閑話・二人目
今回の話は勇者一行だった弓使いプリシラの話になります。
-閑話-
エルフ、と呼ばれる種族が存在する。森に生きる民である彼らは人より長寿で、知性に富み、魔導に長け、高い身体能力を持つ。誇り高き彼らは森を守護する者としての自負があるため、森の環境、生態系を第一に考え、森の外の者達に対しては非常に排他的でもあった。
西方諸国はエルフを含めて四種族を人類と定義づけているが、エルフは短命かつ野蛮な人間を見下す傾向であり同類とは認めていない。エルフは魔物が森林に襲来しても独力で退けてきた長きにわたる歴史を持つため、数年前に新たな魔王軍という脅威が迫ってきても、どの種族とも手を結ぼうとはしなかった。
勇者一行に数えられるプリシラはハイエルフのアーチャーだった。彼女は頭が固かった森の長老達の反対を押し切り森を飛び出した。エルフは確かに他の種族よりも多くの点で優れていたが、種としての強さに驕っていると彼女は日々感じていたからだ。
プリシラは魔物達の脅威を退けながら人類圏の国々を旅して回った。エルフが日々短命種だと蔑んでいた人間は確かに伝えられた通り粗野で品性に欠ける者達だった。けれど、彼女は森を守る使命に従事するだけのエルフにはない向上心を人間から感じ取った。
外の世界を旅して初めて世界の広大さに気付いた。なんと今まで自分の全てだった森の狭き事か。どうしてあの小さき庭で満足していたのか。踏みしめる大地、何処までも広がる空、そして海なんて初めて目にした。木々の生えた森では決して見る事のない地平線や水平線にプリシラは感涙した。
そうした素晴らしき世界を魔物の蹂躙から守るべく、彼女は奮闘した。一人で物陰に潜みながら狙撃し回った時もあれば人間の軍に加わり弓兵として活躍した場面もあった。冒険者としてパーティーを組んで人間の村や町を救った事も何度かあった。
けれど、そうしたプリシラの活躍、奮戦も空しく魔の者の手は人類圏に悲劇と絶望をまき散らし続け、そこに住む人々は闇に怯える日々を送り続けた。森にて長きにわたり己の技術を磨いてきた彼女だったが、彼女をもってしても戦局を挽回出来ずにいた。
どの人間よりも長く生きながらなんて無力な。彼女は毎日歯噛みし、時には悔しさで枕を濡らす事もあった。
そんな時、プリシラは人間の勇者一行と出会った。
勇者一行は人々の期待を一身に背負った旅を続けていた。短命種がおとぎ話で語られるだけの架空の偶像にすがったか、と彼女は最初に思った。けれど勇者イヴを始めとした勇者一行の活躍はプリシラから見ても目覚ましいものがあった。
彼女達が魔の手を退けた後には人々の笑顔があった。殺戮と破壊がいつ己に降りかかってくるかも分からない恐怖に怯えていた人達が取り戻された安心に涙を流した。老若男女、身分を問わずに多くの命が勇者一行の手によって救われた。
ひたすら感謝を述べる人達に勇者は微笑み返すばかりだった。報酬も名誉も自分は求めない、人々に平穏な日常が戻ればそれでいい、と彼女は言い切った。己を殺して献身的に襲い掛かる脅威に立ち向かう勇者の姿は、生きる者の命ばかりか心まで救っていったのだ。
いつからだったか、プリシラが勇者一行と行動を共にするようになったのは。初めは偶然遭遇して、それから好奇心で行動を共にするようになり、いつしか苦楽を共にするパーティーの一員として同じ時を過ごすようになった。
次第に勇者達なら救ってくれる、と協力を申し出る人も増えた。彼女達と共に歩めば自分の故郷の森林はおろか、みんなが過ごすこの世界を守れる。皆の期待が膨らみ続ける中、着実に進展していく確かな手ごたえにプリシラは歓喜した。
けれど、プリシラは次第に分かってしまった。勇者一行は人々が望むようなこの世界で生活を送る皆に尽くすだけの救世主ではないのだと。むしろその本質は人々の理想とは大きくかけ離れたもので、人の素晴らしさと醜さの極地にあるのだと。
「そんなの報酬と名声の為に決まってんだろ。俺様の圧倒的実力に相応しいなあ」
と剣士は語った。
「無論、我が王より栄誉を賜るためです。それこそ騎士冥利に尽きるもの」
と聖騎士は語った。
「わたしの悲願を叶える知識と手段を求める。勇者一行はその近道なだけ」
と魔導師は語った。
「勿論、主の子である人々の救済になります。全ては主の御心のままに」
と聖女は語った。
「私はただ生命の行きつく先を確かめたい。その確認に一番効率がいいからですね」
と投擲手は語った。
「僕はただ愉しいから一緒にいるのさ。たまたまそれが勇者一行ってだけだよ」
と賢者は語った。
物語や伝説で語られる英雄像を想像する人々がこの本性を目の当たりにしたならば、その想いは見るも無残に打ち砕かれるだろう。彼らの動機は世の為でも人の為でもなくただ己の為にある。その間に絆など有りはせず、それぞれのエゴが人類救済と合致しているに過ぎなかったのだ。
ある時、プリシラは悩みに悩んだ末に勇者に打ち明けた。彼らはただ私利私欲で動いている、人を救っておいて実はその後自分がどのような見返りを得るかばかり考えている、と。
「あら、プリシラは違うの?」
ところが勇者はプリシラの方こそおかしいとばかりに平然と言い放つ。
「人を救うのも人に手を差し伸べるのも自分が欲求を満たす為。建前では綺麗ごとを並べていても、突き詰めればあらゆる行動が自分に還ってくるようにしているだけじゃあないの?」
なら勇者はどうなのだ、とプリシラは反論した。勇者は人に何も求めず、喜びや悲しみの感情を押し殺してただひたむきに人を救い続ける。我欲を捨てて人に尽くす貴女は違うんじゃあないか、と。プリシラは半ば自分に言い聞かせるように言葉を吐き出したのだ。
けれど、そんなプリシラを勇者は嘲笑った。貴女の目は節穴だと。
「だってあの人が私が皆が思い描く勇者って偶像であるように望むんだもの。私が勇者であればあるほどあの人との繋がりを強く感じる……!」
プリシラは恍惚に身を震わせる勇者をおぞましいものだと感じた。嫌悪感を隠しきれず、吐き気すらもよおす程にその場から逃げだしたくなる衝動に駆られた。
思わず後ずさる彼女だったが、勇者に腕を掴まれた。
「私達の事より、貴女はどうなのかしら? どうして森に引きこもるエルフが外に出て魔の者達を相手に戦っているの?」
それはひたすらに森の中にしか目を向けない己の種族に辟易して、世界の広さを知って、その感動を守ろうと奮起した結果だ、とプリシラは語った。己のエゴ、狂気をむき出しにする勇者に負けじと自分こそはと胸を張って主張した。
「本当に?」
だが、プリシラの瞳を覗き込んでくる勇者の目は何もかも見透かすように深い色を湛えていた。
「普段見下していた人間から有難がられて嬉しかったんじゃあないの? ただ弓を引くだけで世界に影を落とす魔の者達が倒れ伏すのが楽しかったんじゃあないの? 貴女の自尊心を満足させられた?」
即座に否定しようとして、プリシラは言葉に詰まった。それは普段の勇者からはあり得ない愉悦に豹変した有様に気圧されたからではなく、勇者の言葉は間違っているんだと咄嗟に断言出来なかったからだ。頭に過ぎったのは、これまで深く考えていなかった己の動機への自問自答だった。
世界を救いたかった。何故?
同胞は視野が狭いと思った。どうして?
人は尊い志を抱えていると考えていた。本当に?
私は何のために旅を続けているの? 決まっている。
私はただ充実した日々を送りたかったのだ。
「恥じる必要なんてないわ。それが生命としてあるべき姿でしょう。世の為? 人の為? そう他人を心の奥底から想うのは立派よ。けれどね、結局は誰だってその果てに自分が満ち足りる事を望んでいるのだもの」
愕然とするプリシラに勇者は更に被せてくる。使命も義務もない、ただ自分の為にやりたいからやるのだ、と。己の欲求にただ従うなどエルフの間に伝えられる教えにも反する。それでもプリシラにとって勇者の言葉は目から鱗であり、衝撃的だった。
だったら長い間森を守ってきた日々は一体何だったんだろうか?
エルフとしての誇り、弓使いとしての自負は何の為に?
女性として生を受けた自分は後に何を残したい?
回答が出てこない疑問ばかり浮かんだが、ただ一つプリシラは確信した。
勇者は危険だ、このままでは今までの自分を全て否定されかねない、と。
それすら己の保身というエゴだと気付かないままに。
■■■
その後の顛末は勇者一行の誰もが認識している事象だ。すなわち、最終決戦のために魔王の居城である大魔宮へと乗り込んだ勇者一行は勇者の為に道を切り開いた。壮絶な戦いの果てに勇者は魔王を討ち果たし、聖女達と共に勇者の騙し討ちに成功した。
これで良かったんだ、とプリシラは自分を言い聞かせる。己の野望をむき出しにする他の仲間とは違う。自分の信じる信念に従って、我が身可愛さに溺れる勇者を倒しただけなのだと。
これで勇者の本性は誰にも知られる事なく、その旅路はただ英雄譚として語り継がれていくだろう、と聖女は語った。プリシラは後世がどのように自分達の旅路を評価するのかは知った事ではなかったが、平穏を取り戻した今を生きる人々を思うと心から安堵した。
故郷に戻った彼女は凱旋の格好となったが特に英雄や救世主だと崇め奉られはしなかった。森の外の出来事などエルフにとって大した意味は無く、プリシラも初めから同胞から評価されたかったわけではなかったのでそれを平然と受け止めた。
しばらくの間は故郷の森で己の役目を果たそう。落ち着いた頃にまた旅に出ればいい。世界を知る事が、人と接する事が楽しい。長い間生きてきたが今まではなんて退屈な日々を送っていただろうか。自分の先に確かな光射す道が出来た。そんな嬉しさでプリシラはつい破顔してしまう。
暗雲が立ち込めてきたのは、勇者一行だった魔導師が突如として行方不明になったと風の噂を耳にしてからだった。人間の魔導師が世間の目を眩ませてひきこもるのは別におかしくもなんともないが、彼女に限って失踪するだろうか?
だが、疑念が晴れた時には既に手遅れだった。
「プリシラ、お前をこの森から永久に追放する」
エルフの長老はプリシラに対して唐突に言い放った。意味が分からなかった。目の前の老人は一体何を言っているんだ、と。だが他の長老達も次々と冷酷な宣告を浴びせかけてくる。現実の受け入れられないプリシラはただ茫然と彼らの戯言を耳に入れるしかなかった。
曰く、プリシラはこの森にとって有害な存在でしかない。
曰く、プリシラはエルフの恥だ。
曰く、プリシラの罪深さは計り知れないものだ。
「ハイエルフとしての地位をはく奪、エルフを名乗る事は二度と許さん」
そんな処断を受ける謂れは無い、と激しく抗議したが全く受け入れられる気配が無かった。到底納得できるものではなかったが裁定は全く覆らず、彼女の処遇は理不尽なまでに決定された。
まず彼女の私物は全て焼却された。森を生きるエルフにとって火刑は最も厳しい罰の一つ。彼女が森に生きた足跡が悉く灰へと消えた。それは人類圏の旅路で持ち帰った思い出の品々や、自分の身体も同然だった弓も含まれていた。
そして彼女自身には焼きごてが当てられた。一生消える事のない傷はどんなに罪を償おうと森への帰還は許されない証。それはエルフとしての誇りを踏み躙るばかりでなく、もはや同胞として扱わないという切り捨ての印でもあった。
更には手足の筋を切られた。もはや彼女は弓も持てない。森を駆け抜けられない。ただ畜生のように這い蹲るしか許されない有様。
一体自分が何をしたんだ?
憤りや悲しみではなく、ただプリシラは一変した己に打ちのめされるばかりだった。
その答えが明らかにされたのは森から放逐された直後だった。
森の入口で待ち構えていたのは、かつて自分達が陥れた勇者ではないか。
「あらプリシラ、随分と素敵になったんじゃあない?」
左腕を失った勇者は嘲笑を浮かべる。まだプリシラの背後には彼女を連れ回ったエルフの若者がいる。もはや勇者は自分を取り繕う事無く己をむき出しにしていた。そう、今勇者はプリシラが転げ落ちた事に歓喜で打ち震えている――。
「まさかあれだけ盛大に私を裏切っておいて無事で済むなんて思っていたりした? 嗚呼、マリアは既に殺しておいてあげたわよ。次は貴女の番だっただけの話」
「プリシラを破滅させるなんて実に簡単。エルフとしての自分を誇りに思っていたようだったから踏み躙ってあげただけね」
「どうやって? この森を壊滅させるって言ったら二つ返事でご老人たちは協力を申し出てくれたわ。私の扱う光は熱量でもある。だからプリシラを差し出さなきゃあ森を全て焼き払うって脅しただけね」
「結局ご高承なエルフ様は己と森の保身のために平穏の為に、大義に心血を注いだプリシラを無慈悲に私の前に突き出しましたとさ。これが事のあらましね」
「ねえ、どんな気持ち? 貴女一人が犠牲になってエルフは救われたのよ。ここは感動で涙するべきじゃあない?」
確かにプリシラは己の欲望のままに人々を欺く勇者を否定した。今プリシラは正に自分を代償として同胞の窮地を救った形になっている。なら人柱となった境遇は究極の選択とは言え、同胞の為に尽くしたと胸を張れるとも解釈できる。
けれど、プリシラに渦巻く感情は憎しみしかなかった。己の可愛さで自分を切り捨てた老害達へ、冷淡に見て見ぬふりをした同胞達に、そして己を破滅させた勇者に対して。
「素敵よプリシラ。自分に受けた仕打ちへの憎悪で彩られる貴女の方がずっと魅力的ね」
そう言えば勇者の後ろに何者かが控えている。如何にも怪しげな風貌をした小柄な中年の男性は勇者に対して恭しく一礼をして、傍に寄る。
「本当によろしいので? これほどの上玉を我々が頂いても?」
「ええ、構わないわ。その分のお金は頂いているし、後は好きに扱いなさい。けれど、手も足も動かせない彼女なんて何の役にも立たないでしょうよ」
「何を仰られますか。手足が飾りとは言いませんが、これほどの見麗しい女性なら身体と顔さえ無事ならさしたる問題ではございません」
「その辺りの詳細な評価は興味ないわ」
身体中をなめまわすように自分を見つめる男の視線にプリシラは己の未来を想像出来てしまった。エルフにはそういった男の欲望を吐き出す職業など存在しないが、人間社会を旅して回った彼女はそんな類の店があると知識では知っている。
だが、まさか、己が当事者になる日が来るなんて、夢にも――。
「じゃあねプリシラ。素敵な余生を送るといいでしょう」
肩に手を置いて微笑む勇者は、何故かプリシラには人間が信仰する慈母のように見えてしまった。
■■■
後は無残なものだった。男と言う男の欲望のはけ口にされたプリシラの心はゆっくりと死んでいった。それでも身体はいたって健康。エルフの身体の頑丈さを恨んだ試しがあっただろうか? 彼女と同じ処遇の奴隷達は環境の劣悪さですぐに衰弱し、場合によっては命を落としていくのに。
何にも動じず、何も感じられなくなるほど心が摩耗した頃には薬が打たれる時もあった。嫌がる理性はもう無くなっていたが、ただ己に貪りつく者を彼女もまた味わうばかりの日々で次第に快楽に酔いしれ、溺れるようになった。
自分の全てが狂わされた。そう言った自覚は残っていたが、もはや自分の成れの果てを正そうとする気力は無かった。決して現在の自分に満足したわけではないが、さりとて現在から脱出出来たとしてそこから何をすればいい? 故郷も、仲間も、自分すら失った自分が、何を?
ただ毎日を無為に過ごしてどれほど経っただろうか。その日はいつもと違った。
言われるがままに服を着たのはいいが、男に媚を売る淫らな下着でも、貴族を満足させる高級なドレスでも、ましてや嗜虐心をそそる布きれ一枚でもなかった。それは町人の普段着、しかしプリシラにはもはや縁の無かった代物だった。それに疑問を浮かびもしなかったが、違和感だけはかすかに感じた。
己を買った奴隷商人に案内されたのは娼館の中でも上客が来店した際に通される客間だった。そこにいたのは漆黒の修道服に身を包んだ女性。女が客となる場合も時にはあったけれど、プリシラは修道女を相手した経験は無かった。
だが、彼女が久しぶりの驚きを覚えたのはそこではなかった。見覚えのある容姿はかつて、己が生きた年月で言えばごく短い時間だったにも関わらずもう遠い昔のように思えてならない過去に、共に旅をした人物と同じものだったからだ。
聖女アダ、目の前の女は彼女そのままだった。
「こちらのお方は現在この国で奉仕活動を行っていらっしゃる聖女チラ様だ。勇者と共に旅をしていた聖女アダ様の姉君にあたられる」
「わ、私はアダちゃんみたいにそんな凄い聖女じゃあ……。駄目駄目でみんなに迷惑ばかりかけちゃって……」
姉……? 確かに瓜二つではあるが物腰にわずかに違いが見られた。主への絶対的献身で己の正しさを疑わずに活動していた聖女と違い、目の前の女はどことなく自信に欠けているようだった。双子なのだろうが、どちらかと言えば彼女の方が妹の方が納得がいっただろう。
しかし今は彼女が何者かではなく、聖女として認定される程の人物がどうして娼館に、そして自分に用があるのだろうか、が疑問に浮かんだ。
彼女は自分の名を名乗って深くお辞儀をすると、わずかに怯えながらもプリシラの方へと歩み寄り、彼女の手を取った。
プリシラに動揺が走った。身体中を触られ弄られた彼女にはもう手を付けられていない、穢されていない部位はなかったし、数えきれないほど手だって握られた。なのに、チラを名乗った彼女のわずかに震える手はとても温かく感じた。
「あ、あの、私と一緒に奉仕活動をやりませんか?」
奉仕、と言われてすぐには頭に思い描けなかった。つまりは主に仕え、祈りを捧げ、子に施しを、なんだろうとおぼろけに残る記憶を頼りに何とか知識を引っ張り出してきた。
「兵隊さんがみんな言うんです、プリシラさんは素晴らしい方だって。抱き心地がいいだけじゃなくて心が洗われるんだそうです。私はそんなプリシラさんに人の為に尽くす献身の在り方を見ました」
今のプリシラにはチラの言葉は半分も理解できなかったが、それでも聖女は熱心に語る。
「で、ですので、身体を売ってばかりじゃなくて、私と一緒に人の為に頑張りませんか? きっとプリシラさんなら誰からも慕われる立派な方になるとお、思うんです」
心なしか声も震えている。彼女はプリシラに拒絶される可能性に恐怖しながらも、それでも必死になって言葉を紡いでいるのだ。
「聖女様はお前を買いたいと仰ってくださっている。更にお前の意思を尊重するとも述べられている。例え自由を手にしてもお前が聖女様に付き従う必要はないとの事だ」
「お……お願いしますっ。どうかこの提案、受け入れてもらえませんか?」
そんなもの、全てを失った彼女にとってはどうでもよかった。このまま身体を犯され続けようと、聖女と共に神にその身を捧げようと、もはやあれだけ輝いて見えた世界すら色褪せてしまっている。好きにしたらいい、と口に出そうとした所で、一つの感情が芽生えた。
どうせ彼女だって裏では自分の事ばかりしか考えていない。そんな醜さを隠すような輩に関わるのはもう御免だ、と。
だから聞いた。何が目的だ、自分を連れ出して貴女個人に何の利があるのだ、と。
「え? だって、みんなが笑顔でいたら私だって嬉しいですから」
聖女は不思議そうに、けれど何の迷いもなくそう返してきた。その回答にプリシラは真理を得たとも思える衝撃を感じた。
我こそ世界の中心かのように振舞ってきた勇者一行、保身の為に自分を捨ててきたかつての同胞、欲望をただぶちまけてきた娼館の客達。その誰もが己のエゴを押し付けてくるその醜悪さを嫌悪した。けれど、いざ自分以外が救われる展開となった時、自分もやはり我が身が可愛いのだと思い知らされた。
抱える矛盾の中で彼女は答えを得た。他者の喜びこそが自分の喜び。他への感動こそ自分の得る報酬。献身とその結果を己の気持ちへと回帰させる、それが目指すべき方向なのではないか?
「一緒に来て……下さいますか?」
久しぶりに熱を持った胸中で、プリシラは自然とチラの手を取って頷いていた。
■■■
そして時は過ぎ、彼女達は帝国領ダキアにて公爵の居城、謁見の間の扉前にいた。緊張で震える聖女の肩を、修道女となったプリシラがそっと手で抱えた。
「では、参りましょう聖女様。帝国の援助を頂ければキエフ公国の人々を救い出せますでしょう。可能なら魔王軍の侵攻を跳ね返せる戦力を派遣していただく形に持っていけるなら申し分ございませんわ」
「う、うう、き、緊張しますぅ」
「しっかりなさって下さい。この私めを虚無の只中から引っ張り上げてくださったではありませんか。どうかもう少し自信を持ってくださいまし」
「が、頑張りますっ」
そうして彼女達は今日も奮戦する。みんなの笑顔の為に。
-閑話終幕-
お読みくださりありがとうございました。