死者の都攻略戦④・帝国軍半壊
「やられた……! これが狙いだったのね!」
「い、一体何が起こったんだ……?」
イゼベルは静かに怒りを滲ませながら手にした扇を握りしめ、将官は前のめりとなってその惨状をただ茫然と見つめていた。防衛の準備に入っていた兵士達も誰もが作業の手を止めてただ目に移る現実に打ちのめされるばかりだった。
世界が様変わりした。だが目に移る景色が変貌したわけではない。変化したのは空気、ないしは雰囲気だろうか。これまでは死者の都と呼ばれていたものの整備された街並みが広がっていたものだから、ただ外見が多少異なった敵兵と戦う感覚でしかなかっただろう。
それが一転して月明かりのない漆黒の闇に閉ざされた真夜中の墓地……いや、冥府へと迷い込んだかのように重く、冷たく、息苦しく、そして何より恐怖心を掻き立てる。都市が姿を変えていなかろうとこの感覚は決して錯覚ではない。得体のしれない重圧がわたし達を押し潰してくるのだ。
だが、その程度なら果たしてどれだけ良かっただろうか。現実は無慈悲にも更にわたし達を追い詰めていく。
「じ、地獄の窯が、開いた……」
眼下の都市では、悪夢が広がっていた。
空気が一変した直後、家屋を捜索していた帝国軍の兵士達が突如うめき声をあげだした。目と口を大きく開いて喉元をかきむしり、誰かに助けを求めるかのように手を高く伸ばした。そして、皆の頬がこけだして見る見るうちに衰弱していったではないか。
やがて、枯れた声一つ、骨と皮だけになった身体が地面へと転がった。城壁より内側にいた兵士達、先ほどまで勇敢に戦っていた屈強な戦士達が物言わぬ躯と化したのだ。地獄の使者に魂を刈り取られたかのように、あまりにも突然に、だ。
城壁上の誰かが悲鳴を上げた。剣や弓を取り落とす音も耳に入ってきた。突如目の前で展開された地獄絵図に辺りは阿鼻叫喚となる。何とか上官達が混乱を沈めようと試みるものの、その声も他の兵士達と同じように動揺で震えていた。
死者の都に攻め込んだ帝国軍、その全てが命を落としていた。
「ど、どうして……どうしてあんな沢山いた帝国の正規軍が一斉にやられたんだ!?」
「誘い込まれたから、かしらね。わざと外側の城壁を攻め落としやすくしておいて、第二の城壁に群がった敵兵を罠にはめて一網打尽にする……。そんな所かしら?」
公都軍を率いているだろう将官は必死になって正気を保とうとしているのか、大げさなほど身振りを加えて思った疑問を口にする。そんな彼に対するイヴの返答はいつものように冷静沈着そのもの。動揺など微塵も感じられず、わずかに笑みすら浮かべているようだった。
「この死者の都全体が細工されていて、術者の意思一つで魔法が発動するようになっていたのよ。ここにいた私達が無事で下の兵士達が餌食になっているから、私達の立つこの城壁が丁度境界線になっているようね」
「九死に一生を得たわけですか。もし城壁上の戦いが雌雄を決した直後にアタルヤ達を追っていたら、今頃わたし達……」
「あそこに転がる兵士達同様、物言わぬ死体の仲間入りしていたでしょうね」
「……ぞっとしますね」
これほど大規模な魔法を発動させるならよほど大がかりかつ緻密な術式の筈だ。それを一からではなく城壁やこの都の内側にある程度術式を初めから組み込んでいけば、後は仕上げをすれば発動する仕組みになる。
だがこれほど区域全体に効果を及ぼす程の大規模な仕掛けを施した者は誰だろうか? この間第三の城壁にいたリッチでも無理だろう。アンデッドを自然発生させているミカルにそんな魔導の知識は無い。
なら、やはりあの魔王アダムの仕業なんだろうか。イヴがいち早く気付いてイゼベルを止められたのは、彼女がアダムを深く知っていたから――。
「こ、この間わたし達がここに侵入していた時はそんな仕掛けはありませんでしたけど?」
「たった数人を対象に発動させる利点があまりなかったからじゃない?」
「……あー、確かに」
憶測を確かめたい衝動を振り払うように話題を切り替えた。わたしのどうでもいい好奇心でイヴの内面に踏み込んでしまうと悪い展開へと傾くのは想像に難くない。いつか我が身を滅ぼすかも……って既に一回滅ぼされていたか。
「おのれアンデッド共、なんて卑劣な……!」
将官は胸壁に己の拳を叩きつけた。金属板の入った籠手は胸壁にひびを入れ、呆然としていた周りの兵士達が驚きのあまり現実に引き戻されて彼を注目する。兜の面を開いた奥で、将官は怒りで歯をむき出しにして目を血走らせていた。
イゼベルはそんな将官に険しい表情のまま顔を縦に振ってみせた。
「いえ、こんなものでは済まないわよ。早く兵士達全員に次に備えるよう命じなさい」
「次……? 第二波は今度我々が対象だとでも?」
「忘れないで、ここがアンデッドの巣窟、発生源なんだって」
冷酷な言葉を浴びせられた将官は何か反論しようとするが、イゼベルはそんな事お構いなしに扇の先を眼下へと向ける。将官は不満を隠さないしかめ面のままで都市部へと視線を落とし、軽く悲鳴を上げた。
倒れ伏した帝国軍の兵士達が、ゆっくりと起き上ってくるのだ。
兵士達は身体中の力を抜いたように腕をたれ下げ、脚を重そうに舗装された道を引きずり歩みだした。手にする剣は先が道路に当たって石畳に傷をつけ、表情は俯かれていて分からない。ただ、遠目からでも先ほど実践や訓練で鍛え上げただろう肉付きが落ちたように鎧が緩くなっていた。
さ迷い歩くその姿は、生者のそれではなく亡者のものに見えて……。
「い、生きていた……?」
「い、いえ、これは……?」
「そう楽観視できたらどれだけよかったか」
わたしは口元を抑えて声にならない悲鳴を必死に抑えた。再び城壁上に展開している公都軍の誰もが愕然となる。イゼベルすら目を細めて微笑を失っているようだ。この場で事実を平然と受け止めているのは、イヴだけだろうか。
……いや、待て。城壁を突破し都市に侵入していった帝国軍の兵士達だったモノ共の足は、再びこちらの城壁へと向けていないか?
「私達は今、味方の多くを失ったばかりか敵に大軍勢をもたらしてしまったのよ」
次の瞬間、そのモノ達は一斉に駆けだした。先ほどとはまるで違う俊敏さで向かう先はつい先ほど生きていた彼らが降りていったばかりの城壁内側の階段と、開放されたばかりの城門。隊列も何もない群がるように襲い掛かってくるそれらは、もはや人ではなく魔物を髣髴とさせ――。
階段を駆け上がるソレ等はようやく城壁上に位置するわたし達にその顔を向けてきた。叫び声をあげたのは一般兵だったか、それともわたしだったか。双眸のあった箇所には眼球は無く穴が開き、ただ皮が骨にへばりついた有様は吐き気を催す程おぞましいものだった。
間違いない、彼らだったモノは既に落命している。まだ生命のあるわたし達へと向かうソレ等は死霊の兵士達、アンデッドと化していた。
「早く混乱しているこちら側の軍の立て直しを。今はまだアンデッド共が下、こっちが上よ」
「な、何なんだよあれは一体よおお!」
「ちょっと、指揮官の貴方が狼狽えていたら――!」
今まさに攻め込んでくるアンデッド兵と化した元帝国軍に全く対抗策を打てていない。衝撃的な展開を前にして公都軍は取り乱しており、士気は下降するばかりだ。指揮を担う将官が力の限り絶叫をあげる有様ではまだ数千人もいる軍勢も烏合の衆に過ぎない。
見れば城壁内側の階段全てにアンデッド兵が群がってきている。指揮官のいるここですらこの状態なのだから、他の箇所ではここ以上に酷くても不思議ではない。中には矢や石の投擲で猛攻を阻もうとする勇敢な兵士もいるようだが、統率が取れていない為足止めにもなっていないようだ。
いや、考えるのは後だ。まずは目の前の脅威を排除しなければ。いかに帝国の精鋭が素体になっていたとしても相手は先ほどまで相手していたスケルトン兵とさほど変わらない筈。冷静に対処すれば返り討ちに出来ない相手ではない。
「これで亡者共から日々防衛していた西の公都の兵士達だなんて、失望したわ」
「イヴ、ここは打って出ましょう。わたしが攻撃魔法で援護しますので」
「そうね、身体ばかりが大きいただのカカシ共は当てにならないし」
イヴは軽くため息を漏らすと剣を抜き放つ。わたしも杖を振るって気合を入れ直す。今まさに駆け上ってくるアンデッド共を追い払うべく階段へと駆けようとした所――、
「槍兵! 盾を構えて階段出口前に展開、敵共に階段を昇りきらせるな!」
その脇を列を成した兵士達が通り抜けていき、何者かの号令通りに少し曲線を描いた四角くつま先から胸の辺りまでの大きさもある盾を前に掲げ、その間から長槍を階段下へと向ける。先頭列が整う直後には後列が同じように前に配置した兵士達の間から盾と槍を同じように前方へと向ける。
三重ほどの盾の壁が階段出口前に出来上がり、針の山が敵前に展開された。
「弓兵、一斉掃射! 敵アンデッド兵を撃ち落とせ!」
続いての号令で城壁上に素早く展開された弓兵から一斉に矢が下へと放たれた。城壁に沿った作りをしている階段上にいるアンデッド共は上から迫りくる矢の雨あられを避けるすべがなく、次々と命中、次々と倒れ伏したり階段から落下していく。
矢の雨を潜り抜けて昇りきろうとするアンデッド兵も所狭しと並べられた槍を突破出来ず、潜り抜けようとする輩はその間に矢や投石の餌食となっていった。地の利があるとはいえ、あまりにも鮮やかな手並みに誰もが呆然とその快進撃を眺めるだけだった。
遠くの方を窺うと、全ての階段で同じように部隊が展開して敵軍勢を次々と返り討ちにしている。規模としては一部隊おおよそ百から二百名ばかりだろうか。武装と掲げる旗を見る限りでは彼らは公都軍の者達ではなかった。
迫りくるアンデッドと化した輩と同じ武具を身にする、帝国軍の兵士達だ。
「そこのアンタが西公爵領軍の指揮官か! なにぼさっとしてるんだよ!」
怒声が辺りに響く。振り向くとそこでは将官が胸倉を掴まれて糾弾されていた。相手は帝国軍の兵士ないしは指揮官、と思っていたら、意外にも睨みつけていたのは教授ではないか。
「取り乱した軍を立て直すのも上に立つ者の務めだろう! アンタは自分の肩にかかった八千人の部下まであんな風にしたいのか!?」
「あ……っ」
教授の言葉には怒りばかりではなく悔しさ、悲しさがにじみ出ていた。それを聞いていて気付いた。今帝国軍兵士はつい先ほどまで肩を並べていた仲間を相手しているのだ。悔しくない訳がない、取り乱さない訳もない。そんな想いに無理矢理蓋をして、心を鬼にして倒している。
なのに、いくら打ちのめされる程の展開になったからって何だ、と言いたいのだろう。いくら志を共にしていた味方だっとしても今は敵にされた。なら、親しい関係を築いたわけでもないのに何をただ突っ立っているのだ、と非難しているのか。
「いくら帝国軍が優秀だろうと残った千人で一万四千ものアンデッド共は相手しきれない! あんた達にも動いてもらわなきゃあ、アイツ等を眠らせられないんだ。あたし達は、死んでいったアイツ等に何て申し開きをすればいいんだ……!」
「……す、すまなかったっ」
最後は悲痛な想いを隠せなかった教授にいたたまれなくなったのか、真摯に受け止めた将官は深々と頭を下げる。そして一発自分の頭を拳骨で叩くと、次には先ほどの取り乱しようが嘘のようにすっきりした面持ちになっていた。
周りの兵士達も帝国兵の奮戦を見て教授の言葉を聞いたためか、動揺は鳴りを潜めて慌ただしく立て直しに入っていた。
「この城壁の防衛は任せてもらいたい。援護をお頼みする」
「任された。城門は一応連中がくぐる前に塞いでおいたから、侵入経路は城壁上に続く階段だけになっている筈だよ」
「先ほど攻め込む際に見せていただいた魔法で階段を無くすというのは?」
「それだとアンデッド共を閉じ込めてはいけるけれど、本来の目的であるここの攻略が果たせなくなるだろう。現状の地の利を活かして敵の絶対数を削っていく方がいいだろうね」
教授と将官は手早くその場で打ち合わせを開始しだした。公都軍の兵士達も迫りくるアンデッド兵を相手に応戦に加わりだす。
目を通す限りではその戦線は維持できるようになったようだ。一万四千名が敵にまわり、かつまだ元々の敵軍勢力が残っている事を踏まえても九千名が城壁で守護する限り死霊共がこれ以上外へと溢れる展開にはならない筈だ。
けれど、また同じ手を使われたらと思うとおいそれと大軍ではこの都には攻め入れない。となると残された手は敵が大規模な魔法を発動するまでもないと思わせる程度の少数精鋭で攻め込むしかないのだが、今日はそれを想定されていない。ひとまずアンデッド化した帝国兵を倒すぐらいしか……。
と、あれこれ考えていると突然頭を乱雑に撫でられた。思考に埋没したわたしを乱暴に現実に引き戻してくれたのは、他でもない教授だった。彼女は笑みを浮かべてわたしの顔を見つめてくる。
「やあマリア、心配したかい?」
「あ、いえ、教授に限ってはわたしが心配するまでも……」
「うわ、信頼されてて嬉しい反面傷つくわー」
「何を言っているんですか……」
帝国軍に加わっていない教授を心配していなかったのは本当だ。その姿が死者の都の中に見られなかったのもあるが、教授だったらあの突然の全滅に対しても何らかの対抗策を打てると信じていたからだ。と言っても、今回ばかりは教授は敵の魔法に耐えたわけではないだろう。
「だって、市街地捜索と本陣設営のどちらに教授が加わるって考えたら、後者しかないじゃないですか」
「あーうん、まあそうなんだけどね。千名が残って本陣を設けてた矢先にこうなっちまってさ。まあ今度ばかりは命拾いしたよ」
「では、こちらに残された人員は公都軍と帝国軍残党合わせて九千名ほどですか」
「こらこら。残った千名は本営周りだから帝国軍そのものは一応健在なんだ。残党だなんて言うんじゃないって」
ああ、だから仲間の多くを失っても統率力が健在なのか。分隊が千名生き残っていようがただ狼狽えるか逃げ延びるのが関の山だろうし。
「それで教授、次の一手ですけど……」
「ああ分かっている。これで敵の侵攻は阻めるけれど迂闊に攻め込めなくなったな」
「その点に関してはこちらに任せてもらえない?」
と、イゼベルがわたしの肩に手を乗せてくる。彼女も落ち着いたのか新たなアンデッド発生前の静かな物腰と優雅さが戻ってきていた。
「あの、イゼベルさん、その……」
先ほど敵が講じてきた一手は城壁内側全体に効果を及ぼしていただろう。それは市街地を調査していた帝国軍ばかりではない、第二の城壁攻略に入ったアタルヤ軍も含まれる。今だ彼女達だったモノがこちらに来る気配はないが、いずれはこちらに矛先を向けかねない。
イゼベルとアタルヤの関係が友情かそれ以上のものかはわたしには計り知れないけれど、深い絆があるのは分かる。帝国軍の惨状を目の当たりにすると、彼女等も――。
「じきにアタルヤ達が第二の城壁を攻略してくれるでしょう。こちらは敵の強力な個体を相手出来る実力者を選抜して、後を追わせるのはどう?」
そんな心配をよそに、イゼベルは扇で口元を隠しているものの微笑しつつ平然と言ってのけた。アタルヤ達が健在なのを当然のように口にする彼女にはさすがのイヴもわずかに眉をひそめていた。
「え、ちょっと待ってください。アタルヤさん達は――」
「見ることは信ずることである、とも言うし、確かめに行きましょうか」
そう言うが早いがイゼベルは胸壁の縁に立つと、あろう事かそこから身を投げ出した。階段から外れた位置にいたから、下には何もなくただ市街地が広がるばかり。慌ててわたしは胸壁へと駆け寄って下を覗き見てみると、イゼベルの姿はどこにも見られなかった。
忽然と姿をくらましてしまったが原理を知っていたら何の事はない、単に飛び降りた先の空間を割って入っていったんだろう。姿が見えないのはアタルヤ達がいるだろうこの先の方に空間を繋げたからだろうか?
「マリア、私達がやる事は変わらないわ。先を急ぎましょう」
「そうですね、行きましょうか」
わたしは階段の方へと視線を向ける。今もなお迫りくるアンデッドの群れを阻むべく戦いが繰り広げられており、わたし達が通り抜ける隙間はどこにもない。やはり、昇った時と同じように打上魔法で降りていくしかあるまい。
なら上手くアンデッド共のいない辺りまで飛行しなきゃいけないだろうな。イゼベルが用意したって言っていた先ほどまで乗っていた馬は十中八九帝国軍と同じく敵の策略の餌食にされているだろうから、また自分の足で進んでいかないといけないだろう。
「マリア!」
術式の構築を始めようと頭に思い描いている時、不意に教授に呼び止められた。何事かと振り返ると、教授はこちらの方へと杖を向けていた。ただし杖の先はわたしの頭上にしており、その意図をすぐに察する。
「あんたが昔誰で今何なのかはあたしにはどうでもいいさ。あんたはあんた、あたしの教え子さ。その事実は決して変わりやしないよ」
「……ええ、わたしはわたしです」
わたしも杖を教授へと向けて軽く合わせた。教授が歯を見せて笑いかけてきたのでわたしも思わずはにかむ。教授は満足げに頷くと、帝国軍の兵士に何やら耳打ちする。兵士が教授に何かを命じられて程なくして、厳重に布で包装された品物が持ち運ばれた。
「餞別だ、これを持っていきな。この先で役に立つだろう」
「随分と大きいんですね……。でもまあ、教授が仰るのなら」
それは立てれば腰か胸の辺りまでの長さをした何かかだった。布の内側に緩衝材でも巻かれているのか、叩いても何が入っているのかがさっぱりだった。分かるのは結構重いので材質が金属なんだろう、ぐらいか。
正直持ち運びするだけでも大変な重労働となりそうだけれど、教授が今渡してきたならきっと何か意味があるんだろう。ありがたく受け取っておく。
「気合入れて行ってきな」
「はい、ありがとうございます。教授もお気をつけて」
わたしはイヴを抱きかかえると、大空へと跳び上がった。
お読みくださりありがとうございました。