尊厳者である勇者の姉
「それで、皇帝陛下ともあろうお方がこんな庶民の家に何の用?」
「うわ、その言い方地味に傷つくんだけれど。それはそうと紅茶頂いていいかしら?」
「ええ、お好きにどうぞ」
先に視線を外したのはイヴの方だった。彼女は突然の来訪者に対してもどうでもよさげに朝食を口に運んでいく。パンをかじるその手はまだパンを指でつままずに手の平で持ち上げていて、優雅とは言い難い食べ方をしている。指の自由が戻るのはまだ時間がかかるようだ。
陛下の方も素っ気ないイヴを特に気にせずに彼女の前の席に座った。そして食卓中央に置かれたティーセットを自分の手元に持っていくと、何の遠慮も無しに紅茶をカップに注いで一度で飲み干した。温めてからまだ時間も経っていないのに良く一気に喉に流し込めるものだ。
「用件はもちろんイヴに会う為に決まってるじゃないの。生きていたなら連絡ぐらいよこしなさいよ」
「別に私は姉さんの臣下じゃあないから報告の義務はないでしょう」
「そういうもんじゃないでしょうよ。私達血を分けた姉妹じゃあないの?」
「半分、よ。そこは明確に線引きしていただきたいわ」
イヴは皿に盛られたサラダに手を伸ばす。陛下は再び紅茶をカップに注ぐと今度は砂糖とミルクを静かにいれて、マドラーでかき混ぜていく。
「剣士サウルを殺したんですって? 言ってくれればこっちで処断したのに」
「マリアを見つける為に帝国魔導協会のお偉方に結構危害加えてお尋ね者になった私の願いを聞くと?」
「あー、あれ元老院の連中に問いただしたら剣士サウルの過剰反応に便乗してイヴを亡き者にしたかったみたいね。そりゃあ確かにイヴのやった罪は裁かれるべきだけれど、勝手に処罰していい訳ないじゃないの、全く」
「あら、てっきりお優しい姉上様が私を厄介者だって切り捨てたとばかり」
二人の会話は他愛ない様子で進んでいく。わたしが見ている場面をそのまま絵画として写し取れば穏やかな家族の朝食風景が出来上がるだろう。けれどそれは話の中身が二人で情報を共有している事を前提に交わされるからで、傍から聞いていたら話が飛んでいてイマイチ理解できない。
二人の会話を聞いていたカインは困惑を隠せずにわたしを見つめてくる。そんな目を向けないでほしい、わたしだって分からないものは分からない。
ちょっと待って。今一度頭の中を整理してみよう。確か剣士サウル率いる皇帝禁軍の騎士団は密命を受けた体でイヴを亡き者にしようとしていた。それはイヴがマリアや剣士サウルに復讐を遂げる過程、準備の間で容赦なく邪魔者を排除したからだろう。帝国のお偉いさんだろうと。
けれど実はその密命は剣士サウルがマリアの失踪に過剰反応を示して、始末した筈なのに生きていた勇者イヴの剣が次に自分に向けられないよう先手を打って勇者を葬ろうとした。元老院、つまり帝国の最高機関は皇族かつ勇者なイヴが目障りだからそれに乗っかった。
経緯はこんな感じだろうか?
「剣士サウルへの凶行は大目に見るとしても、巻き添えになった人達への仕打ちは見過ごせないわよ。おとなしく裁きを受ける気は?」
「無いわね。力づくでもって言うならそれ相応の対応を取らせてもらうけれど?」
「馬鹿言わないでよ。禁軍で構成された騎士団を一人で返り討ちにしておいてさ。イヴ一人捕らえるために親衛騎団を総動員させるつもり?」
「帝国が誇る精鋭を差し向けられたって姿を眩ますぐらいは出来るわよ。何せもう復讐したい相手は帝国にはいないもの」
深刻な話をしている筈なのに陛下はヨーグルトの入った器にスプーンを突っ込むし、イヴもパンにジャムを塗っている。この見た目と中身の乖離は何とも言い難いな。
いけない、固唾を呑んで見ていたらわたしが朝食を取る時間が失われてしまう。わたしはイヴの隣に座ってカインには陛下の隣の席に座るよう促した。何かカインが思いっきり顔を横に振ってくるけれど、あいにくテーブルには四人分の椅子しかないんだよね。
陛下はヨーグルトを口に運んだスプーンをイヴの方へと向ける。
「魔導師マリアの失踪、弓使いプリシラの奴隷堕ち、剣士サウルの虐殺。……まさかイヴがかつての仲間である勇者一行に復讐しようとしているだなんてね」
「何? 咎めるつもり?」
「まさか。私だって尊厳者って呼ばれていたって人間だもの。どんな事情があったって実の妹を贔屓ぐらいするわよ。協力はしてあげられないけれどね」
「邪魔立てしないならそれでいいわ」
ここまで来ると完全に蚊帳の外になっているカインがかわいそうになってくる。最もわたしは食事中なので、今のところ積極的に助け船を出すつもりはなかったりするのだが。お、このハムエッグいい感じに焼けてて美味しいな。
陛下は軽く息を吐くと手にしていたスプーンと食器を置き、笑みを止めてイヴを見つめた。
「今は復讐した相手の魔導師マリアと暮らしているの? それにその腕と脚だけど、どういう事?」
「マリアとは色々あって仲直りしたのよ。この腕と脚は剣士サウルに受けた深手で、治療中よ」
「マリアとは一度謁見の際顔を合わせたけれど、その時とは雰囲気が違うわね。これが復讐した結果なのかしら?」
「結果だけ見ればそうね。ただこうしてマリアとの絆を取り戻せたのは本当に偶然よ」
確かに、わたしとイヴとの出会いは本当に偶然だった。わたしがたまたま学院を卒業してすぐに公都への帰路に向かわなければ、イヴが剣士サウル率いる騎士団と交戦する時間が少しでもずれていたら。わたし達はもう二度と巡り会えなかったかもしれない。
何の因果か奇跡的な偶然か、わたし達は今こうして良い関係を築けている。多分どこかで一線を引いていた勇者イヴとマリアの関係より深い絆となっている筈だ。こういった平穏な日常を一緒に過ごせる仲になれたのは本当に素晴らしいと思うのだ。
ただ、陛下が言いたいのはそうではないだろう。わたしがマリアから変わったって言ってきたのだから……。
「イヴも、随分と面白い事になってるじゃないの」
イヴもかつてのイヴから変貌した、と陛下は語りたいのだ。
「何か今のイヴからは勇者一行の一人として謁見の時顔を合わせた賢者アダムっぽさを感じるんだけれど、私の気のせい?」
「……随分と興味深いわね」
さすがのイヴでも今の発言には軽く驚いたのか、目を見開いて陛下の顔を覗き込んでいる。わたしも陛下の口から出てきた衝撃的発言に思わず立ち上がる所だった。
「イヴはイヴなんだけれど、アダムらしさがにじみ出ているって言うか。何かこう、恐怖と安らぎを同時に覚えるって言えばいいのかしら。そんな隠せない魔性の魅力を感じるの。ほら、上手く説明できないけれど彼って言動の一つ一つが人を惹きつけてたし」
そう言えば賢者アダムが魔王だったと知っているのは勇者一行だけだったか。魔王軍側が賢者アダムをどう捉えていたかは定かでないけれど、少なくとも人類側にはアダムの正体が魔王だとはばれていないと思われる。
つまりは陛下は勇者一行と謁見した際、一度会っただけのアダムに対してそう言う印象を持ったわけか。しかし……イヴが恋に落ちてミカルが虜になり、そして陛下もこのように仰る。よほど魔王アダムの魅了は人の心を奪ってしまうらしい。
イヴはわずかに目を細めて微笑を浮かべた。その仕草はイヴのものよりアダムに近い。
「今の私にも魅了されると?」
「パンを口に運ぶ動作一つをとっても目を惹くもの。イヴらしく振舞えているけれど、その実イヴとアダムが混ざった? ああもう、なんて表現すればいいのよ!」
しかし、誰にも見破られていなかったイヴの真実に陛下は一目見ただけで迫るとは。慧眼とは正に今の陛下を指す言葉だろう。おそらくあと何日もこうして訪ねられたら間違いなく今のイヴが本質的にはイヴではないのだと気付かれる可能性が高い。
だがイヴはそんな陛下の追及も愉しんでいるのか、不敵に笑うと両の指だけを自分の胸に当てた。
「姉さんがそう感じるのも当然ね。だって私はアダムと身も心も魂すら固く結ばれたんだもの」
「へ?」
「私はアダムを愛していたし、アダムも私を愛してくれた。ならそうなるのも当然でしょう?」
「ちょ、ちょっと! 結ばれたってどういう事よ!」
イヴの勝ち誇ったかのような発言に陛下は狼狽えてテーブルに両手をついて立ち上がった。スープ類がテーブルに並んでいなくて良かった。あったら間違いなくこぼれていただろう。
「ままままさか、嘘……! お姉ちゃんは許さないわよあんな奴!」
「あら、私の愛する人に対して随分な言い様ね」
「アダムは確かにカッコいいとか素敵とか思うけど、彼は絶対に女を破滅させる魔性の男よ。毒牙にかかる前に一歩下がって冷静に見つめ直しなさい」
「忠告はありがたく受け取っておくけれど、もう突き抜けちゃったもので」
「つつ、突き抜けちゃったって、そんね下品な言い回し――!」
「姉さん、隣に未成年のカインがいるのをお忘れなく」
イヴに釘を刺されて口を紡ぐ陛下。このままだと子供お断りな桃色話になってしまいかねないから丁度良かった。ちなみにわたしもイヴもカインが純粋無垢なままか褥がどうのとかを知っているかは知る由もない。単に体の良い口実に彼の名を出しただけだろう。
それにしても、権力者の血肉を分けた兄弟と聞くと騙し騙されで追い落とす相手にしか見ていないと勝手に思っていた。けれど陛下は妹であるイヴを純粋に心配している。そうして気にかける陛下にイヴもまんざらではなさそうだ。
仲のいい姉妹、わたしの目には二人がそう映った。
「あー、イヴに先越されたー。私もとっとと皇帝の座を誰かにかなぐり捨てて恋を知りたいー」
「あら、姉さんって何事も本気だから恋に溺れちゃうんじゃない?」
「そうなれるのもならなってみたいわよ。自分の知らない自分とか知りたいと思わない?」
「……ええ。昨日までの私があり得ないって叫びたくなるぐらいの感情は、甘い蜜も同然ね」
一瞬だがイヴは陛下から視線を逸らして何かを思ったようだ。思い出したのは禁断の愛の味を知った辺りか、それとも最愛の人に全てを捧げた瞬間か。ただ一つ断言できるのは、わたしでは到底踏み込めないイヴの最も大切な想いを秘めた一場面が頭に浮かんだのだろう。
陛下は軽く一息つくと再び席に座り、腕と脚を組んで身体を背もたれにもたれかけた。
「ところでイヴ、今日は暇?」
「暇って答えると一日中つき合わされるんでしょう? それで、用件は何かしら?」
「察しの通り、今日一日私に付き合ってよ。昼前はだらしない公爵夫妻の頭はたかないといけなくて。カイン君以外に異変の事情を知ってる人間が欲しいのよ。それと、昼を過ぎたら噂になってる死者の都の視察ね。そこで追悼式を執り行う予定よ」
「追悼式、ねえ」
公爵夫妻の頭を……つまりアンデッド発生の異変で静観決め込んでいた公爵と、魔王の虜になった体たらくのミカルに対してか。自治権まで認められた公爵相手に皇帝直々に赴いた挙句に裁定を下すなんて前代未聞じゃあないか?
それから追悼式、か。確かに公都では長く苦しめられてきた異変の解決を祝って盛大な催しが行われてはいたけれど、犠牲になった人達を弔う式は行われていなかったっけ。特に帝国軍は多くの命が失われている。陛下が主賓となって実施されても不思議ではないか。
呟いたイヴは思う所があったのか、わずかに目を細めた。
「どうする、マリア?」
「ふぇ!? わ、わたしですか?」
物思いにふけっていた所にイヴに不意を突かれた。わたしは変な声をあげて慌ててイヴの方へと振り返る。彼女は肘をテーブルに付けて顎を手の平に乗せながらこちらに横目を送ってきていた。
「今日もいつも通りお店開くんでしょう? なら私がいないと困るんじゃない?」
「そりゃあ困りますけれど……」
素直に自分の思いを口にしようとした所でふと気づく。イヴがわたしにどんな回答を求めているかを踏まえて返答する必要がある、と。
今わたしは陛下からのお願いならそちらを優先させてください、と答えようとしたけれど、果たしてそれが最適解か? もしかしてイヴは仕事を口実に断ろうとしていて、わたしにそれを後押ししてもらいたいとか?
思い出すのはミカルを何とかできないのかとイヴに聞いた時のやりとりだ。
「どうにもならないよ。僕は私、つまり勇者イヴに対しては本当に心を奪うつもりで意識して魅了をかけたけれど、あの公爵夫人はあっちから勝手にかかったようなものだからね」
イヴは魔王の虜になったミカルを突き放すように平然と言い放ってきた。肉親唯一の味方だった叔母であり一年間共に過ごした貴婦人でもあるのに他人事ではないか、と驚いたものだ。
だがアダムはミカルの手で歪められて蘇らされ、イヴは再び最愛の人を手にかけなければならなくなった。もはや今のイヴは彼女に対して何も思っていない、どうでもいいのだろう。むしろ憎悪を抱いていないだけましと言える。
「では、ミカルが魔王の影響から抜けるにはやはり時間をかけるしかありませんか」
「何ならマリアにしたみたいにマインドクラッシュで記憶を全部破壊してもいいけれど?」
「それならこの一年だけを狙って消去するのはどうです?」
「ああいったのは丸ごと対象にするから強力なんであって、効果範囲を限定させると効果が鈍くなるんだよ。そうなったらいつまた記憶が蘇らないとも限らないけれど?」
……こんな調子だったから正直今更イヴがミカルと面会した所で何も変わらないと思う。
あとは追悼式、か。あれは死者の冥福を祈る……事で生きる者が心の整理を付けて未来に向けて歩みだすのだとわたしは思っている。つまりは亡くなった当人ではなく残された人の為にしめやかに行われる式典と言っていい。
わたし個人は別に今更場を設けてもらってまで区切りを付けたいとも思わないな。わたしにお伺いを立てる時点でイヴも特に参加する意義を感じていないのかもしれない。公には死亡扱いとなり勇者でも皇族でもなくなった今のイヴが参加した所で他の方達には何ら影響を及ぼさないだろうし。
うん、ここは断るのが正解だろうな。
「陛下、申し訳ありませんがわたしの店は当面イヴがいなければ立ち回れません。お話をお伺いする限りではイヴがいなくても特に問題はないと思います。代わりの方を派遣していただかない以上は……」
「何言ってるのよ。マリアも来るのよ。言っておくけれどこれは依頼じゃなくて命令だから」
「ええっ!?」
め、命令と来たか! 思わずイヴの方へと視線を向けると彼女は眉をひそめながら静かに首を横に振ってきた。わたしの真正面に座るカインに至っては申し訳なさそうに頭を下げてくる始末だ。
別に店は臨時休業してしまえばいいのだから、勅命に無理だと断る理由が乏しい。嫌だと断ろうものならどんな制裁が下るか分かったものではない。イヴは国外逃亡も辞さない覚悟が出来ているかもしれないけれど、今のわたしは祖国や故郷を捨てるつもりは無いのだ。
もはや進退窮まったとでも言うべきか?
「……諦めるしかなさそうね」
「きょ、今日は臨時休業、ですか……」
がっくりとうなだれるわたし。もはや覚悟を決めて公爵邸に足を運ぶとしよう。ミカルを中途半端にしてカインに丸投げした罰が当たったかな? まさかこんな形で自分の尻拭いをする羽目になるとは思いもしなかった。
イヴの方も明らかに面倒な事になったとばかりにしかめた顔を隠そうともしていない。更には大きくため息を漏らしてくるし。
「それじゃあ今日一日はよろしくね!」
そんな中でも太陽のような明るさの笑顔の皇帝が実に印象的に映った。
お読みくださりありがとうございました。




