恩師との再会
「これで今日は終わりです。お疲れ様でした」
「ええ、お疲れ様」
夕方、今日の診療を終えたわたしはイヴと共に労い合い、店の後片付けを行っていた。と言っても大々的な掃除は朝方に行うようにしているため、待合室の椅子を揃えて暇つぶし用の本を棚に戻したりするだけだ。後はイヴが会計の都度記載してくれた帳簿の見直しぐらいか?
日中を業務に費やすわたしはこれから買い出しに出かける事となる。本当なら休日を利用して買いこんでおくべきだろうけれど、取り置きが出来ない食品についてはどうしようもない。この時間帯ならまだ店は開いているからさほど問題ではないだろう。
お手伝いさんがいてくれればなあ、と思わなくもないが、こうして一通りこなせている以上は当分いいだろう。もっと忙しくなって来訪者全員を診切ると夜まで時間が食い込むようになったら考えるか。金銭面でも人を雇う余裕はあまりないし。
「そう言えば、待合室で患者達が世間話していたんだけれど、帝都からの討伐軍は予定通りこっちに到着したそうよ」
「そうなんですか。けれど城塞を攻め落とすほどの規模となると、公都には入りきれないんじゃあないです?」
「ええ、だから今日一日は北の城壁外に陣取るそうね。だから今日の夜だけは北の門は開きっぱなしになるとかならないとか」
「……旅路の疲れを癒す必要はあるでしょうけれど、羽目を外しすぎないよう手綱は握っていてほしいですね」
カインの言った通りちゃんと討伐軍は派遣されてきたようだ。すぐ傍にある繁華街がいつもよりも賑わいだしたからすぐに分かった。さすがに派遣された軍が地方都市で横暴を働くとは思いたくないが、そこは軍の規律を信じるしかない。
ま、どんな連中が派遣されてこようがわたしのやる事に変わりはない。カインに頼み込んでわたしとイヴを城塞攻めに参加させてもらい、なるべく力を温存しつつ城へと乗り込むのだ。イヴをアダムと対峙させていいかは今でも迷っているけれど、このままわだかまりを残したままよりはるかにましだ。
おそらく討伐軍の出陣は明日の朝。カインには朝方にわたしの意思を伝えてある。その時になったら馳せ参じればいいだろう。まあ、この間の防衛戦と違ってどこかの部隊に組み込まれるわけではないから、遅れて行って本懐だけ遂げても別にいいのだけれど。
……未だにイヴの状態は一般兵にも劣る有様だが望みはある。いずれもわたしの命が脅かされた時だったけれど、本当に重傷を負ったのかと言いたくなるほどの俊敏さで動作していた。大事なのはやはり動かせて当然だとイヴが認識出来るかどうかなのだろう。実戦で勘を取り戻してもらうしかない。
「それじゃあわたしはこれから買い物に……」
「いえ、ちょっと待って。誰か来たみたいね」
「えっ?」
買い物袋を肩にかけた所で玄関扉が叩かれる音が響いてきた。はて、誰が来たんだろうと玄関まで駆け寄って扉を開けた。
そこにいたのはこの西の公都では決して出会わないだろうと思っていた、意外な人物だった。
「やあマリア、元気そうで何よりじゃないか」
「……どうしてここに?」
彼女、学院の教授アンナはわたしの記憶と全く変わらないままで屈託のない笑顔を見せてきた。
何年間も毎日顔を合わせてきたのにちょっとの間離れていただけで凄く懐かしく感じてしまう。……それだけ学院を離れた後の生活が濃厚だったんだろう。
教授は彼女が自慢していた長髪をかき上げる。瑞々しい髪が手で流れていく様子は森の中の小川を思い起こさせた。
「ちょっと野暮用を押し付けられたせい、と言いたかったんだけれど、今度ばかりは志願して参加させてもらった。やっぱ持つべきモノは人脈だね」
「志願? では今回は宮廷魔導師としてこちらに?」
「ああ、宮廷魔導師として要請されていた討伐軍に加わっている」
教授はわたしが入学した頃には既に学院の教授だったけれど、時折宮廷より声をかけられて様々な任務に携わってきた。けれど毎度自分から率先して関わったりはしていなかった筈だ。そんな教授が志願して? 明日は大雨にでもなるんじゃないか?
とか考えていたらげんこつを貰った。不意を突かれた攻撃が凄く痛くて思わず頭を押さえてしまう。浴びせてきた当の教授は実に楽しそうに笑っていた。
「マリアの為にわざわざ来てやったのに馬鹿な事考えてるんじゃないよ」
「そ、そんなに顔にはっきり書いてましたぁ?」
「ほれみろ、やっぱり考えてたんじゃないか」
「当て感ですか!?」
くそう、こうも簡単に見透かされるとは何だか悔しい。教授相手には表情に出さないようにする努力が必要なのか?
い、いや、今はそんな事はどうでもいい。今教授はわたしの為にと言わなかったか?
「教授の教え子はわたし以外にもいらっしゃいますが、そうやって一人一人に気を配ったりしてはいなかった覚えがありますが」
学院に教授は数多くいるものの、その教え子は毎年数人から十数人と言った所か。わたしの同級生も少なからずいた筈だ。確かにアンナ教授は他の教授と比べても面倒見の良い方ではあったけれど、こうして地方まで下って卒業生達を労った記憶はない。
これは学院を卒業すれば自分と対等の魔導師になった、という教授の考え方に基づく。同等の魔導師に貸す肩などないし親切心も無用なのだ。教授が培った叡智を分け与えてはもらえないし、助けを求められてもその分の対価を要求されるだろう。
わたしもてっきり教授とは今後手紙で交流する程度になるだろうとばかり思っていた。この西の公都で顔を合わせたとしてもせいぜい他の用件のついでだと。なので、今回わたしの為だと断言した教授の意図が窺い知れなくて困惑してしまう。
「その点は追々話すとして、マリアはもう夕食は取ったかい?」
「いえ、これから買い出しして自炊するつもりですが」
「これから公爵邸で討伐軍の主要陣を交えて会食を行うらしいんだけれど、来るかい?」
「全力でお断りさせていただきます」
わたしは満面の笑みを浮かべて教授のお誘いを拒絶してやった。お偉い方との食事なんて別に参加しなくても支障はないし、むしろ緊張とか準備とかでこちらの負担ばかりが多い。命令でもない限りは極力避けた方が無難だろう。
「そうかーマリアが辞退したかーでもあたしも愛弟子とひと時を過ごしたいしなー本当は出たいんだけどしょうがないよなー」
「ぷっ」
だがそんな拒否は教授も分かっていたのか、わざとらしく肩をすくめて苦笑いをこぼした。教授の口から滑ってくる言い訳は完全に棒読みである。どこか何となく楽しそうに見えてしまい、わたしも噴き出してしまった。
わたしは単なるしがない魔導師の一人だけれど教授は立場持ちでしょう。いいのかそれで、と一瞬思ったものの、元から教授は結構自分の好きなようにやっていた記憶がある。こうなるのは当然の成り行きとも言えるか。
「そんなわけなんで夕食驕ってくれないかい? 外で食べるってんならあたしが身銭切るけれど?」
「いえ、折角なのでここで食べていってください」
「そうかい。それじゃあ遠慮なく上がらせて……ん?」
わたしを横切って入ろうとした所で教授は視線を下に落とした。その向きは玄関脇に置かれた靴棚に注がれていた。帝国でも屋内で靴を脱ぐ習慣はないが、使い分ける為の靴を何足かまとめて玄関に置いてある。
特にこだわりはないから履きやすい物ばかり選んだつもりだったけれど、教授の気に留まったものでも……とまで考えて気付いた。そう言えばイヴの靴も収納していたんだと。好みや大きさが異なるから見る人が見れば独り暮らしではないと察しが付くだろう。
「同居人でもいるのかい?」
「ええ、一時的ですが滞在している方がいます。教授にもちゃんと紹介しますよ」
「ああ、分かったよ。でもまずは買い出しに出かけるんだろう? あたしも付き合うよ」
「え、ええ、分かりました」
その提案は少々予想外だったので少しためらってしまったが、断る理由もない。快くご一緒していただくとしよう。何なら買い物ついでに今日の献立を相談してもいいかもしれない。あまり私には献立がないので最近料理本を借りようかと思っていたぐらいだ。
わたしはそのままイヴに一言告げてから出発した。なお、討伐軍が北に陣を置いたのもあって繁華街はわたしの予想をはるかに超えて込み合っていた。
■■■
「ただいま」
「お帰りなさい。その人は?」
「学院時代でご教授頂いた魔導師アンナです。この度討伐軍に参加されていたとの事でわたしを訪ねてくださりました」
「初めまして、アンナと申します。本日は夕食時にお邪魔してしまう形となってしまいまい、お詫びいたします」
「それで教授、こちらが同居人のイヴです。公都に帰省する際に知り合いました」
「イヴです。よろしくお願いします」
買い出しが終わって帰宅した後そんな紹介が行われた。特にこれと言って教授もイヴも予想外な反応は示さなかったので、どうやら二人は初対面らしい。こんな時イヴがらみだとわたしの記憶が当てにならないのはもどかしいな。
夕食は教授と共に作った。これは意外だったが教授は自分で台所に立っているらしく、わたしよりはるかに料理の腕があった。まあわたしの場合美味しい物を食べるなら外食するし、腹を膨らませる程度の自炊しかしていなかったから当然とも言える。最も、そもそも教授ぐらいの肩書があるなら料理人を雇っていてもおかしくはないのだが。
三人前の料理をテーブルへと並べてからわたし達は席に着いた。イヴがわたしの真正面で教授は私の隣。色々と考えてこの席配置になった。今日の料理は……どうでもいいか。料理が何であろうと美味しいものは美味しいし不味いモノは不味い、それだけだ。
「……! これ、美味しいわね」
「どうもありがとうございます。今回は教授と一緒に作ったんですよ」
「お口に合っていたようで何よりです。マリアの腕が良かったのでしょう」
なお、今回は頬が落ちてくるほど美味しく出来上がりました。多分今まで私が作った料理の中でも会心の出来と言っていいかもしれない。教授にとってはこれが当たり前なんだろうなあ。少しわたしもこの境地を目指すべく腕を磨かないと。
それはそうと教授の喋り方は一体何だ? いつもだったらもっと気さくな口調だけれど、もしかして見ず知らずなイヴに遠慮でもしているのだろうか? いつもと全く違っているせいで違和感しかないのだが。イヴもそれを察しているのか、わずかに眉をひそめていた。
「アンナさん、でしたっけ。私は気にしませんのでもっと砕けた言い回しでもいいですよ」
「……それはありがたい。どうも気を張ってて肩が凝ってねえ」
少し前まで上品に食事を取っていた教授だったが、イヴの提案を飲んで肩を下ろすと深く息を吐いた。完全に力を抜ききって椅子に寄りかかっている。どうやら教授にとっても丁寧な言動は結構な負担になっていたようだ。
「それで教授、わたしの為に討伐軍に志願したってどういう意味なんです?」
ある程度食事が進んだ所で先ほどの疑問を問いかけてみる。結局あれからあれこれ考えてみたものの、わたし自身が納得する答えにはたどり着けなかった。任務のついでにわたしを訪ねたならまだ分かるけれど、わたしの為に任務を引き受けたって、順番があべこべじゃないか。
そうやって首を傾げていると、教授は私に優しげにわたしを見つめてきた。
「……マリア、自分についてはどれだけ把握出来ているかい?」
「――っ!?」
息を飲んで思わず立ち上がってしまった。その拍子に椅子が倒れたようだが気が付いたのは少し経ってからだった。その反応を見た教授は目を伏せて軽くため息を漏らしてくる。
それで分かった、今のは確認なんだと。自分の事ぐらい分かりますって、と軽く受け流していたらわたしは学院を卒業してから何も変わっていないんだと判断されただろう。けれどわたしは今の問いを驚愕で返してしまった。
まさか、教授はわたしがマリアだと知っている……!?
「何故、教授が……」
「何故も何も、マリアにとっちゃあ特にこれと言った出来事もなく学院生活を過ごしたって認識なんでしょうけれど、実際は勇者に同行して三年前に学院を去っているだろう。そんな教え子を復学させるだけじゃあなく進級までさせたのは他ならぬあたしさ」
「なっ……!」
言葉にならなかった。確かに言われてみたらマリアだった筈のわたしが学院時代に何の違和感も無いまま過ごせたのはどう考えてもおかしかったが、それでも教授の暴露は衝撃的だった。
学院卒業には必要な科目で単位を取る必要がある。それは一定以上の成績を収めるだけではなく出席率も評価対象となっている。わたしは落第すれすれの成績だったとはいえ一応順調に進級出来たけれど、実際はマリアは二年も旅で不在だったのだ。
わたしの記憶がどうであっても実際には授業や試験を受けていない。この空白の二年間を埋めるべく学院内で裏工作をした人物がいたわけか。納得は出来たけれど、まさかそんな平穏に過ごしていた学院生活には舞台裏があっただなんて。
「マリアはあたしの教え子だったからね。旅に出るって決意も聞いたし、旅の果てに冥府の魔導に手を伸ばせるって告白も聞いたよ。……まさか勇者にそれまでの人生を全否定させられるとは思いもよらなかったけれどね」
少しほっとした。マリアも今のわたし同様に教授を尊敬しているし信頼しているのだと。でなければあのマリアが本心を利もなく他人に告白するとはあまり思えない。わたしがマリアの立場でもおそらくは教授にだけ打ち明けていただろう。
教授は一年前の出来事を懐かしみながら顔を外へと向けた。外は既に太陽が沈んでいて夜が訪れている。空は暗いけれど街の灯りがある為か、まだ賑やかな明るさがあった。夜になっても開いている店は開いているし、むしろ夜こそ本番な店もあるから、しばらくはこの活気のままだろう。
「報告を受けて駆け付けた時には廃人同然のマリアが重体で倒れていてね。あたしが元々所属していた宮廷魔導師の部隊で引き取って治療したわけだ」
「そう、だったんですか……」
その後は想像に難くない。マリアではなくなったわたしに教授は調子を合わせて下さり、学院生活という日常を整えてくださったのだ。優秀なマリアではない凡庸なわたしのために、だ。それには打算が含まれているかもしれないけれど、そんなのはわたしには関係ない。
正に感無量と言っていい。教授がいてくれたからこそ、心遣いがあったからこそ、今のわたしがここにいるのだ。
「ありがとうございます。こんなわたしの為に……」
「それ以上は言うなって。あたしにとっちゃあマリアは愛弟子だ。優秀な教え子なマリアも誇らしかったけれど、ちょっと落第すれすれの頼りないマリアも可愛げがあるってものさ」
「も、もう、教授ったら」
「あっははは!」
この後も教授との楽しいひと時は続いた。イヴも途中から学院時代のわたしについて教授に質問を投げかけたりと会話に加わってくれて、賑やかな晩餐になった。決戦前夜とは思えないほどの団欒となり心が温まった。
さすがに一晩ここで明かすわけにはいかず、アンナ教授は自陣へと帰っていった。予定通り朝を迎えたら出陣するそうで、今日は早々に休息に入るそうだ。魔導師にとっては体力もさる事ながら精神力も重要になってくる。体調を万全に整えて備えなければ。
「頭が固い魔導師らしくない気さくな人だったわね」
「ええ、わたしの自慢の恩師です」
明日の戦場で肩を並べられるかは分からないけれど、あの人が共にいるだけでも頼もしい。どんな困難が待ち受けていようと何とかなるかもって自信が湧いてくるのだ。
けれど、それでも教授に全てを任せっぱなしで座して待つわけにはいかない。イヴは真相を確かめに、わたしはミカルを助けに行かなければ。それは使命を持った勇者一行としてではなく、わたし達個人として、だ。
「やれる事はやりました。明日、最善を尽くしましょう」
「ええ、そうね」
決戦の時は、もう目の前にある。
お読みくださりありがとうございました。