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公国からの帰宅

 バラクの研究資料は教会から派遣された代行者達の手でそのほとんどを異端扱いされて焼き払われた。立派だった建物は次の日には爆破されて瓦礫の山と化した。建造物ぐらい再利用出来たのに、とも思ったものの、あの量産型聖女製造の設備を潰すにはこれが一番手っ取り早かったのだろう。

 帰還中に来た道を戻っていたわたし達は資料処分中の光景だった。量産型聖女や勇者達の亡骸はぞんざいには扱わずにそれぞれ用意された棺桶の中に横にされていたから、葬儀を執り行い埋葬されるのだろう。異端扱いでぞんざいに扱われるとばかり思っていたので正直意外だったが、人として弔う慈悲にはわずかばかり安堵した。

 最も、神をも恐れぬ大罪人バラクを罰するのがこの異端審問の名目だろうが、その実聖女アダによる口封じに思えてならなかった。かと言ってわたしはアダを責める気は無い。神が強く信仰される人類圏においてこのような研究に打ち込んだバラクは神罰が下るのも覚悟の上で踏み切っていた筈。ならアダの真意がどうあれ、わたしが口を出す事柄ではない。


 次の日、聖女アダの来訪を知ったエステルの驚きようはどう言い表せば良かったか。更にはバラクを異端扱いとして裁いたと事後報告された際はただ呆然としていた。アダはチラが先んじて神に仇なした罪深きバラクを救済したと主張したため、チラは更に人々から慕われるようになった。


 聖女アダは代行者達を伴ってその日にはパラティヌス教国へ帰還すべく旅立つ事となった。


「ええっ!? もう行っちゃうの?」

「うん、キエフにはチラちゃんがいるから私の出番はないもの。聖女を必要としている国も地域もいっぱいあるから、私は別の所に行かなきゃ」

「……ま、また会えるよね? お願いだから絶対に無茶しないで。約束だよ?」

「うん、大丈夫だよ。チラちゃんの方こそ身体に気を付けてね」


 確か双子の聖女の間のやりとりはこんな感じだった筈だ。チラが感極まって大粒の涙をこぼして、アダがそれにつられて頬に涙を流していた。最後は強く抱き合ったっけ。本当にお互いを大切に想い合っていて深い絆で結ばれているのだと見ているわたしの方まで感極まってしまった。


「チラちゃんから聞きましたよイヴ。バラクを散々な目にあわせたそうですね」

「あら、助かる機会を与えたんだから慈悲深いでしょうよ。明日は我が身だって怯えたかしら?」

「言っておきますが、チラちゃんに危害を加えるようでしたら地獄すら生ぬるい苦痛と絶望を与えてあげますから」

「それはしかるべき舞台での貴女の態度次第じゃあなくて? 聖女アダ様」


 一方、アダとイヴの間に渦巻いた重苦しさと言ったら筆舌に尽くしがたい。正直その場から逃げ出したいぐらいだった。笑顔で会話する二人の目は極寒の雪山もかくやと言わんばかりに凍てついていた。アダは完全に開き直っているしイヴも引き下がろうとする気配が微塵もない。


「マリアも変わりましたね。本音を明かしますと今の方が好印象です。それとも元々そうだったけれど私が気づかなかっただけなんでしょうかね?」

「マリアはあまり感情を表には出しませんでしたけれど、チラが思っているほど魔導師らしくはなかったと思いますよ。人を想う心については誰にだって負けていません」

「そうでしたか。そうですね……今度はお互い立場も過去も忘れて交流していきませんか? 去年まではお互い線引きした関係しか築けませんでしたから」

「わたしでよければ喜んで。では文通からになるんでしょうか?」

「何でしたら聖都に観光にいらしてください。私が案内しますので」

「ふふ、いつかお言葉に甘えさせてもらいますね」


 わたしとアダの会話はこんなものか。まさか最も理解し合えないだろうと思っていたアダとこうして仲良くなれるなんて。彼女ともそのうちイヴとのように日常で他愛ない会話を織り成しながらゆったりとした時間を過ごせるのだろうか? 折角絆が出来たのだから、その最初の一歩になれるよう願うばかりだ。


 旧キエフ公国を侵食した妖魔達はエヴァの命令で撤退の真っ最中だ。旧キエフ公国に深く入り込んだ魔物達も残らず東へと移動しているし、人だったのに妖魔へと堕ちた者達も例外なく落ち延びている。イヴは旧キエフ公国を南北に流れる大河を境にしたいと語っていたから、当面は大河が人類圏の東端となるだろう。


 進軍したアタルヤ軍は破竹の強さで公都より北東の都市、並びに人類連合軍が大敗を喫した南東の都市を一週間かけて奪還した。特に妖魔達を人間に戻すような面倒な手順は踏まず、敵として悉く倒していったそうだ。軍団長亡き魔王軍であってもその数はなおアタルヤ軍を優に凌いでいた筈だから、アタルヤ軍がただ強いのだろう。

 後からアタルヤに聞いた話では第二都市の攻略戦にはエヴァが立ちはだかってきたらしい。死闘の末、結果はエヴァの惨敗に終わり、命からがら逃げ延びたんだとか。

 恐ろしいのは仮にも勇者だったエヴァを一蹴したアタルヤ軍の練度か、それともアタルヤ個人の強さだろうか。だがアタルヤ当人は真っ向から迎え撃っていないと明確にその快勝を否定してきた。


「別に一対一の正々堂々とした戦いはしていないぞ。乱戦に持ち込んで封殺しただけだ。いかに華々しい活躍を果たした英雄だろうと戦場では大局を動かす歯車の一つに過ぎん」

「わたしにはアタルヤさんこそ本にも書かれる栄光と共にある騎士に思えてならないんですけれどね」

「私が? まさか。戦うのに必死だった私は所詮蛮族に過ぎんよ」

「帝国の騎士団や親衛隊と比べても遜色無いと思いますが……。ちなみに誰と比較しているんです?」

「……私達の終生の宿敵だった者達、かな。遠い昔の話だ」


 凱旋したアタルヤとはこんな会話を交わした。これほどの強き者であるアタルヤが生前どのような道を歩んできたのか、そしてイゼベルがどうして彼女を現世に蘇らせたのか、改めて非常に気になってしまった。全く謎だらけな彼女の真実には、同じ街に過ごしていればいつか触れられるだろうか……?


 一方のノアはあの後南方で進軍していた軍勢を退却させたらしい。少し軍から目を離していたら帝国軍に手痛い目にあわされていたので思わず項垂れたんだとか。けれど彼については魔王軍の軍団長としてではなく、ノア個人として再会したいものだ。


 そして、皇帝サライ率いる帝国軍が公都に到着したのは公都防衛戦より二週間が経過してからだった。ちなみに初めて帝国軍が南方よりその姿を現した際は新たな侵略軍だと勘違いされて大騒動になったのだけれど、別の話だろう。


「お初にお目にかかります、皇帝陛下。私はこの国を治めております大公、エステルと申します」

「初めまして。私がレモラ帝国皇帝のサライよ」


 宮殿の謁見の間にてエステルと陛下との最初の一幕がこれだった。深々とお辞儀をするエステルと威風堂々と立つ陛下の構図は、もはや誰の目からも旧キエフ公国と帝国との優劣をそのまま形にしたようにしか見えなかった。

 旧キエフ公国は魔王軍による蹂躙で国の疲弊はもはや限界が近く、人々の生活がままならない状態だった。一年前は西方諸国と人類連合軍の力を借りてかろうじて生活圏を維持してきたが、もはや単独では衰退していく他ないだろう。

 帝国軍総勢十六万は陛下の判断一つで救いの主から侵略の暴力へと変わり果てる。エステルや旧キエフ公国の貴族達は覚悟を決めていたのか神妙にしていたけれど、陛下はダキア公都の時と同じく絶対の自信を秘めた笑顔を見せたままだった。


「この度は我が国の危機に救いの手を差し伸べてくださった事、国を代表してお礼申し上げます」

「あー、堅苦しいやりとりは抜きにして、単刀直入に言わせてもらうわよ。キエフ公国はそのままの形に帝国に加わる気は無い?」

「て、帝国に加入、ですか?」


 陛下の提案はキエフ公国を帝国第四の公爵領として迎え入れるというものだった。基本的な制度は帝国に準ずる形になるが、各公爵には寛大なほどの自治権が与えられる。これまでと変わらぬ文化、風土での生活が続けられるだろう。

 ちなみにこの三大公爵制度は大帝国時代の失敗を教訓としているのもあるそうだ。帝国が滅んでも各公爵領が独立した国家として統治を続けられるように、だとか。逆を言えば各公爵領は帝国が危機を迎えても容赦なく切り捨てられる事にも繋がる。

 現在の帝国の繁栄はひとえに各公爵領を結びつける陛下の統治の賜物だろう。


「西方連中に援助を求めたって食い荒らされた挙句に防波堤にされるだけよ。そうされるぐらいだったら帝国が復興の手助けするからさ。どう? 悪い話じゃあないと思うけれど?」

「分かりました。謹んでその提案をお受けいたします。今後はこの公国の事、よろしく頼みます」

「即断即決! さっすが話が分かるわ! じゃあ詳しい話は連れてきた文官を交えてやりましょう。まずはこっちに避難させてたそっちの人達の帰還事業ね」

「勿論帰ってきてくれるなら嬉しいですけれど、こちらからは強く要望は致しません。出来れば本人の意思を尊重していただければ――」


 エステルが国を挙げて行っていた全市民の一時避難は一旦取りやめとなった。けれど帰還については無理矢理帝国から追い出すのではなく各々の意思にゆだねる形となった。それはそうだろう、疲弊した故郷に戻るより新たな生活の基盤を築いた帝国に留まりたいと願う人だって出るだろうから。わたし達が通り過ぎた国境沿いの街のように受け入れ態勢がかなりの速度で進められたのもあるだろう。

 最も、キエフが帝国に加わるなら国境は無くなったも同然。故郷が懐かしくなった頃に帰郷を選んでも遅くはないだろう。エステルの希望は全国民の帰還だそうだが、まずは国を立て直して国民が普段通りに過ごせる環境を取り戻す所から始めなければ。


 そんな感じで陛下とエステルの間では取り決めが行われていった。この辺りはただの魔導師に過ぎないわたしの域を超えているので詳しい話は聞いていない。後からエステルに聞いてみると、とても誠実で未来に希望が見えたんだとか。

 陛下によると第三都市オデッサまであのバテシバが従軍していたらしい。その名を耳にするのは学院の卒業式以来だった。彼女はわたしの同級生で常に優秀な成績を収めていた。学院一年の頃はマリアと良く張り合っていた記憶が強い。


「……マリアって姉さんと知り合いだったの?」

「えっ?」


 衝撃だったのは、バテシバが皇族なのは知っていたけれど、イヴがバテシバの妹だった事だろうか。自分とイヴばかり比較していたからイヴを年上とばかり思っていたけれど、成程バテシバとイヴを比べたら確かにイヴの方がバテシバより僅かに子供らしい面影を残している。

 陛下、バテシバ、イヴはそれぞれで母親が違う。それでもこの三人はお互いに仲良く幼少期を過ごしたんだそうだ。多くの苦難と挫折を乗り越えて今があるのだろうけれど、結果だけを見ると凄まじい姉妹なものだ。

 マリアが稀代の才女ならバテシバは堅実な秀才だろうか。全属性で秀でた能力を有し、最上級魔法を多く習得する魔導師の模範とも讃えられた彼女に憧れる人は多かった。わたしと同じ年で帝国魔導元帥の地位にまでいるそうだけれど、別になって当然だろうとわたしは思うので不思議でもなんでもない。


「よろしくって言ってたわよ、あの子」

「……そうでしたか。ならわたしもより一層頑張らないといけませんね」


 あまり学院でうまく交流関係を築けなかったわたしだけれど、彼女とは何気なく言葉を交わしていた気がする。新たな生活が落ち着いたら彼女に手紙を書いてみるのもいいかもしれない。こう言った関係は大切にしていきたいものだ。


 帝国軍の到着でようやく情勢が落ち着いてきた。優秀な救護班も任務にあたっているので、これ以上わたしの出番は無い。イヴも陛下に諸々を引き継いだので晴れてわたし達はお役御免になっていた。

 帝国に戻るとエステルに報告すると、エステルはささやかながら宴を催してくれた。社交界のような堅苦しいものではなく街角の酒場のような和気藹々とした無礼講となり、各々が楽しく交流を深めたり食事や飲み物を口に入れていった。


「イヴ様、マリアさん。この度は……」

「閣下、私は叔母の代わりに帝国の使者として来訪している身です。ミカルとお呼びください」

「公妃ミカル様は皇帝陛下に引き継がれて帰られたではありませんか。ここにいらっしゃるのはイヴ様ですよ」

「成程、これは一本取られました。ではイヴ、で」

「改めて、この度は来ていただいて本当にありがとうございました」


 エステルは護衛を引き連れずにわたし達の前に足を運ぶと、深々と頭を下げてきた。一国の主がそんな、とも頭に過ったものの、そう言えば今日は無礼講だったんだと考えを改めた。


「イヴ様とマリアさんがいなければこの国は魔王軍の滅ぼされていました。いえ、それだけなら最後の日を迎えられたかもしれませんが、きっと私達は残らず心も体も魂すら魔に堕ちてしまっていたでしょう。堕落から救ってくださったんです」

「……申し訳ありません。勇者と呼ばれながら魔に下った方々を救えずに」

「いえ、私が国を治める者として至らなかったばかりに多くの犠牲が出てきてしまっただけです。私のこれからはその贖罪の為にあるようなものですよ」

「閣下、畏れながら申し上げますが、一人で背負いこむ必要はございません。手を取り合って進めば乗り越えられる困難もございましょう。姉のミカルもその為に手を差し伸べたのですから」

「イヴ様……。そう言ってくださると少し心が軽くなります」


 エステルの前の課題は山積みだ。本来の公爵や公太子の代わりに執務に当たる彼女にとっては今後も辛い日々となるだろ。それでもエステルだったら乗り越えられるような気がした。だって最大の危機はこうして乗り越えられた。後は復興していくだけなのだから。

 前向きに進んでいればいつか目の前は明るくなるだろう、きっと。



 ■■■



「えぇぇ? や、やっぱり帰っちゃうんですかぁ?」

「ええ、もう私達のやるべき事は残っていないもの。何時までも厄介になっているわけにもいかないでしょう?」

「寂しくなりますわね。ここのところずっと一緒に行動していましたし」

「仕方がありません。わたし達にはそれぞれの生活がありますし。けれど今日別れたからってこの後二度と会えないわけではありませんよ」


 出発の日のまだ太陽が昇り始めたばかりの早朝、わたし達はプリシラとチラの見送りを受けていた。彼女達の面持ちは今日の天気同様に実に晴れやかなものだった。

 プリシラとチラはもう少しの間キエフに留まるそうだ。帝国の一部となったキエフの平穏が戻ってきたら切り上げるそうなので、そう時間はかからないだろう。彼女達を必要とする人達は大勢いる。名残惜しくてもいつまでも同じ土地に留まってもいられないだろう。


「勇者様、どうかお気をつけて。そ、それとアダちゃんを酷い目にあわせるつもりでしたら許しませんからねっ」

「チラも元気でね。アダの件は……まあ、考えておくわ。少なくともチラを出汁にアイツを苦しませるつもりはないから、そこだけは安心して」

「そんな事を言っているんじゃあないんですぅ! んもう、勇者様ったら……!」


 イヴとチラの会話は穏やかなものだった。完全に打ち解けていて親しい間柄を築けていると傍から見ているわたしにも感じられた。こうして人間味あふれる姿を目にすると、復讐に彩られた最初に出会った彼女から随分変わったものだと思う。いや、わたし達が裏切ったばかりに変貌していただけで、これが本来のイヴなんだろう。


「マリア様、帰りの道中もお気を付けくださいまし。魔王軍という明確な脅威は去ったとはいえ、治安が行き届いていない地域ばかりですので危険に溢れていますわ」

「プリシラもどうか体を大事に。チラの為だからって無理をして彼女を心配させないで下さいね」

「勿論心得ていますわ。お互いに一度復讐の刃を受けた身、これからを大切に生きましょう」

「ええ、そうですね」


 わたしはプリシラと固く握手を交わした。お互いに新たな別の道を歩みだしているけれど、今後も巡り会う可能性は大いにある。次の再会を楽しみとさせてもらおう。


「ありがとうございました勇者様、マリアさん! また会いましょうね!」

「ええ、今度はゆったりと時間を過ごしましょう!」


 わたしとイヴを乗せた馬車が宮殿を離れていく中でもチラとプリシラはわたし達に手を振ってくれてた。わたしも二人の姿が見えなくなるまで馬車から身を乗り出してそれに答え続けた。


 本当にここでは色々な事があった。チラやプリシラとの出会い、エステルの苦悩、魔王軍の侵攻、バラクの野望、勇者の活躍……。思い起こせば濃厚なひと時を過ごしたと思う。

 けれどそんな忙しい日々も一旦お終いだ。わたしは戻っていく、わたしが望んだ平穏なひと時を過ごすわたしの故郷へ。別れは確かに寂しいけれど一生会えなくあるわけではない、次の機会での巡り会いを心待ちにしよう。


 日常への帰路に付きわたしの心は先ほどのチラやプリシラ達と同様、実に晴れやかだった。

これで本章も終わりになります。お読みくださりありがとうございました。

次の章もよろしくお願いします。

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