魔王軍との対峙⑤・妖魔を統べる者
-閑話-
旧キエフ公国公都の防衛戦で勝利を収めた人類連合軍は、その勢いに乗るべく公都から南東方向に位置する第二の都市へと軍を進めていた。だがノアによる聖女チラへの強襲により人類連合軍は混乱の極みへと叩き落とされていた。
「まさか空から強襲されて後方にいた聖女と分断されるとは……」
などと司令官は嘆いたものの、もはや聖女に付き添う二人の英雄に託す他なかった。
城壁に囲まれる第二都市まで軍は侵攻したが、人類連合軍が接近しているにも関わらず都市を囲む城壁の上には人影が全く見当たらなかった。迎え撃つべく軍を城壁の外側に展開もせず、籠城の構えどころか城門が開門されたままとなっていた。
罠か? と誰もが疑った。城門をくぐった途端に門を閉ざされて都市に入った者達が一網打尽にされる、または市街地に敵兵が潜んでいて成すがままにやられる、等の悲観的な想像ばかりが頭をよぎるばかりだった。
司令官は石橋を叩く慎重さで偵察部隊を門のすぐ手前まで送ってみたものの、城壁やその内側からは何の反応もなかった。
意を決した司令官は門をくぐり城門と城壁の確保を命じる。公都防衛戦で敵軍を全滅させて敵軍の勢力を多く削いだものの、公都周辺地域に散らばっている魔物共が再集結すれば長期戦は必至。司令官は敵が戦力を立て直す前に一気に第二都市を攻め落とす考えでいた。
少しの時間が経過すると、都市に侵入した斥候部隊が城壁上で人類連合軍を旗を掲げる。司令官を始め誰もがその光景を目の当たりにして驚きの声を上げる。攻城戦も想定して兵器も用意していたのに全くの無駄に終わり、司令官は肩透かしを食らった気分となった。
門と城壁が確保し終えて何ら支障が無くなった人類連合軍は城壁外で待機する部隊、城壁周りで敵に備える部隊、そして都市へと侵入する部隊の三つに分けて次の段階へと進めた。
都市への侵入の先陣を務めるのは他でもない、勇者の再来と言われた女剣士だった。
「そちらの方はどうです?」
「駄目です、扉は固く閉ざされています」
城門を抜けて市街地へと入った女剣士と彼女に同行する騎士団は、街道沿いの家屋に一軒ずつ呼びかけていた。しかし音沙汰がないどころか例外無く扉が固く閉ざされ、窓には厚いカーテンがかかっている。中の様子は全く窺えないでいた。
「団長、やはりどれか一つでも扉を破壊して中を確かめた方が……」
「中に魔物が潜んでいる可能性が、か。後方の部隊に任せるとして我々は先へと進もう」
「はっ」
第二都市は魔王軍に攻め落とされたとは到底思えないほど破壊された形跡がない。それどころか整備の手が最近まで入っていた形跡すら見られ、以前よりも美しく気分のいい街並みとなっているように各々の目には映った。
しかし見た目には騙されまいと騎士達は自分を戒める。魔物の巣窟に成り果てていたのは斥候の調査で確認されている。破壊の跡もないこの都市を敵が一体どのような手で手中としたのか、誰にも想像つかなかった。
「それにしても……見事なまでに一人もおりませんな」
「市民は強制的に移動させられたか、あるいは……」
女剣士一行が馬を闊歩させて城門と宮殿を結ぶ街道を進んでいく間、一同は誰とも遭遇する気配が無かった。商店、教会、学び舎など、あらゆる建造物が固く閉ざされ外から隔離されている。何も起こらない、それがここまで不気味だとは、と騎士達に恐怖心が募っていく。
「勇者様はこれをどう思われます?」
「罠なのは間違いないでしょう。けれど街をもぬけの殻として時間稼ぎを企てているのか、それとも我々を誘い込んで市街地戦で一網打尽にする腹なのか、それは見当付きかねます」
「前者なら早急に事を急ぐべきで、後者なら確実に安全を確保しなければならない、ですか。むう、これは困りましたな」
「幸いにも役割分担が出来るだけの人員は揃っています。私達は先を急いで問題は無いでしょう」
「では我々が向かう先は宮殿、ですかな?」
「そうすべきかと。ただ……」
女剣士は気がかりな点があった。空気と言えばいいのか雰囲気と表現すべきか。ただ、彼女はどうも表現し難い甘ったるさを覚えるのだ。決して不快ではなくむしろ甘さが鼻や肌をくすぐる感覚が心地よい。好印象を抱く得体の知れなさに、彼女は気を引き締め直すように自分の頬を叩いた。
騎士団一行は速度をやや上げて、途中の閉ざされた家屋に見向きもせずに宮殿へと一直線に向かっていく。
一年前、旧キエフ公国の領土にて人類連合軍と魔王軍の間で決戦が繰り広げられた。その結果キエフの地は人類圏へと奪還され、かつての大公国時代に公爵を務めていた家系の末裔が公爵の座に就いた。
しかし今回の再侵略により第二の都市に滞在していた公太子と公爵夫妻が現在も行方知れずとなっている。代わりの公爵には暫定的に第一公女が就いていて、慣れない緊急時の政務に日々神経をすり減らしている状態だった。
今回の作戦で彼女達に与えられた使命は宮殿に巣食うだろうこの都市の統括者を打倒する事と、公爵家の安否の確認にあった。
「公爵閣下はご無事だろうか? せめて幽閉に留められていれば……」
「そのような希望的観測は口にしない方がいいでしょう。無事であれば喜べばいいかと」
「そ、それもそうだな」
女剣士は騎士団を率いる団長へと顔を向けたが、どうにも彼の様子がおかしいと気付く。息が上がり、視線があまり定まっておらず、更には手綱を握る手に力がこもっているようだった。
「……どうしたのです、一体? どうも先ほどから落ち着かない様子ですが?」
「い、いや。気を張り詰めすぎて興奮しているんでしょうな。どうも高揚してしまっていて」
「敵がどのような術をこの都市に張り巡らせているかも分かりません。気をしっかり保ってください」
「そ、そうだな……。我々がしっかりしていないと」
自分に言い聞かせるように騎士団長はつぶやいたものの、己を奮い立たせないと集中できていない時点で異常とも言える。宮殿へと近づく程に女剣士が感じた甘ったるさは増していくばかりで、意識していないとそちらの方に気を取られてしまう有様となっていた。
光の魔法の加護がある女剣士ですら段々と衝動に身を委ねたくなる思いが増しているのに、騎士団一行を襲う誘惑は一体どれほどのものだろうか。
女剣士は宮殿が建つ敷地前の門で一旦停まると、騎士達に面と向かった。
「ここからは私一人で行ってきます。その様子では敵の策略にはまってしまいます」
「何を言いますか! ここまで来たからにはご一緒致します!」
「決して足手まといにはなりません! 望まれるなら我々を盾にして下さっても構いません!」
「どうかこの暗雲覆う世界に一条の光明を!」
女剣士は騎士団達を突き放すように言葉を投げかけたものの、逆に騎士達はむきになったのか次々と声を上げた。士気が精神を更に高めるのか、誰もが目に狂気にも取れる輝きを持ち、息を荒げていた。中には血走った眼をさせた者や鼻から血を垂らす者すらいる始末に、女剣士は気圧されるほどだった。
「……分かりました。頼りにしています」
間違いなく自分を含めて一行が精神面への攻撃を受けていると女剣士は確信したものの、剣を向けてでも彼らを留めようとは思わなかった。むしろ彼らの意気込みに納得した女剣士は一つ頷くと、彼らを引き連れて宮殿へと足を踏み入れていくのだった。
大きく開かれた魔物の口に飛び込むようだな、と女剣士はふと思い、自虐的に笑いを浮かべた。例え誘われていようと元凶を切り伏せれば全てが終わる。それまで理性を保てば問題は無い。大丈夫、私は勇者なのだから。そう自分に言い聞かせながら……。
その異常が致命的なものになりかねないと気付いたのは宮殿の中をある程度進んでからだった。ふと女剣士は自分の背後を振り返り、何とも言えない物足りなさを感じたのだ。
「団長、すみませんが点呼を取っていただけますか?」
「……て、点呼ぉ?」
「明らかに宮殿突入時よりも人員が減っているような気が……」
頭がうまく回っていないとばかりに団長の返事は間延びしたものだった。懸念を浮かべる女剣士当人もどうも洞察力が鈍っているように頭に霧がかかっていた。頼りにならない騎士団長をよそに騎士達の数を数えてみると、やはり何名かがいつの間にか忽然と姿を眩ましているようだ。
いつどこで……と考えようとして無駄だと諦めた。心ここに非ずとなった騎士団の者が仲間の離脱を知覚出来たかも怪しいし、何より今は行方不明者を探すより奥へと進む方が先決だと判断したからだ。
最も、その判断力すら自信が持てない現状ではあったが。
宮殿内はやはり誰一人として遭遇しなかった。ただ部屋と言う部屋が施錠されていて開けられなかった為、部屋に誰が潜んでいようとまず扉を破壊しなければ確認は不可能だった。その為、一旦全てを後回しにして彼女達はなおも奥へと足を運んでいく。
やがて、一行は大公の間へとたどり着く。扉の取っ手に手を触れて、そこだけが鍵をかけられていないと気付いた。興奮し火照る身体を意識して静め、固唾を呑みこんで覚悟を決めると、女剣士は扉を一気に開け放った。
大公の間の最奥に並ぶ玉座は公爵と公妃の席で二つ。そのうち公妃の座に彼女は待ち構えていた。
「ようこそ、人類の希望である勇者様とそのご一行様。歓迎して差し上げるわ」
彼女を一目見た瞬間、誰もが同じ印象を、しかし違う姿を連想した。聖人達を堕落させようと甘い誘惑を向ける悪魔、それが女剣士と騎士達の共通した彼女への感想だった。
その眉目秀麗な美貌、その熟れた身体、色気を湛えた仕草、鼻をくすぐる匂い。どれも男が生唾を飲み込むほどの欲を掻き立てるほど彼女は女を形にしていた。己の美を強調するように露出させた服も相成って魔性の魅力に溢れていた。
だが、彼女が頭から生やした捻じ曲がる二本の角と、身体も覆えるほどに大きな翼が彼女がただの女ではないのだと否応なしに現実として突き付けられてくる。
「貴女が、元凶か?」
「いかにも。この私がこの国を攻めている魔王軍の軍団長ね。名はサロメって言うの」
「なら話は早い。この都市の人達をどこにやった!?」
女剣士は自分から湧き上がる感情を対峙する全ての元凶への怒りと人々を守りたい正義感に変換させて剣を構える。気丈にも立ち向かおうとする女剣士の健気さに、サロメは満足げに微笑を浮かべる。彼女は片手で肘掛を弄び、もう片手を自分の頬に触れた。
「別にぃ? 虐殺した覚えも食材にした記憶もないわねえ」
「とぼけるな……! お前達に捕らえられた人々が誰一人として帰ってきていないんだぞ!」
「ちゃんと帰してあげたでしょうよ。彼女達を貴女達がどうしたかまでは責任持てないけれど、ねえ」
「それは、どういう意味だ……!?」
サロメの返答を聞いた女剣士の脳裏に最悪の可能性が思い浮かぶ。だがその可能性を考慮すればするだけ様々な疑念が解決してしまい、内心で狼狽えてしまう。そんな不安を表に出すまいと努める彼女を愛おしく感じたのか、サロメは歯を見せるほど口を三日月の形にして笑い声をあげた。
「あはっ! 気付いちゃった、けれど信じたくない、だから相手に断言されるまでは~とか思っちゃっている? でも残念、私が率いている軍がどんな魔物で構成されているか散々見てきたでしょう?」
「そ、それは……!」
「今までの魔物は人間や動物とも全然違った生命だったけれど、私の手駒は身体の一部分が人間になっている異形の魔物だったでしょう。どうしてそんな悪趣味な身体の構造してると思うぅ?」
女剣士はそんな事一度も考えていなかった。敵は斬り伏せる、人類の平和の為に、ただ勇者の使命と共に。そればかりだった彼女は、魔王軍がどうであろうと全く関係なく剣を振るい続けていた。そう、いかに頭や体が人間だろうと腕や脚が普通ならあり得ない異形の魔物であっても、だ。
だが、目の前の女が率いる魔物達が本来魔の者ではなかったとしたら? 魔物へ変貌させられたせいでおぞましい見た目をさせた生命体に堕ちたんだとしたら?
「う、嘘よ……そんな……!」
「目を背けたい? 駄目よ、ちゃあんと真実は目の当たりにしないと」
そう、つまり、今まで人類連合軍が対峙していた魔王軍の魔物達は……。
「貴女達人間が妖魔って呼んでいる魔物はね、他の生命体を己の種族にしても繁殖出来るのよ。顔とか胸が人のままだったりするのは、その名残なんじゃあない?」
元々はキエフ公国に住んでいた人々――。
「じゃあ私達は今まで……。い、嫌、一体私達は何を……!」
「聖女の奇蹟で人々は救われたぁ? 勇者の剣で魔は払われたぁ? 魔性へと堕ちた者達を大量虐殺しておいてぇぇ? あっはははは!! とんだ殺戮鬼もいたものだわ!」
サロメの腹を抱えての高らかな笑いが広間に響き渡る。女剣士の手から剣が滑り落ち、床へと転がった。よろめく身体は後ろの騎士が支えたのでかろうじて立ったままになった。
「この都市の人達の行方? 彼女達は動員していないから全員この都市にいるわよ。今日はたまたま外出していなかっただけじゃあない?」
「そんな……! じゃあ、戸締りしていた家屋の中は……!」
「貴女達の立場で表現するんだったら魔物の巣窟、かしらねぇ」
もはやサロメの冗談では済まされなかった。既に騎士団の後から都市へと入った人類連合軍の部隊が家屋の捜索も行うよう段取りが立てられていた。もしかして家へと侵入した連合軍兵士達を待つ者は魔物に怯える人々ではなく、舌なめずりをして獲物を待つ魔物に他ならない。
「どうやって都市の人間の総魔物化を果たしたかって? 魔力を注いでの汚染とか外傷からの呪いとか、はしたない方法なら体液の交換とか? たった数人毒牙にかけただけでもねずみ算式に増えていくでしょうから、籠絡はそう日もかからなかったわね」
「よくも……! よくも罪もない人々を!」
「殺してはいないわよぅ。魔の者としての快楽に溺れるのは勝手でしょう。貴女みたいに精神力が強ければ跳ね付けられる誘惑の筈だけれど?」
「許さない! お前は、絶対に――!」
女剣士は肩を持って己を支える騎士を振り払うと、転がった剣を取って一目散にサロメへと間合いを詰めていく。甘美な心地を振り切り、彼女の意識はただ目の前の諸悪の根源へと向けられていた。
「あらあら怖~い。誰か助けて~」
茶化すような、しかし艶やかな声を出してわざとらしく縮こまるサロメに対して、女剣士は容赦なく剣を振りおろし――。
「が……ッ!?」
不意に、背中に衝撃が走った。
思わず剣を取り落とした女剣士の身体はそのまま勢いを殺し切れずに床に転げ回った。朦朧とする意識の中で振り返ろうとしたが、逆に腕、肩、腰、脚など様々な部位を何者かに抑えつけられてしまった。あまりにも強い力が身体にかかり、渾身の力を込めてもびくともしない。
「勇者って呼ばれるだけあって中々強い心をお持ちなのね。けれど人間全員がそうとは限らない」
這い蹲る女剣士は顔をその相手へと向けて睨みつけたが、そこで信じられないモノを目にした。
彼女を抑えつける者達はあろう事か彼女と同行していた騎士団の者達。だがその身体つきは更に逞しくなり、そして顔……いや、頭部が黒山羊へと変貌していたのだ。絵画でも描かれる悪魔バフォメットを髣髴とさせる者達は息を荒げ、涎を垂らしている。その醜悪な様子に人類連合軍に燦然と輝く騎士団としての誉れは影も形も無かった。
「彼ら、とっくに身体も心も魔性へと堕ちていたみたいだけれど、気付かなかったの?」
「そ、そんな……」
戦場において苦楽を共にしていた者達の末路を見て、女剣士は憤りや悲しみよりも悔しさに涙した。
もっと自分が強かったら、もっと優れた奇跡が担えていたらこんな事態にはならなかったかもしれない。後悔ばかり溢れてもどうしようもなかった。もはや自分すら塗りつぶされる未来しか今の彼女には見えなかった。
サロメは魔物と化した騎士達に女剣士を起き上がらせ、彼女が身に纏っていた勇者装備を貴婦人の服を脱がすように丁寧に外していく。光を伴った鎧兜に触れる度にサロメの手が焦げるが、そんな痛みすら愛おしいとばかりに彼女はにじみ出る血を舌で丹念に舐め取る。
「何をするの……? お願い、や、止めて……」
「勇者装備はこれからの貴女に相応しく直してあげる。さあ、これからたっぷりと可愛がってあげるわ」
サロメの指先が女剣士の顎をなぞる。サロメの顔は恍惚で高揚し、歓喜で開かれた口元からは涎が垂れていた。女剣士は己の全てを食らい尽くすだろう魔性の女を前に恐怖で怯えながらも、彼女を期待して待ち望む自分がいる事に絶望するしかなかった。
「これで貴女の身も心も魂すらも、全て私のもの」
-閑話終幕-
お読み下さりありがとうございました。




