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捲土重来の反撃③:死闘、勇者対勇者

 -閑話-


 エヴァは幼い頃の過去を記録している。人々に語る価値もない他愛ない穏やかな時を村娘として過ごしてきたものだ。両親が殺されたり故郷が焼き払われた経験など無い、至ってどこにでもいるような小娘に過ぎない。

 エヴァは冒険者として各地を旅した記録がある。魔物に襲われて困っていた町を救ったり廃城を探検して隠された財宝を見つけたりと、これも特に他の冒険者と変わりない武勇伝だ。生死の淵を彷徨う怪我も特に負わず、かと言って国を挙げて讃えられる功績も特に残していない。

 エヴァは恋い焦がれた男性がいたと記録に刻んでいる。旅先で出会った某国の王太子だったが、結局は隣国の王女と結ばれて想いは散った。けれど王太子に愛されていたわけでもなく彼女自身も思いを打ち明けたわけではない。年頃の女性が抱く淡い恋心の域を出なかっただろう。


 いたって普通だった。いたって平凡だった。しかしエヴァは勇者としての光を手にした。ここからがエヴァの記憶の始まりだ。

 ……そう、勇者となってからがエヴァの記憶であり、それまでただの記録でしかなかった。


 エヴァはそれまで記録している思い出は一言一句に渡って人に語れるけれど、それはまるで詳細な日記を読んでいるかのような感覚を覚えていた。もしそれが真実だったなら家族も、故郷も、仲間も、恋した男性すら夢幻の存在となる。


 彼女の最初の記憶は液体に満たされた容器に入れられている自分自身、そしてそんな彼女を見つめる何名かの人影だ。夢の出来事かと始めのうちは思っていたけれど、今のエヴァにはそれこそが己の真実の始まりだったのだと確信を持って言えた。

 つまり自分は勇者として造られた存在で、普段の生活で違和感の無いよう過去を捏造されたのだ、と。


 勇者であれと人が望むならばと彼女は勇者として奮闘した。人は彼女を勇者として見て、扱い、そして敬う。勇者の役割さえ果たしていればエヴァ個人は不要。彼女はただ役柄を全うしているだけに過ぎなかった。けれど、勇者が姿を消したこの世界ではそれで十分なんだと彼女は納得していた。


 それがよりによって魔の者に覆された。

 女の化身が耳元で囁くのだ、己の欲望に忠実たれ、と。


 惰眠を貪ってみた。暴食で満腹にもなった。色欲に溺れてもみた。どれも勇者を演じていた時とは比べ物にならないほどの快感が、快楽がその身を包み込んだ。ただ勇者として役目を果たす日々がどれほど無意味で無価値だったかを肌で実感した。


 しかしそれが生きがい足りえたか、と問われたら否定するしかなかった。


 エヴァを魔へと誘ったサロメは今は亡き魔王を心酔している。信望、尊敬、あらゆる言葉でも彼女の狂信の前では陳腐な表現だろう。それほどサロメは魔王を己の全てだとしているのだから。

 サロメに堕ちた者達は同じように皆サロメを主だと崇め奉る。神への崇拝、母への回帰、妖魔達は誰もが己の欲望を受け止める者を渇望し、主の為にとその身を粉にして動くのだ。エヴァも例外ではなく己を辱めた筈の相手への盲信に心が彩られているのは否定しない。だが、それが彼女の全てではなかった。


 勇者イヴと共に旅をしていたと言われる魔導師マリアや弓使いプリシラは好敵手足りえるし好印象も湧いたが、そこ止まりだ。エヴァの欲求を満たすにはまだ足りない。多くの妖魔と化した者達を侍らせてもサロメにお褒めの言葉を頂いても、その空虚は満たされない。

 なら自分にとっての全てとは何なのだろうか、エヴァは夢魔と化してもなお分からないでいた。


 そんな時、彼女はエヴァの前に現れた。

 エヴァの元となった本物の勇者、イヴが。



 ■■■



 エヴァは量産型勇者を前にしても「ああ、やっぱり」としか思わず、心は揺るがなかった。大方遠くに見える塔の上にいる勇者一行の一人、投擲手バラクの仕業だろうと見当はついたものの、特に彼への感情は湧かなかった。


 実戦の経験を積んでいない量産型達には数の暴力で一気に畳み掛けた。決して少なくない犠牲は払ったが、己と同じ顔や身体をした女達は次々と妖魔の毒牙にかかって変貌していった。

 切り札が寝返った事で一気に魔王軍と人類連合軍の形勢は逆転した。合成獣達は厄介にも妖魔化防止の処置がされていたために倒すしかなかったが、対処は魔物化した人間達という手駒で事足りた。残りは城壁上に展開している連合軍の残党ばかり、勝敗は決まったも同然だった。


 軍を前進させようとエヴァが命令を下そうとした時だった。彼女が戦場に身を踊り出したのは。


 自分、そして量産型勇者にも似た容姿をした貴族の令嬢は戦場を堂々とした佇まいで闊歩する。配下となった魔物達を向かわせてみたが、恐ろしいほど研ぎ澄まされた剣技で死体が量産されるばかりだった。欲望の化身に堕ちた量産型勇者を襲わせてみたら今度は光の中へと消し去られた。


 その人物とエヴァの間にはもはや誰一人立ち塞がる者はいなかった。


「初めましてこんにちは。今日はいい天気ね」


 彼女は街中で出会ったような、戦場では決して聞かない挨拶を送ってきた。先ほどの蹂躙など朝飯前とでも言わんばかりに目の前の女は何も感じていないようだった。底が知れない女に対してエヴァは警戒心を露わにしつつ剣を鞘から抜き放った。


「……貴女は何者? いくら量産されていたって魔物と化した勇者を一撃で葬るなんて」

「別に驚くほどでもないでしょうよ。勇者エヴァにだって出来るでしょうし」

「答えになってないわ。言ったでしょう、貴女は何者なんだと」

「帝国ダキア公爵夫人ミカルってここでは名乗っているけれど、本当は分かっているんでしょう? 私が何者かなんて」


 微笑を浮かべる女は美しく、そして怖ろしく人を惹きつける魔性の魅力があった。エヴァは女の正体を憶測していたが、その可能性が全否定されかねないほどの恐怖を覚えさせた。


 卓越した技能、光の魔法、更に同じ容姿。

 彼女は間違いなく自分の元となった勇者イヴだろう。

 だが、話でしか聞かなかった彼女の本性を垣間見て、何故かエヴァは唇を吊り上げていた。


「これはこれは、まさか本物の勇者様にお会いできる日が来るなんてね。光栄ですと言っておこうかしら?」

「別に私だけが勇者じゃあなくてもいいから、本物とか偽物とかは無いと思うわよ。極論、さっき始末したあの連中を勇者って呼んでも私は文句なんて無いし」

「それで、魔性へと堕ちた私を勇者として討ち果たしに来たのかしら?」

「まさか。もう勇者としていい子ぶるのは止めたの。ここに来たのは貴女を誘う為ね」


 彼女、イヴは量産型勇者を切り払った剣を地面へと突き立て、エヴァへと手を伸ばしてきた。イヴが張りつかせた微笑みは宗教画にも描かれる慈母にも見えてならなかったが、次に彼女の口から飛び出してきた言葉はにわかには信じられないものだった。


「エヴァ、私のものになりなさい。そうすれば世界の半分を貴女にあげましょう」


 エヴァがその提案を飲み込むのには少し長い時間を要した。冗談とも妄言とも受け取れる発言だったが、この誘いに心惹かれる自分がいる事にエヴァは軽く驚いてしまった。彼女はたまらず顔を思いっきり振ってイヴを見据え直す。


「貴女のもの、って何よ?」

「どう受け取ってもらっても構わないわ。私からはあえて限定しないから」

「それに世界の半分って何? 世界征服でもするつもり?」

「世界をどう解釈してもらっても構わないわ。けれどきっと貴女に満足してもらえるでしょうね」


 本気で語られるイヴの言葉は嘘偽りではないだろうとエヴァは確信出来た。そして言葉の通りイヴに従えばエヴァにとっての世界の半分に相当する何かが授けられるとも信じられた。けれど、だからと言ってイヴの誘いに頷ける程エヴァは聞き分けが良くなかった。

 エヴァは剣を構えると、その切先をイヴの喉元の方へと向ける。相手の反応を見たイヴは軽く肩をすくめると、突き刺した剣を抜き放った。


「悪いけれど、素直に誘いに乗るほど尻軽でもないのよね」

「あら残念。じゃあ貴女を倒した後にもう一度聞くとしましょう」

「……上等よ」


 イヴは無防備にも地面に落ちていた量産型勇者が装備していた盾を右手で拾い上げる。右手に盾を、左手に剣を、と逆に構えた彼女の姿には城壁上の兵士達からすれば違和感を覚えただろうが、エヴァも不思議と同じ構えを取っていたので、今まで抱いていた些細な疑問のあっさりとした解決に思わず笑みをこぼしてしまった。

 エヴァが統率していた魔物達は彼女が命じるまでもなく行動を止めていた。襲い掛かる度に切り伏せられる……否、処理されていく有様に恐怖でおののいているのだろうとエヴァは勝手に結論付ける。意図せずに誰にも邪魔されない一騎打ちとなっていた。


 貴族令嬢と夢魔の姿をさせた奇妙な光景だったが、それは勇者対勇者の構図に違いなかった。


「じゃあ、お手並み拝見といこうかしら」


 先に動いたのはイヴの方だった。彼女は臆する様子も見せずに大地を蹴ると一気に間合いを詰めてきた。エヴァもまた踏み込んで迫りくるイヴとの距離を縮めていく。

 二人が振るった剣はそのままぶつかり合った。そのまましのぎを削るつばぜり合いになるとエヴァは予測立てたが、イヴはそれを覆して盾の縁を彼女の膝めがけて振り下ろしてきた。勇者装備に身を固めていた時と違って夢魔となった今のエヴァは露出の激しい衣装をしていて完全に無防備。それを突いてきた形だった。


 エヴァは剣をイヴの剣から離して大きく間合いを取ろうとしたが、イヴはその動作を読みきったように挙動の直前で踏み込んでくる。再び振るわれたイヴの剣をエヴァは今度は盾で受け止めた。体重と飛び込みの勢いを乗せた一撃はとても重かったが、逆にその勢いを利用して後退に成功する。


「……まさか盾まで武器だったなんてね」


 短い間の交錯でエヴァは実感した。身体能力については夢魔となった己の方が上回っている。だが力押しも許されない程の経験、技量の隔たりが自分と目の前のイヴの間にはある、と。

 バラクは量産型勇者を造る際に勇者イヴの情報を刷り込んではいた。けれど実際に本人と戦ってみるとイヴの立ち回りは対峙する自分が身震いするほど洗練されていた。旧キエフ公国で勇者として剣を振るってきた筈のエヴァでは到達しえない、真の勇者として歩んだ多くの活躍の中で培われた足跡の差だった。


 魔物にとっての畏怖の対象、そして全力をもって排除すべき存在。

 これが勇者か、とエヴァは今正に実感していた。


「盾は鈍器にもなるし鋭利な刃にもなる。剣以上に優れた武具だと思っているけれど?」

「そう、今後の参考にさせてもらうわ」


 これでは魔物を『倒す』、『払う』より『処理する』との表現が的確だと思うわけだ、と妙に納得しながら今度はエヴァの方からイヴへと飛び込んでいく。エヴァが渾身の力を込めた正面からの一撃はイヴが少し剣を動かしただけでいなされて、かすりもせずに下へと振り抜けていく。

 横腹を晒す形となったエヴァの胸元にまたしてもイヴの盾が迫ってくる。振り抜いた剣はイヴの剣に抑えられて防御に回せず、もう片手に持つ盾は自分の半身が邪魔をして死んでしまっていた。唇を噛みながら意を決したエヴァは今の自分にあってイヴには無い翼を大きく広げると、上から思いきり勢いに乗りきる前の盾へと叩きつけた。


「卑怯とは言わないわよね?」

「……! 上等ね!」


 体勢をわずかに崩したイヴは左手の剣でエヴァの喉元めがけて突きを放つ。鋭い一撃はエヴァへと吸い込まれるように迫ってきたが、エヴァは何とか身をよじって盾を自分の前へと持ってくると正面から受け止める。

 衝撃が右手伝いに全身へと伝わっていく。思わず盾を取り落としそうになる所をかろうじて踏ん張り、咆哮を腹の底からあげると逆にイヴの剣を力任せに弾き飛ばした。が、追撃をかけようと眼前に掲げた盾を外した時には既にイヴはエヴァとの間合いを離しており、仕切り直しに入っていた。


「……勇者とか関係なく強いじゃあないの」

「私にとって勇者として授かった力なんて所詮いい格好したいだけの代物だもの。勇者装備も神の威光も別になくたって困らないわ。そんな恵まれた力が無くたって私は私なんだと誇りをもって言えるようじゃあないと」

「……耳が痛いわね。愚かではあったけれど、つい最近まで私は勇者にかまけていたもので」

「さあ、まだまだ行けるよね? もっともっと踊りましょう」


 イヴは剣を戯れに一回転させると、再びエヴァへと間合いを詰めていった。


 そんな二人の決闘を目にする城壁上の兵士達は何も出来ないでいた。既に魔物達は弓や投石器等の射程距離まで迫ってきているから、敵軍が何もしてこない今こそが最大の好機だった。にも拘らず彼らはただ目の前で繰り広げられる戦いに魅入られていた。

 そしてそれは城壁に設けられた塔の上にいる者達にとっても同じだった。エステルは己の立場すら忘れて食い入るように決闘を見つめ、彼女配下の兵士はただ自分達よりはるか上の頂で行われる死闘に目を奪われていた。チラは子供のように一喜一憂しながらイヴの戦いに心躍らせていた。

 ただ一つ例外があるとしたら、かつて勇者イヴと共に旅をした三名の反応だろう。


「馬鹿な……。先行試作型にも奴の情報を余す事無く書き込んだ筈だ! 妖魔と化した奴は身体能力も向上しているのに、どうしてここまで差が出る!?」


 投擲手バラクは自分の予測をはるかに超えた展開を理解出来ないでいた。


「一年前より別人のように強くなっていますわね。一体どんな経験を積んだと言うんですの……?」


 弓使いプリシラは猜疑心すら抱いてイヴを観察していた。


「血沸き肉躍るのは分かりますが、いつまでもそうしていたら……!」


 魔導師マリアは頭を片手で抑えながら心配に彩られた眼差しをイヴへと送っていた。


 誰もが固唾を呑んで見守る決闘は、次第にエヴァの方が焦りを募らせて精彩を欠くようになってくる。エヴァが攻め込んでもイヴには無難に対処されてしまい、逆に反撃をかろうじて防御する形ばかりになってしまっていた。

 終始勝負を有利に運んでいくイヴだったが、彼女の方も別に遊んでいるつもりは無く全てが勝利へと結びつくよう攻撃を繰り出していた。攻めきれないのは全治していない四肢の事情もあったが、単に相手との実力が思った以上に彼女に迫っており、戦いが拮抗している為だった。


 そんな激しい攻防は、エヴァが剣を大きく弾かれてイヴの前に身体を無防備に晒して終わりを迎えた。


「ぐ……っ!?」


 エヴァは歯噛みしたが反撃、防御、回避のどれもが間に合わない。それでも彼女は対処の糸口を掴もうと頭を回転させたが、イヴの剣はそんな彼女へ容赦なく降り注がれ……、


「……っ!?」


 なかった。勢いよく振られたイヴの剣はエヴァへと届く前にイヴの手から離れ、空中を回転しながらあさっての方向へと飛んでいく。イヴの手だけが空しくエヴァの前を振り抜かれ、イヴの顔が一瞬ではあるが驚愕で彩られた。

 それでもイヴは瞬時に気持ちを切り替えて大きく飛び退こうと試みたが、好機と見たエヴァが逆に兜割を繰り出す。体勢を大きく崩していたイヴはかろうじて正面から盾でその一撃を阻んだが、渾身の力を込めた一閃は盾を両断してイヴの胸元を大きく切り裂いた。


 追撃の手を緩めるつもりはないエヴァはそのまま間合いを詰めようとしたが、イヴが手にしていた盾が目前に迫ってきたのを確認して盾で弾く。それが悪あがきの投擲だと舌打ちをした頃には既に間合いを離されていた。

 胸元を斜め縦方向に引き裂かれたドレスの隙間から夥しい量の血が流れ出る。内臓や骨までは届いていないようだったが、これからの戦局を左右する深手を負わせた事に違いは無かった。無論、エヴァは相手に回復魔法を使う暇を与えるつもりは無かった。


「その腕も脚もちぐはぐ。どこぞの馬の骨からの借り物かしら。随分と残念ね」

「……別に文句は無いわね。これを含めて今の私の実力なんだし」

「そう、じゃあ名残惜しいけれど、これで終わりかしらね!」


 これまでイヴとエヴァはお互いに剣と盾の技量だけで戦いを繰り広げていた。勇者としての、夢魔としての能力を一切使わない、剣士としての決闘は決着が付くまで延々と続くものと誰もが思っていた。

 その均衡を先に崩したのはエヴァの方だった。彼女は剣に光を収束させていく。眩い光を放ちながら剣の周囲の大気が震えだした。エヴァは大きく後ろへと構えを取り、相手であるイヴを鋭い眼光で捉えて離さない。

 その光景を目にしたイヴは眉をひそめた。エヴァにはその様子が失望しているようにも見えた。


「……何? 結局勇者の力に頼るの?」

「このまま剣の腕を競うのも良かったけれど、あいにく私は私だけのものではないのよ。だから勝利する為に確実な手を取らせてもらうわ」

「そう……。エヴァがそれでいいなら私もそうするまでだけれど」


 エヴァは背負っていた布に包まれた物体を手にすると、器用な手さばきでそれをほどいていく。その全容が露わになるにつれて、城壁上の兵士達より歓声があがっていく。


 それはエヴァや量産型勇者がバラクから与えられた模倣品などではない曇り一つない燦然とした輝きを湛えた剣だった。それこそまさしく勇者が担う光の剣に他ならなかった。

 誰もが確信し、そして歓喜した。行方知れずだった勇者の帰還、そして新たな勇者の伝説を。


 イヴもまたエヴァと同じように大きく後ろへと剣を構え、光を収束させていく。

 先ほどエヴァが放った光の一閃は量産型がそれぞれ放った一撃の前に押し返されたが、今の相手はイヴ一人。勇者が千もの魔を払う光の奔流がどれほどのものか。魔へと堕ちた勇者が勝つか、それとも人間であり続ける勇者か。誰もが身を乗り出して見守る。

 だがイヴは次の瞬間笑みを浮かべると、突然大地を駆けだした。向かう方向は今にも光を解き放つべく身構えていたエヴァの方向へと一直線に、だった。


「掃え光の一閃よ!」


 エヴァは突撃するイヴに構いなく光の奔流を解き放つ。光の奔流を解放するか剣と共に振り抜くかの違いさえあれ、光の一閃の威力は同じ。ならばあとは担い手の力量で光は放出量、威力は左右されてしかるべき。夢魔となったエヴァには人間とは比べ物にならない魔力量がある。自分が負ける道理は無い、エヴァはそんな確信から愚かにもその身を晒すイヴに向けて嘲笑を浮かべた。

 エヴァの推測は正しく、イヴは全てを切り払うべく迫りくる光の奔流はマリアがしたように逸らすのが精一杯だろうと早々に結論付けていた。だが、それは剣士として、または勇者としてエヴァに挑んだ場合の話だった。


「闇よ、万物を包み安息をもたらせ」


 エヴァは知らない。イヴはもはや一年前の勇者イヴなどではなく、魔王アダムと勇者イヴが融合した全く別の存在だと――。


 イヴが右手で振るった闇の剣の一閃は光の輝きを急速に失わせ、やがて跡形もなく消失させた。残ったのは剣を振り抜いたまま目の前の光景にただ茫然自失とするエヴァと、彼女を間合いへと捉えて光を湛えた剣を左手に構えるイヴだけだった。


「煌めけ光の流星よ」


 イヴの光の剣が振り下ろされる。身を包んだ背徳的な装束の中で異彩を放っていた光の盾をエヴァは反射的に構えたものの、イヴの一撃はそんな腰の入っていない防御を軽々と弾き飛ばし、エヴァの身体を斜めへと切り裂いた。


「あ、あああぁぁぁああっ!!?」


 エヴァが甲高い絶叫をあげる。光を帯びた傷口からこぼれていくのは彼女を夢魔たらしめる魔の要素、変貌した身体から捻じれた角、天を覆う翼、曲がり蠢く尻尾が光の粒子となって消えていく。その様子は傍からは強大な魔を浄化しているかのように見える。

 城壁では誰もが歓喜の声を上げる。魔物へと堕ちた女を打倒するばかりか救ってみせた勇者を讃える声が、勇者の帰還を喜ぶ声が辺りを包み込む。塔の屋上ではエステルとチラが手と手を取り合って勇者の勝利を声をあげて喜ぶ。


 やがて、夢魔らしき身体の部位を失ったエヴァは大地に膝と手を付いた。夥しい量の汗を流して息を荒くする彼女は、何とか気力を振り絞ってイヴを見上げる。そんなエヴァに対して向けられたのは剣ではなかった。

 イヴは決闘前と同じように手を差し伸べてきていた。


「気分はどう?」

「気分って……」


 エヴァは手袋に覆われた自分の手を見つめ、軽く握ってみる。それから頭と背中に触れて夢魔となって生えてきた角と翼が無くなっているのを確かめる。だが、それでもエヴァにはイヴの背後の大衆から発せられる歓声の意味もイヴの一撃の真意も分からないでいた。


 何故なら、エヴァは未だに夢魔のままだったからだ。


 イヴの一撃は間違いなくエヴァの身体を芯で捉えており、エヴァも死を覚悟していた。だが実際には命を落とす事無く、更には夢魔へと変貌し欲望の虜にされたその身体を浄化されたわけでもない。光が身体中を走って身が引き裂かれる激痛こそあったが、それだけだ。消耗した体力が回復すればすぐにでも失った角、翼、尻尾を再生出来るだろう。

 だからこそ解せなかった。勇者の浄化なら再び自分を人間へと引き戻せた筈なのに。勇者の一撃なら魔へと堕ちた自分を討ち果たせたのに。それをせずに夢魔の自分にどうして勇者が手を差し伸べるのか、全く理解できなかった。


「人間の貴女には興味ないし、ましてや勇者イヴの複製に用は無い。私は今の貴女が欲しい。改めて問いましょう。わたしのものになりなさい、と」


 イヴは再び優しい微笑みをエヴァへと向ける。不思議と安心を覚えさせる彼女の手を自然に取ろうとして、ようやくエヴァは理解した。


「この悪魔め……!」


 目の前の女は勇者でも何でもない。魔へと誘ったサロメよりはるかにたちの悪い、自分を更なる深淵へと引きずり込む存在なのだと。

 魔物達を一掃した攻撃といい光の奔流を飲み込んだ対抗手段といい明らかに勇者の技能ではない。目の前の勇者の皮を被った何者かは今まで出会ってきた誰よりもはるかに危険な存在だと彼女の本能が継げていた。


「罵るわりには笑っているのね」


 だが、エヴァは口元を緩ませる目の前の存在の手を躊躇いも無く取っていた。胸中を駆け巡っていたのは警鐘だけではなく歓喜だった。そして同時に彼女は納得していた、決闘前に与えると言っていた世界の半分の意味が。

 世界が何を中心に回っているかは神のみぞ知る理だが、自分の視点で世界を語るなら、確かにエヴァはたった今世界の半分を得た事となる。


「マスター、どうかこの私を御導き下さい」


 すなわち、己の全てを捧げる絶対なる信仰、信望、忠誠の対象。責務でも欲情でもない、救済に報いる労働こそが己の存在価値なのだ、と。

 エヴァは跪き頭を垂れた。イヴは手に取った彼女の手をもう片方の手で優しく包み込む。


「ええ。これからもよろしくね、エヴァ」


 その光景は傍から見れば勇者による救済だと思われただろう。

 だがその真相は、もはや逃れる事も叶わない深淵への誘いに他ならなかった。


 -閑話終幕-

お読みくださりありがとうございました。

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