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捲土重来の反撃⑦:魔王復活の儀式

 わたし達の横に降り立ったのはエヴァと似たような恰好をした……いや、肌を露出させながらも下品ではなくむしろ気品すら漂う衣装を身にした夢魔だった。珠のような肌は所々が傷ついていて、中でも左腹部からは夥しい量の血が流れ落ちている。よく見ると漆黒の左翼も大きく引き裂かれていた。息をするのも苦しそうで、肩を大きく上下させている。


「魔人様ともあろうお方が無様なものねえノア。何負けてんのよ……! あんたがヘマしたおかげで台無しじゃあないの!」


 そんな彼女、サロメは顔色を悪くしながらも最初はノアを指さして嘲笑ったものの、次第に怒りを露わにしてかぶりをきった。ノアは呆れるようにため息を漏らしてふとした拍子で折れそうなぐらいか細い手で後ろ髪をかき上げる。


「えらそうな事を言っている君だって随分と酷い目にあったようだけれど? 第一どうしてこっちに来たのさ。まさか俺を助けに来たんじゃあないだろうし」

「当たり前でしょうが! まんまと敵の策にはまった挙句にぼこぼこにされた間抜けに割く労力なんて持ち合わせてないわね」

「じゃあ何の目的で? 俺を罵りたかったわけでもなさそうだし」

「そんなの私達の悲願の為に決まってるじゃあないのよ……!」


 サロメは次に倒れ伏す魔人セムの尻に敷くエヴァを目を細めて睨みつけた。エヴァは涼しい顔をさせながら大仰に肩をすくめてみせる。


「……貴女に目をかけたのは私の落ち度だったようね」

「私は私の全てをぶつけて敗れた。敗者が勝者に従うのは別に悪い事ではないでしょう。貴女様が教えてくださった世界もとても甘美で溺れるものだったけれど、ね」

「エヴァをかどわかした輩は、ソイツか」


 だが、サロメがエヴァに向けた睨みなど次にイヴへと向けた形相に比べれば涼風も同然だった。表情を消失させてただ静かに勇者を見据える様は、悲鳴を上げて逃げ出したくなるほどの殺意と恐怖を感じさせた。


「……貴女が勇者ね。一目会いたいとは思っていた」

「そう、それは光栄ね。それで、尻尾を振る主を失った残党風情が何をしに今更来たのかしら?」


 その問いは先ほどノアにも向けたものと同じだった。魔物を統べる君臨者がいなくなった後に付き従っていたお前は今後何をするのか、と。けれどこれ、勇者が皮肉を込めて挑発してるようにも聞こえるし、上司がお忍びで部下の本音を聞き出そうとする深い意図があるようにも思える。不思議なものだ。

 サロメは憤りに身を震わせるかと思ったら、意外にもイヴの問いを鼻で哂った。


「勿論、魔王様という我らの救世主に再び地上に降臨していただく為に。私達魔王軍は魔王様に魅了されて集った者達。それ以外一切手を取る理由のない生き物ばかりだもの」

「死んだ者をどうやって蘇らせるの? 一年前の大魔宮にさかのぼって魔王の厳命を拒絶してでも勇者の前に立ちはだかるつもりかしら?」

「出来るならそうしたかったけれど、私にはあいにく時空を担う能力は無くてね。けれど、確実な方法を練っているのよ」


 サロメは舌なめずりをすると指を艶めかしく動かした。そして次の瞬間、指先を鋭く立てて一気に自らの胸元へと突き入れたではないか。


「ひ、ひいいっ!?」

「な、何を……!?」


 チラが悲鳴を上げる。思わず後ずさったせいで塔から身を乗り出しそうになる所を寸での所でプリシラが引っ張って難を逃れる。エステルは口元に手を当てて震える声で問いかけるけれど、気丈にもサロメをその双眸でしっかりと捉えていた。

 口から血を溢れ出させるサロメは雄叫びと共に己の身体の核、すなわち心臓を抜き取った。朱色に染まり深紅の血を垂れ流しつつも桃色に染まるその肉の塊は、彼女の身体から離れてもなお脈動していた。


 気がふれた……いや、明らかに明確な意図があっての自傷だ。なら自ら命を絶った……いや違う。わざわざ深手を負った身でわたし達の前に現れたぐらいだから、その上で自殺を図るのはおかしい。己の心臓を取り去る行為すら過程で、その先の結果を掴もうとしているなら……!


「させない……! マジック――!」

「遅い……! 我の心の臓をもって因果は流転する……!」


 わたしが攻撃魔法でサロメの凶行を止めようとするも、その前にサロメの血があふれ出ながらもまだ潤った唇から力ある言葉が発せられた。


 途端、世界が反転した。


 比喩ではない。本当に世界が一周した感覚に襲われたのだ。猛烈なめまいで意識を手放してしまいそうだ。何とか気力を振り絞って足を踏ん張り、敵を逃すまいとサロメを精一杯睨みつける。

 彼女は心臓を掴んだままで、傷ついた身体も翼もそのままだ。けれど、本来ある筈のものが跡形もなく消え去っていた。


「胸の傷が、塞がっている……!?」


 そう、自分自身で貫いたはずの胸元の大きな抉れ跡が綺麗に治っているのだ。いや、そもそも命の源たる心臓を失っているのにどうして事切れずにいられるんだ?

 サロメは驚くばかりのわたしには見向きもせず、ただ一点を見据えながらその顔を狂気で歪ませながら高らかに笑い出した。


「あっはははは! 出来た、やり遂げましたわ魔王様! もうすぐこのサロメが貴方様をお迎えにあがります!」


 思わずサロメの視線の先に振り返った。敵から目を離す事になるけれどそうせずにはいられなかった。

 サロメの穴が無くなっていたのと対照的に、チラの法衣は胸元から真っ赤に染まっていた。咳き込みで口からあふれ出る血で口元と胸元が染め上がっていく。彼女を抱えていたプリシラは目を見開きながら呆然としていたものの、やがて全身を震わせて叫び声をあげた。


「い、いやああああっ! どうして、どうして……!?」


 プリシラに抱えられた聖女チラは、プリシラの手を弱々しく握るのが精一杯で、その目から徐々に光を失わせていった。


 どんな原理かは全く分からない。目の前の光景が現実だとして推測すると、サロメは自分の心臓を抜き出したという事象を聖女チラの心臓を抉り取ったという結果に流転させたのだろう。因果の逆転なんてそれこそ歴史に名を遺すほどの偉大な大魔導師が生涯かけて大掛かりな儀式を準備して一度出来るか否か、ぐらいの無茶だろう。

 塔の上にいた誰もが感情を爆発させるより早くサロメは次の行動、エヴァの方へともう片方の腕を突きだした。


「奇蹟をもたらす光の聖女を生贄とし、そしてぇ!」

「……!? う、ごけ……なぃ……ッ!」


 エヴァの顔が驚愕と焦燥に染まった。渾身の力を込めて身体を動かそうとしているようで歯を食いしばりながら全身を震わせているけれど微動だにしない。それどころかエヴァの身体中に光る紋様が次第に描かれていくではないか。

 サロメがエヴァに干渉した挙動は見られなかった。だとしたらまさか、先の戦いでエヴァは妖魔へと堕ちた際に身体の隅々にまで細工をされていた?


「魔を払う光の勇者を供物とする! 本当は魔王様にたてついた勇者と聖女を地の果てまで探すつもりだったけれど、代役がいるなら好都合!」

「あ、あああぁぁっ!」


 エヴァが絶叫をあげながらその身体を徐々に浮かしていく。彼女の紋様はその輝きを増していき、眩しいばかりかわたし達に威圧、重圧すら感じさせる雰囲気を発している。

 サロメからは膨大な量の魔力が迸っているのが分かった。彼女は全神経を手にした聖女の心臓と勇者の紋章に集中させていた。もはや魔力どころか命すら奪われかねない程消耗していくけれど、サロメはむしろ快感だと言わんばかりに歓喜で染まっていた。


「勇者と聖女を捧げる! 降臨せよ、魔を統べる我らが偉大なる主よ!」


 その言葉はこの場にいた者、城壁上から見上げていた人々を絶望させるのには十分だった。


 彼女の力ある言葉と共に天空が大きくひび割れ、そして砕け散った。その先に広がる空間は漆黒の闇とも眩い光とも思える境界無き混沌の世界。ただ一つ分かるのは、それは決して命ある者が覗き見てはいけない冥府の世界だというぐらいか。


「冥府の、扉……」

「魔を統べる者、そんな……」


 エステルが膝を落とす。力失い倒れそうになるのを何とか近衛兵達がその身を挺してかばう。それは他の兵士達も同じで、手にしていた剣や弓を取り落としてただ空間の穴を眺めるしかなかった。

 魔王、その全ての元凶を打倒するために、勇者の道を切り開くために人類が一体どれほどの犠牲を払ってきたか。志半ばで命を落とした者、一勝癒える事のない傷を抱えた者、心に深い跡を残した者……数えきれない人達が魔の者によってその人生を狂わされてきた。

 そうして奇蹟的にも勝ち取った平穏が、今終ろうとしている――!


 ……と、大半の人が絶望しているんだろうな。真実を知るわたしからするとサロメは滑稽に踊っているように見えてしまう。

 と言うかその口ぶりからすると魔王の事をよほど心酔していたんだろうけれど、もしかして本当にイヴの正体に気づいていないんだろうか? 結構言動の端々にアダムが入り混じっているのだけれど。それだけイヴがイヴらしく振舞っている証でもあるが。


「あら、成功させちゃったのね。本当に見事なお手並みだこと。褒めてあげてもいいかしらね」


 緊迫した中で場違いにも拍手したのは他でもない当のイヴだった。きっと誰の目からも勇者が狂ったように見えた違いない。よりによって勇者が聖女を目の前で殺され、挙句に魔王が復活しようとしているにも関わらず敵を賛美するだなんて、か。

 どうやらイヴはサロメの油断を誘う作戦の意図は全くないようで、素直に褒めているようだ。


「勇者と聖女を儀式の贄とした大魔法による魔王の復活、それが真の目的だったとはね。今回の人類圏侵攻は供物とする勇者と聖女を捕らえる為、かしらね」

「あら、今更命乞いかしら? 勇者だか何だか知らないけれど、間もなく降臨なさる魔王様の手にかかれて光栄に思いなさいな」

「光栄に思うって所は全く同意だけれど……そうね、泡沫の夢からは覚めてもらいましょう」


 イヴはサロメに語りかけながらもこちらへと流し目を送ってくる。妙に余裕を見せているから何か起死回生の一手があるのかと思ったら、結局それか。まあ、それが一番効率がいいのだから仕方がない。腹をくくってやるしかないだろう。

 わたしはため息一つ漏らすと腰に下げた道具袋から一冊の本を取り出す。それはマリアから授かったイゼベル著の魔導書。生死の理を覆す冥府の魔導が記された、わたしにとっては全ての始まりだ。これがあったからマリアは勇者と共に旅をし、マリアはわたしとなり、そしてわたしはイヴと再び語り合える仲となったのだから。


 つまるところサロメの大掛かりな儀式は冥府の魔導を発動させるべく執り行ったものだ。やたらと仰々しいのは適性の無さを補うためか。本当に魔王アダムが勇者に討ち果たされていたら天空に広がる異世界、冥府より魔王が帰還を果たしていたかもしれないほどの出来栄えなのは認める。

 けれど、それまでだ。あのイゼベルが当たり前のように発動させていたあの高度に洗練された術式には程遠い。要するに、サロメの魔法はどこか脆さがあってまだ冥府の魔導をかじりたてのわたしでも書き換えられる余地があるのだ。


 わたしは杖を高々と掲げると頭の中で描いた術式と共に力ある言葉を紡いだ。


「ネクロゲート」


 それはイゼベルが好む冥府への扉を開く境界魔法。けれど今発動させた魔法は零から構築したものではなく、サロメの魔法の術式に重ね合わせて完成させたものだ。より整頓され緻密になった魔法の効果はサロメの制御を離れ、わたしの手中に収まった。

 おお、初めて発動させたにしては上手く出来た。とは言ってもこれ、結構精神面の疲労蓄積が激しい……! 少しでも気を緩めると文字通り魂まで持っていかれそうだ。わたしにはまだ手を付けるには早すぎたか……?

 驚愕に染まるサロメとは対照的にイヴは歯を見せて口で三日月を描いた。うん、その影が落ちた悪い笑みはどう見ても悪役っぽい。


「何っ!?」

「と、閉じればいいんですよね……!?」

「あんなのが開いていたんじゃあ空気が悪くなるだけよ。やって頂戴」

「なら、これで……!」


 わたしが杖を旋回させると、いつぞやで見た時のように砕けた空間のかけらがパズルのように組み合わさって修復していく。やがて冥府への扉は跡形もなく消え去り、その場所には曇り空が広がるばかりに戻った。


 一息ついて空から視線を下ろすと、誰もが唖然とその光景を眺めるばかりだった。いや、もはや物言わなくなったチラを抱えたプリシラがわたしを疑心暗鬼に見つめ、サロメが今にも嘆き声をあげそうなほど狼狽えているようだ。


 わたしが強制中断させたからか、サロメの術式が刻まれて宙に浮いていたエヴァの身体が落下し、イヴが鮮やかに自分の方へと寄せる。その際イヴはわたしの方へ何かを放ってきた。思わずその物体を何とか受け止めたけれど……。


「こ、これって……!?」

「サロメが馬鹿みたいに上を凝視していたから頂いちゃった。それ使えばやれるでしょう?」


 それは、つい先ほどまでサロメが手にしていた聖女の心臓だった。あまりに動揺して取り落とす所だった……。正直そう言ったのは前もって口に出してほしかった。

 イヴがわたしにこれを渡してきた理由は明白だ。けれど、イヴの思惑を達成するにはわたしの技量が無さすぎる。正直……期待には沿えない。


 申し訳ない気持ちで言葉も出ずにややうつむくわたしに対して、イヴは優しく微笑みかけると上空を指差した。サロメが出現させた冥府の扉は消えたからただ雲が広がるばかり……ではなかった。わたし達が発動させた増幅魔法の巨大な魔法陣が、チラという光の担い手がいなくなっても、なお広がっていた。


「まさか上に広がるあれをただの雑魚狩りだけに使うんだろうって考えていたかしら?」

「へ?」

「黙っていて悪いけれどアレは光だけじゃあなくマリアの魔導にも十分効果があるから。だから叔母様の時みたいに大掛かりな準備も強力な触媒も要らないわよ」

「……!」


 強力な触媒、と語った際にイヴが自分の胸元に手を当てて微笑を浮かべたのは絶対に意図してだろう。とにかくイヴの話が本当だったらマリアではないこのわたしにも……。

 わたしは覚悟を決めてイヴへと頷くと、踵を返して倒れ伏す聖女チラへと歩み寄る。プリシラは警戒感を露わにしてチラの身体を抱き寄せようとするも、すぐに顔を左右に振ってその場に寝かせた。この時プリシラの頭によぎった思惑がどんなものだったにせよ苦渋の決断だったようで、彼女は肉を引きちぎるのではと心配になるぐらい自分の腕を強く握っていた。


「……助かるんですの?」

「助けます。わたしは……いえ、マリアはこの技術の為にイヴと共に世界を救ったんですから」


 まずはプリシラからナイフを借りてチラの法衣の胸元を縦一直線に切り裂いた。露わになったチラの裸体は手の平に程よく収まる豊かな胸の下が大きくえぐれ、サロメの魔導の恐ろしさを物語っていた。わたしは胸元の穴に抜き取られた心臓を収める。

 そしてわたしは左手を聖女の心臓に、右手を血で染まった彼女の口元に当てる。左手で身体を、右手で魂を司る。あの時死者の都で執り行ってアダムを救ったネクロシーリングもそうだったので、もしかしたら冥府の魔導において共通の段取りなのかもしれない。


「レイズデッド」


 わたしの両手から膨大な量の魔力がチラへと注がれていく。それは上空に広がる魔法陣の効果もあってわたしが思った以上に膨大な量の術式がチラの身体とその周囲に刻み込まれていく。

 反魂魔法レイズデッド、かつてマリアがミカルを蘇らせた魔法。チラがわたしに施してくれた蘇生魔法と対を成す奇蹟だ。ただ、器の身体を癒しつつ天に召された魂を呼び戻す蘇生魔法と根本的に違うのは、冥府に堕ちた死者を無理矢理現世に引きずり戻して修復した抜け殻に詰め込む、と言った感じか。

 結果は死者の蘇りで変わらないけれど術の対象になった者が感じる印象が決定的に異なるんだとか。レイズデッドでは深いトラウマが残ったり悪夢にさいなまれたりと、心を強く保てない者では発狂するほどとはイゼベルの話だ。世の中そう都合がいいものはないようだ。


 それでも、チラがその命を散らすにはあまりに早すぎる。彼女は一見弱く思えてしまうけれど、誰よりも強い想いを秘めている。彼女ならきっと冥府からの誘いを振り払ってまたわたし達に笑顔を見せてくれる、そう信じたかった。


 チラの頭の頂点から足のつま先までわたしの術式が書き込まれると、復活魔法リヴァイヴも真っ青になるほど急速に傷が癒えていく。……いや、物言わぬ躯が修復されていくと表現した方が正しいのだろうか?

 傷跡が元通りとなって程なく、チラの真下に冥道が開いた。あまりに突然の出来事に仰天してしまったが、こんなのは序の口だった。突然冥道より躯手が伸びてくると次々とチラの身体を掴み、その上で彼女の背中に何かを押し込んでいくではないか。

 あまりの恐怖絵図に声にもならない悲鳴をあげそうになってしまったが、突然チラの目が見開かれたと思ったらその身体を大きく跳ね上げる。口から何かが洩れそうになるのを必死に抑え込み、暴れ回る身体を何とか抑えつける。


「な、何が起こっているんですの!?」

「口から魂が、体から魄が抜け出ようとしているんです! 一旦離れた魂魄を死した身体に再び定着させるまでこの拒絶反応を抑えないと!」

「わ、分かりましたわ!」

「わ、私も手伝いましょう! ど、どこを抑えれば?」

「わたしの向かい側の肩と腕を!」

「では、これで……!」


 プリシラはチラの下腹部あたりにまたがって両腕で両足を掴んだ。更に意を決したのか、エステルがわたしの真向かいに膝をつくと肩と腕に手を置いて体重をかける。女三人がかりではあったけれど、ようやくチラの身体を抑え込めた。


 やがて、チラの下に広がっていた冥府への道は閉じてチラの様子も落ち着く。顔色は悪いままだけれど胸元に添えた左手では彼女の脈動を感じる。まだ弱々しくか細くはあるけれど呼吸もしているようだ。

 安心したせいか全身から力が抜けていき頭が大きく揺らぐ。そのまま吸い込まれるようにわたしは床へと吸い込まれていきそうになった所をプリシラが間一髪で抱きかかえてくれた。


「お疲れ様ですの。主に仕える身としては主の定めし運命、死に逆らう行いは複雑ではありますが」

「これでひとまずは成功です。後はチラが起きてみない事には分かりませんが……」

「大丈夫ですわ。チラ様は強いお方ですの。目が覚めればいつも通りでいてくださるでしょう」

「……そうですね」


 わたしはふとイヴの方を眺めてみた。どうやら彼女もエヴァに膨大な魔力を注いで魔法を発動させているようだ。術式を盗み読んでみると……理解できない? 学院で学んだ四属性魔法や無属性魔法、イヴやチラが用いる光属性、そしてわたしが運命的に授かった冥属性のどれとも異なる未知の理論で構築されているとしか分からない。

 ただ、何となく分かる。アレは人が手にしてはいけない禁断の魔導なのだと。かすかに感じられる術式の雰囲気から判断すると、闇、だろうか。勇者や聖女が地上に光をもたらすのと対極に魔王が地上を闇で覆う……そんな印象を何故か覚えた。

 けれどこの術式の癖には覚えがある。死者の都で帝国軍を壊滅させたあの大規模魔法を髣髴とさせる。だとしたらこれは勇者としてのイヴの技術ではなく、魔王としてのアダムの叡智によるものか。光と闇が備わっていて、正に最強ではないか。


 真剣な表情で眺めていたからか、イヴがわたしの視線に気づくと朗らかに微笑みかけてくる。


「あら、そんなに見稽古したってさすがのマリアでもこの系統は習得できないわよ」

「……未知の対象に興味を持つのは魔導師の生き方ですからもう直しようもありませんよ」

「察しの通り、これは勇者が担う光と対極に位置する暗黒の力。全てを包み込み万物に安息と秩序をもたらす救世の力ね」

「やっぱり……!」


 もうイヴは己の真相を隠す気は全くないらしい。いや、最初からそうだったか。自分の思うがままにふるまっておいてばらまいた情報からどうぞご自由にお察しください、か。イヴらしくもあるしアダムらしくもあるけれど、それで一度痛い目合っているのをどうかお忘れなく。

 やがてイヴが魔法を止めると横たわるエヴァは小さな寝息を立てていた。冥道を開放するために全てを搾り取られたにしては随分と安らかな様子だ。わたしが魔法を施したチラが苦しみもがいたのと比べてはるかに鮮やかなお手並みと言える。……もっと技量をあげないと。


「……んな……そ、んな、莫迦な! どうして人間の勇者が闇属性魔法を!? 冥府の魔導も軽々しく使っていし、一体何なのよぉ……!」

「さ、て。それじゃあ最後はおしおきの時間かな」


 顔を横に振りながら後ずさるサロメだったが、塔の端の縁にぶつかってもう下がれなくなる。そんなサロメへイヴは何も持たずに近づいていく。身構えてもいない完全な無防備な有様だったが、サロメは怯えるばかりで迎え撃とうとしなかった。


「あ、貴女は誰なの……? 一体何者なのよ……!?」

「その台詞、勇者一行として旅をしていた時に別の軍団長からも言われたよ。だからこう答えてあげたんだ。通りすがりのただの賢者だ、ってね」

「人間風情が闇を従える筈がないでしょうよ! しかも光を担う勇者なんかが!」

「あの時も嘘だって言われたよ。だから、仕方がないから優しく問いかけたんだ」


 わたしはイヴの言葉に疑問を持ったので向かい側にいたプリシラに視線を向ける。丁度彼女もこちらへと視線を送ってくれていた。


「先の大戦で私共勇者一行が下した魔王軍の軍団長は二名。一人はここ旧キエフ公国の地にて勇者様が討ち果たしましたわ。けれどもう一人、ここから北の旧ルーシ公国の地にて倒したのは勇者様ではありませんの」

「では誰が?」

「他でもありません、賢者アダムですわ」


 思わず息を呑む。かつて魔王が正体を偽って勇者一行に潜り込んだ挙句に勇者イヴを瞬く間に虜としたのは分かる。それが単なる演技ではなく本当に人々から信頼を得る活躍をしたとも聞いている。けれど、まさかその偽りの身分のまま己の腹心だった者を討ち果たすだなんて。

 つまりは、アダムにとっても手駒の魔王軍など二の次で、自分の想う相手の為に全ての行動があると評しても過言ではないだろう。そして……、


「――余の顔を見忘れたか、と」


 障害となるなら誰であろうと切り伏せるのみだ、と。

お読みくださりありがとうございました。

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