勇者は魔王に恋をした
鬼気迫る表情でイヴはわたしにフォークを向け、わたしの喉元に突き立てんとばかりに力を込めていた。イヴのフォークとわたしの杖がわたしの首辺りできしみを上げて押し合う。
今のイヴの攻撃は魔導師のわたしでも反応出来た上に抑えられる力しか出せていない為、さほど脅威ではない。けれど非力なわたしでは押し返せも弾き返せもしない。動くのがやっとな今のイヴのどこからこんな力が湧いてくるんだろうか?
イゼベルに何とかこの窮地を止めてもらいたくて視線を投げかけたが。ただ興味深そうに瞳を輝かせてこっちを眺めているだけだ。完全に観客席で静観を決め込むつもりか。
「アダム自身がそう名乗っていたんだから嘘を付いたって仕方がないでしょうよっ。自称かどうかなんてわたしには分かりませんから、名乗ってもおかしくない実力を持っていたとだけ言っておきます……っ!」
「嘘よッ! アダムは私が確かに殺した! お前達に、唆されて……!」
「だからそんなのはマリアじゃない今のわたしが知った事じゃない……ッ!」
力を込めながらしゃべるせいで語尾が荒くなってしまう。イヴがわたしに憎悪を向けてくるものだから、こちらも段々と怒りが込み上げてくる。イヴが向けてくる理不尽な主張のせいではなくて、わたしには関係のないわたしの想いがそうさせるのだ。
ふざけるな、わたしはイヴを憎みたくない。両親を二度と復活できないようにされたのはマリアでわたしじゃない。わたしの家族は二年前に亡くなっただけでその後の悪あがきは関係ない。マリアが本懐を達成できずに失ったのも因果応報で、わたしがイヴを恨むものではない。
「何も知らなかった、何も教えてくれなかった! アイツ等が欲しがったのは私じゃなくて勇者だけだった! 魔王を倒す、救世の勇者が……っ!」
「イヴ……?」
悲痛とも言うべきイヴの叫びは次第に怒気を失っていき、やがて後悔と悲愴が彩り始める。いつの間にかイヴは顔を紅く染めて涙をとめどなく流していた。
彼女の手からフォークが滑り落ちる。震えた手はやがて彼女の顔を覆う。
「私はアダムをこの手で、何も知らずに、彼の胸に剣を突き刺して……殺してしまったぁぁ!」
彼女は慟哭をあげてテーブルの上で崩れ落ちた。両手で顔を抑えてうずくまるイヴは、ただただアダムの名を呼ぶばかり。その光景は普段の涼しく冷静な彼女からはとても想像も出来ないほどの弱弱しさを見せていた。
これではまるで、かけがえのない存在を失ったようではないか。
「勇者とか何……魔王が何なのよ……っ! アダムを、アダムを返してよぉぉ!」
もはやわたしは言いえぬ感情を置き去りにしてただ茫然とイヴが泣き叫ぶ姿を眺める他無かった。先ほどマリアがいた方向に視線を投げかけると、彼女は俯いたまま悲しげに首を横に振ってきた。やはり単なる勇者と魔王の間柄では片付けられない深いつながりがあったとしか思えない。
イゼベルはそんな彼女をただ冷淡に見つめているだけだった。勇者が魔王を求める、そんなあり得ざる光景を目の当たりにしても一切の動揺もない。こんなイヴを滑稽と思っているのか哀れだと内心嘲笑しているのか、わたしにはイゼベルがどんな感想を抱いているか想像も出来ない。
「それで、出来ればマリアがレイアと別れた後から説明してほしいのだけれど?」
「え、ええ、分かりました」
もはやわたしからイヴにかける言葉はなかったし、見つからなかった。らちが明かないのでそれならとわたしはイゼベルの質問に答える。正直、今のイヴは辛くて見ていられなかったのが本音だ。
アンデッドを発生させていたのはミカルで原因を作ったのはマリア。そして突如現れたアダムからの逃亡劇。自分の中でも整理しつつ話したものだから所々分かりづらく説明不足になってしまったような気がする。
話し終えるとイゼベルは目元を手で押さえて俯く。
「反魂魔法を失敗させたばかりか魔王まで呼び込んじゃっていた、なんてね……」
「多分万を超す軍勢で立ち向かっても屍の山を築くだけだと思います。彼は数ではなく質で立ち向かうべきじゃあないかと。それも選りすぐりの者達でなければ……」
けれど、あのアダムを倒せる者が果たしているだろうか? ワイトキングを使役し、熟練の傭兵だったアモスが一刀両断されて、全力逃亡したダニエルを一撃で屠るほどの存在を。学院でしか過ごしていなかったわたしには到底彼に敵う者を思い浮かべられない。
目の前にいる彼女ならどうだろうか? 冥府の魔導に精通するイゼベルなら……いや、彼女はどう見ても生粋の魔導師、接近戦に持ち込まれたら一巻の終わりだ。なら前衛にアタルヤが加わったら? 先日の戦争でもその実力は一端も見せていないだろう。
だがその状況に持ち込むにはワイトキング共が邪魔になる。アダムに目が行きがちになるけれど、最上級アンデッドである死者の王達は十分に脅威と言える。やはりそれ相応の実力者が当たらなければならないけれど、現状の西の公都で対応できる者は……。
「やっぱり頭数が足りません。帝都から精鋭を派遣してもらうのが一番ではないでしょうか?」
「魔王なのが本当でも嘘でもいいけれど、相当厄介な敵が現れたのに変わりはないわね。でも公爵に動いてもらうのは不可能そうよ」
「そんな事を言っている場合じゃあ……!」
「帝都の魔導協会本部に連絡して上層部に動いてもらうとしましょう。責任者のカインの要請が通りづらくても、わたしが彼の言を保証すれば全然違ってくるでしょうし」
成程、これまで帝都がアンデッド大量発生の異変に関与してこなかったのはひとえに責任者を押し付けられたカインに人脈や政治力が無かったからだ。まあまだ幼少とも呼べるカインの年齢で顔が効く方がおかしいのだが。けれどそこに西の公爵領における魔導師を総括するイゼベルが後ろ盾になればさすがに静観は出来ないだろう。
それにしてもここまで積極的に動いてくれるとは思わなかった。どうもこの人、適材適所で仕事の割り振りはするけれど自分ではあまり動こうとしないだろうなぁ、って印象を持っていたのだけれど、実際はやる時はやる、頼りになる人だったのか。
「こら、今失礼な感想考えてたでしょう」
「えっ、す、すみません。そんなに顔に書いていました?」
「当てずっぽうよ。長く生きていると経験に裏打ちされた感が働くもので。年の功って言うのかしらね?」
とはイゼベルの弁だけれど、見た目からしたら彼女はまだ充分若いと言えるだろう。もしかしたら彼女もまた外見では判断できない経験を積み重ねているのだろうか?
とにかく、これで帝都から精鋭の軍が派遣されれば何とか目途は立ちそうだ。ワイトキング以外にも切り札と呼べる配下の魔物がまだいるかもしれないけれど、帝国軍は決して烏合の集ではない。きっと何とかなるだろう。
問題は魔王を名乗るアダムか。彼に引けを取らない者が果たして帝国にいるだろうか? 唯一勝ったとされるイヴがこの様だし、アタルヤは未知数。それを踏まえて帝国から選りすぐりの人材が派遣されればいいのけれどそこまで都合よくは行かない筈だ。
「それでイゼベルさん、アダムにはどうやって……」
「レイアやマリアの話を聞く限りだと結構まずいわね。一応アタルヤが主軸になって彼女の精鋭部隊に対応してもらおうかって思っているけれど」
「ワイトキングやまだ見ていない伏兵への対応は?」
「そっちは帝都から派遣される誰かさんに頼るしかないわね。博打同然の手駒を頭数には入れたくなかったけれど、こればかりはしょうがないわ」
彼女は先ほどからわたしと話しつつテーブルの上に羊皮紙と羽根ペン、没食子インク入りの器を並べて何かを書き殴っていた。何だろうと覗き見てみると、事細かくアタルヤへの指示を記しているようだった。筆記速度は速いのに手本のように美しい文字が書き綴られている。
最後に彼女は自分の名前を書き記すと、徐に紙を折りだした。二つか三つ折りにするかと思いきや、何やら変な具合に折っていく。完成したのは魚とも鳥とも取れる、奇怪な物体だった。イゼベルがそれを片手だけで軽く投げ放つと、それはゆっくりした速度で飛行していく。
その紙の物体は少しの間部屋の中を飛び、窓近くで突然割れた空間の中へと滑り込んでいった。おそらくだが、空間の割れた先で繋がっているのは協会支部のアタルヤの仕事場なのだろう。
ただの紙が何の魔法も無しに飛んでいくその光景は、つい先日も見た覚えがある。
「随分と綺麗に飛ぶんですね」
「鳥は羽ばたいて空を飛ぶけれど、時折翼を広げたまま飛ぶ姿を見た事ない? 風に乗るような形にすればご覧のとおり、紙だって飛ばせるものなのよ」
「へええ、知りませんでした……」
わざわざ飛行する形にしなくてもイゼベルなら直接手紙を空間越しに届けられるんじゃないのか、と言うのは野暮か。イゼベルの遊び心だろう、送られるアタルヤにはたまったものではないだろうが。そう言った意味ではイゼベルとアタルヤの関係は単なる上司と部下では収まらない気がする。
彼女が指を弾くとテーブルの上に並べられた朝食に使用した食器が全て下方に開いた空間へと落ちていき、直後に台所の方で物音が聞こえてきた。今の物音からすると食器は全て水の入った桶に入れられたようだ。
「それじゃあそろそろ時間ね。開店準備、手伝ってあげるわ」
「えっ? え、ええ、けれど……」
さて、と切り出してイゼベルは立ち上がった。確かに視線を時計に向けたらそろそろわたしの方も準備をしないと開店時間に間に合わなくなってしまう。彼女はにこやかにこちらに向けて手を差し伸べた為に自然とその手を取ってしまい、彼女につられて立ち上がった。
問題は受付嬢を頼んでいたイヴが泣き崩れているぐらいか。正直、マリアとしてではないわたしにはアダムについて彼女にかける言葉が見つからない。同情を示そうが元気づけようが、所詮は言葉を並べているだけ。彼女の心には響くまい。
「帝都で要請が通ってこちらに討伐軍が派遣されるのにかかる日数は多く見積もっても一週間ね。そうしたら本格的に死者の都の攻略が始まるでしょう」
「一週間もあったら敵アンデッドは再軍備どころかまた公都攻略軍が組織してくるのでは?」
「下手に死者の都を制圧したって魔王本人をどうにも出来ないわ。なら何もしない方がましよ」
「成程。ではそれまでは小休止ですか」
「ええ、けれどそれまで色々とやれる事はあるでしょう。例えば――」
その四肢を自由に動かせるようにするぐらいは、とイゼベルはつぶやいた。彼女は私の方へと身体も顔も向けていたけれど、その言葉を口にする時だけはイヴに視線を向けていた。
「魔王アダムは勇者イヴに討たれた、それは真実なのでしょう。けれど魔王アダムが虹のマリアの前に現れたのもおそらく事実。その要因が何であろうと受け止めて、現実を直視した方が建設的なんじゃあないかしら?」
「……!」
イヴがゆっくりと顔をあげた。顔は泣きはらして紅く染まり、頬は涙の跡が幾重にもなり、目元は腫れぼったい。無様、と言ってしまったらそれまでだけれど、それでもなお彼女の端正な顔立ちが損なわれていないのは正直ずるいと感じた。
「魔導とはつまり認識するもの。貴女は自分にくっ付けられた腕と脚をどこぞの馬の骨のものとは思わず、自分のなんだって当たり前に思えるようになる事ね。マリアのお店の事務仕事はリハビリには最適でしょう」
「……」
「腕や脚が別になったから何? 経験値は体に覚え込ませるだけじゃない、魂にも刻まれるものよ。貴女がその気になれば以前と同じように動かせるように戻るでしょうね」
「……私、は……」
魂につられて肉体が動く、か。上手い事言っているようだけれど、実際は筋力とかくせとかがあるからそう上手くいくものではないだろう。
ところがイゼベルは不敵な笑みを浮かべたまま扇でこちらを指してくる。
「あら、マリアも他人事ではないのよ」
「えっ?」
「マリアが構築した術式による魔法なのだから、一旦縫い付けて終わりじゃあなくて動かしやすく改良もしていかないと。使えば使うほど精度が上がっていって、やがて違和感が無くなるほどの鮮やかな手並みになるでしょう」
「た、確かに……」
イヴに慣れてもらうしかないって勝手に思い込んでいたけれど、精度が上がればそれだけイヴが四肢を動かしやすくなるのか。言われてみれば当たり前なんだけれど、考えが及ばなかった……。
「全てはやる気次第。じゃあ先に下に降りてるわね」
イゼベルは言いたい事を言うだけ言って廊下へと立ち去っていく。組織の上に立つ者としてのありがたい助言とも取れるし身勝手な主張とも取れて何とも複雑な気分だった。
イヴは自分の手をただ眺めていた。けれど先ほどまでの激情に身を任せた有様でも、全てを失った喪失感に支配されてもおらず、瞳には力が戻ってきているような気がした。
「……マリアの最後はミカルに聞きました。イヴがマリアの家族を、そしてマリア……わたしを殺したんだって」
「……っ。そ、それは……!」
「あの人、イヴに似ていましたね。イヴが年を重ねればあんな感じになるんでしょうか」
「……あの人は私の叔母様なの。敵しかいなかった親族であの人だけは私の味方だった」
ふむ、公爵夫人になれるほどの貴婦人がイヴの叔母とは。皇族の公爵夫人が親戚だとしたら、やはりイヴも由緒正しき家の出か。何の因果で勇者として旅をし始めたかは見えてこないが、これもいずれは答えが明らかにされると信じておこう。
「イヴ、わたしはミカルを助けたい。永遠の眠りを無理に妨げられた挙句にあの死者の都に閉じ込められているなんて、理不尽すぎるでしょう」
「マリア……」
「その為にもわたしは何とかして魔王を名乗るあの者を退けたい。身勝手なのは承知で頼みますが、どうか力を貸してほしいんです」
過去については一切語らない。マリアではないわたしに口にする資格なんて無いし、それを持ち出していてはきりもない。何より、過去ではイヴにわたしの想いは伝わらない。
「イヴが過去にアダムと何があったかは『知りません』。きっとイヴにとっては大切に想う相手だったんでしょう。……それこそマリア達かつての仲間を手に駆ける復讐劇をするほどの」
「……!」
知らない、という一点は強調しておいた。正確に言えば忘れさせられたんだろうけれど、わたしにとってはマリアの経験であってわたしの過去ではない。
「彼と戦えとは言いません。けれど、だからこそイヴには彼に面と向かってほしい。そう思うのはわたしの身勝手でしょうか?」
「いえ、そんな事は……」
「どうせ後悔するならやるだけやった方がいいでしょう。イヴがその目で見てその手で触れて確かめてほしい」
「……そうね。私ったらどうかしていたわ」
彼女はテーブルから降りてわたしの正面に立った。顔を袖口で拭った彼女は、凛々しさのある面持ちに戻っていた。
「本当にアダムなのか。もしそうならどうして今になって姿を現したのか。あの魔導師なんかじゃない、わたし自身が確認する」
「ええ、それでいいでしょう。可能な限りはわたしも助力しますよ」
「そうね。あの、マリア……」
「?」
イヴはわずかに言い淀んで俯く。だがそれもほんのわずかの間で、彼女の決意に満ちた瞳がわたしを覗くと、手が差し出された。
「この手、未だに感覚も無いしわたしのだって実感があまりなくて悪いんだけれど、その……これからもよろしくね」
「……っ!」
その言葉にはどれだけの想いが込められていただろうか。全てを抹消されたわたしはともかくイヴは全てを覚えている。わたしがマリアなんだったら、復讐を果たしたとはいえ、彼女にとってはわたしは今だって裏切り者の筈だ。だからせいぜい完治するまでわたしを利用してやろう、とか思っていたって不思議ではなかった。
それが、今彼女は改めて手を差し伸べてきている。いい関係にしよう、とわたしに願いながら。
「……ええ。 よろしくお願いします、イヴ」
打算まみれで勇者一行に加わったマリア。己の悲願の為にイヴを裏切ったマリア。復讐を果たさんとイヴに全てを抹消されたマリア。それらを乗り越えて今この時があるんだとしたら……。
わたし達は今、本当の意味での仲間になれた。そう思うわたしはいけないのだろうか?
お読みくださりありがとうございました。




