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捲土重来の反撃④:公都を包む光

 イヴの、光の勇者の勝利によって城壁上の兵士達が歓喜の声をあげた。城壁上に設けられた塔の上、つまりわたしのいるここでもエステルや兵士達が喝采をあげる。チラも万歳をして喜びを露わにしている。

 そんな中、わたしは思いっきり頭を抱えていた。何でかって、イヴがエヴァにした処置だ。他の人達は先入観から勘違いをしているかもしれない。けれど真相を知っているわたしから見れば、上手くごまかしてはいたけれど、明らかにエヴァを悪化させているようにしか見えなかった。


「何やっているんですか、アダム……!」


 イヴは夢魔と化したエヴァを人に戻さずそのままで忠誠を誓わせていた。あれは勇者による救済なんかではなく魔王の籠絡に他ならない。ミカルが自然と魔王に心奪われたのとは訳が違う。もはやエヴァは普通のヒトに戻るなんて不可能なほど魔王の虜となっていた。

 そんなわたしの心境を知ってか知らずか、イヴは屈託のない笑顔でこちらの方へと手を振ってきた。今のわたしはそんな彼女に苦笑いを浮かべつつ手を振り返すのが精一杯だった。


「……マリア様」

「えっと、何でしょうかプリシ――」


 重く低い言葉が隣から響いてきたので内心で怯えながらそちらの方へと顔を向けると、プリシラが怖ろしいほど冷たく鋭い眼差しをわたしへと送ってきていた。正直悲鳴をあげなかったわたし自身を褒めてあげたいぐらいだ。


「後で事情を説明してもらいますわよ。洗いざらい、ね」

「は、はひ……」


 彼女だけは持ち前の視力と聴力のせいでイヴが何をしでかしたのか正確に把握したんだろう。今のイヴが勇者であり魔王でもある、と。ただ光の術も使っていたから単に勇者イヴが魔王アダムに乗っ取られたわけではないとは分かってくれた筈だ。


 そんなイヴは何やらエヴァへと語りかけると、なんと手にしていた光の剣を彼女へと授けてしまった。エヴァは感無量とばかりに恭しくかしずいてその光の剣を手にする。二人の間で行われた授与にも似た何かは、血染めの貴婦人、煽情的な夢魔の姿を忘れさせるほど神聖な儀礼に見えてしまった。


 エヴァは魔物の群れへと振り向くと、剣を天高く掲げる。輝きを放つ光の剣は更に眩くなっていき、それを目の当たりにした魔物達は彼女に恐れをなすように一斉にエヴァから離れていく。彼女を中心に円が広がる様子は圧巻の一言に尽きる。

 だがエヴァはそれを逃がすまいと剣を水平方向に一閃させた。地平に沿って振り抜かれた剣から光の面が広がっていき、逃げ惑う魔物達のほとんどの胴体を通り抜けていく。そして、光が通過した魔物は次々と、幾何学模様を描くように規律正しくその場に倒れ伏していった。


「ぜ、全滅……!? あれだけの数がいたのに?」

「恐ろしいほど研ぎ澄まされた一閃ですわね……。数多の魔物を間合いに捉えていても威力が減衰しないとは」

「す、凄いですぅ!」


 ヒトの形を残した妖魔はそのほとんどが躯と化していた。上空を飛んでいた飛行型の個体だけがその攻撃をまぬがれたものの、恐怖で怯えているのが遠くからでも分かる。これは千の魔を払うなんてものではない。人々はこうした所業を神業、奇蹟の体現と呼ぶのだろう。

 あまりにも現実離れしていて城壁上の兵士達は誰もが言葉を失っているようだ。イヴの実力を知るプリシラすら口元を抑えて目を細めているし、同じように奇蹟を体現したチラは逆に手を組んで目を輝かせていた。わたしはただ驚きの声を口にするばかりだった。


 そんな中、エヴァの傍にいたイヴは彼女へと喝采を送った。エヴァはその場でイヴへと恭しく跪いて光の剣を差し出すが、イヴは顔を横に振ってそれを手で制した。その上でイヴはエヴァに手を肩を置いて朗らかな笑みを向ける。感涙するエヴァは地面に額が付くのではと思うほど深く頭を下げた。

 多分、これも勇者による奇蹟だって思われるんだろうな。実際は夢魔のエヴァが率いていた部下たる妖魔達を心酔する魔王の命一つで容赦なく切り捨てた場面なんだが。この出来事、後世に語り継がれる時はどれだけ脚色されるんだろうか……。


 イヴは満足そうに頷くと踵を返してこちらの方へと歩み寄ってくる。これだけの事をやったにも関わらずちょっとしたお使いを済ませた程度の気軽さに見えてしまうのは決して気のせいではないだろう。


「ただ今」


 イヴは大地を軽く蹴ると下へ引っ張られる力はどこへやら、高く飛び上がってわたしの目の前に着地した。これまた先ほどまでの勇姿はどこへやら、元の落ち着いた雰囲気のイヴに戻っていた。わたしの心境は正直複雑だったけれど、彼女を自然な笑みで迎えられたと思う。


「おかりなさい、お疲れ様でした。その胸元の傷、いつまでも放置出来ませんから治療しますね」

「ありがとう。ほら、今のエヴァって光の剣と盾を手にしたまごう事なき勇者に見えない?」

「名監督が女優に演技指導してきたんですね分かります」

「冷たいわー、マリアが冷たいわー」


 イヴの大げさな演技はさておき、エヴァに斬られた胸元の傷はイヴの皮と肉を引き裂いていたものの、骨や内臓にまでは達してないようだ。これなら普通に回復魔法で事足りるだろう。


「じっとしていてくださいね」

「ん……。マリアの手、ちょっと冷たい」

「もう、イヴったら……。ヒーリング」


 わたしは水筒の水に浸した布で傷口をぬぐってから、その傷口に手を触れて回復魔法を施す。

 それにしても、イヴが着た公妃に相応しい豪奢なドレスは見るも無残な姿に変わり果てていた。胸元の引き裂かれた跡を始めとして多くの箇所が損傷していて、極めつけが装飾とばかりに汗と泥と血と肉片でまみれている有様か。鮮血公妃、って表現が頭の中に浮かぶ。


 治療し終えたので傷口だった部位に指で触診する。どうやら完全に傷はふさがったみたいで跡も残っていない。思っていたよりいい感じに治せたようだ。


「これで傷は治しました。体力や魔力はどうします?」

「少し休憩したらそれなりに戦えるようになるでしょうから補助魔法は要らないわ」

「……あまり無茶はしないでくださいね。まだその四肢は完治していないんですから」

「分かっているわよ」


 イヴの腕は見た目は普通だけれど、良く観察してみると力が入っていないようだ。血染めのドレスで隠れた脚もきっと同じだろう。歩いたり立っているだけでも精一杯かもしれない。もう彼女には無茶をしないで欲しいのだけれど……。


 と、イヴはここで猜疑心に満ちた視線を投げかけるプリシラにようやく気付いたのか、彼女の方へと微笑みを向けた。プリシラは固く唇を結ぶと弓と矢を持つ手に力を込める。イヴが不穏な挙動を見せたらすぐさま対処できるように、だろうか。


「どうしたのよプリシラ。そんなに怒っていると折角の美貌が台無しよ」

「……貴女様は何者なんですの? まさかただのイヴとは仰りませんわよね?」

「残念だけれどただのイヴには違いないわよ。ただそうね、プリシラの疑問を晴らすなら……」


 イヴは長い髪をかき上げた。イヴはプリシラの問い詰めにも特に困った様子を見せず、今夜のおかずを明かすかのように何でもなく答えを口にした。


「愛し合う魂の片割れ同士が融け合った、とかどう?」

「あ、愛し……!」


 イヴの暴露にプリシラは心当たりがあったのか、床を蹴ってイヴから即座に距離を取った。けれど塔の上の狭い空間ではまだイヴの一足一刀の間の内だ。遠距離狙撃主のプリシラにとってはきつい間合いに変わりは無い。プリシラは唇を結んで額から汗を流し、鋭くさせた双眸からイヴを離さない。


「まさか、貴方様は――」

「――言っておくけれど、君達には僕と私に対して何も言う権利は無いよ」


 その一言は少なくとも周りの人からすれば穏やかで何ともない口調に聞こえただろう。けれど、わたしやプリシラからしたら違った。これは警告だ。こんな事態にした元凶はプリシラ達の癖に余計な事を口走って神経を逆なでするな、と。

 イヴ……いや、彼女と一体化したアダムから心の臓を鷲掴みされたかのように底知れぬ戦慄を覚える。やるだろう、アダムなら。プリシラが余計な一言を放った瞬間、彼女の首から上は離れる。


 二人の間の緊迫した空気はやがてプリシラが緊張を緩めて肩をすくめて霧散していく。彼女の仕草が大げさに見えるのは怯えを隠す為のものだろうか。


「おめでとう、とでも言えばよろしくて?」

「ありがとう、と素直に感謝を返しておくよ」


 皮肉を込めての言い放ちにアダムは言葉を上っ面だけを掬い取って笑顔で答える。プリシラは弓を持つ手を更に強く握り、殺意にも似た激情を多分に含ませてこちらを睨みつけてきた。ああ、これは後できちんと全部説明しなきゃあいけないようだ。


 そんなイヴが辺りを見渡したのでつられてわたしも辺りを確認して、ようやく気付いた。そう言えばさっきまでいたバラクが忽然と姿を眩ませているような……。


「それで、あの男はどこ行ったの?」

「……バラクの奴でしたら貴女様があの夢魔と戯れている間にこの場から消えましたわよ」

「あら、ご自慢の量産型勇者と聖女の性能が期待より働かなかったからって癇癪起こしちゃった?」

「現実に打ちのめされていたのは事実ですわね」


 成程、成果物の仕上がりが芳しくなかったから早々に見切りをつけたのか。良くも悪くも魔導師らしいとでも言っておくか。

 イヴは軽く面食らったように目を丸くすると失望を露わにため息を付いた。


「根性が無いわね。ちょっと思い通りにならないからってすぐ機嫌を悪くしちゃってさ」

「どうしますの? 彼を追って仕返しでもなさるつもりですの?」

「奴の場所はもう分かったから後でいくらでも料理は出来るわよ。それより今は迫りくる輩を全て排除してからね」


 南東方向の敵軍はどうにかなったかもしれないけれど率いていたのはエヴァだった。まだ彼女を魔へと貶めたサロメとやらとこの間対峙したノアは一向に姿を見せていない。この二人は北東または南方面の敵軍を率いている可能性が高く、依然として危機は続いたままだ。

 個人的感情より全体の危機を解決しようとする姿勢は素晴らしいけれど、舌なめずりをしながら言われても説得力に欠ける気がするんだけれど。


「勇者様! どうお礼を申し上げたらよろしいか……!」


 わたし達の会話が終わったと判断したのか、エステル達がイヴの傍へと駆け寄ってきた。兵士達はイヴに敬意を払い、エステルは感極まり無いとばかりに目元を涙で滲ませていた。


「止めてください。今の私は公妃ミカルとしてこの地に来ました。今まで通り接していただければ」

「そうはまいりませ……いえ、勇者様がそのように仰られるのであれば」


 エステルは納得していない様子ではあったものの、一回咳払いをして頭の中を切り替えたようだ。子供の用に無邪気に喜びを露わにしていたエステルは、次には謁見の間で会った時の優しくも凛々しさを伴った顔立ちに戻っていた。


「ありがとうございましたミカル様。おかげでこの国は救われました」

「大げさですよ。私はただ進行してきた軍の一部を退けただけに過ぎません」

「ミカル様のご活躍に皆が心打たれたのには違いありません。きっと心の支えになるでしょう」

「そうなるのでしたら頑張ったかいがありますよ」


 ふと戦場へと視線を向けると飛行型の妖魔達が来襲した方向へと逃げていく様子が見えた。エヴァ本人は魔物共を追わずに手にしていた剣を鞘に納めてこちらへと歩き始める。もしかしてイヴの傍を離れるつもりはないのだろうか。


「すみません、時間をかければあの妖魔達を人に戻せたでしょう。私の一存で一掃してしまいましたが、問題はありませんでしたか?」

「……魔の心を持ったままなぐらいなら勇者様の光によって払われるのもまた救いではないかと」

「そうでしたか。すみません、私が力不足だったせいで閣下に苦渋の決断をさせてしまって」

「そんな! でも人へと戻す奇跡もあるんだとは分かっているんです。心もいつか必ず救済出来るんだと私は信じています」


 そんな会話がされている最中だった。血相を変えた兵士が階段を昇って塔の屋上までやって来たのは。エステルは怪訝な面持ちで兵士を出迎える。


「どうかしましたか、そのように血相を変えて……」

「も、申し上げます! 北東方面が魔王軍に突破されました!」


 その報告は、魔王軍を敵対した勝利の余韻を吹き飛ばすものだった。



 ■■■



 エステルは兵士からの情報を真剣な顔で聞き入る。語られた内容を端的に話をかいつまむと、そちら側に配置された量産型勇者と聖女は妖魔とは全く異なった悪魔が現れて成す術なくやられたそうだ。その勢いのまま魔王軍は城門を突破、既に妖魔の群れが街へとなだれ込んでいるとの事だ。

 わたしとプリシラは顔を合わせた。妖魔ばかりで構成される今回の魔王軍の中で異彩を放っていたのは屈強な魔人二体と彼らを率いていた軍団長のノアだ。彼らが北東側の軍を伴って襲撃してきたんだろう。


「必死になって応戦いたしましたが敵わず……。閣下より賜ったご期待に沿えなかった事、申し訳ございません!」

「貴方が謝る必要はありません。よくここまで持ちこたえてくれました」


 危機を知らせる報告を聞き終えたエステルは涙を流して謝罪する兵士に向けて労いの言葉を送った。兵士はわずかに安堵を表したけれど、やはり罪悪感で顔を歪めたままだった。


「それで作戦第二案通りに門の防御を放棄し、城壁の部隊は撤退させましたか?」

「はい……現在魔王軍を素通しさせている状態になります。軍は魔物を刺激しないように沈黙を保っています」

「可能なら第一案で敵を退けたかったのですが……よろしい、では第二案を滞りなく行いましょう」


 エステルは塔の端に向かい、眼下に広がる公都の街並みを見渡した。わたしもつられて眺めてみると、北の方角で火と煙が立ち上っているようだった。既に魔物達による街の蹂躙と破壊が始まっているようだ。

 それぞれの家屋は扉を固く閉ざして防衛戦の行方を見守っていたから、戸を破られれば中で怯える人達に逃げ道はない。これでは魔物達による一方的な虐殺劇が幕を開ける……と、嘆くのはまだ早い。エステルの言った通りこれも作戦の内なのだ。


 先の戦いで壊滅した人類連合軍を敵魔王軍は数でも個体の質でもはるかに上回っている。防衛戦に徹してもどこかで必ず破られるだろうとの予測にもとづいて、敵軍が侵略してくる東側区画の住人は全て南北を流れる大河の反対側、中央区に避難済みなのだ。つまり眼下に広がる街並みはがらんどうの家が並ぶばかりだ。

 第一案は城壁に防衛線を築いて敵軍を退けるものだが、第二案は無人となった公都東側に敵をおびき寄せて一網打尽にするものだった。なお、発案者はイヴらしい。公都への思い入れとかを一切考えない容赦ない一手だと少し呆れてしまう。


 市街地戦で戦力を投入する余裕が無い以上敵軍を殲滅する有効な手段は限られてくる。それこそ灼熱の炎で焼き払うか洪水並の水量で押し流すか、ぐらいか。けれどそれでは街まで壊滅的被害を受けてしまい、旧キエフ公国が立ち直れなくなるほどの深刻な傷となってしまう。

 エステルはそれも覚悟の内なのか、決意を秘めた面持ちをしていた。ただ不安も拭いきれないようで、歯がわずかに震えているのが分かる。


「それでミカル様、魔王軍を大河東側の街に誘い込んだ後はどうなさいます?」

「対抗策はもう打っているから心配しなくていいわ」


 イヴはエステルへと優しく微笑みかけると見せかけてわたしに目配せを送ってきた。まさかだけれどイヴったらエステルに企みを明らかにしていないのか? 愉悦か、愉悦の為か? 実行に移すわたしに考えを明かしたなら国を背負っているエステルにも教えてあげればよかったのに。

 わたしは街の惨状を眺めてわずかに顔を青ざめさせたチラへと近寄った。わたしの接近に気付いたのか、彼女は軽く驚きの声をあげる。


「ど、どうかしましたかマリアさん?」

「この間魔王軍を退けた聖女の御業があるじゃあないですか。アレ、今出来ます?」


 その手があったか、と間の抜けた声をあげた誰だったか。しかしチラは思いっきり顔を横に振って無理だと主張する。


「あ、アレは精神統一に時間がかかって、今からやり始めてもぉ……」

「大丈夫です。その為の手助けの準備は整えていますから」


 聖女の御業、邪悪なる存在を浄化する奇蹟。先日目の当たりにした光景が再現されれば市街地にはびこった魔物共なんて容易く一掃できるだろう。けれど先の戦いにもあったように発動に多くの時間が必要な上に先ほどプリシラが語ったように消耗が激しすぎて使い所を見極める必要がある。

 けれど、その無茶を覆してこそ人類の英知というものだ。


 イヴはこちらへ微笑んできたのでわたしも力強く頷き返した。わたしは手にした杖を一回転させてから天高く掲げた。ちなみに杖の一回転には動作による術式の構築要素が含まれているのでれっきとした意味があったりする。ええ、決して格好つけたかったら術式として組み込んだのではない。


「マジックサンクチュアリ!」


 わたしの力ある言葉に呼応するかのように眼下の街が震えた。決して比喩ではなく本当に大地が、大気が揺れたのだ。そして次の瞬間、街のいたる所から光の柱が立ち上っていく。それは城壁よりもはるかに高い上空で枝分かれしていき、やがて天空に巨大な幾何学模様を描いていく。


「な、何なんですのこれは……?」

「マリア様、これは一体……!?」


 プリシラは唖然としながらその光景を見つめ、エステルは驚きの声をあげてわたしへと問いかける。チラは意外にも幻想的にも思える様子に魅入られているようだ。かく言う自分もこんな情景になるとは思っていなかったので、その美しさに心奪われてしまった。


 これこそイヴと共に昨日のうちに公都中に仕込んだ秘策だった。その正体は広範囲に緻密な術式を構築させる段取りをあらかじめ済ませてしまおうというもの。わたしだけでは構成不足で崩壊させただろう情報量もイヴの技術によって補われ、今この巨大な魔法陣が生み出されていた。

 そう、この魔法はわたしの無属性魔法にイヴの光属性の要素も付与させた合成魔法なのだ。わたしにそんな技量は無いから戦慄すべきはアダムとイヴの知識、技術だろうか。魔導師のわたしからしても恐るべき叡智だと評する他ない。


「これは一定範囲に効果を及ぼす増幅魔法ですね。これ自体には何の効果もありませんが、別の魔法と反応してその効果を向上させるのです。今回の場合はイヴに手伝っていただいたので光属性魔法の威力、そして効果を増大させます」

「もしかして、上に広がっている魔法陣の範囲全てにですか?」

「はい。公都中を駆けずり回って仕込んできましたので公都全体が範囲内です。これを土台にすれば術式の大半を省略して発動できるはずですよ」

「す、凄いですね……」


 感嘆を漏らすチラだったけれど、術者の筈のわたしだって正直呆然とこれを見つめたいぐらいだ。圧倒されるのは良く分かる。と言うかここまでわたしの魔法を改造したならそうやって微笑みながら興味深げに眺めていないでイヴがやればいいのに。

 チラはようやく全容を飲み込めたのか、決意を秘めた凛々しい表情にさせる。そして傍にいるわたしにも聞こえない程の呟きで詠唱を開始する。だが大規模な効果を及ぼす聖女の奇蹟ほど長くはなく、程なくして彼女は司祭杖を天へと向けた。


「主よ、その邪悪なる威力を退けたまえ!」


 彼女から煌めく光が上空へと放たれる。それは天に広がる魔法陣まで到達すると共鳴したように描かれた魔法陣全てが神々しい光を帯びていく。

 そして、次には眩い光の帯が地上へと降り注いでいった。思い浮かべるなら雨が上がり雲間からもれる日光だろうか。あまりに美しい光景に見惚れて圧倒されていると、はるか遠くで断末魔の声が聞こえてきた。


「これで市街地におびき寄せられた魔物は一網打尽、と。欲望に溺れる妖魔の連中は本当に単純で扱いやすいものね」

「……イヴが情け容赦なくそう口にすると末恐ろしいものがあるんですが」

「別に、元から有象無象の輩に興味なんて無いし。琴線に触れるか否か、それだけよ」

「そういうものですか……」


 イヴは魔物の絶叫にも全く心動かされる様子も無い。かつて魔王アダムとして全ての魔物の頂点に君臨していた者の言葉とはとても思えない。それだけ今の彼女にとっては魔王の地位も配下の者もどうでもいいのだろう。

 イヴが勇者を演じていた名女優だとしたら、アダムはさしずめ魔王を演じていた名男優、だったのだろうか……?


「それはそうとマリア、どうやらお客さんの登場よ」

「へっ?」


 それは市街地ではなく城壁の外側からだった。ここから北北東の方角から突如煙の柱が立ち上った。上空へと舞いあがった黒い点は徐々にその形を露わにしながら大きくなっていく。プリシラが一応迎撃するべく矢を放つものの悉く回避されたり弾かれたりして対処されてしまう。

 イヴはエステルを引っ張って自分の背後へと寄せる。わたしとプリシラは浄化魔法を持続させるチラをかばうように前に立ち、迫りくる脅威を注視し続ける。


「よくもやってくれた。けれどこれも仕事だ、妨害させてもらう」


 そうして彼らはわたし達の目の前に降り立った。見た者を戦慄させる凶悪な姿をさせた悪魔が二体と、それらを従える純白の魔人が、再び。

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