西方の聖女
「ダキア公爵は玉座にいたままね。聖女はあんたに会いに来ているんだから、偶然居合わせた私はあくまで立会人って形にしましょう」
「……畏まりました。仰せのままに」
「私はイヴの横で立ち聞きするから。悪いけれど誰か私の座ってた椅子片付けてもらえる?」
「はっ!」
「他の者はそのまま待機! イヴも残りなさい。ただしこの場では何もするんじゃないわよ」
「……姉さんの望むとおりに」
陛下は謁見の前にいる者達に矢継ぎ早で指示を送っていく。陛下に玉座を譲ろうとする公爵をその場に留めたり、親衛騎団の者に椅子を片付けさせたり、憎悪をにじませて唇を噛み締めるイヴを思い留まらせたりと色々だ。
アンデッド発生の異変を長期化させた聖女の話をした矢先での訪問。偶然にしてはあまりに出来過ぎているような気もするが、物事こんなものなのだろうか? 当惑しているのは他の人も同じようで、騒然とはなっていないが隣にいる人と声を落として語り合う姿がちらほらと見える。
「皇帝ちゃん、どうするんっすか? 場合によっちゃあ聖女の身柄拘束するんっすか?」
陛下の右後ろに位置する形となったヘロデが陛下へと語りかけた。この場の誰にも聞こえるぐらいに大きめの声を出しているし、陛下の方針を確認して皆で共有する意図なのだろうか?
「話を聞いた上で相手の出方次第よ。安易に強硬手段に踏み切っちゃうと最悪西側諸国との全面戦争に発展しちゃうしね」
「んー、ただでさえ帝国はここ最近戦が多いっすからね。避けられる争いは避けるべきっすか」
「にしても、今正式な手順を踏んであっちの聖女がダキア公爵に面会って、どんな意図かしら?」
「ま、色々考えるより本人に聞いた方が確かだし早いのは間違いないっすね」
「そうね」
程なく、謁見の間の扉が仰々しく開かれ、二人の女性が謁見の間に入室してきた。
前の女性が例の聖女のようだ。てっきり修道服に身を包んだ修道女のような出で立ちを想像していたが、どちらかと言うと祭服を着た司祭に見える。祭事でもないのに着飾るとは、聖女とはやはり他の修道女とは一線を画す存在なのだろう。身体の線を全く見せずに肌の露出も顔だけに留めているので、単なる人気取りではなく厳格な立場なようだ。
一方後ろに付き添う女性の方は典型的な修道女と変わりないようだ。確かウィンプルって名前の頭巾や手袋以外は全て黒づくめで、こちらは自分が思い浮かべていた想像と同じ姿だった。
進み出る二人の女性にこの場の誰もが注視する。ある者は懐疑の目で、ある者は純粋に興味の目で、またある者は憎悪を宿した目で。
そんな謁見の間のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、聖女らしき女性は今にも泣き出しそうなほど怯えていた。震える聖女の肩を修道女らしき女性が手を添えて何かを囁く。聖女がしきりに何かを主張するものの修道女は力強く頷いて前へと促すばかりだった。
牛歩ではあったが聖女は何とか公爵の声が聞き取れる距離に近づくと、恭しく跪く。恐怖しながらもその動作自体は淀みなく洗練されたもので、相反した二面性を感じさせた。
「あ、あの、わ、私、レ、レモリアから派遣されました……」
「聖女様、どうかしっかりなさってくださいまし。貴女様が怯える必要はどこにもございません」
「あぅ、ご、ごめんなさい。私、全然駄目駄目で……」
「謝罪はいいですから、さ、早く続けてください」
聖女の言葉はとてもたどたどしく、自信が全く感じられなかった。修道女がきつく指摘するものの聖女は尻込みするばかりで、完全に重苦しいこの場の雰囲気に飲まれてしまっている。
毒気を抜かれたとはこんな事を言うんだろうか?
公爵家側の人達は目を瞬かせて呆気にとられるばかりだが、帝都側の人達は信じられない物を目にしたとばかりに驚愕に包まれていた。陛下も目元をこすってもう一度聖女達を凝視している。イヴは聖女達を睨みながらも口元に手をやっており、理解が追い付いていないようだ。
聖女は己の顔が見えなくなるまで首を垂れ、顔を伏せたままで勢いを任せるように言葉を紡いだ。
「わ、私は聖都レモリアより派遣されました聖女、チラと申します」
そのアダとはまた異なる名と共に。
■■■
謁見の間全体がどよめいた。特に帝都側の方々の驚き方は尋常ではない。
「ひ、ひぃぃ、わ、私何か悪い事でも……?」
「何もしておりませんからもっと堂々となさってくださいませ」
そうした反応に聖女と名乗ったチラは身体をびくつかせて跪く姿勢のままで身体を小さくした。修道女は軽くため息を漏らすとチラの背中を軽く叩く。チラは叩かれた背中をさすりながらも慌てて姿勢を元に戻した。
「彼らが驚くのも無理はない」
「へっ?」
急に話しかけられたので軽く驚いてしまったが、声の主はいつの間にわたしの傍らに立っていたマリアだった。マリアは表情こそ普段のままのようだが、驚いているのはどうやら彼女も例外ではならしい。この場でマリアが姿を見せたのならチラと名乗った聖女は……。
「彼女は、勇者一行として共に旅をした聖女アダなんですか?」
「容姿は彼女と同じ。けれど彼女とアダは全然違う。アダはもっと堂々としていた」
また難しい事を言う。外見は瓜二つだが中身が全然違う聖女、か。確か勇者一行は何らかの過程で陛下を始めとした帝都を担う者達との謁見をした筈だから、あちら側の動揺はその際の聖女と目の前の彼女があまりに食い違っているせいだろう。
「容姿が同じなのに全然違う人物、ですか……」
彼女が聖女アダだと決めつけるにしてはまだ早計とは言え、これは一体……?
公爵は素早く周りの反応を窺うと、少し考え込んでからチラを注視した。
「私が帝国でダキアを治める公爵だ。この度の訪問、歓迎しよう。長旅だっただろうから、ゆっくりしていくといい」
「そ、そのお気持ち、痛み入ります」
「私はレモリアの聖女とお会いするのは初めてだが、噂はかねがね聞いている」
「そ、それ、た……多分、私じゃあないです」
チラは今にも消え入りそうな小声で公爵からの質問に受け答えしている。俯いたままなので公爵からはチラの表情は窺い知れないだろう。人見知りなだけか周囲の疑念に敏感に反応しているのか?
わずかにこの謁見の間がどよめいた。教国の聖女が複数存在する時期もあったからアダとチラがそれぞれ別に聖女として認められていても不思議ではないが、瓜二つの女性二人が同時期に認定されているだなんて話が出来過ぎている。
としたら、アダとチラはもしかして双子の姉妹か、もしくは……。
「帝国にも近頃聖女が訪ねてきてくれたそうだが、彼女は今どうしているのかな?」
「い、妹のアダちゃんは今……確か、ど、どこでしたっけ?」
「聖女アダ様は現在聖都レモリアにて奉仕を行っております。こちらの聖女チラ様はアダ様の姉君となります」
「成程、双子の姉妹がそろって聖女なのか」
よほど混乱していたのか、チラは泣きそうな震える声で傍らで控える修道女に助け船を求めた。修道女はお辞儀をした後にチラに代わって淀みなく返答した。これでは頼りない新米を任される熟練者と言った逆の印象を覚えてしまうな。
姉妹との話は一応筋が通っているのでこれ以上の追及は不可能だろう。何せ信じるにも疑うには情報量が少なすぎる。真偽はどうあれ、ここは彼女は聖女アダとは別人として話を進めた方が得策か。ただ帝都側の人達を窺う限りではまだ疑惑はぬぐい切れていないようだ。
公爵もそう判断したのか、軽く咳払いをして続ける。
「それで、レモリアの聖女がこの度はどのような用件で? 何でも緊急を要するとか」
「は、はい。え、えっと、そのぉ……。わ、私達、現在教会での奉仕活動の一環で、キエフ公国に滞在しているんです」
「キエフ公国……!?」
「ひ、ひぃぃっ!?」
公爵が声をあげて立ち上がった。周りの人達も大小様々だが尋常ではない反応を各々見せている。聖女は驚きのあまり悲鳴を上げて大きく後ろに下がろうとするが、修道女がチラの肩を掴んで留まらせた。
キエフ公国、帝国西の公爵領である通称ダキアの北東部に位置する、北部における人類圏の一角を成す国家……と言えば聞こえがいいのだが、実情とは異なっている。何せ既にキエフ公国は滅ぼされている。東の人類未開発領域より来襲した魔の者の軍勢によって。
旧キエフ公国のある地域は人類史上において滅亡と復興を繰り返してきた。三年前に魔王アダムが台頭した際は蹂躙しつくされてしまった。人々は皆殺しにこそされなかったが家畜、玩具、奴隷等、凄惨なる目にあったと聞く。
一年前に勇者イヴが魔王を打倒する際は、この旧キエフ公国を始めとした旧ルーシ公国群の南北に箇所にて全人類圏の国家が同盟を結んで結成された人類連合と魔王軍が激突した。結果として辛勝を収め久方ぶりに旧キエフ公国は人類圏として戻ってきた……だったっけ?
ただたった一年では復興もまだ初期段階。国境を接する帝国も支援を行ってはいるが、まだ国としては再興されていなかった筈だ。つい最近になってようやく自治体らしき機関が出来上がったとは風の噂で聞いた覚えがある。
そんな旧キエフ公国でレモリアの聖女が活動しているのも驚きものだが、その件でわざわざ西側諸国と犬猿の仲である帝国の一角を担うダキア公爵に一体何の用事があるのだろうか?
公爵は軽く咳払いをすると、落ち着きを取り戻した様子で玉座に再び座った。
「いや、失礼した。どうぞ続けてもらいたい」
「は、はい……。ゆ、勇者様が魔王って脅威から開放して下さったおかげでみんな生きる気力とか笑顔とかを取り戻してきていて、いい方向に向かうと思っていたんです」
「時折耳にする限りでは近状は順調のようだったが、何か問題があったのかな?」
「そ、それが……」
チラは祭服の裾を握り締めた。彼女の瞳からは涙が止めどなく流れ、裾を握り締める震えた手に零れ落ちていく。
そして聖女は初めて俯いたままだった面を上げた。彼女の顔は悔しさ、悲しみ、憤り……様々な念が激しく入り混じっていた。彼女の口から語られるのは、悲痛な叫びだった。
「平和が戻ってきた筈だったんです。アダちゃんも勇者様も教会の人達も、みんなみんな一生懸命頑張って取り戻した日常だったのに……。それが、それが終わってしまった!」
「……っ!」
「つい先日、復興途中だったみんなを突然魔の者が襲ってきたんです。兵士の皆さんが必死になって戦ってくれたんですけど、結局みんな次々と……うぅぅっ!」
「聖女様、どうかしっかり……!」
泣き崩れるチラを懸命に修道女が支える。修道女は懐から手巾を取り出して聖女の目元に当てた。聖女に誰もかける言葉が思い当たらないのか、彼女の嗚咽だけが静寂な謁見の間に響き渡る。
そんな中、皇帝陛下は身体だけをわずかに前に倒しつつ聖女達へと手を挙げて合図する。
「ねえちょっといい?」
「……な、何でしょう、か?」
「先の魔王軍との決戦で勝った人類連合軍は多くが祖国に帰還したけれど、ある程度は駐留する軍が残っていた筈よね。連中はどうしたの?」
「私めが代わりにお答えいたしますと、旧キエフ公国の国民軍と共に既に各地で敗走しております。人類連合軍は後退戦にて食い止めておりますが、あまりにも敵の勢いが激しく突破されるのも時間の問題かと」
修道女の報告を聞いた公爵家側が大きくどよめいた。人類未開領域の傍での魔の者の盛り返しは、一年前までの悪夢を思い起こさせるには十分すぎる。隣国に降りかかる脅威が次に牙をむける先は間違いなく帝国、しかもこの西の公爵領だろうから。
だが一方の帝都側の人達は一連の報告を重く受け止めたまでは公爵家の者達と同じだったが、混乱する様子は無く、だが事態をより深刻に受け止めたのか沈んだ表情を見せていた。陛下もまた片手で頭を抱えながら主に救いを求めるがごとく天を仰いだ。
この場で平然としているのはイヴくらいだろう。
そんな中、恐る恐るカインが手を上げてきた。
「あ、あの。僕はあまりその辺の事情を知らないんですけど、魔王が率いた魔の軍勢は一年前の戦いで全部倒したんじゃあ……?」
カインの発言は一般市民の認識、すなわち勇者によって魔王は倒されて世界に平和が戻りましためでたしめでたし、を代表したものだった。
現に魔物はまだ世界各地にはびこっているけれど、群衆になる場合こそあれ軍となって国全体を脅かす脅威には至っていない。その残存する魔物も徐々にではあるが冒険者や国の正規部隊ないしは軍が駆逐していき、その数を少しずつ減らしてきている。
爪痕こそ大きく残っているけれど、確かにこの一年は勇者によって取り戻され平和が維持されているのだ。
……人類圏は、だが。
「……あー。こっち側の方じゃあそんな感じに伝わってるから無理もないか。それがねカイン、実は違うのよ」
「えっ?」
陛下は重苦しく言葉を紡いでいきながらも、カインにきちんと真摯に顔を向ける。その眼はカインからは決して逃げずに離さなかった。
「光を携えた勇者が現れて次々と魔物や魔王の手先を打ち破っていく姿に、人々はみんな元気づけられたわ。そんな勇者一行を手助けするために人類連合は旧キエフ公国や旧ルーシ公国群の地で魔王軍と全面激突して陽動をした。その隙に勇者一行は魔王の居城に乗り込んだ……ってされてるわよね」
「は、はい。僕はそのように聞きましたけれど……」
「その時に私達人類が相手にした敵軍はね、魔王軍の全軍じゃあなかったのよ」
公爵家側の人達は誰もが息を呑んだ。公爵が苦虫を噛み潰したような顔をしているのは彼だけは帝都側から事情を聞かされていたからか? 聖女と修道女は陛下の衝撃的な告白を受け止めるしかないようで、ただ茫然とするばかりだった。
「そうっすね。現に自分ら、帝国東側の獣人国家は北からここ一年で二回ほど攻め込まれてるっす。ついこの間も十六万もの大軍勢を動かして返り討ちにしてやったばっかっすよ」
「あれは上手く奇襲が成功してホント良かったわ。軍の一つが健在だったから他ももしかしたら、とかは思ってたけれど……悪い方の予感は当たるものなのね」
とヘロデは談笑のような口調で語るものの、怒気が混じっているのか所々で語尾が荒くなっていた。と言うか帝国東側でそんな大規模な戦争が繰り広げられていたなんて初めて知った。もしかして帝国内でも情報統制をして人々に不安を与えないようにしているのか?
「ねえイヴ、その辺りの事情なんか知らない?」
「えっ? 私?」
陛下に話題を突然ふられたイヴはわりと素っ頓狂な声を上げた。一番前の観客席で眺めていたら急に舞台上に引っ張り出された感じか。
けれど、陛下は勇者であるイヴなら他の人よりも事情を把握しているだろうと語りかけたんだろうけれど、実際は魔王軍の内情は全て彼女の手のひらの上だ。だって彼女こそが魔王アダムだった存在、すなわち元凶だったのだから。
「人類圏、つまりこちら側に攻め込んできたのは魔王自ら率いる親衛軍を含めて三つの軍。勇者一行による軍司令撃破や人類連合との全面戦争でうち二つの軍が壊滅して、親衛軍も勇者一行との最終決戦で半壊状態ね」
「ちょっと待ちなさいよ。三つって、魔王軍ってもしかして数十万規模の軍勢がまだあるの?」
「魔王軍のうち一つは南進して獣人国家と激突、それが姉さん達が相手した四つ目。残る三つの軍は当時東進していたから人類はまだ誰も目にしていない筈よ。魔王軍はこの計七軍で構成されているわ」
「み、三つ……?」
彼女が語った……いや、彼女が明かした衝撃の真実はこの場の全員を奈落へと叩き落とすには十分だった。三年前人類圏を襲った悪夢のような惨劇、あらゆる国に絶望をまき散らした災厄は、半分にも満たなかったというのか?
「私もここ一年は魔王軍になんて興味なかったから最近の事情は知らないけれど、壊滅した二つの軍が立て直されたか東進していた軍の一つがこちら側に転進してきたか。いずれにしても治安維持と残存勢力の一掃を主眼にした駐留軍ぐらいの規模では止められないんじゃない?」
「……なるほどね、事態は急を要するってわけね」
陛下は頭を手でかくと、軽く両方の頬を手で叩いた。気合を入れた為か直後には先ほどまでのように自身に満ち溢れた陛下に戻っており、嘆くように力を落とす公爵に向けて無言で続けるよう促した。それを目にした公爵も慌てるようにして顔を振るって我に返った。
「それで聖女殿、この度この地を訪問したのは、帝国に救援を求める為かな?」
「い、いえ。出来ればそうしたいのですが、キエフ公国の軍を仕切っている人類連合の方々が……」
「人類連合軍の司令部は、亜人に屈した帝国の異端共の手は借りない、の一点張りです。彼らの庇護下にあるキエフ公国の方々は強く言えない立場にあります」
「む、そうか。なるほど分かった。しかし、だとするとどのような用件で?」
ちなみに互いを異端だと罵り合う西側諸国と帝国が人類連合として共に戦った一年前は魔王と言う驚異下における奇跡に近かった。いかに再び危機的状況にあろうと帝国に助力を求めるのは死んでもお断りだと思っている人は少なからずいるだろう。
しかし、その西側諸国の認識の源流とも言える教会総本山レモリアの聖女である目の前の女性はそんな事は些事とばかりに全く気にも留めていないようだ。人を救う事こそ第一と考えているなら、神の使徒でありながら非常に珍しいとつい感じてしまう。
「おそらく駐留軍の壊滅は時間の問題ではないかと思っております。そうなればキエフ公国の民は再び魔物共に弄られる未来が待ち受けているでしょう」
「も、もし帝国から軍を派遣して下さったとしても、自立で生活出来る環境に戻すには多大な時間がかかっちゃいます……。その間にも皆さんは飢えを凌ぐ事が……」
「つきましては、もはや風前の灯となった故郷の地は諦める事も視野に入れたい、とキエフ公爵閣下はご意見を述べられておりました」
「こ、こちらがキエフ公爵様よりダキア公爵様に向けた文になります」
再び誰もが騒然とした。
人類圏でも有数の列強国である帝国は歴史を紐解くと、これまで何度も難民の受け入れを行ってきた。が、隣国全ての民となるとその数は膨大なものになる。仮に受け入れが成功したとしても彼らの衣食住をどうやって面倒見ろと言うんだ? 慈善の言葉で片付けられる規模ではない。
だが、本当に驚いたのはその後だった。
突然聖女チラが公爵に向けて深々と頭を下げたのだ。教会に認定された聖女ともなれば西側諸国では王にも匹敵する権威があるとまで言われているのに、そんな彼女が異端と認定されている国の一公爵に向けて懇願する姿は正に常識を覆すほどの衝撃だった。
「私からもお願いします! 公爵様ももう祖国の地は諦めて帝国に下ってもいいと仰って下さいました。人としての尊厳が守られるなら帝国の旗の下にその身を捧げるつもりだとも言ったんです。どうか、寛大なるご判断をいただきますようお願いします!」
「せ、聖女様! そんな、貴女様が頭を下げられるなんて……!」
「私の頭とか尊厳だけでみんなが助かるなら安いものです! どうか、この通りですから……!」
静まり返る謁見の間の中、チラは頭を下げっぱなしだ。狼狽える修道女の言葉も全く聞こうとしない。人々を助けるんだ、という強い意志が見えるようだ。
思わぬ願いに公爵は目元を手で覆って俯きながら考え込むが、中々返答に窮しているようだった。それはそうだろう。難民のせいで公爵領に住む民の食い扶持に困ったり危険に脅かされる事態になったら本末転倒だろう。
けれどこのまま見ぬふりは……。公爵はどうするつもりなんだろうか?
「前向きに検討していいんじゃない?」
その沈黙を打ち破ったのは、やはり陛下だった。彼女は左斜め前の玉座に座る公爵の方を見上げながらも遠慮なしに気さくに語りかけていく。
「食料や衣服は物流をちょっと変えればいいんだし、その分の金はキエフ公国民に働いてもらえばいいし」
「し、しかし多くのキエフ公国民が雨風を凌げるような建屋を設ける資金は到底……」
「あるじゃん。おあつらえ向きに誰も住んでない家が大量に」
「あっ……!」
そうか、その手があったか……!
わたし達はつい最近、誰も生きる者のいない都を手に入れたんだった。
「あそこ、旧死者の都に移住してもらえば新たな需要と供給が生まれて帝国は更に富むわね。それでいいんじゃない?」
お読みくださりありがとうございました。




