海という名前からよく女の子に間違われるが、七海はれっきとした男である。ほっそりとして肌は白く、顔かたちもどこか女らしい優しさを漂わせているが、男である。小さい頃はよく女装をさせられていた。そしてよく似合っていた。今現在でもおそらく似合ってしまうのだろうが、七海にそのような趣味はなかった。

七海はオカルトライターである。

オカルトライターというのはつまり、幽霊妖怪怪奇現象を面白おかしく文章にして読者の興味を煽り立てる仕事だ。ライター系の職種の中では芸能ライターと並んで想像力が必要とされる仕事もある。

どうして人はオカルトに心惹かれるのだろう。それはおそらくこのクソッタレな現実に風穴を開けてほしいからであり、クソッタレな現実とはつまり、夜中に叩き起こされた上に明らかに不法侵入と思われる場所——たとえば廃棄された遊園地とか——に無理矢理連行されたあげく、見るからに不気味な古城風味のアトラクションの内部調査を命じられるような状況、つまりは現在の七海の置かれた状況を指す。

「すげー。こいつはすげーよ。俺の六感にビンビン来るね。これはいる。確実にいる。油断すんじゃねーぞ、呪わたらエンガチョだからな」

パンチパーにサングラスをかけ無意味にキラキラしたジャケットを着ているおっさん、七海の同僚である海丘陸彦が無駄なポーズを決めながら言った。やたらテンションが高いのは、深夜だから彼の地なのか。どちらにしても今すぐ死んで欲しかった。もしも今ここに愛用の護身用金属バット『マッスルボーイ三号』があれば、目の前の阿呆は三十秒でただの肉塊に変わっただろう。しかし手元に『マッスルボーイ三号』はない。昨日草野球に持っていったあと、車の中に置きっぱなしにしてしまったのだ。

「陸彦さん。俺は明日、朝から取材が入ってるんですけど」

「うん。それで?」

「早く帰って寝たいんですけど」

「こんなところに俺を一人で置いておいたら寂しくて死んじまうだろうがよ」

「死んでください。できるだけ早く」

「おいおいナナミン、心にラブが足りてないんじゃないのかい? そんなんだからいい年こいて股間の戦士が初陣に赴けないんだろうが」

陸彦が指をパチンと鳴らしてターンを決める。人差し指をピシリと伸ばしてチェケラのポーズ。七海渾身の右ストレートが陸彦の顔面を襲った。サングラスが吹っ飛び、以外とつぶらな陸彦の瞳がさらされる。

「ちょっと! 本気で殴るこたぁないでしょうよ!」

「殴られないと思ってたのかクソパーマ! 先輩だからっていつまでも下手に出てると思うなよ!」

「いや、先輩って言うか、むしろ後輩に馬鹿にされる案件だよこれ——あっ、うそうそ。マジでごめん。謝るから蹴らないで。結構高いんだよね、この服」

陸彦は蹴りつけようとした七海を制し、何事もなかったかのように立ち上がった。どうやら拳の衝突に自ら吹き飛び威力を殺してみせたようだ。服の汚れを払い、拾い上げたサングラスを胸元に差し込む。小動物的輝きを放つつぶらな瞳が七海に向かって笑いかけた。

「今度合コンセッティングしてあげるからさ、許してちょんまげ」

「……前にそう言ってセッティングされた合コンは、ボストロールの集団と強制戦闘させられたんですが」

「おかげでレベルが上ったんじゃない?」

某有名RPGのレベルアップ音を真似する陸彦に、再び拳が襲いかかった。が、今度は軽く避けられてしまう。

「安心してよ。今度は綺麗どころを揃えるから」

「本当ですか? もし嘘だったらパンチパーマに線香刺して、火をつけちゃってもいいですか?」

「その想像力どこからきてんの……まぁいいよ。線香でもポッキーでも鳥の羽でも好きに刺したらいいじゃない」

陸彦の腕が慣れ慣れしく七海の肩を抱いた。

「ナナミンさぁ、モテたいんだよね?」

「別に僕はそんなこと興味ないですけど、世の中の男はみんなモテたいと思ってるんじゃないですか?」

「微妙な自意識気持ち悪いなぁ。もっと素直になればいいのに」

「僕の素直な気持ちを言えば、陸彦さんがうざすぎるから粗挽きミートになればいいのにって感じです」

七海が言うと、陸彦の唇に梅干しのようなしわが寄った。

「君さっきから発想怖いな。ちょっとオカルトに毒されすぎなんじゃないの?」

「自分の行動わかった上でその台詞口にしてますか?」

冷ややかな目線を送るが、陸彦は気にした様子もない。

「女の子にモテルためにはなにが必要だと思う?」

七海は数瞬考えた末に、次のように答えた。

「金と権力——ですね」

「顔の割に思考が汚いんよなぁ、ナナミンは」

「えっ? 間違ってないですよね?」

「いやそうだけどさぁ……」

陸彦がニッと笑った。闇夜に白い歯が光る。

「小粋なトークとあふれるラヴ。これが秘訣よ」

「すいませんちょっと、愛とか反吐がでそうなんで止めてもらえますかね。駄目なんですよ昔から。愛とか希望とか正義とか」

某有名な顔パンマンのテーマ曲が流れると泣き出すような子供だったらしい。いまでもあの曲は苦手だった。吐き気と頭痛に襲われる。

「ほんとナナミン心に暗黒飼ってるなぁ。生育環境が心配になってきたよ、俺は」

「ごく普通の家庭でしたよ。休日は皆で豚をバラして邪神の祭壇に捧げたりとか」

「割りと普通じゃないよねそれは」

「さすがに人をバラしたことはないですよ?」

笑いながら七海は言った。陸彦の手がするりと離れる。なにか失敗したらしい。

陸彦は気を取り直すように、ビシッと音がしそうな勢いで、目の前にたつ古ぼけた小城——ドリームキャッスルを指差した。

「いいかナナミン。小粋なトークに必要なのまず第一に場の空気を読む力だが——すまん。ナナミンには無理だな」

「駄目じゃないですか。いきなり諦めないでくださいよ」

「でもさぁ、ナナミンってカレー食べてるときにウンコの話するタイプじゃん?」

「しませんよそんなこと。せいぜい焼肉食べてるときに、豚の解体現場について話を始めるくらいですって」

「そっちの方がヤバイよ」

「自分がなにを食べてるか知るのは大切なことじゃないですか」

「時と場合があるでしょ?」

「ちなみに豚の解体方法は人間にも適用——」

「そういうとこ!」

陸彦がパンと手を打った。

七海はキョトンと首を傾げる。

「ナナミンは空気が読めない。これはもう規定事項だから。世の中は諦めも肝心だって覚えとこう。そして第二に大切なのはネタ! ネタさえよければ受ける! 受けさえすればこっちのもんよ。まぁ三日で振られると思うけど……」

「やっぱり駄目じゃないですか」

「三日もあればワンチャンあるんじゃない?」

だったらいいか、と七海は思った。

「とにかく、ナナミンの未来はこの城の中にあるのさ。それじゃあ一緒に突撃しようじゃないか!」

陸彦が走りだす。

ここまで来てしまった以上は仕方がない。ワンチャンあるかもしれないし、七海も陸彦の後を追って、ドリームキャッスルに入って行った。



ドリームキャッスル。裏野ドリームランドのマスコットキャラクターである兎のきぐるみ、ウラのんが住む夢のお城だ。ちなみにウラのんはマスコットキャラクターにしては少々気味が悪かった。太った青色の兎で、不快なニヤケ面をしている。こんなキャラクターを生み出してしまうセンスの悪さが、この遊園地が潰れてしまった原因なのではないだろうか。

「夢の城っていうか、悪夢ですね」

七海が呟く。

人の手が入らなくなったドリームキャッスルは悲惨な有様だった。

幾つかの部屋を通路で繋いだ、迷路のような建物である。壁面は岩を積んだように見えるが、表面だけのフェイクだろう。壁の凹凸に埃が溜まって、全体的に黒ずんでいる。どこから入り込んできたのか、隅の方に落ち葉が吹き溜まっていた。その落ち葉を栄養にして、毒々しい色合いのキノコが顔を出している。たぶん食べたら死ぬタイプだと思われた。

「僕ら、どこに向かってるんですか?」

なかに入ってしばらく。どうもウロウロと歩き回っているようにしか思えない。

「実をいうとな、わからん」

あっけらかんとした陸彦の声が通路に響いた。

「陸彦さんの脳みそだったらたぶん探しても見つからないと思います。諦めた方がいいんじゃないですか?」

「おいおい、俺の脳みそがどっかに行っちゃったみたいに言うなよ。本当にな、場所がわからないんだ。たぶんここらだと思うんだけど」

迷ったわけではないだろう。そこまでの広さはないはずだ。確かにややこしい作りをしているが、出口くらいなら適当に歩いても見つけられる。

「この遊園地には結構な噂があるのを知ってるか?」

「まぁ一応は。オカルトライターの端くれなんで」

消えた子供。ジェットコースターで起きたという正体不明の事故。ミラーワールドの入れ替わり。ひとりでに回るメリーゴーラウンド。観覧車から聞こえてくる声。アクア・アドベンチャーの怪物などなど。まるで学校の七不思議だ。

「このドリームキャッスルには、地下に隠された拷問部屋があるって噂だ」

「はぁ」

七海は曖昧に頷いた。だからどうしたという気分だ。

「なんだよその気のない返事は。ちなみにここな、マジで数人いなくなってるから」

「それじゃここ、触れるな案件じゃないですか」

触れるな案件というのは、オカルト関係者の間で流れるマジモノに関する噂だった。見るな触れるな口にするな。なん人ものオカルト関係者が突撃し、結果としてかなりの被害を被った場所、モノ、行為に対して送られる名だ。その被害とは、時として命すら含まれる。

「消えると言っても年に数人くらいの話だ。日本の年間行方不明者が何人いるか知ってるか? 三万人だぞ三万人。比べ物にならないだろうが」

「その比較意味ありますか? 数人の中に僕たちが入っちゃったらどうするんですか」

「その時はその時だろ。人生はときに冒険なんだよ」

無茶苦茶な理屈を述べる陸彦の口の端に、ニヤリとした笑みが浮かんでいる。

本当はもっと別の仕事をやりたかった七海と違い、陸彦は芯からオカルト好きなのだ。好きなものは好きでかまわないが、巻き込まれる身としてはたまったものではない。

「安心しろよ。俺は前にも来たことある。でもこの通りピンピンしてるだろ」

「——前に来たならどうしてまた来ようとだなんて思ったんですか」

こんなところ、一生に一度来れば十分。二度目はもはや罰ゲームだろう。

「偶然この城を立てた建設会社の人間と知り合いになったんだ。そいつがこの城には地下室が存在するっていうんだよ。確かめないわけにいかないだろ?」

「いいじゃないですか。夢は夢のまま放置しとけば」

多少気になる話なのは事実だ。

だが地下室があるからといって、それがすなわち噂の拷問部屋だということにはならないだろう。

「常識的に考えれば、スタッフルームか荷物置き場だと思うんですけど」

「なら隠す必要もないだろ。俺たちがまだ見つけていないってことは、隠されてるってことじゃないのか?」

すでに七海たちは一階部分をあるき尽くしたはずだった。たしかに地下へと続く扉は見つかっていない。だが遊園地は雰囲気を大切にする場所である。客に見せたくないものを、一見してもわからないようにカモフラージュしている可能性は十分にあった。

「にしても、このままじゃラチがあかないな」

陸彦は荷物をあさると、直角に曲げられた太い針金を二本とりだし七海に渡した。

「なんですかこれは」

「見ればわかるだろ。ダウジング用の針金だよ」

ダウジングとは古来より用いられてきたモノ探しの方法である。曲がりのついた棒状のものを握るだけというお手軽なものだ。目当てのモノに近づくと棒が勝手に動くという。要するに、オカルト的な探知機である。

「俺がやるよりナナミンがやった方が効果がありそうな気がするからね」

「どういう理屈なんですか」

「まぁとりあえずやってみなよ」

言われるがまま七海は両手に針金を握った。

 しばらくの間はなんの反応もなかった。こんなもの当てになるはずもないだろう、とダウジングをする当の七海がそう考えていたのだが、なぜか突然針金の先が左右に激しく揺れだした。

「おっ、きたきた。さすがナナミン。やっぱりなにか持ってるよね」

陸彦がにんまりと笑う。

七海としては軽く握っているだけで動かそうともしていない。だが針金は勝手に動いた。正直に言って気味が悪い。

「俺が思うに、こういうのって相性なんだよね。俺がやっても全然反応しないけど、ナナミンが持つとこれだもんなぁ」

「全然嬉しくないんですけど」

七海は憮然とした表情を浮かべる。しかし、結局オカルトライターなんて仕事につかなければならなくなってしまったあたり、陸彦の言うとおり、相性がいいのかもしれなかった。とはいえそれが七海の幸福につながっているかというと、やはり全然別問題なのだった。

「そう言うなって。俺からすれば凄く羨ましいんだからな」

言いながら、陸彦は周囲の壁をしきりに調べて回っている。聴診器のような道具を耳に当て、金属の棒で壁を叩く。それでなにが分かるものなのか知らないが、陸彦は一人頷くと、道具を元のカバンにしまった。

「ここだな」

 陸彦はあたりを付けた石組みに手をかけ、奥に押し込んだ。

 ガチリ、という音がして、目の前の壁が石組みの目に従って左右に開く。

 黒々と口を開ける、地下への階段が現れた。

 呆然とする七海の横で、陸彦が満足げな笑みを浮かべていた。

「それじゃあ噂の拷問部屋を見学させてもらうとしよう」



 階段はまっすぐ地下へと進んでいく。

 下りた先には扉があった。重さを感じさせる鉄の扉だ。鍵はかかっていなかったようで、陸彦が押すと低い音をたてながら開いた。

「なんだ、やっぱり荷物置き場じゃないですか」

 七海はほっと息を吐いた。

 十メートル四方ほどの四角い部屋に、スタッフの制服や、イベントにでも使ったのだろう机や椅子。マスコットキャラクターのきぐるみなど、雑多なものが放り込まれている。

「やっぱりただの噂ですよ。拷問部屋なんて」

「いや待て。おかしいぞ」

 陸彦の声には興奮が滲んでいる。

「どうしてここに荷物があるんだ? ここが正規の荷物室なら、廃園になったからって荷物を放って置かないだろう」

「そうとも限らないでしょう。お金に変えられるようなものでもなければわざわざ運び出したりしませんよ」

 ここに置かれている荷物は、贔屓目に見てお金になるようなものではない。某有名な夢の国くらい熱心なファンがいるのであれば、制服くらいはお金に変えられたかもしれない。だが地方の小規模遊園地にそこまで熱心なファンなどつかないし、そもそもそんな人気があれば廃園になることもなかった。率直に言って、ここにあるのはガラクタなのだ。

 だが、七海の意見は陸彦の耳に届かなかった。

「俺が思うに、これはカモフラージュなんだ」

 陸彦は部屋をぐるりと指し示した。

「こうして荷物が置いてあれば、普通の人間はこの部屋のことを荷物室だと思うだろう」

「思うもなにも荷物室ですよ、ここは」

 いい加減現実を見てください、と言おうとした七海の顔に、陸彦がピシリと人差し指を突きつけた。

「そこが盲点なんだよ。人間が一番油断するのは、自分が相手の思惑を超えたと感じるときだ。罠に引っかかりやすいのは、罠を乗り越えた直後ってことだ」

「それがどうしたんですか」

「つまりだ、俺たちはあの隠された扉を見つけ出した。なにがあるのかとワクワクしながら降りてきたら荷物室らしきものが待っている。大抵の人間はこれ以上なにかを探そうなんて考えないだろ」

 よほどのひねくれものでなければそんなことは考えないだろう。むしろ考えない方が人間として正しいと言える。

「そこで俺は考えるわけだ。この部屋は噂を聞きつけ地下室を探しに来た人間へのカモフラージュ。本当の地下室はさらにこの奥にある、と!」

漫画だったら集中線が出そうなポーズで陸彦は言う。しかし七海が無反応を貫いたせいだろう。少し首を傾げたあと、無言のまま七海の手にダウジングようの針金を握らせた。

とたん針金はビヨンビヨンと左右に揺れる。やがて一つの方向を指して停止した。左手の奥。ちょうど背の高い看板が置かれているあたりだ。看板には手招きをするウラノンが描かれている。

陸彦が看板をどかした。看板の後ろには、ポッカリと横穴が開いていた。さっきの隠し扉とは違う、素人臭さが漂う不格好な入り口だった。手掘りなのだろう。横穴の中は土壁が露出している。天井部分は木の板で補強されているが、崩落の危険性がないとは言えなそうだ。

だがそれ以上にもっと危機感を煽るのは、横穴の中から漂ってくる匂いだった。

 絡みつくような不快な匂い。腐臭だ。

「なんかこれ本当にヤバそうじゃないですか」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず。行くぞ、ナナミン」

そう言うと、陸彦は穴の中に入っていった。七海はしばらくためらったものの、結局陸彦の後を追った。

横穴は微かに傾いていた。もとの地下室よりもさらに下へと下っていく形になる。とはいえ、さほどの長さではない。十メートルもしない内に、広い空間にたどり着いた。

円形の部屋である。

陸彦がライトの光度をあげた。さして広くもないその部屋は、それだけではっきりと見えるようになった。

「なんだ、これ——」

天井から、太いフックが吊り下げられている。錆びているのか、フックの表面が赤黒く汚れて見えた。部屋のすみには大きなツボが三つ並んで置かれていた。

フックのちょうど真下のあたりを中心として、地面に円形の溝が切り込まれている。さらに溝は円の内側で複雑な模様を描き出していた。

「豚を解体する時のフックですね。実家にあったのとよく似てます」

「下のは魔法陣だな。似たようなのを見たことがある……悪魔を呼び出す、だったか。誰かが本気で黒魔術でも試したみたいだな」

そう言うと、陸彦は壁際のツボに近づいていった。重そうな木の蓋をどかして、中を確かめていく。

「髪の毛がこびりついてる」

戻ってきた陸彦言った。

「豚のしっぽの見間違いとかじゃないですよね」

「違う。黒い長髪だった。女の髪だな」

七海はフックを見上げた。

人間はしょせん大型哺乳類にすぎない。豚や牛などの家畜とほとんど同じ工程で解体することができる。それが可能であるということと、実際にそれを行うことは決定的に異なっている。この部屋の主は越えてはいけない一線を明確に超えてしまっているのだ。

「喜べナナミン」

陸彦が七海の肩を叩いた。

「噂は本当だった。これは大スクープだよ」

「拷問部屋ではないですけどね」

「たぶん悲鳴が漏れたんじゃないかな。そこからの想像で、拷問部屋」

なるほど、と七海は思った。

「実際はさらに悪趣味だったと。それにしても、死体はどこに片付けたんでしょう」

大型動物の解体は非常な悪臭を伴う。隠し扉で隔離されているとはいっても、外まで匂いが漏れずにいるとは考えにくい。そうならないのは、後始末をきちんとしているからだろう。

「さぁね。アクア・アドベンチャーの化物にでも喰わせたんじゃない? 地下室の噂が本当だったんだから、他の噂も本当なのかも。それか——」

陸彦は足元の魔法陣を指差した。

「召喚された悪魔が喰ったか」

「だとしたら」

七海の背後に、大きな陰が忍び寄った。

「その悪魔、もしかしてまだこの遊園地にいたりして」

頭の上から飛び出した耳。人を小馬鹿にしているようなニヤけた目。

ウラノンが、七海の後ろで錆びたナタを振り上げていた。

七海が振り向く。視界いっぱいに迫るナタ。七海の頭は状況を理解することができず、したがって彼は脳みそをかち割られて死のうとしていた。けれどもナタが七海の頭蓋に到達するより僅かに早く、陸彦が彼を突き飛ばしていた。

絶叫がこだました。

七海を助けた代償として、陸彦は右肩を深く斬りつけられていた。

鮮血が舞う。

陸彦は傷口を押さえながらよろめくように後ろへさがり、その場にうずくまった。

 プラスチックの無機質な目が陸彦を見おろしている。そちらを先に始末することに決めたらしく、ウラノンは陸彦に近づいていく。

ウラノンが出入り口から十分に離れた瞬間、猛然と立ち上がった陸彦がウラノンの足にタックルを決める。右肩の怪我にもかかわらずそのまま人形の体を持ち上げると、脳天から叩きつけるようなスープレックスを叩き込む。

「七海! 逃げろ!」

呆然と成り行きを見守っていた七海は、その一言で我に返り、全速力で駆け出した。隠し扉が閉められている。陸彦が鍵となる石に印をつけていた。印に従って石を押し込む。叩き壊したくなるような速度で扉が開いた。

後ろのほうで格闘するような物音がした。

陸彦とウラノンとの戦いはまだ決着がつかないようだ。

最高速度で逃げようとした七海だったが、ふと思いつき、そこらの荷物をかき集めると隠し扉が閉まらないように細工をした。

 深手を負った陸彦が生き残れるとは思えなかったが、もしかして、という気もしてきたのだ。できることならうまいこと生き残ってほしかった。陸彦抜きでは合同コンパが開催されない。

——とはいえ、

死ぬ気で足を動かしながら、七海は思った。

——仮にコンパが開かれたとして、全部あの人に持っていかれそうな気がする。






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