故郷への帰路にて
学院のある帝都からわたしの故郷までは陸路をひたすら進んでいく。帝国全体の発展のために各都市間には整備された道路網が張り巡らされていて、そのおかげで都市間を行き来する乗合馬車が走っている。他にも船を使った海路もあり、交通の便は良いと断言していいだろう。
ところが治安の方はお世辞にも良いとは言えなかった。いくら街道を定期的に巡回する警備兵がいても、旅路の途中で賊や魔物に襲われるのは珍しくない。名の通った乗合馬車なら護衛の傭兵も付いて目的地へと向かう。その分お値段は高くなるけれど安心と命を金で買えるなら安いものだろう。わたしの懐事情ではそんな豪華な選択肢は初めから無いけど。
学院の寮を出たわたしの荷物は学院時代の物の大半を処分してもまだ少し重かった。衣服や雑貨は地元で調達出来るとしても魔導書や術式の触媒になる道具は地方ではそう簡単には手に入らない。だから自然と荷物に入れる形となってしまった。
必要最低限にしたつもりだったが重いものはやはり重い。それも考えると馬車を使った旅の方が楽というものだ。
……財布の中身とのせめぎ合いに疲れたのは内緒だ。
そんな旅路は特に何事もなく順調に日程をこなしていった。盗賊の襲来も魔物との遭遇もなく、のんびりとした旅は続く。天候にも恵まれて雨が降る気配もなく、気持ちのいい風がほおをなでる。
「へえ、随分と遠くから来たもんだな」
「でしょう。おかげで帝都に来てから全然故郷に戻れなくて」
数日も経てば一緒に乗っている人達とも少しずつ打ち解けていくものだ。というより馬車の中ではそれぐらいしかやる事がない、と言い換えてもいい。わたしは乗り物にはあまり強くなく、本を読むと一発で乗り物酔いして胃の中を戻してしまうからだ。
今回の馬車には傭兵、商人、冒険家などの計六人が乗っており、今会話している人は帝都と地方を行き来する商人に雇われる傭兵で、確か名はアモスだっただろうか。
アモスは本来帝都から地方に行く過程でも仕事を請け負いたかったそうだが、残念な事に機会に恵まれなかったらしい。彼はわたしの故郷を経由して新たな傭兵団に参加しつつ次の都市に向かう予定だとか。
こういった短い出会いがあるのも乗合馬車の特徴だろう。
「故郷ってどんなところなんだ?」
「地方にある都市としては栄えてる方だとは思いますよ」
わたしの生まれ故郷は地方だがそれなりに栄えている。帝国内に三つある公爵領のうちの一つで、さすがに帝都の華やかさと比べるのは贅沢だけど、別に過ごす分には何ら不便を感じない。住めば都とはよく言ったものだ。
「じゃあ帰ったら喜ばれるだろ。何てったって天下の学院卒って肩書をもらってるぐらいだし、誇りに思うだろうしな」
「そう思ってくれていたら嬉しいんですけどね」
「きっと喜ぶさ。立派になった子供と再会するのはよ。ま、家庭を持ったら分かるさ」
「家族、ですか……」
父さんと母さんと最後に会ったのは学院に行く前、見送ってもらったのが最後だったっけ。学院に行くと分かった時は近所を巻き込んで盛大な催しを開いてくれた。アレはただ騒ぎたかっただけだろう、とか当時は思ったものだったけれど、今から思い返せばいい思い出だ。
しばらく会ってない両親、見ていない故郷。果たして色々と劇的に変化してるのか何も変わってないのか、少し楽しみにしている。
そう心を躍らせていたら、不意に馬車が速度を落とし始めた。確かまだしばらくは平坦な道のりが続く筈だから減速する理由が無い筈だ。アモスも理由が分からないようで、わたし達は二人で顔を見合わせる。
「何かあったんでしょうか?」
「……気になるな。ただ事じゃねえといいんだが」
わたしはアモスと共に馬車を覆う布と布の間を少し開き、辺りを確認する。どうやら減速の原因はわたし達の前方で物音、蹄の音を盛大に響かせながら近づいてくるようだった。
馬を走らせてきたのは全身鎧に身を包んだ騎士たちの一行。その鎧は無骨ながらも所々装飾が施されており、盾に刻まれた文様も趣向が凝らされていた。傭兵や一般兵士はもっと実用的で無骨な装備だから、見栄えにも気を配った逸品を身に付けている彼らはよほど地位の高い騎士団なのだろう。
騎士団の知識がないわたしでは掲げる旗から判別は出来なかったが、同乗していた冒険者、名をダニエルと言ったか、が旗に示された紋章を一目見るなり驚きの声を上げる。
「帝国直属の禁軍! どうしてこんな所に!?」
禁軍、確か帝国軍の中でも帝都を守護する第一軍がそう呼ばれていた憶えがある。他にも皇族が地方視察の際は警護にあたる場合もあるんだったか。しかしまだ帝都から数日の距離であっても、外回りは基本的に管轄外だった筈だが。
その禁軍所属とやらの騎士団はわたし達の乗る馬車を確認すると前方で馬を止め、御者に向かって止まるように命じてくる。表情を険しくさせ剣を抜いたりとあまり穏やかな雰囲気ではない。布の隙間から覗き見るわたし達には気づかず、騎士達は御者に注意を向けているようだった。
「あ、あの、騎士様。本日は一体どのようなご用件で……?」
「荷物改めだ! この馬車の乗せている者、荷、行き先を報告しろ!」
最初からどうも雲行きは怪しかったが、ここまでの剣幕で威圧されるとはただ事ではない。いくら禁軍だからって平常時にはあれほど上から目線にはならない筈だ。アモスとダニエルもわたしと同じ考えなのか、かなりの険しい表情を見せていた。
問い質された御者は粗相してしまいそうなほど青ざめながら首を勢いよく横に振っている。
「怪しいモノは何一つ運んでいやしません。これは定期便でして、こちらが乗車名簿で、こちらが乗合馬車の登録書類になります」
「不要、直に確認する。乗っている者達に降りるよう伝えろ」
「へ、へい!」
御者は騎士に命じられるがままに馬車を覆う布を開き、わたし達に降りるように頭を下げてくる。ここで騎士団に逆らっても意味がないし事を荒立てたくもないので、おとなしく従うか。
馬車から降りたわたし達は横一列に並ばされ、身分や目的地などの質問を受けた。その間に別の騎士達が空になった馬車の中へと入っていく。くまなく調べようとする様子を窺うに誰か、もしくは何かを探しているのだろうか?
「乗客を尋問し、荷物と馬車を徹底的に調べろ! アイツだったら馬車の裏に潜んだりもしかねねえからな!」
騎士団に口汚く命令を下している団長はわたしとそう年が変わらないほどの青年だった。周りの騎士が一回りも二回りも年を重ねているようだからより若く見える。所謂出世頭なのか貴族出の身分の高い者なのろうか?
「……まさか、こんな僻地であの人に会えるとはな」
そんな団長を一目見て驚きが入り混じった言葉を出したのは、ダニエルだった。彼が団長に向けるまなざしは畏怖よりも尊敬がこもっているように感じる。
「あの人を知っているんですか?」
「えっ、顔も見た事ないのか? 帝国で一番有名な騎士だろ」
「いや、そんな事言われても、ずっと学院にいましたし?」
そんなあたかも「一般常識だろ?」みたいにため息を漏らされても困る。
学院は別に閉じ込められるわけではないから、授業のない休日などはたまには市街にまで足を運んだりもした。けれど別に情報収集する意図は全くないから、彼がよほどの有名人だろうとわたしが彼を知る由はない。ましてや彼がどれほどの偉業を達成していようが興味もなかった。
「彼の名前はサウル。勇者と共に魔物どもと戦った、英雄だぞ」
ダニエルの説明はあたかも自分の事のように誇らしげだった。
勇者と、つまりあのマリアと共に戦った勇者一行の一人、救世の英雄……。
なるほど、禁軍という帝国の要で団長を務める大抜擢を受けたのは、英雄譚の再来とも言うべき功績を残したからか。最も彼の佇まいから実力を測れるほどわたしは目利きではないので、それが本当かどうかの判断はつかない。
だが一つ言える事がある。命令を飛ばしてる団長への騎士達の反応は薄く、動きも心なしかもたついており、何より率先性がない。命令には忠実に従うけれど、義務として動いていると表現すれば適切だろうか。つまり……。
「英雄だろうと何だろうと、騎士団の中では浮いてるようですね」
ついわたしが口から洩れてしまった本音が聞こえたのはダニエルとアモスだけのようだったが、二人の反応は対照的だった。ダニエルは汗が吹き出そうなほど慌てだし、アモスは心底から納得したように頷く。
「お、おい、英雄に対してなんて口のきき方……!」
「ああ、俺も同意見だな。確かにありゃあ俺が逆立ちしても勝てる相手じゃあなさそうだが、それは個としての実力。アイツ、騎士団を率いるのには向いてねえようだな」
個人の強さと集団の強さとは全く別、か。大方彼は勇者との旅を終えた報酬として相応の地位を求めたのだろう。褒美を与えるのは結構だが、随分とまあ人選ミスだったんではないだろうか?
いや、わたしが帝国の人事を心配してどうする。わたしの及ばない考えがあっての大抜擢かもしれないのに、一見だけの感想で相応しくないと断じるのは早計だろう。少なくとも騎士団としてはそれなりにまとまっているようだし、そこまで気にかける問題でもないだろう。
こちらに実害さえなければ、という条件付きではあるが。
「事情聴取って言うより尋問受けるみてえだな。怪しまれないよう気を付けろよ」
「ええ、お互いに」
アモスやダニエルは騎士の尋問同然の質問にも世間話の延長のように平然と答えていたが、その顔は不満だらけにしか見えなかった。このやりとりに文句を口にしないだけまだいいが。偶然帝都に用があって帰路の途中だった子供連れの女性は今にも泣きだしてしまいそうなほど怯えている。御者なんて歯をがたがた鳴らしていて、正直ここまで聞こえてうるさい。
わたしを担当したのはすらっと手足の長く、顔立ちも整った聡明そうな女騎士だった。見渡すと騎士団の中で女性は彼女一人で、さしずめ紅一点と言った所か。
彼女はわたしが学院出身だと聞くと軽く驚いたのか間の抜けた声をあげてきた。
「学院の魔導師? 証明できるものはある?」
「学院生手帳は卒業証書と引き換えにしました。それで問題がないのならお見せしますが」
「卒業生、確かにこの時期だとそれぐらいになるのね……。いいでしょう、見せてもらえる?」
「はい、こちらです。あまり汚さないでくださいね」
どうもこの騎士団、やけに神経をとがらせているな。よほど重大な任務を与えられているのだろうか。苛立ちと焦りから来るものかな?
「ありがとう、確認できました。卒業おめでとう若き魔導師殿」
「あ、いえ、ありがとうございます」
わたしが提示した卒業証書を確認した女騎士の態度が少し穏やかになった。正直さっきまで威圧されて内心で動揺していたから、この変化は結構ありがたい。
恐るべし学院の看板、もう様々としか言いようがない。これは当分足向けて寝れないな。
「すみませんが話せる範囲で問題ありませんので、何があったか教えていただけないでしょうか?」
けれどここまでされて何も知らないままでいるのも癪だったので、相手の気分を害さない程度に質問を投げかけてみる。女騎士は困った表情を隠そうともせず、言いよどんだ。この反応からすると拒否されているのではなく、事情を明かせないほどの重大案件なのだろう。
仕方がない。ここで黙られても何も明らかにならないだろうし、少しこちらから踏み込むか。
「探しているのは物品ですか? 国宝級の品が盗まれたとか?」
「あ、いえ、物じゃないの」
だろうな。騎士達は馬車の中に置きっぱなしになっていた荷物の検査も単に中をのぞいて終了するだけで、物の確認は一切していない。何よりわたしやアモス、商人が身に付けている手荷物にも無関心なのだから、探し物は一目で分かるほどの大きさなのだろう。
「では人探しですか。お勤めご苦労様です」
「え、ええ。その心遣い感謝します」
わたしが感謝を述べると女騎士は少し照れて、けれど多くを語れない気まずさで視線を逸らしてしまった。隣にいた騎士がこちらの方を軽く睨みつけてきたが、おそらく女騎士が余計な事を口走っていないか確認したのだろう。
本当はもう少し知りたかったけれど、これ以上踏み込むと引き返せない所まで踏み込みそうで怖いな。所詮わたしは部外者だしおとなしくするとしよう。どうせこの一幕の出来事で終わりになり、後でこんな事もあったんだと話の種になるのが関の山だ。
ところがその女騎士は辺りの様子を窺うと、こちらに顔、と言うより身体ごと近づけてきた。
「……あなたはマリアを知ってる?」
そして、意外な名前が彼女の口から語られた。脳裏に過ぎったのは学院から出る直前でマリアと再会した一場面。思わず驚いて声をあげそうになってしまったので、慌てて咳払いをしてごまかした。
「マリアって、あの勇者パーティに同行した学院生のですよね。一応同級生になりますし、言葉を何度か交わしています」
「そう、ならあなたになら教えてもいいかな……」
その瞬間、とっさに耳元を手で覆った。もちろん耳を塞いだわけではないので物音はなお聞こえてくるけれど、この動作が何を意図するかはこの女騎士にも十分理解できるはずだ。
ただでさえマリアが何をしでかしたのか分かったものではない。女騎士が何を暴露しようがこれ以上わたしの関わっていい事柄ではないだろう。
「止めてください。貴女の任務は密命ではありませんか?」
「うっ、た、確かにそうだけれど……」
「わたしがいくら学院出身でマリアと知り合いだからって、そう易々明かしていいほど安い命令だとは到底思えないのですが」
「え、ええ……そ、そうだったわね」
若干きつめに釘を刺したのが功を奏したらしい。女騎士も冷静になれたのか、咳払いをして今の言動を誤魔化した。さりげなく見渡すと周りの騎士達がこちらに少し鋭い視線を向けている。
危なかった。女騎士のうっかりをそのまま聞いてたらどうなっていた事か。自分の好奇心が身を滅ぼすなら自業自得だが、他人のうっかりに巻き込まれて破滅するなんて御免だ。こんな場面はとっとと見切りを付けるに限る。
「これで終わりですか? 探し人がいないようでしたらそろそろ旅路に戻りたいのですが」
「ん、少し待ってほしいの。他の団員たちにも確認……」
「ん? てめえ、よく見たら……」
これで終わりだと胸をなで下ろしていたら、今度は団長が乗馬したままでこちらに近づいてきた。騎士達は慌てて彼に道を開き、敬礼の姿勢を取る。この騎士団長、背丈がやや高く馬も立派な体格をしているため、ずっと見上げると首が痛くなりそうだ。
「てっきり噂通りくたばったかと思ってたんだが、生きてやがったのか」
「……? 人違いじゃありません? わたし達は初対面の筈ですが」
少しむっとくる口汚さだけど、不快に感じる心が表に出ないようには努める。
いやいやいや、何でわたしを勝手に殺すんだ。ずっと学院で平穏な生活を送ってきたから命の危険にさらされた覚えはこれっぽっちもないんだけど? まあ十中八九わたしを誰かと勘違いしてるんだろうけれど、この口調からするにどうもその人物の事を良くは思ってないらしい。
団長はわたしをつま先から頭までじろじりと見回すと、露骨に嫌悪感をあらわに舌打ちをかましてくれた。ん、別にわたしは何も悪い事どころか彼の気分を害する仕草すらしていない筈だが。
「何だ、違うのか。けっ、てめえを見てると俺をいつも見下してきやがったアイツを思いだすぜ」
随分な言い草だ。そんな愚痴だのは心に留めておくべき、と頭の中だけで言っておく。どうせこの手の輩に注意した所で無駄に決まっている。それに見下すアイツってまさかマリアか? どうしてわたしからマリアを連想するのか理解に苦しむのだが。
他の騎士達は尋問や荷物確認が終わったようで、慌ただしくそれぞれの馬に戻っていく。どうやら彼らのうかない顔色を窺う限り、目的については収穫なしだったようだ。わたしを尋問していた女騎士もその様子を確認して、わたしに一礼すると自分の馬へと戻っていく。
「お前等、もう用はねえ行くぞ!」
団長は馬を駆り剣を抜き放つと団員たちに激を飛ばす。おそらく剣を抜き放つ動作に意味はない。単に格好つけたかっただけだろう。
「団長、このまま帝都への道のりを?」
「馬鹿かテメエは。奴の居場所は魔法で探知してんだから、見落としてすれ違っただけに決まってんだろうが! 来た道を戻るぞ!」
「はっ、申し訳ございません!」
これは典型的駄目上官ですね。こんな有様が帝国の中枢を守護する禁軍とは、お先が思いやられると言うべきか。振り回される騎士達もご苦労様だ。同情だけはしておこう。アモスも同じ考えなのか、呆れたようにため息を漏らしていた。
騎士団一行はやがてわたし達が向かう方向へと馬を走らせていった。蹄の大きな音はしばらく続いたが、やがて遠くになると辺りは静寂で穏やかな様子を取り戻していく。わたしは酷く怯える子持ちの女性に肩を貸しつつ、馬車に戻る。
「騎士団も大変なんですね」
「そうだな。あれじゃあ真面目に任務をこなす騎士達が可哀そうだ」
独り言で呟いたつもりだったが、アモスに相づちを打たれてしまった。
単純な実力や年功序列と違った政治的判断での抜擢、か。当の本人があれでは下に付いた騎士達が苦労を積み重ねる毎日に違いない。
「つーか個人の功績があるからって、あの様で左遷されねえのもおかしな話なもんだ」
「あはっ、違いありませんね」
思わず声を出して笑ってしまった。ダニエルが変な視線を送ってくるが無視だ。
どの道地元に帰ってそのまま過ごすつもりのわたしが禁軍と接する機会なんてもうないだろうし、勇者一行の一人とやらと顔を合わせるのも最後だろう。これだって酒場での話のネタになって終了になるのが目に浮かぶようだ。
お読みくださりありがとうございました。