捲土重来の反撃②:量産型聖女
「これだけ敵が密集していると狙いたい放題ですわね」
「どこに撃っても敵に命中するんですから楽なものですよ」
「マリア様、下ばかり注視していないで上空を飛んでくる輩にも注意を払ってくださいまし」
「分かっていますよ」
魔王軍が動き出したと同時にわたしとプリシラも敵を迎え撃つべく行動を開始した。と言っても先日ここからすぐ東で行われた戦争と同じで敵めがけて遠距離攻撃を仕掛けるだけだ。今回は前回よりも敵がすぐ近くまで迫ってきているから更に狙いやすくなっている。
どうやら合成獣と妖魔の激突はほぼ拮抗しているようで、敵軍は中々城壁へとたどり着けないようだ。これならこちら側が攻撃される心配は少ないから、正にやりたい放題と言っていい。
「これ、前回みたいに聖女の奇蹟で一網打尽にした方が早いんじゃあないです?」
「ここだけならそれで構わないでしょうけれど、あの奇蹟はあくまで雑魚荒らしに過ぎませんから。敵にはあの強力な者達が控えているのをお忘れなく。いざと言った際に聖女様が万全なのとそうでないのとでは大違いですの」
「下に量産型の聖女がいるんですから浄化魔法もあの者に任せてしまったら?」
「出来るかどうかも怪しいですわね。それにああして前線に出てしまっている以上、精神を集中させるなど無理な芸当ですわ」
だとしたら今回は地道に敵の戦力を削っていくしかないか。おそらくはバラクの事だ、他の方面にも合成獣に加えて量産型勇者と量産型聖女を配備しているんだろう。当面の防衛は彼女達に任せてしまってもいいだろう。
問題なのはノアやサロメといった軍団長が自ら出てきた場合だ。バラクが誇っているぐらいだから量産型の性能は本物達に迫っているかもしれないけれど、経験については死闘を潜り抜けてきたイヴ達には到底及びもしないと思われる。複数人いるとはいえ果たして量産型で敵うかどうか……。
「他方面を気にかける暇がありましたら目の前の敵に集中してくださいまし」
「そ、そうでしたね。まずは前方の敵をどうにかしないと……」
集中するって言ってもこれだけ的が多くいるんじゃあ片手間でも事足りるんだけれどなあ。時折飛びあがってくる飛行型を撃ち落とせば済む話だ。まあノアの強襲の前例もあるから油断は大敵に違いないのだけれど。
と、この場にいるイヴ以外の誰もがわたし達へと視線を注いでいると今更気づいた。何故、と疑問を浮かべるまでも無く、バラクの生産した量産型勇者と量産型聖女の件だろう。特に聖女チラにはよほどの衝撃だったのか、顔を青ざめさせて身体を震わせているようだ。
……いや。どちらかと言うと、もしかして本当の勇者と共に旅をしたわたし達が淡白な反応しか見せずに敵の迎撃に専念しているせいか?
「何かありますの?」
プリシラもその痛いほどの視線が気になったのか、その皆を代表してエステルへと声を向けた。突然振られてエステルは大層驚きを露わにしたものの、咳払い一つしてわたし達の方を眉をひそめつつ見つめてきた。
「プリシラ様方はあの救世の英雄であらせられる勇者様と共に旅をした、勇者一行の方々……なんですよね?」
「救世とか英雄やらはさておき、勇者イヴと共に旅をしたのは事実ですわね」
「では、あの光景を見ても何とも思わないのですか……!?」
エステルの悲痛な叫びにも聞こえる訴えは魔王軍相手に善戦する量産型勇者達へと向けられている。言いたい事は何となく分かる。確かに衝撃だろう、人類の救い手たる勇者や聖女が人の手で造り出され、合成獣などと同じように兵器として使役されているのだから。
多くの人達が勇者や聖女を特別視しているのだからエステルの思いが特別なのではない。そして、勇者と聖女に集ったプリシラ達勇者一行が模造された偽物を目の当たりにして何とも思わないのか。彼女の感情はそんな所だろう。
ただ当の模倣されたイヴは催し物を眺めるように見物しているだけだし、プリシラもどうやらわたしと同じ感想を抱いているようだ。
「一年前だったら確かに勇者や聖女を冒涜したバラクに弓を弾いていたかもしれませんわね。人の救済に携われる誇りも勇者と共にある誉れもありましたし」
「なら……!」
「あいにく、今のわたし達にとっては勇者が量産されようと別に構わないませんことよ。むしろ勇者や聖女が大量にいてくれたら少しでも楽できますし」
「な……っ!」
「ぶっ、あっははは!」
エステルや近衛兵達は絶句したようだ。バラクすら意外な物を見る視線でわたし達の方を見つめてきている。イヴが膝を叩いて笑い声をあげているんだけれど、周りの反応がそんなに面白おかしかったんだろうきっと。かく言う自分は妙に納得してしまって思わず頷いてしまった。
そんなわたし達に憤りを覚えたのか、エステルはかぶりをきった。
「でも、聖女の存在が辱められたんですよ!?」
「光の奇蹟がちょっと使えたからって聖女とは片腹痛いですわね」
「ゆ、勇者の存在が貶されたとは……」
「勇者がどうなろうとわたしは一向に構いません。今のわたしは肩書ではない個人を見ますので」
そもそもイヴがこの調子なんだからわたし達が怒るのもおかしな話だろう。それに勇者を人工的に誕生させるなんて荒業を成し遂げたバラクは正直凄いと思うし魔導の歴史上に残る快挙とも称賛されるべきだろう。祝辞を述べこそすれ罵倒するような事ではないとわたしは思う。
しかし、意外だったのは魔導師でないプリシラがわりと淡白だった事だろうか。彼女が生粋のエルフなんだと考えればこんな考えでも不思議ではないけれど、今の彼女はエルフを止めた聖女付きの修道女だ。聖女を、しかもチラを侮辱されたとは思わなかったんだろうか?
そんなチラの顔は更に青く……いや、もう白くなってきていた。歯を鳴らす彼女はいつもの怯えようではなく、まるで己の全てを否定された絶望に染まるかのように……。
「お……教えてください、バラクさん……」
「何か用かな?」
この一連の騒動を巻き起こした当事者のバラクは周囲の反応に悪びれる様子も無く、己の造り上げた作品の調子をじっくりと観察しているようだった。羊皮紙に筆記具を一心不乱に走らせる彼はチラが縋り付くような声で問いかけても特に気に掛ける様子はない。
「あの子は、アダちゃんなんですか……?」
「ああそうだ。勇者一行時代の勇者イヴと共にいた聖女アダから採取した情報を元に造っている」
「ど、ど……ど、うして、プリシラさんに私の感想を……?」
か細くなるチラの言葉を聞いたエステルが目を見開いて両手で口元を覆う。気付いてしまったのだろう、聖女アダと共にいたプリシラに聖女チラの調子を聞いた訳を。それは勇者イヴと共にいたマリアであるわたしに勇者エヴァの評価を語らせたのと同じで……。
チラは涙を目に浮かべて大きく顔を横に振った。彼女の口から出る訴えは、まるで自分を納得させるかのようにも聞こえる。
「で、でも! 私にはアダちゃんと一緒にいた記憶が……!」
「日常でも活動できるよう記憶も人為的に植えつけている。あの勇者達が戦えているのと同じ理屈だ」
「みんなが私を聖女だって言ってくれて、だから一生懸命頑張って……」
「あの狂信者アダのままでは私の思い通りにならないからな。聖女らしく人気が出る素直な性格に調整したつもりだ。実際他の者達からの受けは良かっただろう?」
「じゃ、じゃあ……私は、私、は……」
「ん? 何だ、はっきり言ってやらないと分からないか?」
バラクはそこでようやくチラへと視線を向けた。ただ彼がチラへと投げかけるソレはか弱い少女を見つめるものでも聖女に見惚れるものでもなく、完全にモノへ向ける無機質さしかなかった。
「お前は私の造――ギ、アアアッッ!!?」
バラクの口から残酷な真実が語られる一歩手前で、彼はその身を大きく後方へと吹っ飛ばされた。
悲鳴を上げる彼の右上腕部には矢が突き刺さっており、どうやら雷での追加効果も受けたようで身体を痺れさせてのた打ち回る。そんな彼へおまけだとばかりに今度は右脚へと矢が突き刺さった。
「あらごめんあそばせ。手が滑りましたわ」
それは勿論魔王軍からの遠距離狙撃ではない。犯人はもっと近くわたしの隣にいる、プリシラの仕業に他ならなかった。口では謝っているものの、彼を捉えて離さない双眸は敵と対峙するかのように鋭いものだった。
彼女はエルフにとって命と等価とも言える弓矢をその場に放り捨てると、逃げようと後ずさるチラの手を捕まえて、そのまま彼女を軽々と引き寄せて抱きかかえた。
「勇者一行としている間、アダから双子の姉について聞いた覚えがありませんでしたからもしかしたらとは思っていました。で、それがどうかなさいましたの?」
「でも、プリシラさん、私は……」
「教会は神の使者たる聖女を複製されたのにどうしてチラ様を異端審問にかけずに新たに聖女に列聖されたのですか? チラ様が神の僕であり、人々に献身を、奉仕をなさってきたからではありませんか」
「そ、それは……」
「初めはあそこにいる人造の聖女と変わらなかったかもしれませんが、チラ様が聖女チラとして活動された奉仕は決して嘘偽りではありませんわ」
「……!」
そう、誕生は聖女アダを模して造られていたってその後に残す足跡はアダとは違う。少なくともチラは人々から信仰を集め、崇められ、そしてそんな彼女を誰もが絶対に守ろうという気にさせたのだ。聖女アダの代わりではない、皆から慕われる聖女チラは確かにここにいる……!
「貴女様が私めを色欲から救い出してくださったのは貴女様がアダだからですか?」
「ち、違いますぅ。プリシラさんはきっとみんなに笑顔を取り戻してくださるって私思って……」
「死ぬ間際だったマリア様の命を取り留めたのは貴女様が聖女だったからですか?」
「違う! 私、マリアさんに死なれるのが怖くって、助けられるなら絶対に助けたくて……!」
プリシラは胸元に抱きかかえていたチラを離し、若干屈んでチラと同じ目線で顔と顔を合わせる。涙でぬれたチラの顔を拭い、プリシラは優しく微笑みかけた。その光景は泣きじゃくる子を安心させる母親の優しさを思わせた。
「では貴女様はアダでも聖女である人形でもありませんわ。貴女様のお名前は?」
「……チラ。私の名前は、チラ……!」
「そう、チラ様! ここにおわすのはアダでも量産品でもない、聖女チラ様であらせられますわ!」
プリシラは幸福の絶頂の中にいるように満面の笑みを湛えてチラの身体を両腕で持ち上げて、その場で回り始めた。そんな彼女の喜びの感情を一身に受けるチラは驚きと戸惑いこそあったものの、次第にプリシラにつられて笑い出す。
「さあ、神の子である人々に救いを、神の与えたもうた安息を守るために、もうひと踏ん張りですわ」
「はい、プリシラさん! これからも一生懸命頑張りましょうね!」
もう悲観に暮れていた少女の姿はどこにもなかった。ここにいるのはプリシラと共にひたすら前へと進んでいく一人の聖女に違いは無かった。
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「ふん、好きにするがいいさ。既に聖女の情報も十分に集め終えているからな……」
「あら、どうやらまだご満足されていないご様子で。胴か眉間への風穴をご所望ですの?」
バラクは貫通している矢を引き抜くと、自身に回復魔法を施していく。鮮やかな術式の展開だけれど、どうもわたしが行使する回復魔法よりも精度、というか効果が薄いようにも見える。この辺りが魔法使いとしてはマリアの方が上だと認めている理由だろうか?
プリシラはもはやバラクには目もくれずに敵に向けて矢を放ち続ける。ここにきて天空を飛翔する魔物が多くなってきたせいでそちらに注力しないと厳しそうだ。時折相手側からも遠距離攻撃が仕掛けられるのでそれも撃墜していかないといけないし。
そのせいかもしれないけれど……、
「バラク。悪態をつく余裕があるなら今行われている光景の説明でもしてもらえませんか?」
「んん?」
これ以上ここを険悪な雰囲気にしたくはなかったので、とりあえず話題を変える意味でもわたしはバラクにこっちに来いと手招きしつつ前方を指さした。彼は眼鏡のつるをあげながらこちらの方へと面倒くさそうに足を運び、目を細めてそれを凝視した。
そして、彼の表情から次第に余裕が失われていく。自信満々だった面持ちが重く影を帯びたものへと彩られていく有様にはちょっと溜飲が下がってしまった。
「量産型勇者や聖女は経験とか記憶とかそう言った類は全て組み込んでから実戦投入しているんですよね。それにしては随分な体たらくではありませんか?」
「……そんな、莫迦な」
「目の前の現実を見ないで何が魔導師ですか。早く分析して状況を説明してくださいよ」
「ありえない! こんな結果になる筈が……!」
戦場で今起こっているのは見る人から見れば悪夢以外の何物でもなかった。
三人の量産型勇者はそれぞれ別の種類の魔物に捕らわれており、何をされたか詳細は省くとして既に魔物化が進行していた。一人は下半身が蛇と化したエキドナに、一人は下半身が蜘蛛と化したアラクネーに、最後の一人はロバと青銅の脚と化した……えっと、エンプーサだったか? それぞれが変貌を遂げていった。
更に量産型聖女はゲローだかモルモーだか忘れたけれど複数の女性型の吸血鬼の牙が突き立てられており、血を吸われているようだ。遠すぎて悲鳴も聞こえてこないけれど、餌食となっている聖女が恍惚の表情を浮かべているように見えるのは決して気のせいではないだろう。
なお、わたしもプリシラも援護射撃は繰り出していたものの悉く妨害にあって届かなかった。敵味方乱れた混戦のせいで狙いにくいのもあったけれど、どうやらエヴァの指示で邪魔立てされないよう魔物達が盾となっているようだった。
「……いくら狙撃してもあの一帯の防御が固すぎて突破出来ませんわね」
「あー、これで勇者級三名と聖女級一名が魔性へと堕ちていったんですけれど。自慢していた人類の革新とやらが敵に渡ってどんな気持ちですか?」
「四対一だぞ! あの先行試験型の経験値が上回っていようと数の上で有利は揺るぎなかった!」
「だってエヴァは魔性に堕ちても勇者としての能力や技術はそのままで、更に魔の技能が上乗せされているんですよ。いかに量産型が勇者を模倣していても実戦経験無しで投入されて勝てる相手ではないと思うんですけれど」
そんな事も分からないんです? と最後まで続けたかったが止めた。どうせ彼に言ったって無意味に終わるのは目に見えている。
量産型勇者三名と量産型聖女に対してエヴァは鮮やかな強さを見せつけて勝利を収めた。その決闘自体は両者一歩も譲らない死闘で紙一重の差だったけれど、その後に四名の量産型に待ち受けていた仕打ちは徹底的な……まあ、思い返すのもはばかられる淫らなものだった。城壁に配備された兵士達では肉眼で十分に把握できないほど離れた距離だったのは不幸中の幸いか。
そうして変態が終わったのか、四名……いや、四体の魔物達もエヴァと共に進軍を開始する。主力を失った合成獣達や城壁上からの飛び道具のあられも彼女達を食い止める決定打にはならず、刻一刻とわたし達に災いをもたらす存在が近づいてくる。
城壁上の者達に悲壮感が漂い始める。バラクは髪を掻きながら爪を噛んだりと忙しそうに現実逃避をするばかりで、目の前の光景を受け入れられないようだ。チラが心配そうにプリシラを見つめるもののプリシラは安心させるよう自信がこもった笑みを彼女へ向けるばかりだった。
「閣下、ここは危険です! 早く避難を……!」
「避難? こうなってしまった以上もはやどこにいても同じです。それなら私は最後まで戦う者達の為を見捨てるなどできません」
「ぐ……っ!」
エステルは気丈にも平静さを装っているようだが、手の震えが抑えられないようだ。かく言うわたしも周りに意識を向けて気を紛らわさないと焦りが募ってきそうだ。戦闘開始時点でも不利な状況だったのにこんな有様をどう打破しろと言うんだ……!
「大量生産された勇者と聖女も面白かったけれど、まだまだ玩具ねえ」
そんな中、イヴはただ一人開戦前のまま優雅に観劇を楽しんでいた。そんな彼女はバラクが現れてから初めて口を開き、そして進行するエヴァを指差しつつバラクへと愉悦で歪ませた顔を向けた。
「アンタもう彼女は要らないんでしょう? 私が貰っちゃっていい?」
「うるさい! 好きにすればいいだろうが……!」
すっかり余裕を失ったバラクはイヴにおざなりな返事をぶつける。彼は己の思考に没頭するばかりで誰が語りかけたかも判断できていないようだ。彼が冷静だったら今ので彼女がただ戦争を見物しに来た酔狂な貴婦人ではないと気付けただろうに。
「そう、なら遠慮なく頂いていくわよ」
言質を取ったイヴは三日月のように口元を歪めると、塔の壁面を蹴ってそのまま下へと飛び降りていく。驚愕の声をあげてプリシラが下を窺うけれど、その時にはイヴは何事も無かったかのように地面へと着地していた。
これはアレか、死者の都で逃げるわたしを追いかけた時にしただろうアダムの飛行または浮遊魔法か。さすがのイヴでも勢いを殺さずに着地するなんて無理だろうし。
彼女はそのまま魔王軍に向けて歩みだした。ミカルとしてここに来た彼女は背中に布で包まれた光の剣を背負っている以外は鎧兜盾といった防具は一切無い。完全に無防備な状態で歩く彼女はさながら悪魔へと捧げられる生贄にも見えてもおかしくない筈だったが、あまりに堂々と振る舞っているので城壁上の兵士達にも動揺が走っていた。
「ミカル様!? 一体何を……?」
エステルが思わず危険を顧みずに前のめりになってイヴの様子を眺める。そんな彼女を咎める者は誰もいなかった。何せ傍らの近衛兵達すらイヴから目を離せないでいるからだ。平然としているのはわたしと同じで彼女の正体を知るプリシラぐらいか。
餌がやって来たとばかりに魔物達は一斉にイヴへと群がっていったが……、
「えっ!?」
驚きの声を上げたのはこの場の誰だったか。プリシラすら目をこするのだから、それだけ事情を知らない人達からしたら信じがたい光景を目の当たりにしているのだろう。
イヴの周囲の魔物達が一斉に身体を分割させたのだ。
彼女は一見何もしていない。剣を振るうどころか腕は歩行するために前後させるだけ。けれど彼女へと近づく先から次々と魔物が血しぶきをあげて地面へと転がっていく。天の意思が彼女のゆく手を妨げる者を排除している、そう信じてしまいかねない現象が目の前で起こっているのだ。
これはもしかして死者の都で魔王アダムが傭兵アモスの首をはねた闇の剣での一閃か? 全く彼女の動きは見えやしないけれど、きっと虚空より出現させた闇の剣を振るって切り伏せているのだろうか。
魔物達が切り裂かれる度に美しく着飾ったイヴのドレスが血で深紅へと染まっていく。転がり落ちる魔物の死体を踏み越えていくにつれて靴と足が赤へと彩られていく。イヴはそれを意にも介さずに魔物を排除しながらエヴァの方向へとただ歩み続ける。
そんな彼女を阻もうと次々と魔物が襲いかかってくるが、魔物達は何をする間もなく死体へと早変わりするばかり。彼女が歩む柔らかい絨毯が量産されるだけだった。
「なん、なんですの、アレは……」
「どうかしたんですか、プリシラ?」
「アレは、あの恐ろしく研ぎ澄まされた剣の舞は一体何なんですの!?」
どうやらプリシラだけはイヴの攻撃を知覚出来るらしい。あと自分の憶測は正しかったか。イヴが振るっているだろう闇の剣がばれていないだろうか……? 目がいいのも考え物なものだ。
とうとうイヴとエヴァの間にいた魔物は全て片付けられ、エヴァを取り巻いていた元量産型勇者と元量産型聖女の四体がその牙を大きくむきながら一斉に襲い掛かった。それに対してイヴは先ほどまで量産型勇者が振るっていた剣を地面から拾い上げると、後ろに大きく構えを取った。
――そして一閃、光の帯が走る。
その瞬間、間違いなくこの戦場は静寂に包まれていた。襲い掛かる魔物共も、応戦する人類達も、誰もが手を止めて足を止めて、その光景にただただ圧倒されていた。
光の帯が通り過ぎた跡には何も残されていなかった。イヴに襲い掛かった筈の四体の魔物は影も形も残さずに完全に姿を消していた。いや……その表現は正しくないな。正確には光に飲み込まれて塵一つ残さず消滅したのだ。
あまりの出来事にさすがの魔物達も誰一人としてイヴへと近寄ろうとしない。そんなイヴは無造作に剣を天高く掲げた。一連の動作の一部かと思ったら特にそれだけで彼女は何もしない。
そしてふと気づく。もしかしてわたし達に向けた意思表示なのだろうか?
最初はただ圧倒されて呆然とするばかりだった城壁上の兵士達が、それに呼応するかのように次第に鬨の声をあげ始める。彼らの目の前にいるのはただ剣を掲げる血に染まった貴婦人でしかない。けれど、量産型勇者が現れた時よりも、勇者装備に身を固めたエヴァがいた時よりも、ずっと大きな歓声となって辺りに轟いた。
今のイヴは迫りくる魔の脅威より人々を守り、そして先頭に立って戦う勇姿は正に人類史に語り継がれた勇者の姿に他ならなかった。けれど、わたしはそう思わなかった。
「マリア……あれは、誰だ?」
ようやく現実に打ちのめされ尽くしたのか、バラクがか細い声で呟いてきた。
随分とらしくない質問をするものだ。あらゆる可能性を吟味したら自ずと答えは出るだろうに。それすら考察する余裕すら今の彼には無いのか、それとも確信はしているけれど答え合わせがしたいのか。
まあ、彼が認められないのも無理はない。何せ彼を含めた六名で命を絶った筈の存在が今こうして勇者を髣髴とさせる姿を再び見せたのだから。
「勇者は死んだでしょう。それは貴方が一番ご存じの筈ですが?」
「だがあそこにいる奴は間違いなく……!」
「人違いか他人の空似でしょう。あそこにいるのは……」
ふとプリシラと目が合った。どうやら彼女も同じように考えていたようで、二人して笑いをこぼしてしまった。
「ええ、あそこには勇者でも何でもない、ただイヴがいるだけですね」
勇者の肩書も英雄としての誉れも今の彼女には要らない。イヴ個人が自分の意思で今、魔王軍の前に立ちはだかっているのだから。
お読みくださりありがとうございました。