魔王軍との対峙④・魔人長との決闘
歩み寄る魔人を率いる軍団長ノアと対峙するわたし、プリシラ、そしてチラ。ノアは穏やかな表情のまま散歩でもするかのように軽快な足取りで、わたし達は迫りくる脅威に対して緊張に張り詰ませて、最大限の警戒を露わに各々の武器を構えていた。
「それ以上動かないで! 動くとそのシミ一つない綺麗な眉間に風穴が開きますわよ!」
「やれるものならやってみれば?」
プリシラの恫喝、警告も全く意に介さずにノアはゆっくりと、堂々とした歩行を続ける。とっくに彼はプリシラはおろかわたしにとっても攻撃範囲内に入ってきている。わたしは素早く頭を切り替え、術式を構築していく。
「なら遠慮なく行きますわよ! マリア様!」
「はいっ! マジックスピア!」
「疾風よ、その猛威をもって岩を刺し穿て!」
わたしの攻撃魔法発動とプリシラの矢の射出はほぼ同時だった。プリシラの矢は暴風が吹き荒れつつ敵へと吸い込まれるように向かっていき、わたしの魔法の槍は敵の胴めがけて一直線に突き進んでいく。
その同時攻撃に対し、ノアは回避動作も取らずにただ片腕だけを上げると……。
「モーメント・フリージング」
――たった一言の力ある言葉を紡いだだけで、疾風の矢も魔法の槍も彼の目の前で停止し、力尽きるかのように地面に転がり落ちた。
「何ですって!?」
「連続攻撃ですプリシラ! 絶え間ない攻撃で相手に攻撃する暇を与えないように……!」
一撃の威力を求めてあの結果なら、とわたしはマジックアローの弾幕に切り替え、プリシラも矢を複数番えて素早い連射へと移行する。それでもわたし達の矢は悉く彼に届く前に急速にその勢いを失い、儚くノアの足元に散乱するばかりだった。
わたし達二人の異なる系統の魔法を同時に無力化している? いや、それならプリシラの矢まで失速するのはおかしい。なら追い風を巻き起こしてその勢いを殺している? だとしたらこちらまで風が吹き荒れる筈だ。見えない障壁が……そんな減速の仕方には見えなかった。
様々な可能性を疑ってみるも、どうしても敵の手口が見えてこない。徐々に距離を詰めてくる相手に焦りが募っていく。わたし達は攻撃を仕掛け続けるけれど、相手が近づいてきても全く当たる気配が無く無力化され続けてしまう。
さすがのプリシラは焦りを隠しきれずに敵を睨みつけながら額に汗を滲ませる。
「ど、どうなっていますの!?」
「絶対防御なんてそんな筈は! 必ず何らかのからくりが……!」
そんな時、ふと涼しい風がわたしの頬を撫でた気がした。今のはノアの方向から吹いてきたような……。
妙案が浮かんだわたしは頭の中で術式を丹念に構築していく。正直この系統は学院時代は落第ぎりぎりの成績しか残せない程に苦手としているけれど、丁寧に工程を踏めば必ず現象は答えてくれる筈……! マジックスピアよりはるかに長い手順を踏み、わたしは力ある言葉と共にそれを放った。
「ファイヤーボール!」
わたしの杖から放たれたのはわたしの背丈もあろうかと言うぐらい巨大な火球だった。丁度いつぞや死者の都でリッチが放ってきた同一の魔法と同じぐらいの大きさだろうか。とっさに構成したにしては上出来と言える。
わたしの業火は周囲の温度を急上昇させつつノアへと迫り……。
「モーメント・フリージング」
――瞬く間にその温度を下げ、ノアに着弾する前に霧散した。
これで相手が何をしているのか分かった。ファイヤーボールほどの火力を打ち消す芸当はそう簡単な原理で出来るものではない。つまり……、
「瞬間凍結! では貴方は……!」
「ふうん、一瞬のやりとりで答えを出しちゃうんだ。やるじゃない」
「マリア様、これは一体……!?」
「彼は冷気の担い手です! 彼はわたし達の攻撃で生じる力を全て凍結させていたんです……!」
冷気、一応は熱を扱う火属性に分類はされている。とは言え、相反する現象には変わりがないので結局同じ火属性を得意とする魔導師でも熱を上げる方向が得意か下げる方向が得意かは大抵二極化される。たまに共に得意とする化け物が現れるらしいけれど、そんなのはまれだ。
炎が空気を始めとして物質を反応させて熱を高めるのだとしたら、冷気は逆に物質を停止させて熱を低くする。魔法で構成された槍や矢の無力化はこの為だろう。プリシラの矢の慣性力は魔法効果を停止させた後、空気層の温度差を利用して急激な減速でも引き起こしたのか?
けれど、仕組みを解き明かした所で何らこの状況の解決にはならない。プリシラが得意とする系統は風、わたしは無と水で、火属性はそれぞれからっきしだ。かろうじて放ったファイヤーボールがあの様だと非常に厳しいと言わざるを得ない。
「それなら凍結させられないほどの威力で貫くだけですわ!」
プリシラは弓を引き絞って番えた矢に膨大な量の魔力、正確には精霊術において魔力に相当する力……確か理力だったっけ、を集中させていく。彼女は全神経を番えた矢と相対する敵に集中させている。それにはノアも関心したのか、軽く感嘆の声をあげながら、わずかに視線を逸らした……?
プリシラが何をしようとしているのか気づいてわたしはとっさに自分の耳を覆う。チラも、と振り向いた時には彼女も耳元を手の平で覆っていた。
「雷霆よ、その怒りをもって大地に裁きの鉄槌を!」
次の瞬間、すぐ近くで落雷が発生したかのような轟音が唸りを上げた。耳を塞いでいても鼓膜が破れるのではないかと思わんばかりの轟きは、目が焼けるのではと心配するほど眩しい閃光と共に辺り一帯を支配した。
さすがのプリシラも今の決死の一撃には肩を揺らして息を上げていた。落雷は時に大木を引き裂き、時に生命を瞬時に感電死させるほどの被害をもたらす。それを方向性を持たせて人的に引き起こして直撃させたらどうなるか……標的になると考えただけで恐ろしい。
「……やりましたの?」
「ぎ、疑問形で言うの止めましょうよ……」
あまりの眩しさで一瞬目がくらんだものの、徐々に慣れてきて周りの様子が分かってきた。さすがに落雷規模の力を丸々その身に受けて平然としていられる筈が……。
「……古来から、知的生命体は自分達の手に負えない自然現象を超越者の仕業だと考えてきたらしい」
そこでわたし達が目にしたのは、先ほどと同じように平然と立つ魔人の長の姿と、その前にいつの間にかそびえ立っている魔人の一人が手にしていた大剣だった。
「雷は特に神々の鉄槌とまで呼ばれて畏れられてきた。そう言った意味では貴女が神の力にまで到達しているってなる。素直に称賛しておく」
「た、大剣を避雷針代わりに……?」
「補足すると思いっきり冷やして雷を通しやすくして、その力を全て大地に散らした。雷で発生する熱も冷却してね」
もしかして視線を逸らしたのは雷を逸らすべく得物を手にしていた魔人に目で合図したからか? その意を汲みとって行動に映した魔人もそうだが、あの膨大な力を全て逸らし切ったノアもノアだ。プリシラやノアの語る原理は実はわたしには良く分からないけれど、高度な叡智の応酬だったとは分かる。
ノアは徐に突き出していた腕の掌を握り、後ろへと引いた。
「それじゃあ今度は俺の番かな。どう対処する?」
「……っ。プリシラ、わたしの後ろに下がって……!」
「グランブリザード」
「マジックシールドッ!」
わたしはとっさに防御魔法を展開、わたし達の前に淡い衝撃を構築する。外界からの遮断を目的としたこの魔法の壁は、ノアが力ある言葉と共に解き放った猛吹雪を真正面から受け止める。あまりに猛烈な勢いに障壁ごと吹っ飛ばされかけたけれど、何とか踏み留まれた。
巻き起こる吹雪のせいでもうあと少しまで迫ってきているノアが口にする言葉も聞き取れなくなっているけれど、何かを語っているようだ。
「マリア様。大変申し上げにくいのですが……」
「なん、ですかプリシラ。今ちょっと、余裕がなくて……!」
「急激にこちらの気温が下がってきているんですけれど?」
「へっ?」
言われてみれば確かに寒くなってきて……って、どうして!? 敵が起こす猛吹雪は全て受け止めきれている筈なのに……!
「まさか、魔法の衝撃越しに冷気を伝えてきているのでは……?」
「嘘……!?」
良く目を凝らしてみると、わたしが構成した魔法の障壁に大量の水滴が付いている。壁を隔てて温度差が激しいのはそれで一目で分かるけれど、もしかしてその壁自体が冷やされてこちらの空気の温度を急激に奪ってきているのか!?
「も、もっと壁を厚く出来ないですの……!? このままでは私共は凍死してしまいますわ……!」
「ご、ごめんなさい、わたしにはこ、これが精一杯で……!」
少しでも気を緩めるとあっという間に決壊してしまうそうで、もはやわたしにはどうしようもない。ノアは猛吹雪を巻き起こす間にもゆっくりとこちらとの距離を詰めてきており、壁とはもう後何歩の距離もない。これ以上何かされれば凍てつく吹雪がわたし達の体温を根こそぎ奪っていくだろう。
わたしは残る気力でプリシラとその背後で固唾を呑むチラの方を眺める。
「プリシラ、今のうちにチラを連れて少しでも遠くに……!」
「そんな事、出来る筈がありませんわ! 薄情にもマリア様を見捨てて逃げろと!?」
「けれどもう、それしか……!」
「だ……駄目ですぅ! そんな事、主が許される筈がないんです!」
悔しさで歯を噛み締めるプリシラだったが、何を思ったのか突然大声を上げてチラが彼女を押し退けて前に出た。彼女はわたしの隣に立つと、決意を秘めた眼差しと共にその杖を相手の方へと向ける。
「主よ、その威光により地獄から阻みたまえ!」
わたしが形成した魔法の壁のすぐ内側に淡く光る壁が生じた。これは確か、イヴがエルダーリッチを相手した時に張った光の障壁か!
「マリアさん、プリシラさん! 私が防いでいる間に反撃を!」
「分、かりました……ッ!」
わたしが魔法を解除した瞬間、今度は光の障壁に猛吹雪が襲いかかる。チラは大きく体勢を崩すものの、プリシラから後ろから身体を支えられつつ何とか歯を食いしばって耐える。
「……マリア様、何か手はありまして? 私めの最大技はあの様でしたし、突破口はお任せしますわ」
「なら、わたしが習得している最大の魔法で」
想像するのは光の奔流。これもあの時と同じだ。目の前の敵はあの時よりも強大な存在。どこまで通用するのか分からないけれど、これが今出来るわたしの全力全快だ……!
「マジックレイ・シュトローム!」
わたしは杖の先端より幅の広い光を解き放つ。光る魔力の奔流はあの時と同じようにチラの構成した光の壁を抜け、敵の猛吹雪の中を突き抜け……!
「な、何、これ……!?」
突き抜け、ない!? 全てを貫通するレイ・シュトロームが何かにぶつかって阻まれている!?
「吹雪ですわ! 敵が吹雪をその光線の幅に集約させてぶつけているんですの!」
「そうか、それで……!」
光の障壁が無くなっても寒波が襲ってこないのはそのせいか! じゃあこの魔法を一度緩めればまたあの猛吹雪がわたし達に襲い掛かる……!?
「マリアさん! 少しの間そのままで……!」
「チラ……!?」
チラは目を閉じて額から大量の汗を流しながら精神を集中させ、天高く司教杖を掲げた。そして開眼すると、力ある言葉を解き放った。
「主よ、その邪悪なる威力を退けたまえ!」
それは昨日見た聖女の奇蹟の再来だった。聖女から光の柱が立ち上ると、天より輝きを放つ光が降り注ぐ。昨日と決定的に異なるのは、降り注ぐ先がこの辺り一帯ではなく、迫りくる脅威に限定されている点だろうか。
直後、わたしが感じる抵抗が弱まった。これならこのまま強引に押し切る……!
「いっけええっ!!」
わたしは渾身の力を魔法に込めて吹雪を押し返した。そしてそのまま光の奔流は突き進んでいき、わたしの前方のありとあらゆる物を消し飛ばしていった。
もう初歩的な魔法も使えそうにないほど疲労困憊になったわたしはその場に座り込んでしまった。プリシラも同じようで、崩れるように膝をついて大きく息を上げる。それでもわたし達は油断のならない前方の敵の様子を注意深く見定めた。
やがて露わになったのは、酷く裂傷と火傷を引き起こしているだろうノアの姿だった。白かった肌は見るに堪えないほど損傷している。浄化の光に加えて光の奔流をその身に受けて原形を留めているのはさすがだと言っておくべきか。
後は控えていた魔人二体だが……何故か己の主人が倒されても微動だにしない。主の敵とばかりに襲い掛かる最悪の想定もしていたのだけれど、これは……って、まさか――。
「プリシラ……!」
「……っ!? ええ、分かりましたわ!」
プリシラもよろめく身体を何とか奮い立たせて弓を引き、矢を何本も射出した。上空へと放たれたそれは地面に倒れ伏すノアの身体に、それも的確に急所に、次々と降り注いでいく。ノアの身体がその勢いで跳ね上がるけれど、蜂の巣になるのではと思うぐらいに容赦なく次々と突き刺さっていく。
だが、次の瞬間、ノアの身体が淡く光り輝いた。そして見る見るうちに傷が塞がっていくではないか。
「か、回復魔法……!?」
「そ、そんなぁ! あれだけ受けてぶ、無事だなんて……!」
その間、なんと腕を震えながらも動かして自分に刺さる矢を次々と抜いていく。そして、しまいにはその身を起こし、わたし達の方へその宝石のように深い色を讃える双眸を向ける。
「……まいったね。魔王様を打倒した勇者一行、まさかこれほどだったなんて……」
ノアが発動させたのは身体の流れを整える水属性の回復魔法ではなく、直接魔力で傷を強引にふさぐ無属性の方だろう。この場合は回復魔法を発動できるぐらいに命を繋ぎ留めていたノアの生命力に驚愕……いや、驚嘆すべきだろうか。
ノアは矢を全て抜き切って回復魔法を終えたものの、まだ至る所に傷が残り、足元が揺らいでいる。二体の魔人が心配そうな表情を浮かべるけれど、まだ律儀にノアの命を守って待機を続け、歯噛みしている。
彼は何故か笑みを浮かべてこちらの方を眺めてきていた。
「特に魔術師の……マリアだったっけ? その魔導の構成力と判断力、人にしておくのが惜しいぐらいかな」
「……それはどうも。あいにくわたしは人として平穏に過ごしたいだけですけどね」
「それも……面白そうかもしれない」
ノアは嬉しそうにはにかんだ。こうして見るとノアも普通に人のようにしか見えない。おそらくはその姿は嘘偽りで正体があるんだろうけれど……それでも戦い合うしかない相手のようにはどうしても思えなかった。
もし違う形で合っていれば……手と手を繋ぎ合う仲になったかもしれない。そんな莫迦な考えが頭の中によぎった。
「セム、ハム! 時間は稼いだし三人共消耗させ尽くした。目的は果たしたから撤収しよう」
「了解いたしました、殿」
「楽しい時間をありがとう三人共。特にマリア」
「な、何でしょうか?」
名指しされたので戸惑ってしまったが、何とか返事が出来た。どうしてか分からないけれど、ノアは目を輝かせて満足そうな笑みを浮かべている。
「次会う時は貴女からはもっと別の形で歓迎されたいね。それじゃあ!」
そう言うが彼は軽く地面を蹴って魔人の背中に乗った。それを確認した魔人達はその翼を大きく広げ、天空へと飛び立っていった。
その姿が豆粒よりも小さくなるのを見届けて、わたし達はその場に崩れ落ちる。脅威は去ったもののもはやわたし達にはどうする事も出来ないほど疲れ果ててしまった。
「つ……疲れましたぁ……。も、もう一歩も動けそうにありませんですぅ」
「手合せ程度で済んで助かりましたわ……。あちらが私共を殺す気だったら、もうとっくに命を奪われていたでしょうよ」
「でも、そのおかげでこうしてわたし達だけでも撃退できましたよ……」
撃退したのはいいけれど、その為に力の限りを尽くしてしまった。このまま人類連合軍の後を追った所でその身を壁にするのが関の山。十中八九足を引っ張ってしまいかねないなあ。
「……悔しいですけれど、一旦下がった方がいいと思うんですけれど」
「だ、駄目ですぅ! 皆さんを置いて私達だけ還るなんて、そんな事私には出来ませんですぅ!」
「いえ、しばらくここで休んでから連合軍を追いませんこと? 少しでも役に立てるのでしたら地を這ってでも向かうべきかと」
「……そうですね。彼の言葉も気になりますし」
ノアは時間稼ぎに来たって言っていた。けれど人類連合軍はまだ相当な数が残っている上に勇者の再来、女剣士も控えている。そう易々とは打ち破れないだろうに、軍団長が自らわたし達の相手になったのはおかしいだろう。
それに、帝国国境を越えてから遭遇し続ける魔物は、ノアが従える魔人ではない。だとしたら、妖魔を従える存在が背後にはいるかもしれない、と推察が出来る。ここで連合軍を見捨てて帰還するなんてありえない選択だろう。
妨害目的で現れたノアの策にまんまとしてやられた形になってしまった。今の戦いで幸いなのはノアがわたし達から受けた傷と疲労でそう易々と回復出来ないだろうってぐらいか。
「それにしてもマリア様、気に入られたようですわね」
「……興味を持たれただけでしょう」
どうしてかノアの興味を引いてしまったみたいだけれど、あれは冗談半分だろう多分。
「わたしの平穏な日常に華を添えてくれるなら大歓迎ですけれど、戦場で語り合う言葉なんて何一つありませんって」
「そんな事言っていると本当に花束持参してくるかもしれませんわよ」
「そんな素敵な発想があったら嬉しいんですけどね」
まあ、相手は魔王軍の軍団長。そんな展開は万が一もあるまい。そんな平穏な毎日に戻ったら、を考える前にやるべき事は盛り沢山だ。とにかくその前にある程度体力が回復したら公都に引き返して今日はもう休むべきだろう。
それにしても、次会う時は、と語っていたノアの満面の笑みが妙に頭の中にちらついた。
お読みくださりありがとうございました。




