死者の都攻略戦⑦・勇者と魔王の再会
エルダーリッチ、ワイトキング同様に文献でしか見た事のないスケルトン系列のアンデッドモンスターの最上位。長きにわたり叡智と技術を蓄えたアンデッドの大魔導師と記載されている。その卓越した魔導は相手を即座に死に追いやったり己の傀儡としてしまったり出来る程らしい。
このエルダーリッチの姿は勿論この間乗り込んだ際には影も形もなかった。この最奥の部屋はミカルの居住区で、ワイトキングの守備範囲からも外れていたから安全だった筈だ。
つまりこいつはこの間わたし達がここまで着いた為に配置された、新たなる守護者か。てっきりわたしはレイアが暴れ回って半壊させた防衛網の立て直しに勤しむとばかり想定していたが、浅はかだったらしい。現にそう決めつけたせいで三万近く動員された今回の討伐戦でこの場にたどり着いたのはわたし達二人だけなのだから。
だが、それで成すすべなくやられると思われていたなら心外だ。
「阻め光の障壁よ!」
イヴは迫りくる漆黒の瘴気に向けて盾を掲げると、淡く光る壁を前方に向けて形成する。光の壁に激突した漆黒の瘴気はそのまま弾かれて四方へ散っていき、こちらまで襲い掛かってはこない。
けれど、敵の解き放つこの瘴気には止めどがなく、延々とこちらに向けて放たれ続ける。そのためイヴは攻撃に転じようもなく光の壁を持続し続ける以外何も出来ない。まだ光の壁はびくともしていないが、イヴが苦悶の表情を浮かべ始めた。
「き、きついわね……。マリア、何とかならない?」
「大丈夫です、任せてください」
わたしは自信満々に聞こえるように答えてみせた。虚勢も確かに混じってはいたけれど、既に目の前の敵を倒すべくイヴが盾を掲げた段階で頭の中では術式の構築を始めている。ただ、今回のは大規模で緻密な式が必須なので自分の意識の大半を割いて集中していく。
想像するのは光の奔流。無論わたしには選ばれし者のみが習得出来る光の魔法など使えないから疑似的に再現するしかない。それでもわたしはこの魔法には誇りを持っている。暗黒の世に光射す道となれ、との想いで必死になって習得したものだ。
「マジックレイ・シュトローム!」
わたしは杖を槍のように両手で構えると、その先端からわたしの背丈ほどの幅のある光を解き放った。灯りの燈っていない薄暗い室内においても眩く光る魔法の奔流は、イヴの形成した光の障壁を突き破ると瘴気をたちどころに霧散させながら突き進んでいく。
エルダーリッチは即座に暗黒の瘴気を止めて魔法で障壁を展開したようで、敵に直撃する一歩手前の距離でけたたましい音が部屋中に鳴り渡った。だれそれも一瞬の事、光の奔流は敵のマジックバリアを硝子細工のように容易く撃ち砕くと、そのままエルダーリッチを飲み込んでいった。
マジックアローやマジックカノンといった無属性攻撃魔法の原理は単純で、魔力の粒子を無数に放っているだけだ。その形状、量、展開の程によって魔法の名称を変えているに過ぎない。魔導師の中には一貫して同一の魔法として扱う人もいるそうだし、魔導師によって多種多様なのだ。
このマジックレイは魔力の粒子を持続させて放つもので、収束させて放てば鉄板どころか岩をも貫通する威力を発揮する。今わたしの行使しているレイ・シュトロームは幅広かつ高密度に魔力の粒子を射出するため、上手く使えば岩盤をも砕き敵軍を薙ぎ払うほどの威力を発揮する。
これを防ぐには数多の粒子の衝突に耐えうる防御力を持つか、防御魔法を展開して正面から迎え撃つか、そのそも受けずに回避するしかない。敵エルダーリッチは魔法での防御を失敗したために逃げる事の出来ず、自然と耐える以外道が残されていないのだが……。
「それをただ眺めているばかりではないわよ」
それを見逃すイヴではない。彼女は光の奔流で漆黒の瘴気が霧散したのを確認すると、光の障壁を解除して床を蹴って飛び出した。彼女は剣を携えるとわたしの魔法の側面を駆け抜けていく。イヴが正に敵を捉える間際でわたしは攻撃魔法を打ち切ってイヴの進路を開放した。
わたしの魔法はかなりエルダーリッチを負傷させたようだったけれど、それでも存外に原形を保っているようだった。今のはわたしの習得する攻撃魔法で一番威力がある切り札の成果がこれなので若干気落ちしたものの、充分に役目は果たしたものと割り切る。
既にイヴは己の間合いに敵を入れている――。
「煌めけ光の剣よ!」
彼女の剣の一振りは雑兵を相手にしていた時のような力強さではなく、鮮やかさの方がより強い印象深かった。彼女の宣言した通りその剣は光を纏い、その一撃で流星を思わせる光の線が走った。剣が抜けた後も光の粒子が空を舞い、それは天球を仰ぐがごとくとても幻想的に映った。
イヴの一閃によってエルダーリッチを見事なまでに一刀両断されており、敵の大魔導師は骨の残骸となって床に軽い音を立てて崩れ落ちる。
雑兵相手には戦士や傭兵を髣髴とさせる堅実な強さを、強大な個体と相対した際は英雄譚に描かれる奇跡の一撃を。相反するような在り方、戦い方だけれど、イヴは特に意識して使い分けている様子もない。彼女は全てひっくるめてその場での最善の立ち回りをしているのだろう。
これが勇者としてのイヴ、なのか……。
わたしは念の為に辺りを窺ってみたが、エルダーリッチの他にわたし達に敵意を向ける存在は確認できない。わたしとイヴとミカルの三人だけがこの部屋にいるようだから、どうやらこれで本当に終着までたどり着けたようだ。
「それでマリア、ここが最終地点なのよね?」
「ええ。アンデッドを発生させるミカルがそこにいますから、現時点でも変わっていない筈です」
「なら、彼はどこ?」
「さあ? ミカルに聞いてみたらどうです?」
イヴはつまらなそうにエルダーリッチの残骸を蹴りあげると、わたしの方を背筋が凍るほどの冷たい眼で睨みつけてくる。恐怖ですくみ上りそうになるのを何とかこらえると、平然を装いつつ飄々と投げつけられた話題を右から左に受け流した。
ミカルは信じられないものを見るかのように呆然とイヴを眺めていたが、イヴは実に底冷えした表情でミカルの方を見つめている。あれほどミカルについては想いを込めて語っていたのに、こちらがたじろぐほどの豹変ぶりだった。
「お久しぶりです、ミカル叔母様」
「ひ、久しぶりですねイヴ。顔を合わせたのは一年ぶり、だったかしら?」
「単刀直入に聞きますが、アダムはどこです?」
気が付いた時にはイヴの剣はミカルの首筋に当たっていた。わずかな鮮血がイヴの剣を真紅に染めていく。もしかしたら皮膚どころか少し肉も斬ったかもしれない。イヴはミカルが軽く悲鳴を上げていても意にも介そうとしなかった。
思わず止めようと一歩踏み出した所で一週間前の食卓でのやり取りを思い出す。この二週間同じ屋根の下で過ごした仲であろうとわたしが止めた所で容赦なく排除してくるだろう。だが逆を言えば今は脅迫に留まっているから、わたしは警戒しつつも静観に留めておいた。
さすがに殺意まで向けられたミカルはあっさり陥落したようで、首と手を大きく何度も振って訴える。
「し、知らないの。私もこの部屋に閉じ込められているから、彼が普段どこにいるかとかは全然分からないままで……」
「――……」
イヴはわずかな時間だけ思考をかけ巡らせたようだったが、すぐに踵を返した。特にミカルに危害を加えていそうにはなかったが、ミカルは手をついて項垂れていた。やはり命を握られてしまい激しい精神的負担を受けてしまった。
イヴはわたしに目配せを送りつつわたしのそばを横切っていく。どうやらわたしに意思表示が出来る程度には冷静さが残っているらしい。最も、アダムと言う風が吹けば一発で飛んでいく程度なのでそこまで信頼おけないが。
「これ以上は時間の無駄ね。城内をくまなく探しましょう」
「えっ、でもミカルをこのまま放っておくわけにはいきませんよ。アンデッドを発生させているのは彼女なんですよ」
「叔母様なら全てが片付いてから対処したって十分でしょう」
「そうは言いましても――!?」
わたしがミカルから目を離したのは横切ったイヴを目で追ったほんのわずかな間だけだった。そして先ほど確かにわたし達以外の何者もこの部屋の中にいない事を確認した。イヴだってそう確信したからこそ判断を下して今の行動に出ている筈だ。
なのに、わたしがミカルに視線を戻すと、その人物が彼女の傍らに座っているではないか。
「へえ、エルダーリッチをこうも簡単に撃破するなんてね。さすがは僕を一度は打倒した勇者だ」
「あ、アダム……!」
魔王アダムは、この間を再現するかのように突如として姿を現していた。
■■■
アダムの言葉にイヴは即座に反応を示して美青年へと振り向いた。
「あ、アダム……」
イヴが口にした彼の名には数多の想いが込められていた。感涙、焦燥、困惑、愛憎……どの言葉にも当てはまるし、だがどのような単語でも今の彼女を言い表す事は出来ない。ただ、今の彼女は愛しさと切なさで今にも泣き出しそうなほど顔を崩していた。
そんな心臓が張り裂けるとばかりに自分の胸を手で強く掴むイヴに対し、アダムは平然と笑みを絶やさないまま彼女を観察していた。どうやら傍らにいるわたしなど眼中にはないようで、全く気にも留めていない。
「久しぶりだね、イヴ。一年ぶりだったかな? 昔の君も素敵だったけれど、今の君はもっと魅力的になったね」
「アダム、その、私は……」
「けれど残念、実に残念だよ」
アダムはゆっくりと立ち上がると右腕を軽く振るった。その手に握られていたのはアモスを葬った漆黒の剣。彼は構える様子もなくただ悠然とイヴの方へと歩み寄っていく。
イヴは手にしていた盾と剣を取り落とす。顔をわずかに横に振りながら後ずさった。複雑に入り混じっていた彼女の感情は今一つにまとまろうとしている。絶望と言う最悪の形で。
「勇者と魔王は永遠に争う定め。僕らが分かり合う事は永久にないよ」
「……っ! そんな、嫌……わたしは、アダムとは戦いたくない……」
「君が勇者の使命より人の想いを優先させるのは構わないけれどね」
「や、やめて……! わたしは、戦いたくないのっ!」
それはイヴの心からの叫びだった。彼女の瞳は涙で溢れ、頬を伝って止まらない。過去を失ったわたしにはもうイヴの想いがどれだけ深くて高いかは想像もつかない。けれど、彼女の懇願からはとても強くアダムを想っていたのだと今のわたしにも感じられた。
イヴの訴えに対するアダムの答えは、大げさな振りかぶりから放たれた剣の一閃だった。イヴは無防備にもその一撃を受ける……と思いきや、脚で器用にも床に落とした剣を蹴りあげると素早く拾い、魔王の一撃を正面から受け止めた。
「あれ、その手足はどうしたの? 以前の腕は鍛えられながらも少女の繊細さと女性のふくよかさが入り混じっていて美しかったのに、それじゃあただのか弱い乙女みたいじゃないか。脚だってこんな軽い攻撃も踏ん張れないほどか細くなっちゃって」
アダムが事も無く手に少し力を込めると、両手で剣を持つイヴの身体が後方へと押されていく。今のイヴに力が無いのは本人も重々承知していた筈だから、今の攻撃は剣で逸らしつつ回避か反撃に出るべきだった。イヴの技量ならそれも可能だったのに、狼狽える彼女は無意識のうちの行動しか取れていない。
アダムは一旦間合いを離すと、無造作に剣を振るいだした。アモスの首を斬り飛ばした鮮やかさと比較すれば児戯にも等しい乱雑な動作で繰り出される攻撃を、イヴは剣で何とか防ぎながらも後退していく。
「どうして、どうしてわたしに剣を向けるの!? わたしと一緒に旅をした一年は何だったの……!? 色々な所を旅して回って、多くの危険を乗り越えて、ずっと喜びも悲しみも分かち合ってきたじゃない……!」
「ああ、あれは楽しかったね。でもね、充分に信頼を得てから騙し討ちがするのが目的だったんだ。期待させて悪かったね」
「で、でも、あの時だってアダムは何も言わなかったじゃない! 一言でも言ってくれれば……!」
「言ってくれれば剣を止めたって? 偽りない真実をあの時明かしても面白かったけれど、知らないまま戦って、どちらかに軍配が上がる間際に明らかになったら君がどんな反応を示すのか見たかったんだ」
「え……っ?」
剣が交わる衝撃に耐えきれずにイヴの手から剣が零れ落ちた。もう駄目だ、と思わず声をあげそうになったが、アダムは追撃を加えようとせずにただイヴへと語りかけるばかりだった。
「いつものはかっこよくて冷静な君が情とか想いで振り回される姿は実に見ごたえがあったよ」
「……んな……そ、んな……」
「こうして今の君と踊るのも実に楽しいけれど、もうそろそろいいかな、って」
「い、いや……止めて……」
非常にゆっくりした動作でアダムは一歩踏み込み、剣を軽く振り下ろす。イヴは青ざめて呆然自失としながらも身体が自然と動くのか、すぐさま剣を取り上げて何とか一撃を受け止めていた。
……これは非常にまずい。現状だと明らかにイヴが負ける展開しか見えてこない。ただでさえ万全の状態からはほど遠いのに、精神面で彼女は折れている。今はアダムが遊んでいるから何とかしのげている有様だ。
じゃあどうする? アタルヤ達がワイトキングを撃破してここに突入するまで時間を稼ぐ? いや、不確定な外部要因には頼りたくない。ならアダムを畏れずにわたしが攻撃を仕掛ける? いや、打開すべくわたしが横やりを入れようものなら瞬く間にわたしの首が飛ぶだろう。この前と同じように一旦退く……これもわたし一人ならともかくイヴを連れて逃げ出せる自信が全く湧かない。
イヴに立ち直ってもらうのが最善の形なんだけれど……。彼女が前衛として相手を引きつけてくれればこちらも術式の構築に専念出来てあらゆる形で援護出来る。なのだけれど、今の有様ではこれが一番非現実的だと認めるしかない。
いや、考えろ。まだわたしにも何か出来る事が――。
「……違う。あんなのはアダムじゃない」
不意に、この場にいる誰のものでもない言葉を聴いた。抑揚を付けずに語るその声は何度も耳にしたものだが、わたしの知る限りで一番熱……いや、怒気を伴っていた。
振り向くと、そこにはマリアが睨むように鋭い視線をアダム達に投げかけていた。彼女の衣服と装備は背丈よりも長い杖と学院のローブ、道具袋やブーツに至るまで全てがわたしと同じだった。ただ、鏡の前の自分と違って見えるのは左右逆なのと彼女の雰囲気からだろうか。
「確かにアダムは魔王で、イヴを騙す為にわたし達に接近してきた。効率を求めたのか愉悦に走ろうとしたかは分からない。けれど、彼はイヴを弄ぶような人ではなかった」
「で、でも今の魔王は明らかにイヴを手の平に転がして……」
「考えたくなかったけれど、外的要因が混じっている」
マリアは無表情のままでローブの上に羽織った外套を翻しながら踵を返すと、やや上半身を前よりに傾かせて早歩きで歩みだす。向かう先は……ミカル?
そして、マリアはあろうことか寝具の上で上半身を起こしているミカルの胸倉を掴むと、その身体をヘッドボードに叩きつけた。
「まさか貴女がこんな愚行に走る女だとは思わなかった」
「マ、リア……い、一体何、を……!」
「とぼけても無駄。もうこの異変の真相は大体分かっている」
あまりに強く押さえつけるのでミカルが苦しそうに絶え絶えながらマリアに訴えかける。両手で何とかマリアを引きはがそうとするものの、マリアの手ははびくともせずミカルを掴んで離さなかった。事情は分からないが、マリアは明らかにミカルに対して激怒していた。
わたしはたまらずマリアの肩口を掴んだ。しかし冷静になって考えてみるとこれはどういった状況になっているんだろう? まさか傍から見るとわたしが突然気を狂わせてミカルに襲い掛かったように見えるんだろうか?
「マリア、急にどうしたのよ! ミカルが一体何をしたって言うの?」
「マリア、騙されては駄目。被害者を装っているこの女こそがこの異変の元凶なのだから」
それはそうだろうな。だって彼女がアンデッドを発生させているんだもの。でもそれはマリアの反魂魔法の不可抗力なのだから、それを言ってしまったらマリアこそが異変の元凶になるし、イヴがマリアを殺したのも要因の一つにもなるんじゃあないか?
「違う。ただアンデッドを発生させるだけならこんな大事にはなっていない。アンデッド達はただミカルの構想を叶えるべく死者の都の建造に従事するだけだった筈」
「いや、でも挙兵したのだってこの都を防衛しているのだって彼女が望んでいない――」
「それも違う。いくら才能があるからってデスナイトどころかワイトキングやエルダーリッチが召喚されるのはどう考えてもおかしい。あれほどの高位のアンデッドを生み出すのは明確な意図で魔法を行使する他ない」
「けれど、それも魔王が復活したから――」
いや、待て。魔王が復活したから? この間会った時にもアダムは自分がイヴに倒されたって明確に発言していた。他の勇者一行の者が魔王は打倒したと明言しているから、イヴではないかもしれないが確実に止めは刺されたと思っていた。
なら魔王であろうと自力で復活したなんて考えられないから、誰か別の者が棺桶の中の彼を引っ張り上げたとしか考えられない。
どうやって? 勿論、魔導でだ。
魔王配下の者が蘇生させたなら今もなお人類は混沌に包まれているだろうからそれは無いとして、それなら他の誰が彼を蘇らせたって……。
「えっ? いや、まさか……」
魔王アダムは復活した身。ミカルはアンデッドを発生させる異変の起因元。多くの疑問点が残ってしまうけれど、ここから導き出せる仮説は一つしかない。
マリアはわずかにミカルから視線を外して、こちらの方に頷いてきた。
「そう、魔王を蘇らせたのはミカル。この女が全ての発端」
わたしは何かが音を立てて崩れ去る、そんな想像を漠然と頭の中に過らせた。
お読みくださりありがとうございました。




