魔の森③・向けられる刃
復讐、例えば親を殺された子が敵討ちをする、騙された相手を騙し返して破滅させる、そういった類の小説は結構な数を読んできたけれど、実際に復讐を掲げる人と出会うのは初めてだ。それだけこれまでのわたしの人生が争いと無縁だったことに他ならないのだが。
「相手が今どんな立場にいたって絶対に許さない。地の果てでも追いかけて、その喉元に剣を突き立ててやる……!」
彼女の独白はまだ続く。一度決壊した堰堤が水を吐き続けるしかないように。
「立ちはだかる輩には容赦しない。例えそれが国家そのものだったとしてもね」
今この場の死屍累々はそのためか。最もこの場だけでも騎士団を皆殺しにしているんだから、一度捕らえられたら最後、処刑されてもやむなしと言える。なら追ってくる者から逃げるか、返り討ちにするしかない。
復讐劇、わたしが彼女を治してしまえばその手助けになるだろう。これからも復讐を果たす為に今のように関係のない人が巻き込まれていくに違いない。目の前の人を助けるためにこの後あるかもしれない悲劇に目を瞑る形となる。
それに彼女が過去にどんな裏切りにあったかは分からない。彼女の憎悪でわたしのもうすぐ送るだろう平穏を乱されてはたまったものではない。だからこの場は無力な彼女を見捨てて調査隊に突きだすのが最善策なんだろう。
だけど、彼女は……。
「虚偽で塗り固めようとはしないんですね」
「散々騙されたから騙したくない。それだけよ」
私に治させたいなら上辺を取り繕った方が良かった筈なのに、彼女は本音をわたしに語ってくれた。彼女の事情も復讐相手の所業も分からないわたしの判断材料は目の前だけだ。
「……分かりました。では貴女の願い、わたしがどうにかします」
それならわたしは彼女の誠実さに答えようではないか。
わたしは杖を女騎士の方へと向けて、目的を果たす術式を頭の中に組み上げていく。解き放つのは肉と骨を切り裂く水の刃……!
「ハイドロカッター」
杖から放たれた水の刃はわたしが思い描いた通りに女騎士の死骸の方へと向かい、胴体から四肢を斬り飛ばした。命が失われてからそう時間が経っていないせいか、切断面から血が溢れだす。目測ではあるけれど、丁度女剣士が失った腕と脚に合う長さに斬れた筈だ。
「やっぱりその女剣士から腕と脚を奪うんだな」
「死後そう時間は経っていませんから、拒絶もなくこの人と繋げられる筈です」
嫌悪感を隠そうともしないアモスだったが、わたしに剣を向ける気はないらしい。感情はひとまず押しとどめるといった大人の対応を取っていると表現すべきだろうか。
さて、とわたしは女騎士の腕を持ち上げ……って、重! 防具を付けたままなのもあるが、腰に力入れないと持ち運ぶのも大変だ。片手に一本ずつと思ったけど絶対無理だ。これならもうちょっと自分の身体を鍛えておけばよかったかもしれない。
女騎士の重い腕と脚を一つずつ彼女のそばへと置いていく。女剣士はアモスの敵意剥き出しな視線を全く気にも留めず、わたしの方をただじっと見つめていた。
「それで、この腕と脚がくっ付いたら自分の手足のように自由に動かせるの?」
「……それなんですが、前もって言っておきます」
先ほど魔導書から読み解けるようになった冥府の魔法を使えば確かに女剣士は治せる。治せるけれど、すぐさま元通りどころか不自由なく物を持ったり歩けるようになるものでもないのだ。無いよりはマシと言い切れるぐらい、この魔導は治療には適さない。
「これから腕と脚を繋げますけど、ほぼ間違いなくまともに動かせません。そんな類の魔法しかわたしは習得出来ていないんです」
「……つまり、手足に長い棒をくっ付けるって割り切っておけって言いたいのね」
わたしは静かに頷く。
より正確に表現すれば糸繰り人形の十字状の操縦木片を授ける、らへんか。初めは動かせなくはないけれど自由にはほど遠いだろう。もっと熟練度をあげれば文字通り手足のごとく動かせるようになるようだが、今のわたしにはそうするのが精いっぱいだ。
思い描くのはその糸繰り人形。物言わず動かぬ人形を操る、糸だ。
「ネクロマリオネット」
わたしの紡ぎだした魔法の糸が女剣士の傷口と女騎士の腕の間を行き交う。骨、肉、皮など幾重にも糸が張り巡らされ、やがて糸が締まっていくと腕はくっ付いた。
同じ魔法を両脚にも施していく。断面積が大きい分行き交う糸の数は増したけれど、それでも最後には互いの脚はつながった。
「う、ぐ……っ!」
魔法の糸を通すたびに女剣士の顔が苦痛で歪む。それは肉と皮を貫いて糸で縫い繋ぐのだから痛いに決まっている。むしろ悲鳴をかみ殺す彼女の強さに驚くばかりだ。これなら治療魔法と併用して苦痛を和らげるべきだった、と今更ながら猛省する。
右腕と両脚の縫い合わせが終わる頃にはもう疲労困憊で、立とうとしても身体がふらつきそうだ。
「これでつながった筈です。腕と脚、動かしてみてください」
「……なんだ、これ。上手く……全然動かせないっ……!」
女剣士は右腕を動かそうと必死になって力を入れているようだが、その右腕はわずかに腕とその手に持つ剣が持ち上がるぐらいだ。曲がるのはせいぜい肘と手首だけで、指に至っては振るえるだけでわずかにも動こうとしない。
ネクロマリオネット、本来これは死体を糸繰り人形のように操る魔法らしい。熟練度をあげれば死体を手足のように動かせるようになり、更には生きている相手だろうと操れるようになるようだ。これでわたしは女剣士に女騎士の腕と脚を接続した。
だから、今の状態は女騎士の腕が女剣士の腕として繋がってるわけではなく、あくまで女騎士の腕を女剣士が行き交わせた糸で操っていると言い表した方が正しい。だから血が行き交うわけでも痛みを伴うわけでもない。義肢のようにそこに在るだけなのだ。
「訓練を積めば普通に動かせるようにもなりますから。今はこれが精一杯で……」
「……分かった。この際贅沢は言っていられないわね」
後は普通に水属性の回復魔法で少しずつ腕と腕、脚と脚に血と痛みの通いを戻していけばいい筈だ。定期的な治療が必要になってしまうから、故郷に付いたら魔導協会に彼女の治療を相談してみるのも一つの手か。
「あと、元から失っていた左腕ですが、こちらもやりましょうか?」
「……出来るの? 出血しないように傷口は焼いちゃってるわよ」
ああ、この酷い有様は応急処置で彼女自身がやったものか。てっきり斬られた上で傷口を焼かれたかとまで思ってしまった。確かに時間が経過してしまっていたらいくら回復魔法でも治せないけれど、やりようはまだある。
「指一本分、更に深く切断する必要がありますけど……どうします?」
「……分かったわ。やって頂戴」
無理だったらまた新鮮な傷口を作ってしまえばいい、などと口では簡単に言えるけれど、実際にはもう一度彼女の腕を切断してしまうのだ。ただでさえ体力を大幅に奪われているようなのに、追撃をかけてしまう形になる。
だと言うのにわたしが声を小さくしながらかろうじて出せた提案を、彼女はあっさりと同意してくれた。潔いとか不屈な覚悟とか、そんな言葉では言い表せない信念を改めて感じる。
わたしは道具袋から綺麗に折りたたんだハンカチを彼女の前に出す。
「これ、まだ使ってないですから、口に入れてください」
「痛みをこらえるために強く歯を食いしばって、歯が欠けたりするから? 大丈夫よ、その気持ちだけ受け取っておくから」
……そうか。本当なら無理してでも突っ込むのが最善だけれど、彼女がそう言うなら。
「では、やります」
「ええ、やって頂戴」
「ハイドロカッター」
再びわたしが解き放った水の刃は杖の先端に飾られた魔法石から生まれ、女剣士の右腕を更に深く切り取る。女剣士は激痛に耐えかねて顎をあげて身体を反らせ、声にもならない悲鳴を上げる。……痛覚を鈍くする魔法の習得を真剣に考える必要があるな。
「ネクロマリオネット」
わたしはすかさず魔力の糸で女騎士の腕を女剣士に縫い付けていく。もたもたしていると腕からあふれ出す血ごと彼女の生命力が零れ落ちかねない。早急に、でも焦らず確実に縫い合わせていって……。
ふう、出来た。わたしがした仕事の割には随分と見事な出来になった。
「これで、終わりです。動かせるか試してもらえます?」
「……右手よりはまし、ってぐらいで五十歩百歩ね」
それでもさっきまでの右手と違って、剣を握る……と言うよりは包むぐらいには指に力を入れられるようだ。これなら近いうちに簡単な素振り程度なら出来るように治るかもしれない。
「そう、ですか。それは良かった……」
緊張感が解けた途端に身体が大きく揺れた。学院での演習などとは違って実践ともなるとここまで気力を使うものとは。少し楽観視していたかもしれない。
それでもわたしはこの人を治せた。今後どれだけの人を治せるかは分からないし本当に開業魔導師として成功するかも分からないけれど、それでもわたしはやれたのだ。だったらこの成功はひとまず誇りにしていくべきだろう。
「まだ上手く立ち上がれもしないでしょうから、担架で馬車まで送ります。えっと、荷物があればわたしが運びますけど……」
「……悪いわね。背負ってた荷物がそこの木陰にあるから、取ってきてもらえると助かるかな」
「ん、それぐらいなら俺がやるぞ」
「いえ、すみませんがダニエルさんとお二人で担架でこの方を運んでほしいかと」
折角の申し出ではあるがアモスには女剣士運びという重要な任務がある。荷物持ちなんて楽をさせるつもりはありません。
えっと、そこの木陰だったか。多分騎士団と遭遇した際に邪魔だからと早々に背中から降ろしてんだろう。さすがに帝国と言えども手ぶらで旅が出来るほど施設や道の整備はされていないし、荷物がある方が当然だ。おそらくはこれか。ずっと使い続けて大分くたびれた荷物袋のようだ。
さて、もうこの場には用はないだろう。装置が反応していたのはきっと女剣士と騎士団との衝突によるものだろうから、今なら安心して旅を続けられる筈だ。まだ日は沈んでないから次の宿場町には十分間に合うだろうし――。
「私の復讐相手はあと四人だった。でも、今日これであと三人になった」
突然冷たく鋭い刃が背中に突き刺さる感覚に襲われる。思わず振り向こうとしたけれど、わたしは有無を言わさぬ重圧に呑まれ、金縛りにあったように動けなくなってしまう。
「信じてたのに……ずっと仲間だって思ってたのに! お前達は全部終わった後、今度は要らなくなった私を切り捨てようとしてきた……!」
まさか、わたしは背中に剣を突きつけられてる? かろうじて持てるだけの左手に全身全霊を込めて? と言うか彼女は今もしかして立ち上がっている? まだ脚を踏ん張れないと思ってたのにどれだけ順応性が高いんだ……!
いや、そんな事はどうでもいい。今肝心なのは魔法を施したわたしが刃を向けられている点でも、女剣士が無理やり酷使してこの状況を作った事でもない。
どうしてわたしは、彼女にその心の奥底から湧きあがる憎悪を向けられている?
「サウルは殺してやったわよ。あれほど欲しがっていた帝国騎士の頂点なんて名誉も地位も、今や全部その辺を転がる肉塊に変わってしまったわね」
「お、追ってきた騎士団を返り討ちにしたどころか、騎士団長が目当てだったんですか!?」
今明かされる衝撃の真実、などと思っている余裕すらない。彼女から迸る殺意はわたしがほんのわずかに動こうものなら瞬く間にわたしの命を刈り取るに違いないのだから。わたしの命はもはや彼女に握られた、正に風前の灯だろうか。
勇者一行に加わっていた騎士団長が復讐相手だったとしたら、脳裏によぎるのは三年前にマリアが去っていく間際に言い放ったあの言葉。もしあれがわたしの妄想などではなく、本当に起こった真実だったとしたら……。
「だとしたら、貴女はまさか……!」
「私を忘れたとは言わせないわよ、マリア」
わたしはゆっくりと、相手を反応させないように振り返った。わたしが感じたとおり女剣士は剣をわたしの方へ向けていて、脚も剣を手にする左腕も力なく震えて今にも崩れ落ちそうだった。それでもわたしに向けた剣先だけは微動だにせずわたしを捉えて離さない。
わたしを見つめるその瞳は凛としてながら触れれば火傷をしそうなほど冷たいものだった。
「私はイヴ。みんなから勇者と呼ばれ、不要だと切り捨てられた者よ」
お読みくださりありがとうございました。