魔の森②・女剣士
復活魔法をかけ続けてどれだけ時間が経っただろうか? ほんの一瞬しか経過していない筈だけれど、あまりに長く感じられた。
「……これで、ひとまず峠は越えた筈です」
何とか魔法をかけ続けなくても良いぐらいに女剣士の状態を持ってこれた時には、全身から力が抜け落ちたように疲れ果てていた。ここまでこの復活魔法をかけ続けたのは初めてだったから、ここまで疲労困憊になるのは想像以上だった。
それでも無理をすればあと一回ぐらい復活魔法は発動可能なはずだ。なら次は……。
「終わりました。すぐにそっちに……!」
「いや、もういい」
アモス達に駆け寄ろうとしたわたしは手で制される。その動作だけで何が起こったか分かってしまった。彼が抱える団長の目は瞳孔が広くなり、身体は先ほどの痙攣が嘘のように微動だにしていない。ダニエルは静かに首を横に振ってくる。
「彼はもう息を引き取った。遅かったよ」
「……そう、でしたか」
アモスとダニエルはゆっくりと団長の身体を横にすると、剣を持たせて彼の瞼を降ろす。わたしは思わずその光景から視線を逸らしてしまう。
わたしが選んでしまった。どちらかしか生き残れない状況の中で、わたしは女剣士の手を取った。騎士団長を切り捨ててしまったのだ。
「……すみません、わたしの選択でこんな結果に」
「よせ、それ以上言うな」
アモスは立ち上がると、わたしの泣き事にも似た言葉を止めるようにぴしゃりと言い放ってきた。
「気負う事はねえ。俺達がこいつに駆け寄ったからその女剣士の方に向かった。要は起こるべくして起こった結果だったってことだろ?」
「それは確かにそうですけど……!」
「今更言ったって始まらねえよ。それよりもっと建設的な話に移るか」
「……っ。分かり、ました」
……確かにアモスの言った通り、とにかく今は嘆いている場合ではない。
わたしは気付けに一発自分の頬を叩いて、視線を彷徨わせて女剣士の失われた四肢を探す。いくら峠を越えたからって四肢がない状態では生きていく術は無いに等しい。ただ斬り落とされただけならば魔法でくっつけられる筈だ。
右脚、左脚、右腕……左腕が無いな。よく女剣士を観察すると、左腕を失った傷跡は焼かれている。おそらく今日ではなくそう遠い過去ではない日に失ってしまったんだろう。斬り飛ばされた腕と脚は傷口が潰されていたり肉が千切れていたりと酷く損傷している。女剣士の傷口は鮮やかなほどの切断傷だから、多分、切り飛ばした腕や脚をわざと傷つけたんだろう。二度と回復魔法で治せないようにするために。
ここまで徹底していると怒りよりもむしろ感心すら覚えてしまう。
「とにかくこの女の人を馬車まで連れて行きましょう。この場に放っておくわけにはいきません」
「よし、じゃあ俺が背負って運ぶか」
「いえ、確か馬車に簡易担架があった筈ですから、それを使いましょう」
アモスぐらい鍛えた傭兵なら人一人を運ぶぐらいわけはなさそうだけど、念には念を入れ、だ。
「……なら俺が取ってくる。ちょっと頭ん中ぐちゃぐちゃで、気分晴らしたいしな」
名乗り出たのはダニエルだったが、動揺と憤りが入り混じった複雑な表情を見せていた。先ほどのやりとりからするとよほど団長の死がこたえたんだろう。彼は頭をかきむしりりながら馬車の方へと歩みだした。
残されたわたしは女剣士ともう治せない彼女の腕と脚を見比べながら、どうやって手足を繋げようか考えを巡らせる。けれどどう頭をひねらせてもわたしの能力で達成できるいい案は中々思い浮かばなかった。
「で、実際の所どう思ってるんだ?」
「どう、とは?」
静寂に包まれた中でわたしの思考を打ち切ったのはアモスだった。彼は構えを解いてはいたけれど剣を鞘に納めておらず警戒感を残したままだ。いや、周囲よりむしろこちら……と言うより女剣士の方に注意を向けている。
なるほど、つまりアモスは女剣士が騎士団を全滅させた凶行の犯人だと判断したのか。
「この惨状が彼女がやったものだとしたら、今広がるこの有様になるのはおかしくないですか?」
「そう考えるのがごく普通だろ。騎士団が追ってたのがこいつで、返り討ちにはしたが自身も重傷を負った、ってな」
確かにそれだと色々と納得がいく。けれど逆に幾つか説明できない点が生まれてしまう。
例えば四肢を失ってどうやって騎士団長の首に剣を突き立てたか、だ。女剣士犯人説が正しいと仮定すると四肢を切り飛ばした相手は騎士団長になる。女剣士が不意を突いて口に剣を咥えて団長に止めを刺した、か? あまりにも馬鹿げた話だろう。
次に、騎士団を一人で討ち果たした女剣士の腕と脚をどうして回復出来なくなるまで傷つけたんだろうか? 部下を悉く葬った女剣士許さない、にしてはその方向が女剣士本人に向かっていないのはおかしい。団長の嗜好で片づけられるならそれでお終いだけど、そんな事をしてる暇があるならさっさと止めをくれてやった方がいいような気がする。
わたし達が手にした情報は推理するには少ない。憶測では色々語れるが結局その域を出ない、か。
「断定できる証拠が探せない以上は時間の無駄です」
「加害者か被害者かも判別不可能なのか」
「日没までには宿場町に着きますら、連絡をとってもらって調査団を派遣してもらいましょう」
少なくとも素人のわたし達は一刻も早く情報を調査団に届けて、現場を調べてもらう方がいいだろう。専門とする魔導師なら探知、捜索の魔法で真相を探れる筈だ。わたしも初歩的なそれ系統の魔法は使えるけれど、精度が悪くて頼りに出来たものではないし。
女剣士は、彼女にはとても申し訳ないが、宿場町の役場に預かってもらえば逃げられはしないだろう。犯人でなかろうと一部始終を目撃しているなら事情を聞けるし、下手人なら引き渡せばいい。
「むしろわたしはあなたがこの方が騎士団を全滅させ、騎士団長との一騎打ちに勝利したと考えた方が意外でしたね」
「ん? いやでもよ、この光景見たら普通そう考えね?」
事前情報が無ければ誰だってそう思う、わたしもそう思う。むしろ他の痕跡すらない第三者が騎士団と騎士団長および女剣士を葬り去ったとする仮説の方が発想が飛んでいる。
が、そこにある一つの真実をほんのわずか付加させただけで恐ろしい可能性になってしまうのだ。
「なるほど、こちらの女剣士が帝国の誇る禁軍で構成された騎士団や勇者一行の前衛を務めた騎士団長より強い方だと、そう仰るんですね」
「……!」
その発想はなかったようでアモスは目を丸くして閉口した。まさか気づいていなかったのか。
そう、それが正しいとするなら英雄とまで讃えられた勇者一行を務めた騎士団長を一対一で下した事になる。そこまでの凄腕だったらいくら世間に疎いわたしだってその名を耳にしていた筈だ。世界広し言えど早々勇者達より強い者がいるとも思えない。
……いや、逆にそれほどの存在だからこそ禁軍の騎士団が派遣されたものの、予測を更に上回って返り討ちにされてしまった、辺りが真実なのか?
「と、ところで彼女なんだが一応腕と脚はあるみたいだが、魔法で何とか治せないのか?」
「ここまで酷く損傷されていると、わたしの腕ではとても……」
もはや斬り飛ばされた腕と脚は繋げられない。そんな奇跡はわたしでなくとも誰にだって成し遂げられない筈だ。この惨状を元通りに出来るとしたらそれはもう回復や治療の類じゃなく、再生の領域だろう。
どんな傷を負っていてもたちまちに癒す聖女も人類の歴史上確かにいたにはいたけれど、おそらくその人物は地水火風の属性魔法ではない全く異なる魔法、奇蹟で成し遂げていた筈だ。
いや、治そうと思うから不可能だって思うんだ。要するに歩けて物を持てさえすれば手や足でなくても問題はない筈。魔導で動く義手や義足の話は聞いた事があるし、決して不可能ではないと思われる。後はわたしでも実現可能な代案をひらめけば万事解決なんだけれど……。
「……腕」
小さくかすれた声がわたしの耳に入ってくる。声の主は一命だけは取り留めた女剣士。彼女の顔色はまだ血の気が良くなっておらず、唇も小刻みに震えていて、呼吸も弱弱しい。多分声を出すだけでも激痛が走る筈だ。
「腕、繋げられるの……?」
それでも、彼女がわたしを見つめる目には諦めは無く、生きようとする力強さが宿っていた。
「すみません。回復魔法が効かないぐらいやられていて、もう貴女の腕と脚は……」
「……そう」
その意志をくじくのは辛いけれど事実は伝えないといけない。女剣士がもっと別の人と巡り合っていればまた違った結果になったかもしれないけれど、わたしには彼女は救えない。思わず彼女の顔を見ていられなくなりそうだったけれど、それだけはやるまいと自分を叱咤し続ける。
そんな彼女はわたしの残酷な宣告にもあまり動揺は見せず、瞳だけをわたしから逸らし……いや、違う。別の何かに視線を向けている?
女剣士の瞳の向きを頼りにそちらの方へ視界を移すと、入ってきたのは少し前にわたしと会話をした、けれど今はもう動かない、女騎士の遺体だった。鼓動も呼吸も確認したから彼女は間違いなく死んでいる。
「彼女が気になるんですか? 残念ですけどあの人も亡くなって……」
「腕も脚……無傷だった筈……」
確かに女騎士は目を貫かれて死んでいるから胴体は無傷、他の騎士達と比べて綺麗な遺体とも言える。けれどそれを気にかけるのは同じ女性だからか、それとも顔見知りだったとかか?
……いや、違う。今の彼女にそんな配慮や事情はかけらもない。彼女から漲るのは執念、生きて何かを成し遂げようとする意志に他ならない。だとしたら女騎士の四肢が無事かを気にかける理由はたった一つしかない。
「それを……私に繋げて」
死体の腕の、再利用――。
絶句してしまった。死体から四肢を奪うなど普通だったらまず考えられない。これは帝国で主流の宗教では死者は息を引き取った状態で神の元へ召されると考えられているからだ。だから帝国では土葬が一般的だし、火刑は神の元へ召されるにも値しないされる最も重い処刑法となっている。
つまり死体を利用するなど禁忌。人の尊厳を無視した悪魔の所業に他ならない、が常識的考えだろう。
「死体から腕と脚を奪う、だと?」
アモスは手にした剣の先を女剣士へと向ける。非常識だと考える程度のわたしよりはるかにその発想を深刻に受け止めたらしく、目が完全に笑っていない。その様子を女剣士は真正面から受け止めていたが、全く気にも留めていない様子だった。
「その言葉がどんな深い意味を持つか、分かっているんだろうな?」
「もちろん許されないのは分かってるけれど、亡くなった人の手を借りてでも私にはやり残したことがあるのよ」
女剣士は右肩をあげる。多分右腕が残っていたら高く掲げ、強く握りたかったんだろう。それすら出来ない自分に対して歯がゆく感じてるように見える。罪の意識は感じているけれど、成すべき何かと天秤に吊るすと悲願の達成の方がより重いらしい。
「それで……出来るの、出来ないの?」
「……不可能ではない、とは思います」
人はそれぞれで血の流れや肉の動き具合、言わば生命活動の流れと表現すべき物が違う。水属性の回復魔法で無理やり繋げても繋げた同士で流れが合わず、拒絶し合ってしまうのだ。だからその拒絶を抑えるために継続的に回復魔法をかけ続ける必要がある。他者の身体を代わりとした治療は現実的に非常に厳しいと言わざるを得ない。
やはり四肢を戻すのなら義手義足を取り付ける方向にすべきだろう。義手義足型のゴーレムを作ってもらえばあるいは違和感ない生活を送れるように戻るかもしれない。わたしの故郷の魔導協会を訪ねて土属性専門の魔導師がいるか確認を取ろう。
「ごめんなさい、やっぱりわたしでは――」
そう告白しようとした矢先、腰の道具袋の中に入れていた魔導書から言い様もない違和感を覚える。目を移しても特に変わった様子は見られないけど、魔力の奔流と言うべきか、神秘的な力を感じるのだ。
わたしは魔導書を開く。マリアから押し付けられた、冥府の理を記した魔導書を。
「えっ……?」
……読める。ついさっきまで白紙だったページが読める。
驚くしかない。更に言うとこれまでみたいに断片的に読めるだけじゃなく、完全に書いている内容を理解できる。書かれている言語は相変わらず文法から発音すら意味不明でも、どれが何を表しているか、全てが鮮明に頭に思い浮かぶのだ。
わたしは魔導書と女剣士を交互に見つめる。確かにこれなら女剣士を治せる。治せるけれど、果たしてやっていいのだろうか? 女剣士には悪魔の所業たる冥術に身を委ねる事を強要し、わたしは冥府に手を染める事となる。
「一つ確認しますが、義肢だって時間はかかりますが造れる筈です。その選択肢は?」
「折角の提案だけど、無いわね。義肢だと感覚が分からなくなるから、機能は戻っても元の実力が発揮できるとは思えない」
なるほど、言うとおりだ。義肢で最前線の戦いに赴くのはまず無理と言っていいだろう。力の入れようや踏ん張りの細部まで再現できるほど魔導技術が進んでいないのもあるし、達人になればなるほどほんのわずかな違和感が大きな差になってしまうだろうし。
なら一つ、その前に確認しておかなければならない。
「死体の手足まで奪って、何を成し遂げたいんですか?」
先ほどアモスにはああ言ってしまったが、死屍累々となっている騎士団の討伐対象はこの女剣士だろう。帝国が禁軍を派遣してでも捕らえようとする深い事情が彼女にはある。国家反逆ぐらいならまだかわいい方で、世界を混沌へと追いやる野望を企てているかもしれない。
彼女が嘘を真実に被せようとするのか、正直に答えるのか。嘘を見破る術はわたしには無いけれど、それでもこの答え如何でわたしの答えも決めよう。
質問を投げかけられた女騎士は少しの間考え込んだが、やがてわたしの目を見据えてくる。その瞳はどこか虚ろだったが、瞳の奥底には黒く燃え上がるものを感じて背すじが凍る。
「私は私達を裏切った者達に復讐を果たす。その為に旅をする脚が、剣を取る腕が必要なのよ」
彼女が吐き出した悲願は、底知れぬ執念に彩られていた。
お読みくださりありがとうございました。